第15話:境界線の隠密行動と、透明な死角
王城の地下深く。冷たい石造りの壁に囲まれた大牢獄は、永遠の夜のように薄暗かった。
壁には等間隔で松明が掲げられ、重武装の獄卒たちが鋭い目を光らせて巡回している。
(ここはステルスミッションのエリアだな。見つかると無限に敵が湧くペナルティ部屋に落とされるから、普通にやるとめちゃくちゃ時間がかかる)
俺は物陰に隠れながら、巡回する獄卒たちの動きを観察した。
隣に身を潜めるシルフィアは、暗殺者としての本能からか、呼吸音すら完全に消し去り、闇と同化している。
「主様。この階層の警備は異常です。おそらく数十人の精鋭が配置されており、死角がありません。私が天井の梁を伝って一人ずつ仕留めてまいりますか?」
「いや、そんなことをしたら無駄な処理が重くなる。それに、あいつらには完璧な死角がある」
「完璧な死角、ですか?」
シルフィアが怪訝な顔をする。
無理もない。松明の光に照らされた一本道には、隠れる場所など存在しないのだから。
俺はインベントリから松明を一つ取り出し、あえて火を点けた。
「なっ……主様!? 自ら明かりを灯すなど、見つけてくれと言っているようなものです!」
シルフィアの制止を無視し、俺は松明を掲げたまま、堂々と一本道のド真ん中へと歩き出した。
真正面からは、二人一組の獄卒がこちらに向かって歩いてくる。
「おい、誰だ! そこで火を灯しているのは!」
獄卒たちが剣を抜き、俺に向かって走ってきた。
絶体絶命の状況。しかし、俺は歩みを止めず、ただ視線を床の石畳の継ぎ目だけに集中させた。
(このゲームの敵の視界判定は、空間を区切る見えないマス目に基づいて計算されている。マス目とマス目の境界線、その幅わずか一ドットのライン上に立ち続ければ、システムはプレイヤーがどの空間にも存在していないと処理するのだ)
俺は床の継ぎ目という見えない境界線の上を、綱渡りでもするように、一歩一歩不自然なほど正確な直線で歩き続けた。
獄卒たちが、松明を掲げた俺の目の前まで迫る。
シルフィアが絶望に目を閉じ、短剣を構えて飛び出そうとした、その瞬間。
「……ん? 気のせいか。誰もいないな」
「ああ。ネズミでも出たのだろう。持ち場に戻るぞ」
獄卒たちは、俺の鼻先わずか数センチの距離でピタリと立ち止まり、あろうことか俺の存在を完全に無視して、クルリときびすを返した。
「……えっ?」
物陰からその光景を見ていたシルフィアから、間の抜けた声が漏れた。
真っ暗な地下牢の通路のド真ん中。
頭にフライパンを被り、煌々と燃える松明を掲げた男が立っている。
しかし、その男のすぐ横をすれ違う獄卒たちは、誰一人として彼に気づかない。まるで、彼が幽霊か空気であるかのように。
(よし、ピクセルパーフェクトの歩行成功。この境界線の上を歩き続ければ、どれだけ光を放とうが、目の前でジャンプしようが、敵の視界に入ることはない)
俺は松明を振り回しながら、獄卒たちの間を悠々とすり抜けていく。
シルフィアは、震える足で壁に手をついた。
彼女の暗殺者としての常識が、またしても粉々に打ち砕かれていた。
(……あり得ない。気配を消すどころではない。あの方は今、この世界そのものから自らの存在を切り離しているのだ!)
シルフィアには、俺がただ床の継ぎ目を歩いているだけだとは分からない。
彼女の目には、俺が光を放ちながらも、誰の記憶にも網膜にも留まらない、究極の隠密魔術を行使しているように見えていた。
(私が生涯をかけて鍛え上げた暗殺の技など、あの方の足元にも及ばない。気配を断ち、闇に紛れるなどという小手先の技ではない。堂々と光の真ん中を歩き、それでもなお誰にも認識されない。これこそが、殺しの極致……透明なる死神の領域!)
「おいNPC。いつまで隠れてるんだ。この境界線の上なら見つからないから、俺の背中から一歩もはみ出さずについてこい」
俺が小声で呼ぶと、シルフィアはハッとして、慌てて俺の背後に回り込んだ。
「は、はいっ! 主様の歩まれる無の領域、この身に刻み込ませていただきます!」
彼女は俺の歩いた軌跡をミリ単位でなぞりながら、畏怖に満ちた瞳で俺の背中を見つめ続けた。
こうして俺たちは、王城地下の厳重な警備網を、松明を掲げたままの堂々たる直進歩行で完全に無視し、最下層への扉へと向かって進んでいった。
本来なら緊張感あふれるステルスエリアは、ただの直線を歩く作業へと成り下がっていた。




