第12話:回復魔法(デバフ)の回避と、偽りの恩恵
王都の中心部に位置する『白亜の貴族街』。
スラムの惨状が嘘のように、ここでは澄んだ水が水路を流れ、魔法の光で照らされた大理石の洋館が立ち並んでいる。
その優雅な街並みを、血まみれの男が猛烈なスピードで後ろ向きに爆走していた。
俺だ。
「よし、HP1固定ヨシ! 『火事場力』のバフ効果で移動速度が通常の2.5倍になってるな。このまま街のアイテムを回収しつつ、中央広場まで駆け抜けるぞ!」
俺は頭のフライパンをカンカンと鳴らしながら、超高速のカニ歩きで貴族たちの豪邸の壁に次々と身体を擦り付けていった。
「(このゲーム、貴族の家の金庫は壁際に配置されてることが多い。外壁から『視点透過』で壁の中に腕だけ突っ込めば、家に入らなくても中身だけ抜けるんだよな)」
ズボッ、ズボッ。
俺は走りながら、まるで道端の雑草を引き抜くような手軽さで、分厚い大理石の壁の向こう側にある宝箱から『王家の金貨』や『高級ポーション』を次々と亜空間に吸い上げていく。
「……ッ!」
俺の後ろを走るシルフィアは、その光景を見て息を呑んだ。
(主様が壁に触れるたび、貴族たちの館から『淀んだ魔力』が浄化されていく……! いや、あれは彼らが民から搾取し、溜め込んでいた富を『虚無』へと還しているのだ!)
シルフィアの目には、俺の手が壁をすり抜ける動作が、腐敗した貴族たちへの「神罰の執行」に映っていた。
実際に、館の中では突然金庫の中身が空っぽになった貴族たちが「ひぃぃっ!? 悪魔だ、悪魔の仕業だ!!」と泡を吹いて倒れているのだが、外を走っている俺には知ったことではない。
「主様……!」
シルフィアが、痛ましそうな声で俺を呼んだ。
「どうか、どうか少しだけお歩みを止めてください! 御身から血が……先ほど負った傷が、塞がっておりません! このままでは命が……!」
「あ? 傷? ああ、これか」
俺は自分の腹部からダラダラと流れるポリゴンの血を見下ろした。
ダメージブーストの代償としてHPは残り1。確かに見た目は今にも死にそうな重傷だ。
「気にするな。これは『速く走るため』に必要な状態だからな。絶対に回復させるなよ」
「——ッ!!」
シルフィアが、ハッと息を呑んで立ち止まりそうになった。
(速く走る……つまり、一刻も早く『世界を救済する』ために、あえて死の淵に立ち続けるというのですね……! 己の命の灯火を燃やして、速度に変えている……!)
「あ、おいNPC、止まるな。前方から厄介なギミック(罠)が来たぞ」
俺が舌打ちをして前方を指さした。
貴族街のメインストリートをパトロールしている、白銀のローブを着た神官たちの集団だ。
「むっ!? そこの血まみれの男! スラムからの侵入者か!?」
神官の一人が俺たちに気づき、杖を構えた。
「だが、我が神は慈悲深い! 罪人であろうと、まずはその痛々しい傷を癒やしてやろう! 『大いなる癒やし(ヒール・オール)』!!」
神官の杖から、優しく温かい光の波動が広がり、俺たちに向かって飛んできた。
怪我人を強制的に全回復させる、高位の神聖魔法だ。
「主様! 敵の魔法が……!」
「チィッ!! ふざけんな、ふざけんなよクソAI!! ここでHP回復されたら火事場バフ(2.5倍速)が切れて大幅なタイムロスだろうが!!」
俺は激怒し、シルフィアの腕を掴んで猛烈な勢いで横に跳躍した。
そして、飛んでくる『回復の光』に対して、タイミングを合わせて前転を繰り出す。
シュォォォンッ!
「よし、無敵フレーム回避成功!!」
俺の身体を、温かな癒やしの光が完全にすり抜けていった。
HPは1のまま。バフは維持された。
「な……に……!?」
神官が、信じられないものを見る目で硬直した。
「ば、馬鹿な……神の慈愛たる『大いなる癒やし』を……躱しただと……!? なぜだ、なぜ回復を拒む!?」
「当たり前だろ! お前らの回復なんて食らったら、俺のチャート(計画)が狂うんだよ!! 二度と回復魔法撃ってくんな!!」
俺は神官たちに向かって中指を立て(※挑発エモート)、そのまま爆速のカニ歩きで彼らを置き去りにした。
「……あ、あ、ああ……」
シルフィアは、俺の腕の中でボロボロと涙をこぼしていた。
(主様は……拒絶されたのだ。貴族や特権階級の者たちだけを無条件で癒やす、この腐敗した『神の恩恵』を!)
彼女にとって、回復魔法とは神の奇跡そのものだ。
それを、血を吐きながら、死の淵にありながらも「そんなもので俺を癒やすな」と激怒して撥ね退けたのだ。
(『お前たちの施しなど受けない。この痛みは、世界が抱える業そのもの。俺はこれを背負ったまま、世界の果てまで走り抜ける』……。ああ、なんという気高く、悲絶なる御覚悟……!!)
「よし、見えたぞ。あれが貴族街の中央にあるワープポイントだ」
俺の視線の先には、純白の大理石で作られた巨大な『女神の彫像』がそびえ立っていた。
この像の台座にあるクリスタルに触れれば、王都のファストトラベルが解放され、同時に第1章のシナリオ進行フラグが確定する。
「行くぞNPC! あの像に触れた瞬間、王城の連中(第2章の敵)が一気に湧いてくるからな! 気合入れろ!」
「はいっ!! このシルフィア、主様が背負う痛みの、せめて一欠片でも共に背負う覚悟でおります!!」
全く噛み合っていない決意を胸に、血まみれのゲーマーと狂信の暗殺者は、王都の中心——偽りの女神像に向かって最後の跳躍を放った。
絶対の盾たる聖騎士長レオンとの、運命の激突は目前に迫っていた。




