Episode9 編入生の初日
学園に到着すると、校門の前には、ひときわ背筋の伸びた女性の姿があった。
鋭さと気品を併せ持つ眼差しがこちらを捉え、相手はすぐに気づいたように一歩前へ出る。
「編入生のカルミア・ジーニアス様ですね。お待ちしておりました。わたくし、事務員のサーベラスと申します」
「は、初めまして……」
思わず背筋を伸ばしてしまう。
すらりとした長身に、きっちりと整えられた制服。無駄のない所作と、凛とした声。
――か、かっこいい……。
「それでは早速ですが、学生寮までご案内いたします。お荷物を置き次第、教室の方へ向かっていただきますね」
「あ、はいっ!」
歩き出すサーベラスの背中を追いながら、カルミアはきょろきょろと周囲を見回した。
広い石畳の通路、緑が辺りを彩る。高くそびえる校舎は、まるでお城のようで、胸が落ち着かない。
「(……ちゃんと、やっていけるのかな)」
ふと、脳裏に浮かぶのは、森の小屋で見送ってくれた使い魔の顔。
トレニア、ロベリアさんと一緒だったけど……今ごろ、どうしてるのかな……。
胸の奥に小さな不安を抱えたまま、カルミアの新しい生活が始まった。
◇ ◇ ◇
――その頃、森の小屋には、布巾が棚を叩く音や、箒が床を擦る音が、せわしなく響いていた。
「ほらそこ、まだ埃が残っていますよ。もっと丁寧に 拭きなさい」
「いったい、いつまで居座るんですかぁデルフィニウム様ぁ~!」
「私が居ると、何か不満でも?」
「い、いえっ……あはは……」
視線だけで空気を凍らせるロベリアに、トレニアは言葉を失う。
しばし無言の中、窓ガラスを拭いていた手が止まり「はぁ」と、トレニアは深いため息をついた。同時に布巾を握る手に、じんわりと力がこもった。
「ご主人様、大丈夫でしょうか……」
ぽつりと漏れた声は、独り言に近かった。視線は窓の外、森の向こうを見つめる。
「きっと、ご主人様は今頃、貴族の嫌がらせを受けていますよ!」
「……騒わず、手を動かせ」
「だってー」
頬を膨らませ唇を尖らせるトレニア。
「――そういえば……デルフィニウム様は何故、あの時ペディランサスに来ていたんですか?」
一瞬だけ、ロベリアの身体が硬直した。
「偶然だ」
「ははーん。も、し、か、し、て……ご主人様が心配で、こっそり様子を見に来てたとかっ!」
トレニアが茶々を入れるが、ロベリアは動じなかった。
「あーあ、私も行きたかったなぁー」
その言葉に、ロベリアは古書から目を離し、トレニアに視線を合わせた。
「お前は魔法が使えないだろ? 行く意味が無い」
「ガーン!!」
「論外です」
「ひどいっ!」
ロベリアは紅茶を一口含み、わずかに伏せた視線の先、表面に反射して映る自身の顔を見つめた。
「悪魔をいじめるなんて、悪魔より悪魔ですよ!」
「何を訳の分からない事を……手が止まっていますよ、口より手を動かしなさい!」
「ふえぇぇぇ、ご主人様ぁぁぁぁぁ!」
トレニアは涙目で掃除を再開する。
◇ ◇ ◇
場面は戻り――カルミアは教壇の上で、小さく身を竦めていた。
チョークが黒板を擦る音と、紙をめくる音が教室に満ち、編入生という言葉に、あちこちで小さなざわめきが起こる。無数の視線が、突き刺さるように集まってくる。胸の奥がきゅっと縮み、指先が冷たい。
「えー今日から、このクラスに編入生が加わる事になった」
白い髭をたくわえた高齢の教師が、ゆっくりとカルミアの方へ視線を向ける。
「君、自己紹介を」
「は、はひっ!」
ど、どどどうしよう。緊張のあまり、声が裏返っちゃった……!
喉が張り付いたみたいに息が詰まる。心臓の音だけが、やけに大きく聞こえた。
「あの、えっと……カルミア・ジーニアス……ですっ」
視線が定まらず、ぎこちなくて、小さな声ではあるが、最後まで言い切る。
その瞬間、ちょっとだけ自分に自信が持てた気がした。
「では、ジーニアスくん、君の席は……リオールくんの隣じゃ」
カルミアは小さく頷き、教室の奥へと歩き出した。
階段状に高くなる座席。進むほどに、視線が背中に増えていく気がして、自然と足取りが重くなる。
やっとの思いで席にたどり着けると、重りが外れたかのように身が軽くなった。ふわりと椅子に腰を下ろした。
「初めまして、あたしはアイリス・リオールよ、よろしくねっ」
「あ、はっはい!」
声をかけられるとは思ってもいなかった。
カルミアが顔を振り向いた瞬間、息が止まりかけた。淡い黄色の長い髪、桃色の瞳、整ったその顔立ちに、理由の分からない既視感が胸を掠める。
直感的なだけで、思い出そうとすると、余計に記憶から遠ざかってしまう。
「ねえ、良かったら放課後に学園内を案内するわ。知らない事が多いでしょ?」
「い、良いんですか! ありがとうございます!」
カルミアは深くお辞儀をした。
「ちょっと、大げさよ! 頭上げて!」
「すみません……その、嬉しくて、つい」
手の指先を合わせたまま、無意識に指を絡めてしまう。照れくさそうに頬を赤らめ、足元へ視線を落とした。胸の奥がまだ、ざわついたままだった。
アイリスは、ほんの一瞬だけ、笑っているように見えた。
――放課後。
カルミアはアイリスと並んで学園内を歩いていた。授業を終えた生徒たちが行き交い、談笑する声があちこちから聞こえてくる。その中でカルミアは、ふとあることに気づいた。
制服の胸元。学年を示すバッジとは別に、変わった形のバッジをつけている生徒が、ちらほらといる。そしてアイリスにも、もう一つバッジが付いている。
「あの……アイリスさんが付けている、そのバッジは何ですか?」
糸巻きを背に、斜めに交差する針をあしらった、小さな金属製のバッジ。
「ああ、これ? 部門バッジよ」
「部門バッジ、ですか?」
「学園内の施設ごとに部門があって、どれかに所属してる証明なの。ちなみに、あたしは手芸部門」
「ほえー……」
カルミアは素直に感心した声を漏らした。
「あ、そうだ。ちょっとこっちに来て」
「はい?」
アイリスは歩みを止め、窓際へカルミアを招いた。
ガラス越しに見えるのは、学園の中心にそびえ立つ巨大な時計塔。夕陽を受けて、金属と石造りの外壁が静かに輝いている。
「あの時計塔には、特殊な結界魔法が組まれているの。学園は外部からの攻撃や魔物、魔獣の対策を行っているのよ」
「この時計塔にも、ちゃんと役割があるんですね……」
自分の立場と時計塔を重ねる。
私も、自分の役割を真っ当しないと。
その視線は真っ直ぐに時計塔の核を捉えていた。
「時計塔の西側が女子寮で、東側が男子寮」
そう言ってから、アイリスはちらりとカルミアを見た。
「ところで、あなたは学生寮を利用するの?」
「はい。ここに着いたときに案内されました」
「なら最後に、とっておきの場所を案内するわ。楽しみにしておいてっ」
その笑顔に、胸が少し軽くなる。
談笑を交えながら、いくつかの施設を巡ったあと。二人が辿り着いたのは、中庭にある園芸部門が管理する大きな植物園だった。
「ここには、約二千種類の植物が栽培されているのよ」
「すごい数ですね……」
感嘆しながら歩いていると、ふと、甘い匂いが鼻をくすぐった。
匂いを辿った視線の先には、艶やかな赤い花。
「それと、外側にある植物には絶対に近づいちゃ――」
「へ?」
アイリスが顔を振り向くと、言ったそばから外側の植物に近づいているカルミアの姿。
すると植物は小さく震え初め、ツルは生き物のように脈打ち、逃げ場を塞ぐようにカルミアに絡みつき、一瞬にして手足を拘束される。
「うぅ……なんですか、これ……」
「もう、何やってるのよ!」
アイリスはカルミア目掛けて、即座に手をかざす。
「風の精霊よ、鳴り響け。旋風」
鋭い風が走り、ツルを的確に切断する。
拘束が解け、カルミアはその場に尻もちをついた。
「す、すみません……」
「今のはラクバクソウって言ってね、花の香りで獲物を引き寄せて、捕縛する植物よ」
アイリスはしゃがみ込み、手を差し伸べた。
「大丈夫?」
「……ありがとう、ございます」
その手を取った瞬間。勢い付いた拍子か「きゅるる」と情けない音がした。一日中歩き回り、ずっと気を張っていたせいもあるのだろう。
「そろそろ中へ戻りましょう。最後はとっておきの場所よっ!」
そのままカルミアの手を引っ張って校舎の中へと戻って行った。
「あ、あの……どこに……」
「食堂よ? 今の時間帯なら出入り可能なの」
アイリスは今日一番の笑顔をカルミアに見せた。
食堂に着くと、カルミアは驚きから声が漏れた。
「こ、これは……っ!」
広い空間に並ぶ、豪華な料理の数々。
バイキング形式で整えられた料理は、どれも宝石のように美しい。
「あの……こんな贅沢な料理、タダで頂いて良いんでしょうか……」
「最初は、そういう反応になるわよね……まあ、遠慮しないで大丈夫よ」
「わぁっは~! これと、これと、これも、あとこれも!」
カルミアは興奮した犬のように皿を抱え、次々と料理を盛っていく。
「食べきれる分だけにしなさい。ちなみに、あたしのオススメは――」
アイリスが料理を取ろうとした時だった。ドサッと肩が軽く当たる音がした。
「いたっ……ごめんなさい」
「チッ! 邪魔なんだよメスが!」
相手は学園の生徒だが、襟に付いたバッジの数で、学年が自分よりも一つ上だと気づいた。
目つきはお世辞も良いとは言えず、見下したような態度と言葉使い、多少大柄な男性。
「……だから、ごめんなさいって謝ったでしょ」
「口の利き方がなっていないな。俺様はエーヴェルハルト家の長男だぞ? 分かってんのか?」
空気が張りつめる。
カルミアは騒動から、いがみ合う二人の光景を目の当たりにする。足を踏み出そうにも、自分の立場が目立って良いものなのか。その戸惑いから一歩も動けずに、他の生徒と一緒に見守るしかできなかった。
しかし、一人の男性が前に出た。
「こら、君たち。喧嘩はやめなさい」
「フローレンス先生っ!」
「周りも見ていますよ。それに……」
彼の冷たい視線に、エーヴェルハルトは目を合わせなかった。
「……クソがっ。覚えておけよ!」
捨て台詞を吐き、エーヴェルハルトは去って行った。
すかさず、カルミアがアイリスの所に歩み寄った。
「……大丈夫、ですか」
「ええ……フローレンス先生も、ありがとうございます」
「いえ、僕は別に大したことはしていませんよ。怪我が無くてよかったです、アイリスくん、それと……」
「は、初めまして。カルミア・ジーニアス、です」
「あー編入生の! 初めまして、僕は生物学の担当をしています、アザミ・フローレンスです。よろしくお願いします」
「はいっ!」
不思議とカルミアは、いつもよりも緊張せずに初対面で話す事が出来た。
「それにしても、困りましたね。ほぼ毎日の様に問題を起こして、身分を盾にするなんて……」
「……?」
「カルミアくん。この学園は身分で左右されない場所です。まあ、それが貴族にとっては、不満なのでしょう……」
冷たい一言を残し、フローレンスは去っていった。
その後、二人は夕食を済ませ、途中で分かれ各々の部屋へ戻る。カルミアは机に座り、紙とペンで今日の報告書に制作に取り掛かった。
しかし一向にペンが進まない。今日の出来事を振り返ってみるが――
「そういえば私、今日何も調査してない……」
それでも報告書を書く必要があった。悩みに悩んだ結果「本日は平和な日々でした」と一言だけ書いたのであった。




