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大罪魔女の落ちこぼれ   作者: ゆずきあすか
カトレア魔法学園 編
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8/29

Episode8 おとぎ話の実現

 冬の寒さも和らぎ、冷え切っていた大地や森にも、春の息吹が静かに近づいていた。

 カルミアが育てている植物も、木々の枝先には淡い新芽が顔を覗かせている。まだ冷たさの残る春風が、次の季節の訪れを告げるように森を吹き抜けていた。

 変わらない日常。

 けれど、その中にはほんのわずかな期待と、不安が入り混じっていた。


「ねえ、トレニア……変、じゃないかな……?」


 鏡の前に立ったカルミアは、落ち着かない様子でスカートの裾をつまんでいた。

 淡い色合いの制服は身体にぴったりと合い、普段のロングコート姿とはまるで別人のようだ。

 肩まで伸びた白銀の髪が制服によく映えている。


「とってもお似合いですよ! ご主人様!」

「えへへ……そう、かな。ありがとう」


 トレニアの言葉に、思わず笑みがこぼれる。

 今日から学園生活が始まる。……と言っても、ただ青春を楽しむために通うわけではない。

 潜入調査。魔女として与えられた仕事なのだ。ちゃんと任務を果たさないと。

 ――まあ、それはさておき。新しい制服に新しい環境。そして初めて見る世界。胸が少しだけ高鳴る。


「あらぁ~! すっごく可愛いわぁ!」

「うへっ!?」


 突然、背後から抱きつかれた。


「いつもの十倍……いや、百倍は可愛いわよ!」

「あ、アネモさん!? いつの間に……っ」


 カルミアの頬が一瞬で赤くなる。


「もう、このまま連れて帰りたいくらいねぇ。ほら、ほっぺも可愛い……」

「や、やめてくださいぃ……!」


 逃げようともがくカルミア。

 その背後から、低く呆れた声が響いた。


「アネモ。世間話で時間を潰すほど、私は暇ではありませんよ」

「ロ、ロベリアさんまで……っ!?」


 慌てて振り向く。

 そこには腕を組んで立つロベリアの姿があった。


「あれ……? でも、扉は……」

「ああ。転移魔法だ。少々、気分が悪いがな」


 ロベリアは僅かに眉をひそめ、こめかみを押さえる。


「ロベリアさん、意外と酔いやすい体質だったんですね~。まあ、私は平気ですけどっ!」


 アネモは得意げに胸を張った。

 転移魔法。移動は便利だが多くの魔力を消費するため、稀に魔力酔いを起こす人もいる。

 そんな会話をしていると、遅れてトレニアが頭を下げた。


「デルフィニウム様、プランダ様。ペディランサス以来ですね!」

「あら~トレニアちゃん。やっぱり、いつ見てもメイド姿は最高ね!」

「ありがとうございます!」


 トレニアとアネモが楽しくおしゃべりをしている一方で。カルミアは気まずい空気に取り残されていた。


「あの……今日は、どういった御用で……?」

「そう固くなるな。お前に、ある物を渡しに来た」

「……私に?」


 ロベリアはカルミアの前まで歩み寄ると、ふっと腰を落とした。

 そして、彼女の首元へ手を伸ばす。


「えっ?」


 指先が首元に触れた瞬間、ひやりとした感触が走った。それを持ち上げると、胸元から現れたのは小さな黒紫色の魔石だった。


「これは……魔石ですか?」

「オハイさんと私で作った魔石の首飾りだ」


 ロベリアは淡々と説明する。


「それにはア(・)レ(・)と同じ魔法の術式を組み込んである。一度しか使えないが、自分の身の危険を感じたら躊躇なく発動させろ」


 そして、ほんの一瞬だけ視線を逸らした。


「……私からの贈り物だ」

「――!」


 思いもよらない言葉に、カルミアの胸がきゅっと締めつけられる。


「ロ、ロベリアさん……ありがとうございます……っ!」


 首元へそっと手を添える。

 深々と頭を下げるカルミア。その横から、アネモがにこにこと顔を覗き込んだ。


「私は手作りクッキーを持ってきたわよ! 移動中に一緒に食べましょう♪」

「はいっ!」


 カルミアの顔がぱっと明るくなる。

 ほどなくして、家の前には一台の馬車が用意された。革が軋む音。馬の鼻息。朝の静かな森に、普段とは違う音が響いている。

 カルミアは馬車を見つめながら、そっと指を握りしめた。

 これから始まる新しい生活への期待と不安。その両方が、胸の中で入り混じっていた。


「学園の近くまでは同行しますが、そこから先はご自身で向かって頂きます」


 御者台から穏やかな声が降ってくる。


「は、はいっ……」


 馬車の御者を務めるのは、アネモの使い魔――リヴィアだった。

 いつ見ても気品のある立ち振る舞いと凛々しい姿に、カルミアは思わず見入ってしまう。


「じゃあ……行ってくるね」


 そう言って、見送る二人へ小さく手を振った。同時に馬車がゆっくりと動き始める。カルミアとトレニアは、互いに見えなくなるまで手を振っていた。


「先に行ってしまいましたね。ところで――私たちの馬車は、いつ頃来るんでしょうか?」

「……お前、何言ってるんだ?」

「はい?」


 トレニアは、ふと隣を見る。


「私たちの馬車は来ない。学園に行くのはカルミアだけだ」

「つまり、私はお留守番ですか?」

「当たり前だ。お前が学園へ行ったところで、大騒ぎになるだけ――」

「そんな! あんまりですっ!」


 間髪入れず、冷酷な返答。


「私、命に代えてでもご主人様をお守りするって……決めているんです!」


 必死に胸を張るトレニア。

 しかしロベリアは、ちらりと一瞥を向けただけだった。


「寮生活にはなるが、休日には戻ってくるだろ。それまで、この埃くさい小屋でも念入りに掃除でもしてろ」

「寮生活!? 私、そんな話聞いてませんー!」

「だろうな。事前に話していたら、収拾がつかなくなる。よかったな」

「そんなぁぁぁ! ご主人様ぁぁぁ~っ!」


 トレニアの叫びが、森中に響き渡った。

 ――その頃。馬車は静かに森の中を進んでいた。

 柔らかな土を踏んでいた車輪の振動が消え、均等に敷かれた石畳の感触が馬車の床越しに伝わってくる。


「カルミア様。まもなく森を抜けます」


 御者台から、リヴィアの穏やかな声が届く。


「この先は、セリオス共和国。国境の橋になります」

「……セリオス共和国」


 その名を小さく口にしながら、カルミアは窓辺へ身を寄せた。

 初めて足を踏み入れる国。ロベリアさんから聞いた話では、魔法が当たり前のように使われている国らしい。実際には、どんな場所なのだろう。

 不安よりも先に、小さな期待が胸の中で膨らんでいく。

 そして――。馬車が石畳の橋へ差し掛かった瞬間、視界が一気に開けた。


「……わぁ」


 木々の隙間から漏れていた陽光が、遮るものなく湖面へ降り注いでいる。

 青く澄んだ水面は光を反射し、まるで無数の宝石を散りばめたかのように輝いていた。


「ここはいつ見ても、綺麗な湖よねぇ~」


 アネモが窓の外を眺めながら、お菓子をつまむ。カルミアも無言のまま同じ方向へ視線を向けた。


「ねえ、カルミアちゃん」

「はい?」


 アネモが窓の向こうを指差す。


「湖の中央に、塀で囲まれた場所があるでしょう?」

「……あ、小さな島みたいな」

「そう。そこから天を衝くように伸びている、大きな鉄の塔」


 湖の中央。石壁に囲まれた小さな陸地から、一本の巨大な鉄塔が空へ向かって伸びている。


「あれが、カトレア魔法学園を象徴する時計塔よ」

「この距離からでも見えるって……相当大きいんですね」

「ふふっ。驚くのはまだ早いわよ?」


 アネモは楽しそうに笑った。


「そろそろ街に入るわ。カルミアちゃん、空を見ていて」

「空……?」


 言われるまま、カルミアは顔を上げた。


「――っ」


 その瞬間。

 カルミアの目が、大きく見開かれた。

 人が――飛んでいる。


「うまくできないよ!」

「こうやるんだよ!」


 杖に跨り、自由に空を飛び交う人々。

 目線を落とせば、重たい荷物をいくつも宙へ浮かせて運ぶ者。火属性魔法でかまどに火を灯す者。魔法を使って掃除をする者。

 街の至る所で、当たり前のように魔法が使われている。


「……すごい」


 思わず、声が漏れた。


「――ここが、セリオス共和国」


 魔法と人間が共存する国。

 それは、カルミアが今まで知らなかった世界だった。


「すごいわよねぇ。魔法と人間が共存する国って」


 アネモが嬉しそうに笑う。


「カルミアちゃん?」


 呼ばれて振り向く。

 アネモの表情が、驚きに変わった。


「ちょっと、どうして泣いてるの!?」

「え……?」


 言われて初めて気づいた。カルミアの頬を、一筋の涙が伝っていた。

 自分でも、なぜ泣いているのか分からない。

 ただ――目の前に広がる光景を見ていると、胸の奥が熱くなる。

 人々の笑い声。魔法の音。穏やかな暮らし。

 かつて誰かが夢見たものが、確かにここにある。


「だ、大丈夫ですっ! なんでもないですっ……!」


 カルミアは慌てて袖で涙を拭った。

 けれど、胸の奥から湧き上がる感情は、消えなかった。

 ――この国では、魔法が脅威として恐れられていない。人々の暮らしを支えるものとして、当たり前に存在している。

 まるで、誰かが描いた夢が、時を越えて形になったかのように。


◇ ◇ ◇


 ――よく聞きなさい、カルミア。


「なに、お父さん?」


 幼い頃の記憶。

 父は優しい声で、少し遠くを見るような目をしていた。


「魔法は、使い方次第で人を殺す脅威になる」


 幼いカルミアは、黙って父を見つめる。


「でも反対に、人々の暮らしをより豊かにする希望にもなるんだ」

「暮らしを……?」

「ああ」


 父は優しく微笑んだ。


「お父さんは、いつかそれを実現させるのが昔からの夢なんだ」

「お父さんの夢?」

「ああ――カルミア。いつかお前にも見せてやるからな。お父さんの夢を――約(・)束(・)だ」


◇ ◇ ◇


「……アネモさん」

「ん?」


 カルミアは、もう一度だけ窓の外を見つめた。

 そして小さく笑った。


「私……この街、とっても気に入りました」

「ふふっ」


 アネモも嬉しそうに頷く。


「カルミアちゃんなら、そう言うと思ったわ」


 馬車は賑やかな街並みの中を進んでいく。

 カルミアは窓の外を眺めながら、胸の奥で静かに呟いた。


 ――ねぇ、お父さん。あの時の約(・)束(・)、ちゃんと果たせてるよ。

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