Episode7 過去と境遇
ペディランサスの捜査から数日後。
ロベリアは書斎で読書に耽っていた。
窓越しから差し込む夕暮れの光が、静かな室内を橙色に染めている。低く傾いた陽光は本棚の背表紙を照らし、空中を漂う埃の粒さえも浮かび上がらせていた。
――ふと。以前、ダリアから投げかけられた言葉が脳裏をよぎった。
『君はどうして、そこまで彼女に執着する?』
「……」
ロベリアは古書から視線を外し、机の上段にある引き出しへ目を向けた。
しばらく迷った末、ゆっくりと引き出しを開ける。
そこに収められていたのは、小さな魔石の首飾りと、カルミアから渡された魔道具はだった。
紅い魔石が、夕暮れの光を受けて淡く輝いている。
ロベリアはそれを手に取った。
「……あれから二十年」
ロベリアは、遠い記憶へと思いを馳せる。
◇ ◇ ◇
ロベリア・デルフィニウム。
彼の本当の名前を知る者は、存在しない。そもそも――最初から名前など存在しなかったのかもしれない。
物心がついた頃には、すでに孤児院で暮らしていた。彼を育てたのが、孤児院の責任者であるマーガレット・デルフィニウムだった。
「ロベリア、こっちにおいで」
「はい、母様」
「あなたも、この子たちと一緒に勉強しましょう」
「ロベリアお兄ちゃん、わたしに文字の読み書き教えて!」
「……ああ、いいぞ」
マーガレットは孤児院の子どもたちを我が子のように育てていた。そしてロベリアには、彼女が名を与えてくれた。
――ロベリア・デルフィニウム。
それが、彼にとって初めて与えられた『家族』だった。そんなマーガレットにも、頼れる友人が一人いた。
「よう、ロベリア! 今日も勉強を教えてるのか?」
「オハイさん、こんにちは!」
彼女の名は、アリイ・オハイ。
マーガレットの古い友人であり、腕の良い鍛冶師でもあった。
「相変わらず気持ちのいい挨拶だな! そんなお前には、ワタシからプレゼントだ!」
オハイが差し出したのは、小さな魔石だった。
「これは?」
「私からオハイに頼んでいた首飾りよ。今日はあなたの十三歳の誕生日でしょう?」
ロベリアは目を丸くした。
「その魔石には、ワタシ特製の結界魔法が組み込まれていてな。結界魔法と言って様々な――」
「はいはい、そこまで。アリイの話は長いんだから」
「なにぃ!?」
マーガレットが苦笑する。
オハイは魔力を持つ人間だった。しかし彼女は魔術師では無く、魔力を利用した特殊な道具――魔道具を作る鍛冶師の道を歩んだ。
彼女は魔道具を売って得た金で生計を立て、マーガレットとともに孤児院を支えていた。
「ロベリア」
マーガレットは優しく微笑んだ。
「あなたも魔力を持っていると、アリイから聞いてるわ。大きくなったら、その魔力で大勢の命を救いなさい。決して、誤った使い方をしないこと」
「母様……」
「約束よ?」
「……はい!」
ロベリアは首飾りを胸元で握りしめた。
「これ、一生大切にします!」
あの頃は――幸せだった。
血は繋がっていない。それでも、母の優しさも、温もりも、愛情も。確かに感じていた。この場所こそが、自分の居場所なのだと。
「さあ、みんな。今日はもう寝る時間よ」
「マーガレット、ちょっと工房を借りるぞ」
「もう……あまり大きな音は出さないでよね?」
「大丈夫だって。結界魔法で音は最小限にするからさ」
その夜も、いつもと変わらなかった。他の子たちと一緒に眠りにつく。明日も、きっと同じ一日が続く。
――そう思っていた。次に目を覚ました時。
「――暑い」
異様な熱気に包まれていた。
ぼんやりと目を開ける。視界に飛び込んできたのは――炎だった。
「……え?」
燃えている。
壁が。天井が。何もかもが、赤い炎に包まれていた。
目の前の状況に頭が追いつかない。
「かあさ……っ!」
反射的に名前を叫ぶ。
しかし、起き上がろうとした瞬間、激しく咳き込む。
「ゲホッ、ゲホッ!」
煙が充満している。息を吸うたびに喉が焼ける。
「みんな……? 母様……?」
返事はない。
ただ、炎が木材を焼く音だけが響いている。
「はやく……逃げないと……」
ふらつく足で立ち上がる。だが、煙のせいで頭がうまく働かない。
このままでは――。
「ロベリア! ロベリア、無事か!?」
「オハイ……さん……?」
炎の向こうから、オハイが駆け込んできた。
「無理に喋るな! 今は急いでここから逃げるぞ!」
オハイはロベリアを抱き上げ、そのまま燃え盛る孤児院から脱出した。
外へ出た瞬間、冷たい夜風が頬を撫でる。徐々に意識が鮮明になっていく。
そして――ロベリアは、目の前の光景を理解した。
孤児院が燃えている。
自分の家が。
大切な場所が。
「いったい……どうして……」
その時だった。
『――古いね古すぎるよ』
「……っ」
燃え盛る炎の向こうから、声が聞こえた。
誰かがいる。だが、炎に遮られて顔までは見えない。
『善意だけでは利益を得られない。哀れな幼子を拾って育てる? 馬鹿だね馬鹿らしいよ。繁殖する生命は売れば金になる。奴隷売買も出来ないなんて、正義気取りか?』
幼いロベリアには、その言葉の意味など理解できなかった。
ただ――。
「母様たちのことを悪く言うな!」
震える声で叫んだ。
『君、自分が何で無事なのか分かって無いのか? 無知は恐ろしいね、あー恐ろしい……。よく聞け小僧。未来栄光、千客万来――期待してるよ、僕ちゃん』
「おい、待て!」
炎の向こうにいた人影が、闇へと消えていった。
追いかけようとする。だが、オハイに肩を掴まれた。
「ロベリア!」
「オハイさん……!」
振り返る。
「ロベリア。よく聞け。助かったのは――お前とワタシだけだ」
「……嘘。何かの悪い冗談ですよね。そんな運よく僕たちだけ助かるなんて……きっと、どこかへ避難しているんですよね?」
「マーガレットも……あの子たちも……もう助からない」
「……」
「すでに、殺されていた」
その言葉を聞いた瞬間。
世界から、音が消えた。何も、何も聞こえない。ただ胸元に残った、首飾りの感触だけが妙に鮮明だった。
――ロベリアが生き残れたのは、その首飾りのおかげだった。オハイの組み込んだ術式は、対象者を保護する結界の魔法。この術式は一度、発動させると焼き切れてしまい、再度使用する事は不可。
オハイがロベリアの生存と位置を特定できたのは、魔力探知を使用したからだった。
後日、調査が行われた。そこで分かった情報は、放火によるものだという事だけ。誰が放火したのか、あの夜、炎の向こうにいた人物は誰だったのか。
――何も分からなかった。
ロベリアの世話はオハイが引き受けた。二人は鍛冶師として生計を立て暮らしていた。そんなある日、ロベリアの元を一人の魔女が訪れた。名を、ダリアという。彼女はロベリアに魔法を教え、長い年月を経てロベリアは魔女の称号を得た。
そして今。彼は大罪の魔女の一人、傲慢の魔女ロベリア・デルフィニウムとして生きている。
◇ ◇ ◇
夕暮れの書斎。
ロベリアは手の中の首飾りを見つめていた。
「……ジーニアス」
小さく、その名を呟く。
なぜ自分が、あの少女にここまでこだわるのか。答えなら、とっくに分かっている。
「私は――」
紅い魔石を、そっと握りしめる。
「彼女に自分の居場所を見つけて貰いたい」
かつての自分が、同じ境遇であった様に。
それが――ロベリアがカルミアを守ろうとする、最大の理由だった。
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