Episode6 後悔はしない
窓の向こうから差し込んだ淡い光が、二人の肩をそっと包み込む。長い夜の終わりを告げるような、静かな朝だった。
カルミアはアネモの胸の中で、ある感覚を思い出していた。
目の前が暗くなる。
意識が、少しずつ遠のいて――。
「あら、カルミアちゃん。どうしたの?」
アネモがカルミアの顔を覗き込む。
激しい感情の起伏に身体が耐えきれなかったのか、カルミアはそのまま泡を吹いて気絶してしまった。
「カルミアちゃん!? え、え、え、どうしましょう!?」
「あぁー、プランダ様がご主人様を殺しましたぁ~!」
「私のせいなの!?」
状況は完全に混沌としていた。
泣き叫ぶトレニア。あたふたするアネモ。周囲には気絶した残党と、氷漬けにされた男たち。
そんな状況に一手を打ったのは、遅れてやって来た人物だった。
「全く……世話が焼けますね」
「ロベリアさん! ど、どうしましょう!? 泡を吹いて、そのっ!」
「アネモ、落ち着いてください。彼女はただ気絶しているだけです」
ロベリアは倒れているカルミアを一瞥する。
「……泡を吹いていますが、まあ問題ないでしょう」
「適当すぎない!?」
思わずアネモが突っ込んだ。
「とりあえず、宿まで運びます。あなたも手伝ってください」
「えっ、私も?」
「まだ説明をしていないでしょう」
「あ……」
アネモはようやく思い出したように頷いた。
「そうだったわね」
こうして三人は、気絶したカルミアを連れて宿へ戻ることになった。
◇ ◇ ◇
――魔法は使い方次第で、人を殺す魔法になる。しかし、反対に――。
これは……夢?それとも、走馬灯なのかな。
目の前が霞んでいる。誰かが遠ざかっていく。手を伸ばしても届かない。
「待って……!」
行かないで。どうして私を置いていくの。
そんな――。
「待って!」
カルミアは荒い息を吐きながら、勢いよく上体を起こした。
「はぁ……はぁ……!」
視線を巡らせる。見覚えのある古い扉。鼻をくすぐる、古びた木と薬草の匂い。
――宿だ。
ベッドのすぐ隣では、トレニアがうずくまるようにして眠っている。
「すぅ……」
そして、そのさらに隣には――。
「……アネモさん?」
なぜかアネモまで一緒に寝ていた。
「なんで?」
小鳥のさえずりが、優しく部屋へ響いている。カーテンの隙間からは、暖かな朝日が差し込んでいた。
カルミアは二人を起こさないよう、そっとベッドから降りる。
階段を下り、一階へ向かう。広間に置かれた時計を確認すると――。
「……昼過ぎ」
どうやら、思っていた以上に眠っていたらしい。
奥へ目を向ける。
端に置かれたテーブルでは、一人の男が優雅に紅茶を飲んでいた。
「ロベリア……さん?」
「……やっと起きたか」
ロベリアはカップを置く。
「随分と堕落した生活をしていたな」
「す、すみません……。あまり寝ていなかったので……」
どうしてロベリアさんがここに……。
カルミアは落ち着かず、足先を小さく揺らしながら視線を彷徨わせる。そんな様子を一瞬だけ眺めたロベリアは、静かに声を掛けた。
「お前も座れ。紅茶でいいなら、一杯くらいは出せる」
「あ……ありがとうございます」
ロベリアはカルミアの前へ、もう一つカップを置いた。
そして、ポットに残っていた紅茶を注ぐ。
「……いただきます」
カルミアはカップを両手で包み、一口だけ紅茶を口に含んだ。
温かな液体が喉を通り、身体の芯までゆっくりと温めていく。
「……美味しい」
「そうか」
ロベリアも静かに紅茶を飲む。
「久しぶりだな。こうやって対面して紅茶を飲むのは」
「そう……ですね」
カルミアは答えながら、手元のカップを見つめていた。
もう中身はとっくに空になっている。それでも視線だけはそこから離れなかった。
「……お前は今、何を悩んでいる?」
「えっ!?」
思わず顔を上げる。
ロベリアは、少しだけ目を細めていた。
「空になったカップを見つめている時、お前は決まって考え事をしている」
「……」
「昔から変わらんな」
胸の奥を、図星で突かれたような気がした。
言うべきか。黙っているべきか。
喉の奥で何度も言葉が引っかかる。
それでも――。
「……自分が、情けないと思ったんです」
ぽつりと零れた声は、自分でも驚くほど小さかった。両手で抱えたカップの中で、残った紅茶がかすかに揺れる。
「魔女なのに……実力不足で。臆病で。優柔不断で……」
声が、少しずつ掠れていく。
「私は……大切な家族が危険な目に遭っていても……何もできなくて……ただ、戸惑って……見ているだけ」
そこで言葉が詰まった。
唇を噛みしめる。
それでも、込み上げてくるものは止まらなかった。
「……そんな自分が……魔女なんて名乗っていいのか……分からなくなって……」
「話が長い」
「……え?」
「結局、何が言いたいんだ」
カルミアは息を呑んだ。
蒼い瞳が、真っすぐにロベリアを見つめる。
「私が、魔女でいる資格……ありますか」
ロベリアの手が止まった。
カップを口元へ運びかけていた手が、ゆっくりと下ろされる。その言葉に遠い記憶が重なった。
◇◇◇
『――俺が、魔女でいる資格はありますか』
◇◇◇
ロベリアはカップを戻した。そして、顔を窓の外へ向ける。
「……そうだな」
「……ですよね」
カルミアの表情が沈む。しかし――。
「お前は今、後悔をしているのか?」
「――言ったじゃないですか!」
カルミアは顔を上げた。
「怖気づいて……何もできなかった。足手まといなんです」
「……確かに、お前は実力不足だ」
「……っ」
「だが――」
ロベリアはカルミアを見る。
「お前は人一倍、優しい性格だ。無我夢中になれば、周りが見えなくなるほど走り出す」
「……」
「恐怖と対立した時、お前は逃げたのか?」
その言葉に、カルミアの瞳が揺れる。
「違うだろう。足が竦んでも、怖気づいたとしても。誰かを見捨てる事は決してしない。なら、それを後悔する必要はない」
「……」
「それに、お前は昔から自分の悪いところばかりを――」
ロベリアが言葉を止めた。
カルミアは、いつの間にか大量の涙を浮かべていた。
「ひっ……ひっく……」
「おい」
「違うんです……」
涙を拭いながら、カルミアは必死に言葉を紡ぐ。
「私、ずっと不安で……仕事もできなくて……無力な自分から、みんなが、遠ざかっていくのが怖かったんです……」
「……」
「でも……ロベリアさんは……」
涙が、また頬を伝う。
「ロベリアさんは、勇気をくれました!」
「……はぁ。何を言っているのか、さっぱり分からん」
呆れたように言いながらも、ロベリアの口元には、ごく僅かな笑みが浮かんでいた。
「カルミアちゃん! 目を覚ましたのね!」
「あ、アネモさん……!」
ちょうどその時、二階からお目覚めのアネモが降りてきた。カルミアの姿を見るなり、駆け寄って――。
「よかったぁ!」
「わっ……!」
そのまま思い切り抱きしめる。
「心配したんだから!」
「あ、あの……苦しいです……」
「あら、ごめんなさい」
アネモは笑いながら腕を緩めた。
「こほん」
ロベリアが咳払いをする。
「アネモ。カルミアに全てを話しなさい」
「ええ、そうね」
アネモはロベリアの隣へ腰を下ろした。
そして、一拍置いてから口を開く。
「今回、あなたに仕事を依頼したのは私よ」
「……アネモさんが?」
「ええ。この街では、密輸が後を絶たないの」
アネモの表情が真剣になる。
「私たちが捜査しようにも、大人が動けば警戒される。だから、あなたに託したの」
「それと――」
ロベリアが続ける。
「お前が追っていた連中は、大きな密輸団の一つ――黄昏の一員だ」
「この街に潜伏している事は知っていたのだけれど。中々アジトの尻尾が掴めず苦戦していたの」
アネモはカルミアの手をそっと取った。
「でもっあなたのおかげで、ようやく捕らえる事はできたわ! これは壊滅への大きな一歩よ!」
その瞳は、きらきらと輝いていた。
「本当にありがとう。カルミアちゃん。あなたのお手柄よ!」
「……私が?」
「ええ」
カルミアは自分の手を見つめる。
自分がやったことが、誰かの役に立った。その事実が、胸の奥へ静かに染み込んでいく。
「そんなカルミアちゃんに、もう一つお願いがあるのだけれど……」
アネモが、ちらりとロベリアを見る。その視線に、なぜか嫌な予感がした。
「……?」
「カルミアちゃんは来週から、カトレア魔法学園へ編入生として通ってもらいます!」
「……え? えぇぇぇぇぇぇ!?」
その叫びは、宿の外まで響き渡った。
「私、何も聞いていませんよ!?」
「当然だ」
ロベリアは平然と紅茶を飲む。
「お前には何も伝えていないからな」
「そんな平然と答えられてもっ!」
カルミアは立ち上がる。
「私、学校なんて……!」
「あら?」
アネモが楽しそうに笑った。
「ただの学園生活じゃないわよ? これは魔女としての仕事。潜入調査も兼ねているの」
「近い未来、カトレア魔法学園に危機が訪れる」
ロベリアが淡々と告げる。
「ダリアから忠告された。具体的な内容までは分からんが、不可解な物事が続けざまに発生していると報告は受けている」
室内の空気が、わずかに張り詰めた。
「カルミアちゃん」
アネモが静かに問いかける。
「使徒について、前に話したことは覚えてる?」
「……はい」
カルミアは頷いた。
「神を信仰する、十二の使徒……ですよね」
「そうだ。中でも白羊と呼ばれている使徒は、魔法学を追求している。セリオス共和国は、他国よりも魔法の技術が高い。それに、学園の図書館には多くの魔導書が寄贈されている」
「技術を盗みに襲撃する可能性もあるわ。それと、学園で起きている不可解な現象。これに関連性があるのか。それの調査をお願いしたいの」
アネモは指先でカップの縁をなぞった。
「本当は私の管轄でもあるんだけど……ちょっと立て込んでて、あはは」
「……状況は分かりました。でも、どうして私なんですか」
カルミアは膝の上で両手を握りしめる。
「理由は二つある」
ロベリアが静かに答えた。
「一つは、今回の実績を考慮しての判断。もう一つは――」
ロベリアは一瞬だけ視線を逸らし、淡々と言った。
「年齢が、ちょうど合致するからだ」
「絶対、後者が理由ですよね!?」
カルミアは勢いよく立ち上がった。
「というか、根拠が両方とも薄いですよ!」
ロベリアは何も答えなかった。
ただ、紅茶を一口飲む。どうやら、それが答えのように思えた。
「でもね、カルミアちゃん」
アネモが、にこりと笑う。
「あなたなら、きっと大丈夫よ。それに、あなたは絶対に喜ぶと思うの」
「私……?」
その言葉の意味を考えようとした、その時だった。
「それじゃあ早速、制服を特注するからサイズを測るわよ!」
「えっ!?」
アネモが勢いよく立ち上がった。
「さあさあ、カルミアちゃん。こっちに来て!」
「え、あっ、ちょっと! 私、まだ聞きたいことが――ロベリアさん!」
「全く……騒がしい奴らだな」
「助けてくださいよぉぉぉ!」
抵抗もむなしく、カルミアはアネモに引っ張られ、奥の部屋へと連れていかれる。
その様子を眺めながら、ロベリアは小さく息を吐いた。
「……やれやれ」
こうして――森に住む大罪の魔女の一人、色欲の魔女カルミア・ジーニアスは、カトレア魔法学園へ編入生として潜入する使命を授かった。
新しい場所。新しい人々。そして――使徒。
「(私、うまくやっていけるのかな……トレニア……)」
その頃。
ベッドの上では、当の本人がまだ気持ちよさそうに眠っていた。
「うーん……ご主人様ぁ……むにゃ……」
カルミアの学園生活は――こうして始まることになった。
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