Episode5 勇気
三日間にわたる捜査の経過報告は、数通の報告書となってロベリアのもとへ届けられた。
ロベリアは一枚、また一枚と目を通していく。
報告書には、カルミアたちが確認した商業都市ペディランサスの現状が、想像以上に細かく記されていた。
商人たちの動向。怪しげな店舗。夜間に人の出入りが増える区域。そして、住民たちから聞き出した断片的な噂。
どれも結果としては、よろしくは無い。
それでも、三日の捜査でペディランサスの現状を把握する事が出来た。ロベリアは、その仕事ぶりを素直に評価していた。
だが――。
「……」
ロベリアが探し求めている使徒の情報は得られていない。
静まり返った執務室に、紙をめくる音だけが淡々と響いている。
やがてロベリアは深く息を吐き、額に手を当てた。
「……さて、どうしたものか」
その時だった。
「大変そうだね」
不意に、低く落ち着いた声が響いた。
いつの間に入ってきたのか。机のすぐ傍には、一人の女が優雅に立っていた。ロベリアは眉をひそめ、疲れ切った目で彼女を見上げる。
「あなたは平凡な人生を送っていて羨ましいですよ、ダリア」
「ふっふっふ。僕は事前に正確な計画を立て、それを実行しているだけさ」
ダリアは自身気に話す。
「それが出来るのは、あなただけでしょうね。まったく……便利な魔法だ。羨ましいものですよ」
強欲の魔女、ダリア・グロキシニア。
彼女だけが扱える魔法【未来予知】は、その名の通り未来を予知する力を持つ。
「そんな君に、とっておきを教えてあげよう」
ダリアは腰に提げたポーチへ手を入れた。
そして取り出したのは、手のひらに収まるほどの小さな水晶だった。
「これを見たまえ」
「……水晶?」
「ただの水晶ではないよ」
ダリアは楽しげに笑う。
「僕の魔法、未来予知を簡易的に改良した、いわば魔道具さ。効果は本来の魔法より多少劣るが、少量の魔力で発動できる。しかも、魔術師であれば誰でも扱えるように調整してあるのだよ!」
「相変わらず、規格外のことを簡単に成し遂げますね」
「僕は、自分が欲しいと思ったものは確実に手に入れる。ただ、それだけのことさ」
「話はそれだけですか?」
ロベリアは興味を失ったように視線を資料へ戻した。
「私は、あなたのように暇ではないので」
机の上に散らばった書類を引き寄せ、乱れた紙を整える。そして羽根ペンを手に取った。静かな音とともに、再び執務作業が始まる。
「ロベリア、お前に聞きたいことがある」
「手短にどうぞ」
ダリアはゆっくりとロベリアの正面へ回り込み、机の縁に手を置いた。
その瞳には、いつもの戯けた色がない。ただ、静かな真剣さだけが宿っていた。
「僕に隠し事をしているだろう」
その瞬間。ロベリアの手が、ほんのわずかに止まった。紙の上に落ちかけていたインクが、細く滲む。
「……さぁ。何のことでしょうか」
短く答え、再びペンを走らせる。
横顔からは、何一つとして感情を読み取ることが出来ない。
「君はどうして、そこまで彼女に執着する? 本来であれば、彼女は少年法により裁判にかけられる事は無い。だが魔女の地位を与えた事により、彼女は大罪人として、僕たちのメンバーに加わった」
「……」
ダリアはしばらくその姿を見つめていた。
「そうか。残念、もっと彼女の事を知りたかっただけなんだけど。あーそれと、竜の件は今も調査中だから。進展があったら連絡するよ」
ダリアはそれ以上、追及することはなく、要件を済ませると部屋を出て行った。
◇ ◇ ◇
一方、その頃。カルミアたちは今日も夜のペディランサスを歩いていた。
昼間とは違い、大通りには月明かりが降り注ぎ、酒場や商店から漏れる灯りが石畳を照らしている。
遠くからは酒場の笑い声や楽器の音が聞こえてくる。しかし、一歩裏路地へ入れば、その喧騒は嘘のように遠ざかった。
等間隔に設置された街灯はあるものの、光は路地の奥まで届かない。建物と建物の隙間には、濃い影が溜まっている。
夜露に濡れた石畳からは、ひんやりとした冷気が立ち上っていた。
「ぶへっくしょん!」
突然、隣から大きなくしゃみが響いた。
「うぅ……夜はまだ冷えますねぇ」
「悪魔でも寒さって感じるんだね」
「ご主人様、悪魔を何だと思っているんですか……」
メイド服の裾を押さえながら、トレニアはぶるりと身体を震わせる。
「今日は、この辺りで引き上げようか」
「そうしましょう……ぶへっくしょん!」
「……もう一回出た」
「仕方ないじゃないですかぁ!」
カルミアは思わず苦笑した。
「もう、風邪ひかないでよ?」
「ご主人様こしょ、体調管理には気をつけてくださいね」
「私は大丈夫だよ」
二人は宿へ戻るため、来た道を引き返そうとした。
――その時だった。
「た、助けてぇぇぇっ!!」
切り裂くような叫び声が、路地の奥から響いた。
二人の足が、同時に止まる。
「ご主人様……今の声って」
カルミアはフードを深く被り直した。
「助けに行くよ」
「はいっ!」
二人は顔を見合わせる。そして同時に駆け出した。カルミアは走りながら、魔力探知を展開する。
「魔力反応は……ない」
「ご主人様っ!」
「トレニア。相手が普通の人間なら、魔法を使える可能性は低い。でも、油断はしないで」
「了解です!」
二人は声のした方向へ走り込む。すると、より鮮明な声が聞こえて来た。
「トレニア、先に行って。私は後から追いつくから」
「はいっ!」
トレニアが屋根を走り、最短でルートを選択する。数メートル先、何か動く影を発見した。
「お願い、離してっ!」
「姉ちゃん、少しくらいオジサンたちに付き合ってくれよ」
「こんな遅くに一人ってさぁ……そういうことだろ?」
路地の奥。壁際に、一人の少女が追い詰められていた。
その前には二人の男。少女は必死に身を縮め、逃げ場を探している。
「いや……近づかないで……!」
その声は、今にも泣き崩れそうだった。
「ちょっと待ったぁぁぁっ!」
男たちの数メートル先の背後からトレニアが勢いよく飛び出した。
「女の子に手を出すなんて、許せませんよっ!」
その声に驚いて振り返る。
「なんだ、お前?」
「おい……あの女、よく見ると良い体付きしてるぜぇ」
「丁度いい。こいつも相手してやろうぜ」
下卑た笑い声。
二人の男が、トレニアへ一斉に飛びかかった。
「――ふんっ!」
次の瞬間。
乾いた音が、夜の路地に響いた。トレニアの蹴りが、一人目の顎を正確に捉える。
「ぐっ――!」
男の身体が浮き、そのまま石畳へ崩れ落ちた。続けざまにトレニアが身を翻す。
「えいっ!」
「ぐあっ!」
今度は脇腹へ拳が突き刺さった。男は壁に叩きつけられ、そのまま動かなくなる。
ほんの数秒。それだけだった。遅れて路地へ入ったカルミアは、呆然とその光景を見つめる。
足元には、気絶した男が二人。そして、その前には――。
「どうですか、ご主人様っ!」
胸を張ったトレニアが立っていた。
「……やりすぎだよ」
「え?」
「生きてるかな。最悪の場合は、埋めないと」
「だ、大丈夫ですよ! たぶん!」
「たぶんって……」
カルミアは苦笑する。
「それで……声の人はどこにいるの?」
「……あれ?」
少女の姿が、ない。
つい先ほどまで、確かにそこにいたはずなのに。周囲には倒れた男たち。そして、冷たい夜風だけが吹き抜けていた。
――その時。
カッ、と石畳を蹴る音が響いた。
「……!」
二人が振り返る。
路地の奥。一人の男が、闇へ紛れるように走り去っていく。
「もう一人……!」
「トレニア、追って!」
「任せてくださいっ!」
トレニアは迷うことなく男を追い、闇の中へ消えていった。カルミアも慌てて後を追う。
向かった先は、細い路地だった。そこを抜けると広場に繋がっていた。
「ここって、初日に露店を見たところ……」
薄暗い街灯の下。周囲を見渡すと、別の路地に繋がる入口前で、トレニアが立ち尽くしている。
「トレニア……どうしたの?」
「あっ、ご主人様」
トレニアは振り返った。
「それがですね――」
少し興奮した様子で、先ほど目にした光景を語り始める。
「……消えた?」
「そうなんです、男の人が突然、消えたんですよ! ちょうど、あの影に差し掛かった瞬間です」
トレニアは路地の奥を指差した。
そこには、建物の壁によって生まれた濃い影が伸びている。
「何かに飲み込まれたみたいに、すぅーっと。もちろん、私もすぐに追いかけました。でも、少し先は行き止まりでして……」
「もしかしたら、転移魔法の類かも」
「それって以前、ご主人様が女子会の時に使用したやつですか?」
「そうそれ。魔力探知に反応が無かったから、たぶん魔法は使えない。でも、転移魔法は特定の魔道具と詠唱をすることで、発動可能なの」
「でも、そんなそぶりはありませんでした」
「うーん」
カルミアはゆっくりと問題の地点へ近づいた。影の縁へ足を踏み入れた瞬間。
「……っ」
胸の奥を、何かが刺激した。ほんのわずかな違和感。カルミアは足を止め、そっと手を伸ばす。
「これ……魔力を感じる」
「え?」
「すごく微弱だけど……確かにある」
意識しなければ見逃してしまうほど、淡い魔力。これは恐らく――。
「結界魔法だね。しかも、空間系の魔法」
「結界魔法……?」
「うん。まあでも、派生魔法は色々あるんだけど、そのうちの空間系魔法だと思う。これは条件さえ満たしていれば、元の空間に入れる魔法なんだ」
「元の空間?」
「えっと、空間系の結界はね。他者をその空間に入れないために、別の空間を作り出して、そっちへ移動させるの。私たちが見ている空間も、その作られた空間だね」
「じゃあ条件を満たせば、中に入れるんですね!」
期待を込めたトレニアの声。
しかし、カルミアは首を横に振った。
「そんな簡単な話じゃないよ。条件は幅が広くて、特定の合言葉や飾り物、人物だったり……手掛かりがない以上、今の私たちにはどうすることも出来ないよ」
「そんな……」
その時だった。
トレニアが何かを思い出したように、ポケットへ手を入れた。
「これ、使えませんかね?」
取り出されたのは、マンドラゴラのアクセサリー。
「あの宿主様が言っていたじゃないですか。これは魔道具だって」
トレニアはアクセサリーを指先でつまむ。
「……魔道具」
カルミアもトレニアから貰った同じ見た目のアクセサリーを取り出す。
「でも、どっちからも魔力を感じないよ。やっぱり、ただの飾り物なんじゃ――」
「だったら、試してみましょう!」
「なにを?」
「《《本来の使い方》》を探すんですよっ!」
トレニアは様々な方法で使い方を模索した。月の光に当てる。火に炙る。水に沈める。時には煽てることも。
「それ意味あるの?」
「褒めて伸ばす作戦です!」
結局、何を試しても何も起こらなかった。アクセサリーも、ボロボロになり原型をとどめていない。
「ごめんね。せっかく貰った物なのに」
「気にしないでください。それ、銅貨二枚で買ったやつなので」
「(この街で最安なのでは)」
「やっぱり、ただの飾り物なんですかねぇ」
トレニアはハンカチを取り出すと、手元のアクセサリーに着いた汚れを落とす。
「よしっ。元通りですね」
「……トレニア。ちょっと、貸して」
何を思ったのか、カルミアはアクセサリーを手に取り、改めて眺める。
「――これだけ違う。さっきから、かなり雑に扱ってるのに……これは傷一つ付いてない。トレニアから貰った方は、原型をとどめてないのに」
「丈夫なんですかね」
「……本来の、使い方」
カルミアは、先ほどの言葉を思い返した。
――本来の使い方を知らんと、そこら辺の飾り物と変わりない。
「魔力が……ない」
現在の魔道具は破壊される事を前提に設計される。
それの理由は、魔力と術式をぶつけ合わせる事で疑似的に魔法を発動させる仕組みになっているから。それなのに――。
「――分かった。これは、魔力がないんじゃなくて。元々、《《魔力が込められていなかった》》んだよ」
カルミアはアクセサリーを両手で包み込む。
あの時の違和感。トレニアから貰ったアクセサリーは、見た目こそ同じだけど耐久性に差がある。それに本物の方は、偽物よりも少し重い。
「魔術師にしか扱えない魔道具本来の機能。それは――」
カルミアは指先から、ゆっくりと魔力を流し込む。
その瞬間。
マンドラゴラの形をしたアクセサリーが、淡い光を帯びた。
「魔力を媒体にすること」
空中に、小さな紋章が浮かび上がる。
それはゆっくりと回転しながら、幾重にも重なった術式を展開していった。
「これが……本来の魔道具……!」
トレニアは驚きながら、その術式を見つめる。カルミアもまた、その光景に目を奪われた。そして魔道具は、術式が構成されたまま、カルミアの手元へ戻って来た。
「やっぱり魔道具だったんですね! でも、壊してもいないのに、どうして発動したんでしょう?」
「元々、魔道具は魔力を持つ魔術師だけが扱える道具だったんだ。術式のコアがあって、それに魔力を媒体にすると簡単に魔法が使える。面倒な術式構成を省けるし、頑丈で重さもあるから、漬物石にも重宝されていたんだよ」
「……へー」
「ちょっと口頭だけだと、難しいよね。また後で教えるよ」
「はい! ああ、それと。これがあれば、この結界も破れるんですよね!」
「それが……絶対って言える保証が無くて――」
術式も間違いなく動いている。
だが、魔道具は使用目的を明確にしている道具。状況にあった魔道具を選び使用するのがセオリー。
しかし、今は状況がまるで違う。魔道具の使い方も分からなかった。だから起動した所で、何の魔道具なのかも分からない。
「やっぱり、この結界を突破するのは無理なのかも……」
カルミアがそう呟きながら、一歩前へ進んだ。
その瞬間だった。
――ピシリ。
「……え?」
硝子に亀裂が入ったような音がした。いや、それは確実に、目の前の空間に細い亀裂が走っている。
「ご主人様……これ」
「……結界が」
透明な空間へ、無数の亀裂が広がっていく。
そして――バキンッ!
結界が砕け散った。淡い光の破片が夜空へ舞い上がり、やがて闇へ溶けていく。
行き止まりだったはずの路地。その奥に、大きな古びた建物が姿を現した。
「ここって、本来は行き止まりなんかじゃなくて。建物の入り口だったんだ」
重々しい扉が、二人の前に佇んでいる。
「ご主人様、私が先に行きます!」
「ちょっと待って! まだ安全の確認が――」
制止する間もなく、トレニアが扉へ向かって走り出した。カルミアは慌てて後を追うとする。だが、一歩踏み出したところで足が止まった。
――怖い。
これは明らかに手慣れた仕掛け。もしかすると罠が仕掛けれている可能性だってある。敵が大勢潜んでいるかもしれない。
そもそも、ここへ入って生きて帰れる保証なんてどこにもない。
胸が苦しくなる。足が震える。逃げたい。それでも――。
「……トレニア」
先に進んだ彼女の姿が、遠く離れていく。
もし、ここで逃げたら。また私は――何も出来ないまま。
「そんなの嫌だ」
カルミアは拳を握りしめた。
「私は……もう、後悔したくない」
震える足を、一歩前へ。
「魔女として……この仕事をやり遂げるんだ」
カルミアは意を決して、トレニアの後を追った。僅かに開く扉を開け、中へ足を踏み入れた。
「トレニア、大丈夫――」
言葉の途中だった。突風のような気配が、頬を掠める。
次の瞬間――ドゴォッ!
「……え?」
目の前を一人の男が吹き飛んでいった。
カルミアのすぐ横を通り過ぎ、そのまま壁へ叩きつけられる。
「な……」
思考が追いつかない。
そして、その先に広がっていた光景を見て、カルミアは言葉を失った。広い室内、そこには何十人もの屈強な男たちがいた。
その中央で――。
「ふんっ!」
トレニアが一人の何人もの男を蹴り飛ばしている。いや蹴りだけではない。拳、膝、肘、身体を低く沈めあらゆる手段で、相手の懐へ入り込む。
一人、また一人。男たちが次々と地面へ倒れていく。
「す、すごい……」
思わず声が漏れた。
普段は明るく、おちゃらけているトレニア。けれど今は違う。その動きには一切の迷いがなく、まるで戦うために生まれた存在のようだった。
「お前らっ! 女一人に何を手こずっていやがる!」
怒鳴り声が響く。
奥には、ひときわ体格の大きな男が立っていた。その隣には、黒いローブを纏った男。こちらからは、はっきりと魔力を感じる。
――恐らく、あの男が結界を張った魔術師。カルミアがそう判断した瞬間だった。
「……ん?」
体格の大きな男が、こちらへ顔を向けた。
「なんだ……もう一人いたのか」
冷たい視線が、カルミアを捉える。
「……っ」
身体が強張る。
男はカルミアを頭から足元まで眺め――。
「なんだ、ひょろひょろじゃねぇか」
獲物を見つけた獣のように口元を歪めた。腰から剣を抜く。
「おい、次はそっちだ」
男が地面を蹴った。
「ご主人様っ!」
「……っ!」
身体が反応に追いつかない! このままだと回避できない。
剣が振り上げられる。
「もらったぁぁぁ!」
――その瞬間。
「……やっと見つけたわ」
凛とした声が、頭上から降ってきた。
風を切る音。蒼い結晶が空から舞い降りる。カルミアの目の前に着地した瞬間――ガキィィン!
二本の剣が激しくぶつかり合い、火花が夜闇を照らす。
「なっ……!?」
男が目を見開く。
「俺の剣を……止めただと?」
「――カルミアちゃん」
目の前の女性が、優しく問いかける。
「ケガはない?」
「ア、アネモさん……!?」
蒼いドレス。
手に握られているのは、まるで氷そのものから削り出したような透明な剣。嫉妬の魔女アネモ・プランダ。
「どうして、ここに……」
「説明は後よ」
アネモは剣を構え直した。
「今は先に、悪党を片付けましょう」
「ちっ……女が調子に乗りやがって!」
男は剣を押し込む。
「さっきから女、女って……」
アネモの瞳が、すっと細くなる。
「女を舐めないでよぉぉぉっ!」
踏み込んだ瞬間。凄まじい衝撃が走った。
「ぐっ……!?」
巨体が後方へ押し返される。
「クソがぁぁぁ!」
男は怒りに任せ、再び剣を振り上げた。
だが――。
「――剣技、氷結の霧」
アネモが静かに呟いた。同時に足元から白い霧が噴き上がる。
次の瞬間。
「な、なんだ……これ……!」
男の足元が凍りついた。
氷は瞬く間に膝へ、腰へと這い上がっていく。
「おい、魔術師!」
男が隣の魔術師へ叫ぶ。
「てめぇの魔法で何とかしろ!」
「言われなくても分かっている!」
魔術師が魔法陣を展開する。
「こんな氷、俺の炎で溶かしてやるよ!」
魔力が集まり、炎の術式が形成されていく。
「――焼却!」
だが。
「……なっ?」
何も起こらない。魔術師が目を見開く。
「魔法が……発動しない!?」
「隙ありですよー!」
「ぐえっ!」
横から飛び込んできたトレニアの回し蹴りが、魔術師の顎を正確に捉えた。男の身体が宙を舞う。
そのまま壁へ叩きつけられ、動かなくなった。
「……これで、最後ね」
アネモは静かに、氷に囚われた男を見下ろす。
「や、やめろ……!」
男が必死にもがく。しかし、氷はびくともしない。
「女を甘く見ると――」
アネモは剣を肩に担ぎ、微笑んだ。
「痛い目に遭うわよ?」
「う、うわぁぁぁぁぁっ!」
氷がさらにせり上がる。やがて男の身体は、完全に氷の中へ閉じ込められた。さっきまで慌ただしかった戦闘は、あっという間に終わった。
「ふう……これで一件落着ね」
アネモは剣を消し、トレニアへ振り返る。
「トレニアちゃん、ケガはない?」
「はいっ! 私は大丈夫です!」
「それなら良かったわ」
二人の会話を聞きながら、カルミアはその場に立ち尽くしていた。あまりにも突然の出来事だった。
結界を見つけた、隠された建物へ入り、そして気づけば魔女の仲間が現れて、敵を倒していた。
頭の中が、まだ追いついていない。
「……カルミアちゃん」
アネモの声が聞こえた。
「はい?」
振り向いた瞬間。
ぎゅっ。
「……え?」
アネモが、迷うことなくカルミアを抱きしめた。
「よく頑張ったわね」
優しい声。温かな身体。
「偉いわよ」
「……っ」
胸の奥に、何かが込み上げる。
怖かった。逃げたかった。それでも、自分の足でここまで来た。震える指が、無意識にアネモの背中を掴む。
「……私、怖かったです」
「うん」
「でも……逃げたく、なかった」
「うん。ちゃんと分かってるわ」
アネモは何も急かさなかった。ただ、静かにカルミアを抱きしめていた。やがて窓の向こうが、少しずつ明るくなっていく。
夜の闇が薄れ、東の空から淡い光が差し込んだ。
「……そろそろ夜明けね」
アネモが窓の外へ視線を向ける。その光が三人の肩を優しく照らした。
長い夜が、終わろうとしている。そしてカルミアはまた一つ、自分の足で前へ進んだ。ほんの少しだけ。昨日よりも、強くなった気がした。
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