Episode10 尾ひれ
――とある古本屋。
夜の静寂に包まれた店内へ、コツ、コツ。控えめな音が響いた。
ロベリアが顔を上げる。
窓を見れば、一羽の夜光鳥がこちらを覗き込んでいた。
「ご苦労」
窓を開けると、夜光鳥は脚に括りつけられた紙を差し出す。ロベリアはそれを受け取ると、夜光鳥は羽ばたき闇の中へ消えていった。
「……さて」
ロベリアは受け取った報告書へ目を落とす。
そこには一週間ぶんの調査報告が記載されていた。学園内の人間関係。教員の動向。生徒たちの活動。不審な点を見逃さないよう、丁寧にまとめられている。
だが――。
「不可解な現象に繋がる情報は無し」
ロベリアは椅子の背へ身を預け、紙の縁を指先で軽く弾いた。
ダリアの未来予知が外れることはない。近い未来、あの学園に何らかの厄災が訪れる。
それだけは確実だ。
「第二の矢は不発……。第一の矢からは、未だに報告がない状況だ。ここまで長引くとなれば――第三の矢も考えておく必要があるな」
静かな店内に、低い独白だけが落ちた。
――コン、コン。その時、扉が叩かれた。
「入れ」
扉がゆっくり開く。
姿を現したのは、ロベリアの使い魔だった。
「ロベリア様、失礼いたします」
使い魔は深々と頭を下げ、一通の封書を差し出した。
「ロベリア様宛に、お手紙が届いております」
受け取った封書には、赤い印章が押されている。ロベリアは、それを見るなり小さく息を吐いた。
「今年もやって来たか、この時期が」
「はい。毎年、同じ日に届いております」
使い魔は淡々と答える。
ふと、その視線が机の上の報告書へ向いた。
「進捗はいかがでしょうか?」
「停滞状態だ」
ロベリアは封書を指先で弄びながら答える。
「仮に動きがあるとすれば……この招待状が《《きっかけ》》になるだろうな」
「今年はカルミア様も学園に在籍されております。ご心配には及ばないかと」
「……魔法には適性がある。仮に、自分の適性が相手の適性と相性で不利だった場合、お前ならどう対処する?」
「そうですね……」
使い魔は少しだけ考える。
「手こずる相手ほど、わたくしは心が躍ります」
「……」
「……?」
「聞いた私が間違いだった」
ロベリアは額へ手を当てた。
「全く、お前は感情が読めん」
「わたくしはいつでも、感情豊かであります」
無表情のまま、使い魔は自身気に答えた。
冗談なのか本気なのか。ロベリアには、やはり分からない。
「……はぁ」
ロベリアは窓の外へ視線を戻す。
「どうして私の周りには、変わり者ばかりなのか……」
夜空には、雲一つない月が浮かんでいた。
◇ ◇ ◇
――翌日。
授業を終えた生徒たちが行き交っていた廊下は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
窓から差し込む夕陽が、磨かれた床へ長い影を落としている。
カルミアはアイリスと肩を並べて歩いていた。
「……学園のおばけ、ですか?」
「そうそう。三日くらい前から噂になってるのよ。もう、生徒たちの間じゃ持ちきり。聞いたことなかった?」
「休み時間は……人気のないところで過ごしているので……」
「あなた、なかなかの人見知りよね……」
それもある。けれど本当の理由は別にある。学園内を調査していたなんて、さすがに言えない。
カルミアは少し考えてから尋ねた。
「その……おばけって、どんな見た目なんですか?」
アイリスは歩調を緩める。そして周囲をちらりと見回した。
「夜遅くになるとね……誰もいないはずの廊下とか、旧校舎の近くに――」
声を潜める。
「青みがかった白い光が現れるんですって」
「……白い、光?」
カルミアの胸が、わずかにざわついた。
「見回りの先生がその光を見つけて、後を追ったらしいの。でも、突き当たりまで行くと」
アイリスはそこで一度、言葉を切った。
「光は、すっと消えたんですって」
「……」
「それで、不気味に思った先生が立ち去ろうとして、後ろを振り返った――」
アイリスが声を落とす。
「その瞬間っ!」
「ひゃっ――!」
カルミアの身体が跳ねた。
――ドンッ!
「おわっ!」
鈍い衝撃。
次の瞬間、二人の足元へ大量の紙が舞い落ちた。
「す、すみませんっ!」
カルミアは反射的に頭を下げる。
「もう……何やってるのよ。すみません、大丈夫ですか?」
アイリスも慌ててしゃがみ込む。そこにいたのは――。
「ぼ、僕は大丈夫ですが……その、資料が……」
尻もちをついたフローレンスだった。
床には、植物の図解や細かな文字がびっしり書き込まれた資料が散らばっている。
「あ、あわわ……!」
カルミアも慌てて拾い始めた。
「ひ、拾いますっ!」
「あたしも手伝うわ」
三人で資料を集めていく。
「ごめんなさい。あたしが驚かすような話をしたせいで……」
「ち、違います! 私が前を見ていなかったのが悪くて……」
「でしたら、僕にも責任がありますよ。荷物に気を取られていましたから」
フローレンスは穏やかに笑いながら、散らばった資料を一枚ずつ拾い上げていく。
やがて、すべての資料を拾い終えた。カルミアは改めて資料の束を抱え――。
「……すごい量」
思わず呟く。
「あの……私のせいで落としてしまったので、その……運ぶのをお手伝いします」
「なら、あたしも!」
二人が申し出ると、フローレンスは少し驚いたように目を瞬かせた。
やがて、小さく笑う。
「では……お言葉に甘えましょうか」
資料を三等分し、それぞれが抱える。静かな廊下を三人で歩き始めた。
「それにしても……本当にすごい量ですね」
アイリスが腕の中の資料へ目を落とす。
「アイリスくん、気になりますか?」
「拾っている時に少し目に入って。植物の資料ばかりだったので」
「見られてしまったなら仕方ありませんね」
フローレンスは苦笑した。
「実は……園芸部門の顧問でありながら、僕は植物の知識にあまり詳しくないんです」
「えっ?」
「ですから、空いた時間にこうして勉強しているんですよ」
「あたし、てっきり顧問の先生ってみんな専門家なのかと思ってました」
「あはは。僕は、いわば穴埋めのようなものですから。それに専門は生物学ですよ」
そんな会話を続けているうちに――。
「……」
カルミアの腕が、小さく震えた。
「カルミアくん?」
「だ、大丈夫……です……」
明らかに無理をしている。フローレンスは足を止めた。
「無理はしないでください」
そう言って、カルミアの腕から資料の半分ほどを受け取る。
「あ……すみません」
「謝る必要はありませんよ。手伝っていただいているだけで、十分ありがたいですから」
再び歩き出す。やがて廊下の突き当たりに、一枚の小さなプレートが見えてきた。
――園芸部門。
「着きました」
フローレンスが扉を開ける。
「少し……散らかっていますが」
軋んだ音とともに開いた扉。
その先には――。
「……」
二人は言葉を失った。
部屋いっぱいに積み上げられた書類。無造作に並べられた鉢植え。壁際の棚には紙束が詰め込まれ、床には整理されていない箱まで転がっている。
小さな窓から差し込む光も少なく、薄暗い。
「……これは」
アイリスが絶句する。
「園芸部門は基本的に外で活動しますからね。道具も外の倉庫に置いてありますし……生徒がここへ来ることは、ほとんどないんですよ」
「で、でも……流石に整理した方がいい気も……」
「……」
カルミアは部屋を見渡す。雑然としている。
なのに――。
「ここ……すごく落ち着きます」
「なんでよ!?」
アイリスが即座に突っ込んだ。カルミアは少しだけ肩をすくめる。
この薄暗さ。紙と土と植物の匂い。外の喧騒から切り離された、閉じた空間。どこか森の奥にある、自分の家を思わせる。
だからだろう。
不思議と、胸がざわつかなかった。
「資料は……そこの机へ置いてもらえますか?」
フローレンスが部屋の奥を指差す。
そこには、辛うじて物の置かれていない古い木机があった。
「分かりました」
三人で資料を重ねていく。
紙と紙が触れ合う、さらりとした音だけが部屋に響く。
――その時。
「……?」
カルミアが手を止めた。
すぐ背後。何かが擦れるような音が聞こえた気がした。
「今、何か音がしませんでしたか?」
小声で尋ねる。
「さあ……気のせいじゃない?」
「……そう、かな」
気のせい。そう思おうとした、だが――。
ガタッ。
「っ!」
部屋の隅に積まれていた木箱が揺れた。二人の視線が、同時にそちらへ向く。
ガタンッ! ガタガタガタッ!!
「ひゃっ!?」
「な、なに!?」
木箱が内側から激しく揺れている。蓋が、今にも弾け飛びそうなほど震えていた。
「お、おおおばけ……ですか!?」
カルミアの脳裏に、先ほどの噂が蘇る――まさか。身構える二人の前で、バンッ!! 木箱の蓋が勢いよく跳ね上がった。
「わぁぁぁぁっ!!」
中から飛び出してきたのはおばけ――ではなく、小柄な少女だった。
カルミアとアイリスは思わず互いの手を取り合い、驚いたように顔を見合わせた。
「――あっははははっ! ねぇ、びっくりした!? びっくりしたよね!?」
少女は埃まみれのまま、楽しそうに笑っている。
「……」
「……」
カルミアとアイリスは、揃って固まっていた。
「ドッキリ大成功~! いや~、今日の反応は上出来だね! 君たち、リアクションの才能あるよ~?」
少女は満面の笑みを浮かべ、胸を張る。
「またですか……」
その背後でフローレンスが呆れた声を出す。
改めて見ると、少女も学園の制服を着ている。
「ヒバナくん。部室に生徒が来るたびに驚かすのは止めなさいと、何度も言っていますよね?」
「え~? これくらい普通でしょ~?」
ヒバナは悪びれもせず笑う。
「ていうか、そんなことで注意するなんて、心が狭くなったんじゃないの~?」
「……全く」
フローレンスは肩を落とす。
「驚かせてしまって申し訳ありません。どこか、ぶつけたりはしていませんか?」
「あ、あたしたちは大丈夫です……」
アイリスが苦笑を浮かべながら答える。フローレンスは足の踏み場を確保しつつ、前に出ると二人へ向き直る。
「紹介が遅れましたね。この子はヒバナくん。君たちと同じ二年生で、園芸部門の部長です」
「気軽にヒバナって呼んでね~」
少女はにこりと笑う。
「ヒバナも、ヒバナのことはヒバナって呼んでるから」
「……ん?」
同じ言葉が連呼され、アイリスが困惑する。
「えっと……」
カルミアも戸惑いながら頭を下げた。
「か、カルミアです。よろしく、お願いします……」
「私はアイリス。よろしくね、ヒバナ」
「よろ~!」
軽い自己紹介が終わる。先ほどまで張り詰めていた空気が、ようやく和らいだ。
「でも、おばけじゃなくてよかったわね」
「は、はい……」
カルミアは胸元を押さえた。
「本当に、心臓が止まるかと思いました……」
「そういえば」
フローレンスが首を傾げる。
「ここへ来る前も、そんな話をしていましたね。おばけとは、何の話でしょうか?」
「先生、知らないんですか?」
アイリスが驚く。
「最近、夜な夜な学園に現れるって噂の青みがかった白い光ですよ」
「青みがかった白い光……」
フローレンスは少し考えるように目を伏せる。
「きっと、何かと見間違えたのでしょう」
「……やっぱり、そう思います?」
「噂というものは、尾ひれがついて大きくなるものですからね」
「ですよねぇ」
アイリスは少し残念そうに肩をすくめた。
「実はあたしも、誰かの悪戯なんじゃないかと思ってたんです」
「……少し、残念ですね」
カルミアが呟く。
「だよね~? せっかくなら、本物のおばけの方が面白かったのに」
ヒバナが笑う。
「面白がるものではありませんよ」
フローレンスが静かに釘を刺す。
それ以上、話題が掘り下げられることはなかった。やがて日が落ち始め、カルミアとアイリスは部室を後にした。
「それじゃ、あたしたちも戻りましょ」
「はい」
二人が廊下へ出ると扉が閉じられる。
その瞬間、ヒバナの笑顔がほんの少しだけ消えた。
◇ ◇ ◇
――その夜。
人の気配が消えた学園の廊下を、静寂が支配していた。魔導灯が一定の間隔で淡く輝き、石床へ細長い影を落としている。
「……おばけの噂、ですか」
夜間の見回りは教員による交代制。今夜の担当はフローレンスだった。夜間の見回りは主に教室や窓の施錠、非常扉の確認、生徒が夜間に抜け出していないか、外部から侵入者が入り込んでいないかの確認。
フローレンスはそれらを一つずつ確認していく。
そして、誰もいないはずの廊下の角を曲がった、その先。壁際に青みがかった白い光がこちらへと近づいて来た。
「……」
フローレンスの足が止まる。しかし、その表情に驚きはない。
「こんな時間に外出とは、規則違反ですよ」
「――え~? これくらい普通でしょ~?」
軽い返事とともに、光の奥から現れたのは、赤い髪を長いツインテールに結った少女。窓から差し込む月明かりを受け、宝石のような瞳がきらりと輝いた。
「もう少し目立たないように行動してください、ヒバナ」
フローレンスは小さく息を吐く。
「余計な噂が立てば、依頼に支障が出ますよ」
「あー、あの子たちが言ってた『おばけ』でしょ~?」
ヒバナはくるりと、その場で一回転してみせる。
「こんな美少女を~おばけ扱いなんて、失礼だよねぇ?」
「噂が落ち着くまでは、調査を一時中断しましょう」
「え~?」
「それと、これから夜間に調査する際は、ユリシスを使わず最小限の灯りで行動してください」
「そんな~っ! ユリシスちゃんはこんなにも可愛いのに? 可憐な少女の心を癒すのは、儚い小さき命。ロマンティックでしょ?」
ヒバナの周囲を一匹の蝶が舞う。鮮やかな青い翅。その羽ばたきに合わせ、青白い鱗粉のような光が夜の廊下へ散っていく。
「ユリシスは希少生物ですよ。もっと大切にしてあげてください」
「はーい」
「それと――」
フローレンスは歩み寄り、声を低くした。
「必要な情報は、ある程度収集できました。僕たちも、そろそろ準備が必要です」
「……ねえ」
ヒバナが首を傾げる。
「なんでこんな依頼、引き受けたの?」
「……」
「これってさ、ヒバナたちの仕事じゃないでしょ~?」
ヒバナの言葉に一瞬、フローレンスの視線が遠くへ向いた。
「――古い友人からの頼みだからね。断れなかった。それだけですよ」
「ふーん」
ヒバナは興味があるのかないのか分からない声を漏らし、それ以上は追及しなかった。
誰もいない夜の廊下。静まり返る時計塔。その奥には――学園内部の人間ですら知らない秘密が、いくつも眠っている。
だからこそ。僕たちは何があろうと、この学園の生徒たちを。そして、この国を守らなければならない。彼が望んだ――夢を。
フローレンスは静かに窓から夜空を見上げた。
「――必ず守りますよ。《《愚者》》の名に誓って」




