Episode11 講義の時間
その日の朝。
カルミアは、学園の様子にかすかな違和感を覚えていた。中庭を抜ける途中、見慣れない顔が何人も行き交っている。
普段より明らかに多い人の流れ。教師たちもどこか忙しなく、生徒たちの間にも浮ついた空気が漂っていた。
教室へ入ると、カルミアは隣の席のアイリスへ声をかけた。
「おはようございます」
「おはよう」
席に座ると、カルミアは小さくあくびをした。
「なんだか眠そうだけど」
「昨日はちょっと色々あって、あまり眠れていないんです」
報告書に時間を取られて、寝不足なんて言えない。
「まあでも、イベントとか旅行の前日って、明日が楽しみで、なかなか寝付けないのよねー。分かるわ」
アイリスは何度も首を縦に振り、うんうん、と一人で納得したように頷いている。
「あんたは今日が初めてよね、招聘講義を受けるのは」
「……招聘講義? なんですか、それ」
「あれ……前に話した事なかったけ?」
「初めて聞きました」
「ごめんなさい、うっかりしてたわ」
アイリスは軽く、こほん、と咳払いをする。
「招聘講義は、年に二回行われる学園の行事の一つね。この日は、外部から有名な魔術師や研究者が招かれて、ここでは聞けないような専門家の講義を受けられるの」
「なるほど……」
魔法を学ぶために入学した生徒からすれば、当然期待も高い。それもあって、教室はいつも以上に活気づいていた。
しばらくすると、時間を知らせる学園の鐘が鳴った。すると、ガラリ。教室の扉が開く。
「休符」
誰かが、そう呟いた。その瞬間。世界から音だけが切り取られた。
「……!」
私語が途切れる。笑い声も。椅子を引く音も。紙の擦れる音さえも。全てが静寂に包みこまれた。
生徒が戸惑う中、一人の男が教室へ入ってくる。
「全く、騒がしいところですね」
その声だけが、静寂の中に響いた。
「少しは静かにできないのですか?」
「……!」
カルミアの目が大きく見開かれる。
服装こそ違う。だが髪型や雰囲気、その口調も間違えるはずがない。
――ロベリアさんだ。
「今、この教室には私の音しか存在していません」
ロベリアは何事もなかったかのように教壇へ向かう。
「これは音魔法と呼ばれるものです。周囲の音に干渉し、特定の音だけを残すことができる」
生徒たちが必死に声を出そうとする。しかし、誰一人として音を発することができない。
「そこの男子生徒」
ロベリアが一人を指差した。
「何か言いたいようですね」
「……!」
「ですが、今は私の時間です。そのまま聞いていなさい」
「!?」
――やっぱりロベリアさんだ……! でも、どうして学園に……。
ロベリアは教室を見渡した。
「このクラスは優秀な生徒が揃っていると聞いています」
そして、一人の男子生徒を指差す。
「そこの前髪を切り揃えた眼鏡の生徒。私の質問に答えなさい」
「……」
「あなたは、なぜここで魔法を学ぶのですか?」
当然、答えられない。
「……」
「答えられないのですか?」
生徒は困惑したように口を動かす。その様子を見て、ロベリアは「ああ」と呟いた。
「失礼。魔法を解除するのを忘れていました」
パチンッ。指が鳴った。次の瞬間――。
「はぁっ……!」
「っ、息苦しかった……!」
「声が戻った!」
教室中から、一斉に声が上がった。
「では改めて」
ロベリアは何事もなかったかのように続ける。
「私の質問に答えてください」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
他の男子生徒が手を挙げた。
「いきなり質問されても困ります。それに……まずは自己紹介をするのが、礼儀というものではないでしょうか……」
何人かの生徒が頷く。
「……なるほど」
ロベリアは一拍置いた。
「私の情報が必要ですか。まあ、いいでしょう」
教室の空気が僅かに引き締まる。
「私は街で古本屋を営んでいる、ロベリアと申します。これで十分でしょう?」
「ふっ……」
乾いた笑い声が響いた。
後列に座っていた一人の男子生徒だった。
「……笑える話だな」
男子生徒は肩を揺らして笑う。
「どんな名誉ある講師が来るのかと思えば、偉そうな口を叩く、ただの古本屋の店主かよ!」
周囲の生徒たちがざわつく。
「俺たちはそれぞれの魔術師を目指して、ここで魔法を学んでいるだ。ただの一般人から学ぶことなんて何もないぜ」
「セシル、流石に言い過ぎよ。失礼にも程が――」
「優等生気取りは黙ってろよ!」
アイリスが眉をひそめる。セシルは立ち上がり、ロベリアの方へと歩む。
「ここは魔法学園だ。弱い奴が来るところじゃねぇ」
「あなた……自分が何を言っているか分かってるの!?」
アイリスが勢いよく立ち上がった。
教室の空気が、ひりつく。だが――。
「セシル、と言いましたか」
ロベリアがセシルに視線を向ける。
「その言い方だと――私が、あなたより実力で劣る、と。そう聞こえますが?」
「違うって言うのか?」
「――では、それを証明するために、私と一戦交えてみますか?」
「いいぜ。乗ってやる」
セシルは即答した。
「待って下さい! ここだと教室が――」
「その心配は必要ありません」
するとロベリアは懐から手のひらサイズの正方形をした物体を取り出す。
「ど、どどどうしましょう! というか、アレなんですか!?」
「ちょっと落ち着いて……。アレは魔道具よ。この学園で使われている、結界魔法の魔道具。でも……」
魔道具を二人の間に投げると、それは正方形から形が徐々に変化し、宙へと浮かぶ。そして、彼らの周囲を結界で覆った。
「この結界は内部や外部からの攻撃を遮断し、内部のダメージを片側する」
「もちろん知ってるさ」
「ルールは私の放つ初級魔法を、あなたが防ぐ事が出来れば、私の負け。それが出来なければ、私の勝ちでどうでしょう」
「好きにしてくれ。まあ、どんなルールでも一般人が俺に勝てるとは思えないけどな」
ロベリアは静かに頷く。
「では、そこの優等生さん」
「……アイリスです」
「開始の合図をお願いします」
「――分かりました」
教室が静まり返った。
アイリスがゆっくりと手をあげる。その数秒後、その手は勢いよく振り下ろされた。開始の合図だ。
「――っ!」
セシルが右手を突き出し即座に魔法陣が展開される。術式が一つ。二つ。三つと高速で築されていく。
対するロベリアは、未だ魔法陣すら展開していなかった。ただ、顎に手を当てている。何かを考えるようだった。
その姿は、まるで戦いの最中とは思えない。そして次の瞬間。
「火球」
ロベリアが呟いた。
紅い火球が、目にも止まらぬ速度で飛翔する。
「(いつの間に――ていうか……間に合わない)」
ドォンッ!!
大きな音と主に、二人を覆っていた防護結界が淡く輝いた。すると結界は地面からゆっくりと解除される。
「これでも、まだ自分の方が上だと言いますか?」
「……」
セシルは言葉を失った。
「(何が起きた。俺の方が先に魔法の構成を始めたはずだ。それなのに――)」
セシルの額から汗が落ちる。
「ただの防御魔法に、魔法陣の構成が必要ですか?」
「……っ」
「期待外れですね」
ロベリアは冷たく告げる。
その一言が、セシルの自尊心を真正面から打ち砕いた。
教室が静まり返る。
「せっかくです。少し、魔法陣の構成について教えておきましょう」
ロベリアは教壇へ戻る。
黒板へ向かい、チョークを手に取る。
「まず、魔法を発動するために必要な魔法陣とは、言わば儀式のようなものです」
簡単な術式図を描いていく。
「魔法は術式として構築すれば発動できる。先人たちは、これを詠唱と呼んでいました。ですが――この方法は効率が悪い」
術式の一部を消す。
「近年の魔法学では、効率を重視した省略術式が主流です。元の術式を半分以下に短縮し、魔法を成立させる技術。一般的な魔術師であれば、これを扱えれば十分でしょう」
何人かの生徒が頷く。
「実用性も高い。安全性も確保されている。彼も、そこまでは出来ていたのでしょう」
セシルへ視線を向ける。
「ですが戦場では、そうはいきません。魔法を放つまでの僅かな時間が、生死を分ける。悠長に魔法陣を構成している余裕など存在しない場面も多い」
ロベリアは黒板から手を離す。
「私が行ったのは、単なる省略ではありません。魔法そのものを、術式として直接展開し、発動させた」
生徒たちが息を呑む。赤い瞳が、教室を見渡す。
「先人の言葉で表すなら――無詠唱魔法、といったところでしょうか」
その言葉にざわめきが広がった。
一人の生徒が、おそるおそる手を挙げる。
「あの……それって僕たちが努力すれば、可能だったりしますか?」
「そうですね……」
黒板へ再び視線を向ける。
「初級魔法は、別名――簡易魔法とも呼ばれます」
そして術式の構造を指差す。
「威力は自身の魔力の三分の一程度しか引き出せませんが、そのぶん術式構造が非常に単純です。魔法を使用した際に生じる魔力経路の僅かな痕跡や座学で理論を理解する。それらの知識を合わせ、構造を正確に理解できれば――」
ロベリアは淡々と言った。
「無詠唱は可能です」
教室中の常識が、音を立てて崩れていく。
講義が終わる頃には――誰一人として、彼をただの古本屋だとは思っていなかった。その中で。
「……なんだよ。みんなして」
セシルが拳を握る。
「では、最初の質問に戻ります。あなた方は、なぜここで魔法を学ぶのですか?」
そうだ。全ての始まりはこの質問からだった。初めは戸惑っていた生徒たちも、今となっては好奇心に心を奪われていた。
「――俺は。強い魔術師になって、家族に認めてもらう」
セシルは悔しさを噛み殺すように答えた。
「僕は魔法学者になって、新しい魔法を作りたいです!」
「私は歴史学者になって、もっと魔法の歴史を知りたいです!」
「俺は将来、騎士団に入ってこの国を守るんだ!」
連鎖するように、生徒たちは次々と自身の夢を語り出す。気づけば、張り詰めていた空気は明るく和やかな空気へと変わっていた。
「わ、私は……守りたい、大切な相手がいるから……」
「えっ、ロアって好きな人がいる感じなん?」
「マジ!? やばたんじゃん!」
恋愛話に発展する生徒。
「じゃあ将来、俺たちで新しい騎士団を作り上げようぜ!」
「まあ、付き合ってあげてもいいですけど」
「眼鏡のくせに、生意気だぞ~」
「なんですか、眼鏡のくにって!」
希望を持ち、互いの距離を縮める生徒。
ロベリアの表情は少しだけ笑って見えた。ふと、アイリスに視線を向けるとロベリアはゆっくりと彼女の傍に歩み寄る。
「アイリスさん。あなたは?」
「あたしは……」
アイリスは少しだけ俯いた。
「お姉ちゃんの傍にいられる、ふさわしい魔女になりたいからです」
「そうですか」
一時限目が終わりに近づく頃、ゴォォン――。重い鐘の音が、学園中へ響き渡った。一度。二度。そして間を置かず、連続して鳴り響く。
「これって――」
瞬時に教室の空気が凍りついた。
アイリスは、張り詰めた表情でロベリアに顔を向ける。そう、これは授業終了の鐘ではない――非常鐘。
「避難指示です! 学園からの避難指示が出ています!」
さっきまで和んでいた空気は、再びざわめきだした。
「ロベリアさん! ここから避難を――」
――ドスン、ドスン……。
遠くから、何かを重い音が響いた。それは次第に近づいてくる。不気味な音に生徒たちの表情から、血の気が引いていく。
「……何?」
そして――バキンッ!!
教室後方の扉が、内側から吹き飛んだ。
「きゃあああっ!」
「魔獣だ!」
黒い影が教室へ飛び込んでくる。
粘液に濡れた皮膚。歪に発達した前脚。濁った赤い眼。
生徒たちが一斉に後ずさる。
椅子が倒れ、机がぶつかり、悲鳴が重なる。
魔獣が低く唸った。
「ガウルルルゥゥゥ」
「……全く」
そんな混乱の中。
ロベリアだけが、妙に落ち着いていた。
「騒がしいですね」
ゆっくりと、一歩前へ出る。
「危ないです! いくら強くても魔獣相手は――」
「害虫駆除は専門外なのですが」
右手を、魔獣へ向ける。
「火球」
――ドンッ!! 火球が放たれた。それは弾丸のような速度で飛翔し――魔獣の眉間を正確に撃ち抜く。
炎に包まれ魔獣は断末魔すら上げる暇もなく、その場へ崩れ落ちた。
「……」
教室が静まり返る。
ロベリアは倒れた魔獣を一瞥し、すぐに生徒たちへ視線を戻した。
「今のうちに安全な所へ避難を!」
ロベリアの指示で生徒たちは一斉に動きだす。その中で、生徒の波に流されるカルミアの手をロベリアは掴んだ。
「カルミア。あなたは私と一緒に来なさい」
「わ、分かりました」
二人も最後尾の生徒たちに続いて廊下へ出る。そこで目にした光景は混沌だった。学園の至る所に同じ魔獣が出現している。
壁を食い破る魔獣。逃げ惑う生徒たち。魔法で応戦する教師。一瞬にして学園そのものが、戦場へと変わっていた。
ロベリアが周囲を見渡す。そして、静かに呟いた。
「数が多いな……」
その視線の先。廊下の曲がり角から一体の魔獣が姿を現した。濁った赤い瞳が、二人を捉える。低い唸り声。逃げ場はない。
「……」
カルミアの足が竦む。怖い。身体が震える。
そんなカルミアへ、ロベリアが声をかけた。
「カルミア」
「……はい」
「目を逸らさないでください」
その声は、いつもより僅かに低かった。
「ここからが――本番です」




