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大罪魔女の落ちこぼれ   作者: ゆずきあすか
カトレア魔法学園 編
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12/29

Episode12 第一の矢

 ――数ヶ月前。 

 激しい雨が、容赦なく街を叩きつけていた。

 街外れの路地裏。石畳に溜まった水たまりが、逃げ惑う男の足元で次々と跳ねる。

 男は壁に背を預け、荒い息を吐いていた。

 高価な外套《がいとう》は雨を吸って重く垂れ下がり、震える指先からは、もはや貴族としての威厳など欠片も感じられない。


「誰か……誰か、助けてくれっ……!」


 絞り出した声は、激しい雨音に呑まれて消えていく。

 最近、貴族たちの間では、とある噂が囁かれていた。この街に《《愚者》》が潜んでいる、と。

 これを耳にした一部の貴族は、胸の内で皮算用を始めていた。

 男なら公開処刑にかければ、民衆の喝采と名声を得られる。女なら生かして捕らえればいい。奴隷として手元に置けば、さぞ面白いだろう。

 下劣で短絡的で、救いようのない計画。

 ――だが。その計画は、始まる前に破綻した。


「どうして……どうして、どうして、どうしてっ!」


 男は走る。振り返ることすらできない。


「まだ……まだ死にたくない……!」


 喉を裂くような叫び。

 その時だった。

 視界の端を、鮮やかな青が横切った。


「(……なんだ今のは? 青い……蝶?)」


 雨粒の中を、一羽の蝶が舞っている。

 青く透き通った翅《はね》。その姿は、この土砂降りの夜にはあまりにも美しかった。男は一瞬だけ見惚れてしまう。

 ――だから、気づかなかった。すぐ耳元に声が届いたことに。


「そんな必死になっちゃって……何を怖がってるの?」

「――っ!?」


 男の背筋を冷たいものが走った。驚きのあまり、足を取られ、その場で派手に転んでしまう。

 しかし、男は痛がる素振りを見せる間もなく、後ろを確認する。そこには先ほどまで誰もいなかった場所に、一人の少女が立っていた。

 黒い髪。赤い瞳。雨に濡れた身体。それでも、少女は楽しそうに笑っていた。

 その表情からは、何を考えているのか読み取れない。それが、男の恐怖をさらに煽った。


「た、頼む……!」


 男はその場に膝をついた。


「殺さないでくれ……! なんでも言うことを聞く! 金でも、地位でも……!」

「えー、どうしよっかなー」


 少女は顎に指を当て、わざとらしく首を傾げる。


 そして――。


「でも~……もう遅いと思うよ?」

「そ、そこをなんとか――」

「だってさ、おじさん」


 少女は、にっこりと笑った。


「もう――死んでるから」

「……へ?」


 どろり。

 男の口から血が溢れた。


「……あ……?」


 何が起きたのか理解できない。

 震える手で胸元へ触れる。そこには一本の矢が深々と突き刺さっていた。心臓を、正確に貫いている。


「な……んで……」


 男の身体がゆっくりと崩れ落ちる。雨音だけが妙に鮮明だった。そして男の意識は、その雨音の中へ沈んでいった。


「今回の依頼も、大したことなかったね」

「……えぇ」


 少女の背後から、落ち着いた声が響く。雨の中を、ゆっくりと歩いてくる赤髪の男。

 その表情に焦りも、罪悪感もない。


「自分を守る術を知らない貴族は、楽でいい。ただ……時々、虫のように逃げ回る連中もいるから、当たり外れはあるけどね」

「じゃあ、この男はハズレくじってことだね~」


 少女は倒れた男の頭を、まるで慰めるように優しく撫でた。


「あーあ。可哀想に」

「依頼完了だ。報告書を出したら、今日は終わりにしよう」


 赤髪の男――アザミ・フローレンスは空を見上げる。


「家に戻って、お風呂に入りたいな。雨のせいで全身びしょ濡れだ。身体も冷えてしまったよ」

「あっ! 先に言っておくけどー」


 少女――ヒバナがぴっと指を立てる。


「ヒバナはアザミちゃんと一緒に、お風呂にはぜーったい入らないからねっ!」

「ちゃんと髪は洗えるのかい?」

「洗えるよ!」

「湯船に浸かる時は、まず身体にお湯をかけて――」

「だーかーらー!」


 ヒバナが頬を膨らませる。


「子ども扱いしないでって、いつも言ってるじゃんっ!」


 二人の声は、激しい雨の向こうへ遠ざかっていった。 そこに残されたのは一人の貴族の亡骸だけだった。


◇ ◇ ◇


「アザミちゃん、次入っていいよー……って、あれ?」


 風呂上がりのヒバナが、濡れた髪をタオルで乱暴に拭きながら首を傾げた。


「もう着替えたの?」

「僕は近くの温泉に行ってきたんだよ」


 アザミは机へ腰を下ろしていた。


「君が出てくるのを待っていたら、確実に風邪をひくからね」

「なにそれ~!」


 ヒバナは頬を膨らませる。


「一人だけ贅沢するんだ。ずっるーい!」

「温泉くらいで贅沢と言われてもね」

「むぅー」


 ヒバナは不満そうに唸る。

 そんな彼女を横目に、アザミは机の上へ置かれた一通の手紙へ視線を落とした。


「……ねえ。さっきから、ずっと真剣な顔してるけど。何を見てるの? 次の依頼?」


 ヒバナが覗き込む。


「まあ……そんなところだね」


 アザミは一瞬だけ視線を宙へ泳がせる。


「それと……少し、昔のことを思い出していた」

「へー」


 ヒバナはそれ以上興味を示さなかった。大きく伸びをすると、踵を返す。


「じゃ、ヒバナは先に寝るね」

「もう寝るのかい?」

「アザミちゃんの昔話とか、聞くのウンザリだしー」

「はは……それは酷いな」

「はいはい、おやすみー」


 パタン、と奥の扉が閉じる。


「……全く。あの子は誰に似たんだか」


 独り言をこぼし、再び手紙へ目を落とす。そこには簡潔な要件だけが記されていた。

 ――カトレア魔法学園の潜入調査を依頼する。詳細は、学園理事長より直接説明する。

 そして紙の裏には――依頼人の名と別件が、走り書きのように記されていた。


「……今回の依頼は、長くなりそうだな」


 アザミは手紙を折りたたむ。そして、その夜は眠りについた。

 ――翌朝。アザミはヒバナへ依頼の概要を伝えると、二人で身支度を整え、セリオス共和国へ向けて家を出た。

 目的地まで、馬車で三日ほど。二人は道中の宿で一泊を繰り返しながら、目的地を目指した。

 そして、ついにカトレア魔法学園へ辿り着いた。アザミは校門の前で足を止める。


「ヒバナ。君はここで待っていなさい」

「えー。こんな息の荒いお馬さんと一緒にいろって言うの?」

「もちろん」

「ひっどーい! じゃあヒバナが、あんなことや、こんなことになっても良いっていうの?」

「……どこで覚えたんですか、そんな言葉。とにかく、ここまで待ってなさい。すぐに戻ってきますから」


 ヒバナの抗議を背に、アザミは一人、学園の中へ入っていった。

 幸い、手続きに問題はなかった。案内された先は理事長室。


「失礼します」


 扉を開ける。


「初めまして、理事長――」


 そこで言葉を切る。

 室内にいた人物を見て、アザミは目を細めた。


「……いえ。こちらの方が正しいですね」


 穏やかな笑みを浮かべる。


「お久しぶりです、オハイさん」

「久しぶりじゃな、アザミ」


 理事長――アリイ・オハイは、懐かしそうに笑った。


「相変わらず、目を開けておるのか分からん男じゃのう」

「僕が細目なのは、昔からご存じでしょう」


 アザミは苦笑する。


「オハイさんも、お変わりなさそうで」


 二人は軽く挨拶を交わすと、来客用のソファへ腰を下ろした。


「早速ですが、具体的な内容をお聞かせ願えますか」

「そうじゃな」


 オハイは一拍置いた。


「ここ最近、学園内で不可解な現象が続いておる。主に機密情報の紛失。備品の紛失、植物の異常な枯死。そして、失踪事件。今までこんな事はなかったんだがのう……」

「失踪事件の方は、騎士団に調査依頼は出さなかったんですか?」

「身内以外の調査依頼は出来ないと。個人情報の漏洩がなんちゃら……もう鬱陶しくてのう。だから、彼女に協力を要請したんじゃ。その結果……《《悪い未来》》が見えた、と返って来た」

「その彼女ってまさか……師匠の事、ですか?」

「理解が早いのう」

「未来の良し悪しは、師匠の十八番《おはこ》ですから。それはそうと……僕にはそれらの調査を、お願いしたいってことですね?」

「そういうことじゃ」


 アザミはしばらく考えた。そして、すぐに口を開く。


「分かりました。でも、一つ良いですか?」

「なんじゃ?」

「学園内の情報であれば、ご自身の権限で調査された方が早いのでは?」

「ちと別件があってな。手が欲しかったんじゃ。それに――お前以外に、信用できる教員はおらん」

「……分かりました」


 アザミは頷いた。


「僕らが責任をもって調査を行います」

「頼んだ」


 オハイはそう言ってから、扉へ視線を向けた。


「そろそろ顔を見せてくれんか」


 老獪な笑み。


「ヒバナよ。そこに居るのは分かっておるぞ」

「……えー」


 気の抜けた声。次の瞬間――。

 何もなかったはずの空間が、わずかに歪んだ。

 ひらり。

 まるで舞台袖から飛び出すように、一人の少女が姿を現した。


「なーんだ。あっさりバレちゃった」


 黒い髪を揺らし、悪戯が失敗した子どものように肩をすくめる。


「驚かそうと思ってたのに」

「ヒバナ!?」


 アザミが思わず声を荒らげる。


「外で待っていなさいと言っただろう!」

「だってさー、一人で待ってるなんて、つまらないじゃん」

「……全く」


 ヒバナは悪びれもせず笑う。


「はっはっは!」


 オハイが腹の底から笑った。


「その口調……アザミ、お前も昔から何一つ変わっておらんのう。ヒバナも大きくなったもんじゃ」


 オハイは目を細めた。


「ワタシのことは覚えておらんと思うがのう」


 こうして――。

 カトレア魔法学園への潜入調査は、水面下で静かに動き始めた。


◇ ◇ ◇


 ――二か月が過ぎた頃。

 ある日、学園内の教員全員へ、一つの通達が伝えられた。近日中、新たな編入生が学園へやって来る。名前は――カルミア・ジーニアス。

 この名を聞いた時、アザミの表情は固まった。その名を持つ人間を彼は一人しか知らない。

 これが手紙に記載された、もう一つの依頼でもあった。

 そして――あの日の夜。彼は初めて目にした。


「は、初めまして。えっと……今日から編入して来ました。カルミア・ジーニアス、です」

「あー君でしたか! 初めまして。僕は生物学を担当している、アザミ・フローレンスです。よろしくお願いします」


 アザミは何事もなかったかのように笑った。


「――あ、すみません長話してしまって。食事前ですよね、ごゆっくりお過ごし下さい」


 守らなければ。それが、彼女のためなのか。それとも、遠い過去の約束のためなのか。僕はいずれ、大きな岐路に立たされるだろう。

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― 新着の感想 ―
カルミアが少しずつ成長していく姿が印象的で、自然と応援したくなる主人公ですね。 トレニアとの掛け合いも面白く、とても楽しく読み進められました。 魔法学園編も先が気になる展開で、続きが楽しみです。
面白かった。これくらいのドタバタ具合がいいんだよ! トレニアさん、意外と後先考えないタイプなんですね。敵の数も確かめずに突っ込んで、一歩間違えてたら危なかったんじゃ。強くて良かったですけど。 カル…
カルミアが可愛いですね。学園では緊張しがちですが色欲の魔女なのもかっこいいです。でも、彼女の過去について色々伏線のようなものもあり、今後明かされていくのが楽しみです。
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