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Episode5 本来の使い方

 三日間にわたる調査の経過報告は、数通の報告書となってロベリアのもとへ届けられた。

 一枚、また一枚と目を通しながら、ロベリアは思わず深く息を吐き、額に手を当てる。

 内容は、想像していた以上に詳細で、的確だった。

 ロベリアは実績を高く評価する。だが、問題が何一つ解決していないことも、また事実だった。

 静まり返った執務室に、紙をめくる音だけが淡々と響いていた。

 その空気を破るように、ふいに、低く落ち着いた声が差し込む


「大変そうだな、ロベリア」


 いつの間にか、机のすぐ傍に、優雅に立つ女がいた。

 ロベリアは眉をひそめ、疲れ切った目でその姿を見上げる。


「……あなたは平凡の様で羨ましいですよ、ダリア」

「ふっふっふ、私は事前に正確な計画を立て実行しているだけ」

「それが出来るのは、あなただけでしょうね。便利な固有魔法だ、羨ましいものですよ」

「いいや。これは、未来予知(プロノイヤ)を簡易的に改良した魔法だ。効果は多少劣るが、少量の魔力と簡単に発動できる事が利点だ」


 強欲の魔女、ダリア・グロキシニア。彼女の固有魔法「未来予知(プロノイヤ)」は未来を予知する事ができる。


「相変わらず規格外の事を、簡単に成し遂げますね」

「私は自分が欲しいと思ったものは、確実に手に入れる。ただ、それだけのことさ」

「話はそれだけですか。私は、あなたの様に暇ではないので」


 ロベリアは淡々とそう告げ、机の上の資料を引き寄せた。

 一枚、二枚と紙を整え、羽根ペンを手に取る。さらり、と静かな音を立てて、再び書き仕事が始まった。


「ロベリア、お前に聞きたいことがある」

「手短にどうぞ」


 ダリアはゆっくりとロベリアの正面に移動し、机の縁に手を置いた。

 その瞳には、いつもの戯けた色はなく、ただ静かな真剣さだけが宿っている。


「お前は――どうして、あの子に手を貸す?」


 その問いに、ロベリアの手が、わずかに止まった。

 紙の上に落ちかけたインクが、細く滲む。


「……さぁ」


 短く答え、ロベリアは再びペンを走らせる。

 その横顔からは、何ひとつ、心の内を読み取ることは出来なかった。


◇ ◇ ◇


 ――カルミアたちは、今日もまた夜の街へと出向いた。

 夜間の光景は、昼間とはまるで別の顔を見せている。

 大通りは月明かりに照らされるが、細い通りは等間隔に置かれた街灯に灯されているものの、その光は路地の深い所までは届かず、建物の隙間には濃い影が溜まっている。

 遠くでは酒場の笑い声や楽器の音が聞こえる。

 だが一歩裏道へ入るだけで、空気は重く、湿った冷気が肌にまとわりついた。


「ぶへっくしょん! うぅ……夜は冷えますねぇ」


 石畳は夜露で湿り、靴を履いていても足裏に冷たさが伝わってくる。


「悪魔でも寒さって感じるんだね」

「ご主人様、悪魔を何だと思っているんですか……うぅ、寒い……」


 メイド姿のトレニアは、夜だと流石に異質を放っている。


「今日は、この辺りで引き上げよっか」

「そうしましょう……ぶへっくしょん!」


 トレニアの盛大なくしゃみに、カルミアは思わず苦笑した。


「もう、風邪ひかないでよ?」


 そう言いながら、二人は宿へ戻ろうと歩き出す。

 ――その時だった。


「た、助けてぇぇぇっ!!」


 切り裂くような叫び声が、路地の奥から響いた。

 二人の足が、同時に止まる。


「ご主人様、今の声って……」

「……トレニア、助けに行くよ」


 二人は顔を見合わせ、次の瞬間には同時に駆け出していた。 

 カルミアはフードの奥で息を潜め、気配を辿る。魔力探知に反応はない。恐らく魔力を持たない人間の可能性が高い。


「トレニア、相手は武器を所持してるかもしれない。気を付けてっ!」

「はいっ!」


 声のした方角へと駆け込むと、再び悲鳴が路地に響いた。

 だが、今度はそれだけではなかった。

 

「お願い、離してっ……!」

「姉ちゃん、少しくらいオジサンたちに付き合ってくれよ」

「こんな遅くに一人ってさぁ……そういう事だろ?」


 細い路地の奥。

 壁際に追い詰められた少女の前に、二人の男が立ちはだかっていた。

 少女は必死に身を縮め、震える手で背後の壁を探りながら、逃げ場を失っている。


「いや……近づかないで……誰か、助けて……」


 か細い声が、今にも泣き崩れそうに揺れる。

 ――次の瞬間。


「ちょっと待ったぁぁぁっ!」


 張りのある声が、路地に響き渡った。

 男たちが驚いて振り返る。

 いつの間にか、路地の入口に立っていたのは、メイド姿の少女。

 両手を腰に当て、胸を張り、堂々と二人を睨みつけている。


「女の子に手を出すなんて、許せませんよっ!」


 トレニアの声に、男たちが一斉に振り返った。


「なんだお前?」

「おい、あの女……よく見ると、いい身体つきじゃねぇか?」

「確かに……丁度いい遊び相手だなっ!」


 下卑た笑い声とともに、二人の男が一斉にトレニアへと飛びかかる。

 だが――


「ふんっ!」


 乾いた音が、夜の路地に響いた。

 一人目の顎に鋭い蹴りが突き刺さり、男は白目を剥いてその場に崩れ落ちる。 続けざまに身を翻し、もう一人の脇腹へ一撃。


「ぐっ――!」


 鈍い音とともに、男は壁に叩きつけられ、そのまま動かなくなった。

 ほんの数秒の出来事だった。

 遅れて路地に駆け込んできたカルミアは、その光景を目の当たりにして、思わず息を呑んだ。

 足元には、気絶した男が二人。

 そして、胸を張って立つ、いつものメイド姿の使い魔。


「どうですか、ご主人様っ!」

「やりすぎだよ。生きてるかな……」


 カルミアは少女のもとへ駆け寄った。


「あの……大丈夫ですか……?」


 その時だった。

 ――カッ、と石畳を蹴る足音と物が落ちる音がした。

 反射的に振り返ると、路地の奥から一人の男が、闇に紛れるように走り去っていくのが見えた。

 もう一人、仲間が居たんだ……っ!?


「トレニア、後を追って!」

「任せてくださいっ! 逃がしませんよー!」


 トレニアはすぐさま後を追い、闇の中へと姿を消す。


「すみません、ケガは――」


 カルミアは、少女の方へ視線を戻す。


「……あれ?」


 だが、そこには先程までいたはずの少女の姿がなかった。路地には、倒れた男たちと、冷えた夜風だけが残されていた。

 カルミアは息を切らしながら、必死にトレニアの後を追った。

 向かった先は、北広場へ続く路地裏。 薄暗い街灯の下、その入口の前で、トレニアが立ち尽くしている姿が見えた。


「トレニア……どうしたの?」

「あっ、ご主人様。それがですね――」


 トレニアは振り返ると、少し興奮した様子で、今しがた目にした光景をありのまま語り始めた。


「男の人が……突然、消えていったんです」

「……消えた?」

「はい。丁度、あの影に差し掛かった瞬間、何かに飲み込まれたみたいに、すっと……」


 そう言って、路地の奥、壁際に伸びる濃い影を指さす。


「私もすぐに追いかけて、同じ場所に足を踏み入れたんですが……何も起きませんでした。少し先は、行き止まりで……」

「……もしかしたら、魔法を使ったのかもしれない」


 でも、あそこに居た人たちは、誰一人として魔力を持っていなかった。 逃げた男も同様。魔法を使える人間では、ない。

 カルミアは小さく息を吸い、ゆっくりと問題の地点へ近づいた。

 影の縁に足を踏み入れた瞬間、ほんのわずか胸の奥を、刺激されるような違和感が走った。

 カルミアは足を止め、そっと手を伸ばす。


「これ……魔力反応だ……」


 ごく微量。 意識しなければ見逃してしまうほど、淡く、薄い気配。

 けれど、確かにそこには何かがあった。


「ねぇトレニア……これ、結界魔法だよ」

「結界魔法、ですか?」

「うん。結界魔法だったら、魔力が無くても、特定の条件を満たしていれば、結界の中に入れる」

「それなら、私たちも――」


 期待を込めた声に、カルミアはゆっくりと首を振った。


「残念だけど、手掛かりが無い以上、私たちは何も出来ないの」

「そんな……きっと、どこかに手掛かりが……」


 何かを思い出したように、トレニアがポケットを探り、あるものを取り出した。


「これ……何か、使えませんかね?」


 手のひらに乗っていたのは、あのマンドラゴラのアクセサリーだった。


「魔法なら魔道具でどうにか……と思ったんですが、無理ですよね」

「いや……可能性はあるかも。もしこれが、結界魔法を凌駕する魔道具なら、いけるかも……」


 その言葉に、トレニアの瞳が、わずかに揺れる。


「でも、それからは魔力を感じない。ただの飾り物の可能性も……」

「でしたらっ!」


 トレニアは急にぱっと顔を輝かせた。


「宿主様が言っていた、()()()使()()()を模索してみましょう! 例えば……月の光に当ててみるとか!」

「……なにも起きないね」

「ぐぬぬ……だったら、炙る! 沈める! 煽てる――」


 トレニアは、思いつく限りの事をやってみるが、どれも効果は無い。

 カルミアはそれを手に取り、まじまじと眺める。


「……これ、あれだけ雑に扱ってるのに……傷一つ、付いてない……」


 ただの飾り物にしては――あまりにも、頑丈すぎた。


「本来の使い方……」


 カルミアは、その言葉がどうにも引っかかる。

 魔道具は本来、魔力を纏っている。それに術式を記憶させることで、魔法が発動する仕組み。


「魔力が無い魔道具なんて……やはり、ただの飾り物なんですかね……」


 さっきの威勢は消え、弱気になるトレニア。


「魔力が……無い……っ!」


 トレニアの何気ない言葉に、カルミアは、ある事に気づいた。


「わかった! 本来の使い方……それは――魔力を込める事だったんだよ!」


 私たちは魔力が無いものは魔道具では無い、と言う認識だった。でも、魔道具の本来の使い方は、術式を記憶させる。その行為には魔力を込める必要がある。つまり、これは魔力を込める事で、魔道具としての機能が発動する術式が既に込められた。

 カルミアが魔道具に魔力を込める。するとアクセサリーが、淡く、やさしい光を帯びた。小さな紋章が空中に浮かび上がり、くるりと回転しながら、静かに術式を描き出す。


「……やった、これが正解だったんだ」


 マンドラゴラのアクセサリー……これは正真正銘の魔道具だ。


「でも、ご主人様。それってどんな効果があるんですか?」


 トレニアの問いに、カルミアは首を傾げる。

 光は灯っている。 術式も、確かに起動している。

 しかし、実感できる変化は何も起きていなかった。


「やっぱり、この結界魔法を突破するのは難しいのかも……」


 そう呟きながら、カルミアが問題の地点へ歩み寄った。その瞬間だった。

 ――ピシリ。

 まるで、硝子に亀裂が入るような音が、夜の空気を裂いた。

 結界の表面に、時空の細いひび割れが走る。それは徐々に範囲を広げていき、一本、また一本と、時空の裂け目がひろがり、やがて。


 ――バキンッ!


 張り詰めていた結界が、音もなく砕け散った。

 淡い光の破片が、夜の闇に溶けて消える。

 行き止まりのはずだった路地の奥――その先に、いつの間にか大きく古い建物が現れる。

 重々しい扉が、静かに、彼女たちを待っていた。


「ご主人様、私先に行きます」

「ちょっと待って! まだ――」


 カルミアが静止する間もなく、トレニアは先に進んでしまった。まだ安全の確保も、相手の情報も分かっていないのに……。

 トレニアの後を追いかけようと、一歩前に足を踏み出した。すると次の瞬間、恐怖と不安が一気に押し寄せてくる。

 

 ――怖い。


 自分の身に何が起こるか分からない。相手が待ち伏せしている可能性もある。罠の可能性、他にも――でも、ここで引き返したら、トレニアは、どうなるの……? 私は、また何も出来ずに……ただ――そんなの嫌だ。

 私はもう、後悔したくない! 大罪の魔女として、仕事をやり遂げるんだ!

 強い意志と共に、カルミアもトレニアの後を追う。


「トレニア、大丈夫――」


 その言葉の途中で、突風のような気配が頬をかすめた。

 次の瞬間、男の身体が音もなく宙を舞い、カルミアのすぐ隣を吹き飛んでいった。


「……え?」


 一瞬、思考が追いつかなかった。

 しかし目の前の光景に、カルミアは、思わず言葉を失った。

 トレニアはたった一人で、何十人といる屈強な男たちの集団を相手にしながら、息一つ乱さず立ち回っていた。


「す、すごい……」


 思わず、声が漏れた。

 拳と蹴りが閃くたび、屈強な身体が次々と宙を舞い、地面に沈んでいく。その奥で、様子を伺う、ひときわ体格のいい男と、その隣に立つ黒衣の男の姿が見えた。黒衣の方からは魔力を感じる。恐らく結界魔法を張ったのも、あの魔術師だろう。


「お前らっ! 女一人に、何を手こずっていやがる!」


 怒鳴り声とともに、体格の男は苛立たしげに舌打ちする。

 どいつもこいつも役立たずばかりだ……。

 ――その時。

 男の視線が、ふとこちらに向いた。


「……え」


 冷たい目が、まっすぐ、私を捉える。

 ふっ……なんだ、ひょろひょろじゃねぇか。

 弱そうな獲物を見つけた獣のような笑みを浮かべ、体格の男は剣を引き抜いた。


「おい、次はそっちだ」


 地面を蹴り、一直線にこちらへ迫ってくる。


「ご主人様っ!!」

「……っ!」


 身体が強張り、息が詰まる。


「もらったぁぁぁ!!」


 剣が振り上げられた――


「……やっと見つけたわ」


 凛とした声が、頭上から降ってきた。

 次の瞬間、風を切る音とともに、蒼い影が空から舞い降り、私の前に着地する。それと同時に剣と剣が激しく打ち合い、甲高い金属音とともに、火花が散った。


「なっ!? 俺の剣を……止めた、だと?」

「カルミアちゃん、ケガは無い?」


 目先に立っていたのは、蒼いドレスを纏う、嫉妬の魔女アネモ・プランダだった。


「ア、アネモさん!? どうしてここに……!」

「説明は後よ……先に、悪党を片付けるわ」


 その真剣な眼差しは、体格の男に向けられた。


「ちっ……女が、調子に乗りやがって……ん?」


 ボスは鼻で笑い、アネモの剣を見て眉をひそめた。


「なんだ、その剣……まるで、氷じゃねぇか」

「さっきから……女、女って……」


 アネモの瞳が、すっと細くなる。


「……舐めないでよぉぉぉっ!!」


 踏み込んだ一歩と同時に、凄まじい衝撃が走る。


「ぐっ……!?」


 アネモの力に巨体が、ずるりと後退した。


「クソがぁぁぁぁ!!」


 体格の男が再び地面を蹴り、アネモ目掛けて一直線に迫った。


「――剣技、氷結の霧(フローズンミスト)


 アネモが低く呟いた瞬間。

 足元から白い霧が噴き上がり、一気に氷が広がっていく。


「な、なんだ、これ……!?」


 男の叫びと同時に、下半身が瞬く間に凍りつき、地面に縫い止められた。


「おいっ魔術師! てめぇの魔法で何とかしろっ!」

「言われなくても、分かっているさ! こんな氷、俺の炎で溶かしてやるよっ!」


 魔術師の男が詠唱を唱え始める。


「燃え盛る炎よ、全てを焼き尽くし、灰と化せ! 焼却(バーニング)!」


 その場には沈黙だけが漂った。


「……なっ……!? 魔法が……発動しない……!?」

「どおりゃぁぁぁぁ!!」


 横から飛び込んできたトレニアの回し蹴りが、魔術師の顎を正確に捉えた。


「ぐえっ……ふん……」


 身体が宙を舞い、そのまま壁に叩きつけられて、動かなくなる。


「……さあ」


 アネモが、静かに体格の男を見下ろす。


「残るは……あなただけよ?」

「や、やめろ……やめてくれ……!」


 必死にもがくが、氷はびくともしない。


「女を甘く見ると……痛い目に合うわよ?」

「ああああああああ!!」


 断末魔とともに、氷がさらにせり上がり、体格の男の身体は、完全に氷漬けになって動かなくなった。


「ふう、これで一件落着ね。トレニアちゃんは、ケガとかしてない?」

「はいっ! 大丈夫です!」


 全く予想もしていなかった状況に、カルミアは思考が追いついていない。


「……カルミアちゃん」


 優しく名を呼ばれたと思った瞬間、アネモは迷いなく歩み寄り、勢いよくカルミアを胸に抱き寄せた。


「よく頑張ったわ、偉いわよ……」


 その言葉と温もりに、今まで必死に堪えていたものが一気に溢れそうになる。

 震える指が、無意識にアネモの背中を掴んでいた。

 言葉を出そうにも、胸の奥がじん、と熱くなって、出すことが出来なかった。


「……そろそろ、夜明けですね」


 窓の向こうから差し込んだ淡い光が、二人の肩をそっと包み込み、長い夜の終わりを静かに告げていた。そして、カルミアは……また一つ、前に進んだ。

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