Episode4 身辺調査の地にて
「あの、その……本日はどういった御用で……」
「そう焦るな。ゆっくり紅茶も飲めないだろう?」
カルミアが外出から戻ると、家の中にはロベリアの姿があった。
トレニアに出された紅茶を優雅に口に運び、まるで最初からここに住んでいたかのように、当然の顔でくつろいでいる。
「デルフィニウム様、おかわり、いりますか?」
「頂戴しよう」
トレニアは慣れた手つきでカップに紅茶を注ぐ。
メイド姿の使い魔と、豪奢な衣装の成金魔女。
どこかの貴族の応接間のような、不思議な光景だった。
「今日は、お前に仕事を持って来てやった。感謝するんだな」
「えぇ……あの、私、仕事は……あまり、したく……」
言い終わる前に、乾いた音が室内に響いた。
ロベリアが、カップを受け皿に強く置いたのだ。
「ひぃっ!」
反射的に肩が跳ね、身体がすくむ。
「その、私は……あまり戦闘向きでは無いので、仕事もロクにこなせる自信が、ないです……」
そう言いながら、カルミアは無意識に指先を絡め、身体を縮こまらせた。
視線は床に落ち、声は喉の奥で消え入りそうだった。
「今回は簡単な仕事だ。お前には身辺調査をしてもらう」
「……身辺、調査?」
ロベリアは紅茶を一口含み、わざと一拍置いてから言葉を続ける。
「商業都市ペディランサス。引きこもりでも、名前くらいは聞いたことがあるだろう?」
ペディランサス……。
確か、以前にアネモさんが旅行に行った場所だ。
「名前だけなら……」
カルミアは目を泳がせ、小さく答えた。
「ペディランサスは黒い噂が絶えない地域だ。最近では、使徒に関する情報も出ている」
その一言で、血の気が引いた。
「噂の背景に使徒も関与している場合、かなり厄介な事になる」
「……あの、ロベリアさん」
カルミアは両手を胸の前でぎゅっと握りしめた。
「全然簡単じゃないです。むしろ責任が重すぎます……無理です」
「……本気で言っているのか」
ロベリアの声が、低く沈んだ。
「別に構わない。強制はしない……だが、お前はもっと、自分の立場を理解する必要がある」
鋭い眼差しが、逃げ場なく突き刺さる。
ひどく胸の奥が苦しくなる。でも――それでいい。私は……何も、出来ないから。
「ちょっと待ってください!」
重苦しい沈黙を破るように、トレニアが声を上げた。
「その仕事、私たちが請け負います」
「トレニア、勝手に決めないでっ……!」
思わず声を荒げてしまって、はっとする。
慌てて口を押さえ、そのまま俯いた。
高ぶった感情と分かってもらえない悔しさが胸いっぱいに込み上げてくる。
そんなカルミアのそばへ、トレニアはそっと一歩だけ近づいた。少しの沈黙のあと、静かで、いつもより落ち着いた声が響く。
「ご主人様が、全てを一人で背負う必要はありません。たまには……私を頼って下さい」
その言葉に思わず顔を上げると。
トレニアは微笑んでいた。いつもの明るい笑顔ではなく、少しだけ真剣で、少しだけ不安そうな。それでも、まっすぐこちらを見つめる、優しい表情で。
「トレニア……」
私には、寄り添ってくれる相手がいる。もう、一人じゃない。
気づかないうちに、涙が頬を伝っていた。
「ロベリアさん……私たちに、やらせてくださいっ……!」
時計の針の音だけが、やけに大きく聞こえた。誰も、すぐには口を開かなかった。
やがてロベリアは静かに立ち上がり、玄関へ向かう。
「あの、待ってください。私――」
「明日、出発しろ。宿は私の方で手配しておく……くれぐれも、報告を忘れるな」
それだけ言い残し、扉は閉まった。
「あの……先ほどは、勝手な事をしてしまい、申し訳ございません」
「そんな……謝るのは私の方だよ。ごめん」
「ご主人様……一緒に、やり遂げましょう!」
トレニアの言葉に、胸の奥が少しだけ軽くなる。
――大丈夫、私は一人じゃない。
◇ ◇ ◇
翌日、二人は商業都市ペディランサスを訪れていた。
城壁をくぐった瞬間、景色が一変した。
石造りの建物が幾重にも連なり、見上げるほど高い商館の窓から、色とりどりの布が垂れ下がっている。中央広場には人波が渦を巻き、荷車と馬車が絶え間なく行き交っていた。
「ほえー、大きな建物だらけですよー」
「流石、商業都市……景気が良さそうだね」
……なんだか、明るすぎて落ち着かない。
カルミアの服装は、目立たぬように選んだフード付きのロングコート。隣を歩くトレニアは、いつもと変わらぬメイド姿。
少しだけ浮いている気もしたが、それをかき消すほど、街は賑わっていた。
様々な出店から漂う甘い香辛料と、焼き油の匂いが入り混じり、熱気を含んだ空気が肌にまとわりつく。
「早く宿に行きたい……ねえトレニア、方角はこっちであってるの?」
「ほうでふね、だいたいあっていまふよ」
「……何食べるの?」
そう問いかけて、ようやく気づいた。
トレニアの両手には、屋台で買い込んだであろう料理が山ほど抱えられていた。
串焼き、揚げ物、包み紙にくるまれた菓子――その隙間から、さらに何かを頬張っている。
「……いつの間に、そんなに」
「ご主人様も食べますか?」
「私はいいや……空気でお腹いっぱい……」
「そうですか? では、こちらを差し上げます」
トレニアは服のポケットから、身に覚えのあるアクセサリーを取り出した。
「名物、マンドラゴラのアクセサリーです! これでお揃いですよっ!」
「あはは……ありがとう」
正直、あまり欲しくないんだけど。
それでもカルミアは、トレニアから渡されたアクセサリーをそっと指先でつまみ、太陽の光にかざして眺めた。
すると、ある違和感を覚えた。同じアクセサリーなのに、どこか違って見える。
思考を働かせようとするが、あちこちから笑い声や値段交渉の声が飛び交い、意味も分からない言葉まで耳に入り込んでくる。頭の奥がじんわり熱くなって、考えが追いつかない。
知らない人の視線が、次々と肌に突き刺さる。それだけで、胸の奥がきゅっと縮んだ。
「ご主人様っ! 私、昨日の夜に、知識をしっかりと頭に叩き込んで来ました! 聞いてくれますか?」
「えぇ……まあ、歩きながらね」
「コホンッ。では――」
――商業都市ペディランサス。各国の商人が集う三大都市の一つで、世界に流通する品のほとんどがここに集まると言われている。そのため貴族にも重宝され、街は常に富と人で溢れている――。
「――と、書物に書いてありました!」
「それ……家にあった書物だよね。私も知ってる内容だった……」
思わず苦笑しながら歩いていると、ふいにトレニアの足が止まった。
「……あっ!」
トレニアの視線の先には、きらきらと光を反射する小さな露店。
そこは、色とりどりのアクセサリーを並べた出店だった。
「見てください、ご主人様! 綺麗なブレスレットですよ!」
トレニアは目を輝かせ、露店に並ぶ宝石やアクセサリーに顔を近づけていた。
「……値札、見て」
「えーっと……金貨三十枚!? これ一つで三年は暮らせる金額です!」
「目を隠して歩こう」
「そうですね、ご主人様」
二人は思わず顔を見合わせ、そっと視線を逸らした。
それからは、誘惑に引き寄せられないよう、できるだけ屋台や店先を見ないようにして歩いた。
足早に人波を抜け、ただひたすら、地図に書かれた道のりだけを追う。
気づけば、賑やかだった通りはいつの間にか遠ざかり、空の色がゆっくりと茜から群青へと沈み始めていた。
「……やっと、着いた……」
何度も曲がり角を確かめながら、ようやく目的地にたどり着く。
「貰った地図と名前からすると……ここ、みたいですね」
そこにあったのは、都市の路地裏にひっそりと佇む、小さな宿だった。
高い建物に挟まれて陽の光はほとんど届かず、石壁には湿った苔が広がっている。看板は色あせ、文字も半分ほど読めなくなっていた。
その薄暗さに、思わず足が止まる。
カルミアの肩から、重たい荷袋がするりとずり落ちた。
「すみませーん、誰かいませんかー?」
返事はない。
奥から風が抜ける音だけが、ひゅう、と低く響いている。
「なんか……薄気味悪い……それに、少し寒いような……」
「そうですか? 私はむしろ、暖かく感じますよ?」
「えぇ……」
同じ場所にいるはずなのに、感じ方がまるで違う。
宿にしては、やけに狭い廊下……ただの一軒家みたいな……。
「ねぇトレニア――」
違和感の正体を確かめようと、カルミアはゆっくり振り返った。
――その瞬間だった。
トレニアの背後、ほんの数歩先。闇の中から、皺だらけの顔が、ぬっと覗き込んでいた。
白濁した目が、まっすぐこちらを見つめている。
「……」
声にならない悲鳴が、喉で引っかかった。
「で、ででで出たぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
次の瞬間、視界が真っ白に弾ける。
――ばたり。
「ご主人様!? しっかりしてください! こんな所で寝たら、風邪引いちゃいますよー!」
倒れ込んだカルミアの身体を、トレニアは肩を両手でぎゅっとつかみ、壊れそうなほど勢いよく前後に揺さぶった。
「おやぁ大変だね」
「うおっ! 誰ですかあなたは!」
背後から、のんびりした声が降ってきた。
「ワタシかい? ワタシはねぇ……この宿の主じゃよ」
「なんと! 宿主様でしたか!」
「ほれほれ、早くその子をベッドに寝かせてあげな。顔色、真っ青で泡を吹いとるぞ」
「あ、ああっ! ご主人様ぁぁぁ!!」
◇ ◇ ◇
――……さま、ご主人様……!
……トレニア……?
ぼんやりとした意識の底で、聞き慣れた声が揺れている。
……あれ、私……どうしたんだっけ……ああ、そうだ。宿に来て……お婆さんが……お婆さん?
「……っ!? 勝手に入って、ごめんなさい! 成仏してください!」
勢いよく上体を起こし、思わず叫んだ。
「ご主人様!」
「……トレニア? それにここは……」
「良かったぁ……てっきり、死んでしまったのかとっ」
「勝手に殺さないでよっ!」
胸を押さえて息を整えながら、ようやく状況を思い出す。
……そうだ。背後から、あの……顔が出てきて……。
「……」
反射的に、きょろきょろと部屋を見回した。
良かった……無事に成仏してくれたみたいで――
「やっと目を覚ましおったか、もう夜が明けるぞ」
勢いよく開いた扉の先には、あのお婆さんの姿があった。
「ひぃっ! ま、まままだ成仏していなかった……っ」
「勝手に殺すでないっ! ワタシはまだ生きとるわっ!」
「……おばけじゃないんですか……?」
彼女の言葉に啞然とするカルミア。
「ご主人様、こちらの方は宿主様ですよっ!」
「宿主!? す、すすすみませんっ! 失礼な態度を取ってしまいましたっ!」
叫ぶなり、カルミアは反射的にベッドの上にひざまずき、ばふっと音を立てて布団に額を押しつけた。
それは黄金比を思わせる美しい形だった。
「別に構わん、ワタシも歳じゃ。それに……お前さんたちが、あの子が言っていた、魔女か」
「……っ!?」
一瞬、息が詰まった。
心臓が跳ね上がり、思わずトレニアの方へと視線を向けてしまう。
――どうして、この人が……私たちの正体を。
「驚いて顔をしとるな。ロベリアはワタシの知り合いじゃ。事情はすべて聞いとる、気を楽にせい」
「……ありがとうございます。その、えっと……お名前を、伺って、もよろしいでしょうか……」
「ワタシかい?」
老婆はそう返すと、ふう、とひとつ深いため息を吐いた。
「アリイ・オハイ……ただの、しがない宿主じゃよ」
その名を聞いた瞬間、記憶の奥で、小さく何かが弾けた。
――聞いたことがある。
オハイが場を去ろうとした時、その背中に向かって、カルミアは思わず声を上げていた。
「ま、待ってください……!」
自分でも驚くほど、声が上ずっていた。
数日前の記憶が、はっきりとよみがえる。
◇◇◇
「おお! マンドラゴラのアクセサリーですか! キモカワですねぇ~!」
「……え?」
「おや、後ろに小さく名前も彫られています! いやぁ~プランダラ様、なかなかセンスがありますね! 今度お会いした時は、是非ともお喋りしたいです!」
◇◇◇
――そうだ。
あのアクセサリーに刻まれていた名前。
ゆっくりと息を吸い込み、震えそうになる声を押さえながら、カルミアは問いかけた。
「間違っていたら、すみません……。もしかして、マンドラゴラのアクセサリーを、作られた方……ですか?」
一瞬の沈黙。
オハイは、足を止めたまま、わずかに肩越しに振り返った。
「それはワタシが作った、魔道具じゃな」
「「ま、魔道具っ!?」」
二人の声が、見事に重なった。
「あああ、アレって魔道具だったんですかぁ!?」
「てっきり、ただの飾り物かと……」
だって、アネモさんも「アクセサリー」って言ってたし……。
「ただし、本来の使い方を知らんと、そこら辺の飾り物と変わりない。それに、アレは趣味で作った魔道具じゃ。ワタシには、価値があるとは思えんがな」
オハイは言葉を残し、部屋を出て行った。
「ご主人様、以前に書物で読んだのですが。魔道具は魔力を持つ者しか作れないんですよね?」
「うん……正確に魔力と技術を兼ね備えた人だけど……」
でも、あの人からは魔力を一切感じなかった。それに魔道具も魔力を纏っているから、多少なりとも魔力を感じ取れるのに、あれには魔力を感じなかった。
「なんか気になる事を言ってましたよね。本来の使い方を知らんと、そこら辺の飾り物と変わりない……って」
トレニアはわざと声を低くし、オハイの口調を真似しながら言った。
「よく分からないけど……とりあえず、私たちは私たちの仕事をこなさないとね」
「ですねっ!」
カルミアはベッドから降り、机の上に畳まれたコートを羽織る。
「今日は街の全体を確認しよう。裏路地とか、メモしながら探索しようと思う」
「了解ですっ!」
ここからが本当の仕事、大罪の魔女としての初の単独(使い魔あり)任務……。
――私なんかに出来るのかな。
不安は消えなかった。それでも、立ち止まる理由にはならなかった。
カルミアはトレニアと視線を交わし、静かに宿の扉を開いた。




