Episode26 オルフェンの魔法
アイリスたちが勝利の余韻に浸っていた、その頃――セシルたちは文字通りの地獄を見ていた。
「はあ……はあ……っ」
「ふふっ。あらあら、もう息を切らしてるの? 情けないわねぇ、坊やたち」
訓練開始から、三十分以上が経過している。
地面には炎によって焦げた跡や、水魔法によって濡れた芝生が点々と残っていた。それだけ二人が攻撃を繰り返した証拠だ。
にもかかわらず、その中心に立つオルフェンだけは、服の裾一つ乱れていなかった。
セシルとルシアンに与えられた課題は、至って単純。
「私の身体へ、一度でも触れること。攻撃魔法で怯ませてもいいし、拘束してもいい。二人で挟み撃ちにしても構わないわ」
さらにオルフェン自身から『その場から避けない、防御魔法も使わない』という条件まで提示されている。普通に考えれば、圧倒的に二人が有利なはずだった。
だというのに――未だ一度たりとも、指先すら届いていない。
「へっ……まだまだ、これからだぜ!」
過度の魔力消費により、息を切らしながらも、セシルは強がるように口角を上げた。
「熱いわねぇ。そういう男の子、嫌いじゃないわよ」
「気色悪いこと言ってんじゃねえ!」
言い返しながら、セシルは自分の中に残された魔力を探る。
「(……けど、マジでまずいな)」
魔力は残り僅か。
ここまで小、中規模の火属性魔法を何度も放っている。このまま同じことを繰り返しても、先にこちらの魔力が尽きるだけだ。
「俺は一か八かの賭けに出るぜ」
セシルが右手を前へ翳し赤い魔法陣が展開される。
「ベイビー、何をするつもりだい?」
ルシアンの表情が変わった。
周囲の空気が熱を帯び、魔法陣へ注ぎ込まれる魔力の密度が、これまでとは明らかに違っていた。
「決まってんだろ」
セシルが不敵に笑う。
「俺の持ってる中で、一番デカいのをぶち込む!」
「ちょっと待ちたまえ! 今の魔力量でそれを撃てば、ほとんど空になる! それに……その威力は訓練で使うものじゃ――」
「アイツが言ったんだろ。何でもありだって」
「限度というものがあるだろう!」
「知るか!」
魔法陣が眩い赤光を放つ。
火炎が渦を巻きながら一点へと集まり、巨大な砲口のような形を作り出した。
「一泡吹かせてやる……喰らいやがれ――! 極炎砲!」
凝縮された灼熱の奔流が解き放たれた。
轟音とともに火炎が一直線に訓練場を駆け抜け、そのままオルフェンの姿を飲み込む。
ドォォォン――!
「っ……!」
爆風が吹き荒れ、二人は思わず腕で顔を覆った。視界が炎と煙に埋め尽くされる。
「……どうだ!」
肩で息をしながら、セシルは煙の向こうを睨みつける。やがて煙が晴れていくと、奥から人影が薄っすらと浮かび上がって来た。
「なかなか良い火力じゃない」
「――っ」
そこには、先ほどと変わらぬ姿のオルフェンが立っていた。
傷一つない。それどころか、楽しそうに頬へ手を添えている。
「ちょっと惚れそうになっちゃったわ」
「……化け物かよ」
セシルは呆然とした。
「(ありえねえ……あの魔法は、少なくとも正面から防御魔法で受け止めきれる威力じゃねえ。しかもあいつ――本当に防御魔法を使ってないのか?)」
答えが出る前に、オルフェンが小さく笑った。
「坊やたち、少し無茶しすぎよ。時には休息も必要ね」
するとオルフェンは、まるで指揮者の様に両手を構え、低く、深い声で唱えた。
「低音域」
「――ぐっ!?」
その声を耳にした瞬間。セシルたちの全身へ、見えない重石がのしかかった様に負荷を実感する。
「な、なんだこれ……身体が……!」
膝が折れ、耐え切れず、両手を地面についた。隣にいたルシアンも同様に膝をつく。だが表情だけは変えず額に汗を流しながらもキープし続けている。
「はは……これは、なかなかハードだね。身体そのものが重くなったみたいだ。立ち上がるだけでも……骨が折れるよ」
「丁度いいわ。坊やたちに、ちょっとした座学をしてあげる」
オルフェンは言葉を紡ぎながら、指揮棒でも握っているかのように両手をしなやかに動かしていた。手首を返し、指先で拍を刻む。その一挙一動は、まるで目の前に存在しない楽団を率いているようだった。
「私の扱う音魔法は、一般的な五大属性のどれにも属さない――無属性魔法」
オルフェンは微笑む。
「幼い頃は散々言われたものよ。――でも私は、この魔法だけでここまで来た」
オルフェンが指を鳴らす。
カン――。澄んだ音が、その場に響いた。
「属性が珍しいから、魔力が多いから強いわけじゃない。大切なのは自身の力を、どこまで理解して使いこなせるかよ」
オルフェンが両腕を広げ、その状態で動きを止めた。
「さて。坊やたちに、私の壁を越えられるかしら?」
トン、トン。
足先で地面を叩き、一定のリズムを刻み始める。それに呼応するように空気が震えた。オルフェンは再び指揮をとり、熱はクライマックスに達した。
「そろそろフィナーレのお時間よ!」
同時にオルフェンの背後に、巨大な魔法陣が広がった。
「――絶対楽章」
すると、その魔法陣からは、大小さまざまな楽器が彼の背後へ次々と浮かび上がった。ピアノ、ヴァイオリン、チェロ、トランペット――。
しかし、それらに実体はない。半透明の魔力によって象られた、音の幻影。誰も触れていないというのに、それぞれの弦が震え、鍵盤が沈み始める。
「なんだよ……あれ」
「実に美しい演奏じゃないかっ」
「感動してる場合か!」
オルフェンが指揮を振り上げる。
「中高音域――&、低音域」
それが振り下ろされると同時に、正面から強烈な衝撃が叩きつけられる。
ドン――!
「ぐあっ!?」
二人は背後の結界へ身体を打ち付けられた。
「二つ同時に!?」
「私の絶対楽章は、一度構成した音魔法を一つの楽譜として記録するの」
オルフェンの背後で、幻影の楽器がそれぞれ異なる旋律を奏でる。
「楽譜へ書き込まれた魔法は、私自身が一つずつ術式を組み直す必要がない。指揮さえすれば――」
再び指揮が振り下ろされると、まったく同じ状況で瞬時に発動された。
「この通り、異なる魔法を一つの演奏として同時に発動できるわ」
「んなのぉ反則だろ! ……くそ」
遠距離と広範囲に特化した魔法。何か解決策を考えねえと、一方的に攻撃される。それに――攻撃魔法すら、どういう方法か分からねえまま、無効化されてる。
「どうやら、僕の出番みたいだね……ベイビー」
「お前、何か策でもあんのか?」
「もちろんさ。彼の演奏と僕の美が干渉する事で、より僕の美しさが際立つっ!」
「黙れよ」
ちくしょう……なんで俺はこんなやつと訓練を……。演奏と干渉した所で――干渉? そういや、以前どっかで音魔法について聞いたような……。
セシルの脳裏に、ある記憶が蘇る。それは騒動事件の当日、講義の時だった。
◇ ◇ ◇
―― 休符。
――これは音魔法と言って、周囲の音に干渉する事が出来る魔法ですよ。
――座学でも理論さえ理解していれば、無詠唱で展開できますよ。
◇ ◇ ◇
そうか、音魔法の原理は周囲の音に干渉する事。つまり、音との干渉を断てば攻略できる!
「おい、ルシアン」
「なんだいベイビー?」
「お前の発想、悪くなかったぜ」
セシルは自分の両耳に手を当て、奇妙な行動をする。だがそれは、解決への糸口だった。
「音の干渉を防ぐ。そうすりゃあ、音魔法は効果を発しない!」
「なるほど、ものすごく単純な方法だけど。即効性は有りだね」
二人は耳を塞いだまま、オルフェンの元へと走った。
結論、この行動は正しかった。完全ではないものの、魔法の影響を軽減可能とした。その状態で一気に懐まで距離を縮め、腕を振り下ろす前にタッチする。その作戦は有効に思えた。
しかし、一点だけ見落としていた。それは――。
「甘いわね」
ドゴッ!
「ぐえっ!?」
オルフェンの長い脚が、セシルの腹部へ叩き込まれた。身体は勢いよく吹き飛び、防護結界が淡く発光する。
「ベイビーっ!」
「近距離戦に持ち込まれるなんて、想定の内よ」
「がはっ……!」
ルシアンもまた、腹部へ強烈な一撃を叩き込まれる。防護結界が淡く発光し、二人は元居た場所へと戻されてしまった。
あと一歩まで迫った。だが、自分らは遠距離攻撃=近距離が苦手だと、勝手に思い込んでいた。それが仇となった。
「誰も反撃しないなんて言ってないんだから、反則とか言わないでよね」
オルフェンは優雅に脚を下ろした。
セシルは腹を押さえながら起き上がる。ダメージ事態は結界が肩代わりをしているが、それでも衝撃は大きい。
「ダメだ……これでは勝てない」
「おい。まだ魔力残ってんだろ?」
「……何をするんだい」
セシルはルシアンに耳打ちで作戦を話す。
「――どうやら、血迷ったみたいね」
ルシアンは魔法陣を構成する。青く輝く魔法陣に残りの魔力、全てを乗せた最大の魔法。
「これで良いんだよね、ベイビー!」
「ああ、任せろ!」
「じゃあ行くよ! 水槍!」
巨大な水の槍がオルフェンへ向かう。
それを迎え打とうとするオルフェンが息を吸う。
「中高音域――!」
「今だ!」
セシルも魔法陣を展開する。
「火球!」
ただし、狙ったのはオルフェンではない。ルシアンの巨大な水の槍だった。火と水の魔法が正面から衝突した。
ジュワァァァ――! それは互いに相殺し、猛烈な蒸気が発生する。周囲一帯が一瞬で白い霧に覆われた。同時にオルフェンの視界から二人の姿が消える。
「(なるほど、水蒸気で目隠しね。考えたじゃない)」
だが、慌てる様子はない。
「(でも残念。私には必要ないのよ――視界なんて)」
オルフェンが静かに目を閉じる。
視界を奪われても、周囲に響く音さえあれば位置は分かる。
――タッ、タッ、タッ!
左側から足音。
「そこね!」
オルフェンが一瞬で振り向き、白い蒸気の向こうへ蹴りを放つ。
「がはっ!」
蹴りは確かに命中した。だが――。
「引っ掛かったね」
地面へ倒れたのはルシアンだった。腹部を抑えながら、その場に立ち上がる。
「正解は――あっちだよ。ベイビー!」
「――!」
オルフェンが反対側を向く。瞬間、白い蒸気の中から一つの拳が現れた。
「俺たちの――勝ちだ!」
ゴンッ!
セシルの拳が、オルフェンの頬を真正面から捉えた。同時に、周囲を覆っていた防護結界が淡く輝き、その役目を終えたように消えていく。
――数秒後、オルフェンがゆっくりと顔を戻した。
「……見事だったわ」
「へっ」
セシルが得意げに笑う。
「でも、一つだけ教えて頂戴。音を立てずに、どうやって近づいたの?」
「前に講義で、音魔法を見たことがあってよ。残りの魔力で俺の周囲の音を消した」
「まあ、僅かな魔力で、持続と範囲は賭けだったけどね。ベイビー」
オルフェンは少しだけ目を見開いた。
水蒸気で視界を奪い、ルシアンがわざと足音を立てて、自分の位置を誤認させる。そしてセシルだけが、自らの足音を消して反対側から接近する。
「――合格よ」
「よっしゃ!」
「当然の結果さ」
二人がそれぞれ喜びを見せる。
「ただし」
オルフェンの笑顔が、僅かに深くなった。
「私は『身体に触れれば合格』とは言ったけど――顔面を殴っていいなんて、一言も言ってないわよ?」
「……え」
「低音域」
ズンッ!
「ぐおおおおっ!?」
セシルの身体が再び地面へ沈み込む。
「ご、ごめんなさい! 調子に乗りました!」
「あらぁ。素直な子は好きよ♡」
「だったら解除しろぉぉぉ!」
その様子を眺めながら、ルシアンは優雅に髪をかき上げた。
「ふっ……戦いの後に芽生える師弟の絆。実に美しいね、ベイビー」
「勝手に締めてんじゃねぇぇぇよぉぉぉ!」
こうして――セシルとルシアンもまた、少々痛い代償を払いながら、最初の訓練を突破した。




