Episode27 使命
同時刻、実戦訓練を終えたアイリスたちも、最初に集合した場所へと戻ってきた。
そこで真っ先に目に入ったのは、芝生の上に座り込み、見るからに疲弊しているセシルの姿だった。制服はあちこち土埃にまみれ、髪も乱れている。先ほどまで余程激しい訓練をしていたのだろう。
それを見るなり、アイリスは呆れたように口を開いた。
「あんた、またコテンパンにやられてるの? ほんと懲りないわねえ」
「うるせえ! てか負けてねえし!」
「へえ? 魔力もほとんど残ってないみたいだけど?」
「てめえ、いい加減に――」
「はいはい。二人とも、喧嘩は後にしなさい」
二人の間へ割って入ったのは、オルフェンだった。
「まだ授業中よ?」
「ちっ……」
オルフェンは呆れたように息を吐くと、腰に提げていた小さな鞄から二本の瓶を取り出した。
透明な瓶の中では、鮮やかな青色の液体が揺れている。
「ほら、坊やたちはこれを飲みなさい」
セシルとルシアンへ、それぞれ一本ずつ手渡した。
「魔力回復用のポーションよ。まだまだ授業は続くんだから、ここで魔力切れなんて起こさないで頂戴」
「マジかよ……」
瓶を受け取ったセシルの顔が、一瞬で引きつった。
「俺、昔これ飲んだことあるけど……クソ不味いんだよな」
「それくらい我慢して飲みなさい。男・の・子でしょ?」
その様子を見たアイリスが、わざとらしく同情する。
「あらら~。かわいそうねえ」
「あ? だったらお前も飲めよ!」
「一応、アイリスくんたちの分も用意してありますよ」
フローレンスが予備の瓶を差し出す。しかしアイリスは、即座に片手を前へ出した。
「大丈夫です。必要ありません」
先ほどの実戦では確かに大技も使用したが、魔力にはまだ余裕が残っている。何より、セシルの反応を見れば、その味がどれほどのものなのか嫌でも想像できた。
「ウチはちょっと飲んでみたいかも!」
横からミネットが興味津々といった様子で、青い瓶を覗き込む。猫耳は期待するようにぴんっと立っていた。
「やめとけ、マジでクソ不味いぞ」
セシルが真顔で忠告した。
「そんなに?」
「ああ……薬草と泥水を混ぜて煮詰めて、それを五年間常温で放置したみてえな味だ……」
「なに、その例え……」
「経験者の俺が言ってんだ。間違いねえ」
「五年間放置した泥水を飲んだ経験があるの?」
「そういう意味じゃねえよ!」
セシルは観念すると、瓶の蓋を開けた。
「……くそっ。いくぞ」
覚悟を決め、一気に中身を飲み干す。
「――っ……まっず!」
セシルは顔を歪め、舌を出す。
一方のルシアンは、青い液体の入った瓶を夕日に透かしながら、どこか感心した様子で眺めていた。
「この透明感……僕の美しさを引き立てるには、なかなか悪くない色だね」
「……地獄を見るぞ」
「美を追求する者が、飲み物一つに怯えるとでも?」
ルシアンは優雅な手つきで蓋を開け、一口。
「なるほど。これはまさに天上の――ウロロロロロロッ!」
「おいっ!? ここで吐くんじゃねーよ!」
「ははっ、ベイビー。僕ほど美しい男が吐くわけなウロロロロロッ!」
あまりにも惨たらしい光景に、アイリスは静かに顔を背けた。
「……絶対飲まない」
「ウチもやめとこうかな……」
先ほどまで期待に満ちていたミネットの耳も、いつの間にかしょんぼりと伏せていた。
フローレンスは苦笑しつつ、手を叩く。
「少し休憩を取ったら、訓練を再開しますよ」
フローレンスはアイリスとミネットへ目を向ける。
「アイリスくんは、味方と連携しながら魔法を使用する際の判断力。ミネットくんは、魔法の基礎と自身の身体能力を組み合わせる訓練が必要ですね。ここからは苦手な部分を埋めていきましょう」
「「はいっ!」」
二人は息を合わせて返事をした。
「じゃあ坊やたちは、まず腕立て伏せからスタートね」
「なんで俺たちだけ筋トレなんだよ」
オルフェンは腰に手を当て、胸を張る。
「筋肉は嘘をつかないのよ!」
「魔法は!? 俺たち、魔法を学ぶために――」
「魔術師だって、最後に頼れるのは自分の身体よ」
そう言って、オルフェンは自分の逞しい腕を軽く叩き、にっこりと笑う。
「筋肉があれば、物理的な攻撃にだって多少は耐えられるわよ」
「どんだけ筋肉に信頼あんだよ」
「ははっ、ベイビー。これくらいで根を上げていたら、美の高みには程遠ウロロロロロッ!」
「お前は一旦落ち着いてから喋れ!」
そんな騒がしいやり取りを最後に短い休憩時間へ入った。ある程度、魔力と体力がある程度回復したところで、実戦訓練は再開される。
今度は先ほどのような模擬戦ではなく、攻撃から防御への切り替え。複数人での連携。周囲の状況を確認しながら魔法を使用する訓練。そして、限られた魔力で長時間戦い続けるための出力調整。
予期せぬ危険に遭遇した際、自分自身の命を守り、可能であれば仲間とともに生還するための力だった。
やがて空が橙色へ染まり始めた頃、長かった一日の実戦訓練にもようやく終わりが訪れた。
『――本日の訓練は、これにて終了とする』
訓練場全体へ、教師の声が響く。
『各自、今日の訓練で明らかになった課題を整理しておくように。また第二学年の次回訓練日は三日後じゃ。それまでは通常授業へ戻る。十分に身体を休めておくように。以上』
「やっと終わったぁ……」
あちらこちらから安堵の声が漏れた。
生徒たちは疲れ切った身体を引きずりながら、徐々に訓練場を後にしていく。教師たちも使用した魔道具や訓練器具を回収し、防護結界の解除や損傷した地面の確認へ取りかかっていた。
ほんの数日前、魔獣の群れによって混乱へ陥った学園。校舎には今も補修途中の場所が残り、警備の人数も以前より増えている。
それでも、生徒たちの笑い声が響き、教師たちが授業を行い、一日が終われば皆が帰路につく。
少しずつ、いつもの学園へ戻りつつある。生徒たちの目には、そう映っていた。
「(そういえば、あの時――先生が使った魔法って何だったんだろう……)」
◇ ◇ ◇
人気のなくなった校舎は、昼間とはまるで別の場所のように静まり返っていた。西日が長い廊下を赤く染め、窓枠の影を床へ細長く伸ばしている。
フローレンスは一人、窓際に立っていた。
「……」
窓越しに見えるのは、沈みゆく夕日。
その視線は景色を眺めているようで、どこか別の場所を見つめているようにも見えた。
「――アザミ」
突然、背後から声が響いた。
足音いや、気配すら感じなかった。それでもフローレンスは驚くことなく、窓の外を見つめたまま答える。
「……教師は全員、帰りましたよ」
「古い友人の肩を持つのは構わない」
相手はフローレンスの話には一切耳を傾けず、話を続けた。
「だが、私たちの本来の目的を忘れるな。生徒たちにも情を抱く必要は無い」
「分かっていますよ」
先ほどまで生徒たちへ向けていた柔らかな声とは違う。低く、静かで冷たい声音。アザミはゆっくりと振り返る。
「だからこそ、彼女には今も調査を続けてもらっています。使徒の行方、それと――あの件も」
「……ならいいわ」
廊下を夕闇が少しずつ覆っていく。
「使徒たちも動き始めている。ここを襲撃した目的は分からないけど、確実にその日は近づいているわ」
「ええ……」
声の主は窓辺へ歩み寄り、フローレンスと同じように沈みゆく夕日へ視線を向けた。
「是が非でも、使徒より先にノアの箱舟を見つけ出す」
その人物の瞳から、先ほどまで生徒たちへ見せていた柔和さが完全に消えた。フローレンスの表情にも、僅かな緊張が走る。
「それが私、愚者に与えられた使命よ」
沈みかけた夕日が、二人の姿を赤く染める。フローレンスは静かに頷くと、その名を呼ぶ。
「ええ……もちろんです――オルフェン」




