Episode24 戦いの最中
フローレンスは後ろを振り向き、数歩離れた所で「あっ」と声を漏らした。何かを思い出したのか、アイリスたちの方へ身体を戻し、口を開いく。
「一つ言い忘れていました。僕に一度でも攻撃を当てるまでは、この形式で訓練を続けます。条件を達成できたら、次の段階へ進みましょう」
話を終えると再び歩き出し、また数歩進んだ所で、アイリスたちの方を振り返る。
「ちなみにですが、僕はハンデとして防御魔法を一切使用しません」
「えっいいの?」
ミネットの猫耳がぴんっと立つ。
「だったら簡単じゃない? ウチら二人がかりなんだし、余裕でクリアできるでしょ!」
「そう思いますか?」
フローレンスは穏やかに微笑んだ。その表情は普段と何も変わらない。だからこそ、アイリスは妙な胸騒ぎを覚えた。
「なんで、一度に全部言わないのかしら……」
「忘れっぽいんじゃないかな?」
二人が話している間、フローレンスは数歩離れた位置で足を止めた。軽く身体を馴染ませ、声を大にして話す。
「いつでも仕掛けて頂いて、結構ですよ」
フローレンスの言葉と同時に、アイリスが右手を突き出し先手を切った。掌から魔力が溢れ、空中へ淡い緑色の魔法陣が描き出されていく。
「じゃあ、お言葉に甘えて――先手必勝よ! 旋風――っ!」
術式が完成する。あとは放つだけだった――が、アイリスは咄嗟に魔力を抑え込んだ。構成された魔法陣が不安定に揺らぎ、そのまま霧散する。
理由は単純だった。
「やあぁぁっ!」
すでにミネットがフローレンスの懐へ飛び込んでいたのだ。
「ちょっと、ミネット!?」
ミネットは地面を蹴って身体を一瞬だけ加速させる。時には、低く構えながら拳を放つ。しかし、フローレンスは僅かに首を傾けてかわす。
「むっ!」
続けて蹴り。拳。さらに身体を捻りながらの回し蹴り。身体能力の高い獣人の中でも、猫族特有のしなやかな身体から繰り出される連撃は速く、並の生徒なら反応することすら難しいだろう。
だが――。
「ウソっ!? なんで当たらないの!」
その全てを、フローレンスは紙一重で避けていた。大きく跳ぶこともなければ、防御魔法を使うこともない。身体を半歩ずらし、首を傾ける。僅かに腰を引く。
それだけで、ミネットの拳はことごとく空を切っていく。
「流石、獣人の身体能力は高いですね。ですが――」
フローレンスは、振り抜かれた拳の脇をするりと抜けた。
「動きがあまりにも素直です」
「んなっ!?」
「旋風」
圧縮された風がミネットの身体を正面から捉える。身体が宙へ浮き、そのまま数メートル後方へ吹き飛ばされた。
「ミネット!」
アイリスが駆け寄る。
しかし地面へ落ちる寸前、二人を覆っていた防護結界が淡く輝いた。衝撃が光へと変換され、ミネットの身体を包み込む。
彼女は地面を転がりながらも、すぐに上半身を起こした。
「大丈夫!? ケガは?」
「う、うん……」
ミネットは自分の身体を確かめるように腕や脇腹へ触れる。
「すごい……」
「え?」
「当たった瞬間は痛かったけど、もうほとんど消えてる。傷も全然ないよ」
その言葉にアイリスも安堵する。
「攻撃の直前に視線が動く。踏み込む足も毎回同じ。これでは、次にどこを狙うのか教えているようなものですよ」
あれだけの攻撃を避けていながらも、一切息を切らすことなく淡々と話す。
「じゃあ今度は、あたしが――」
「よーし!」
ミネットが勢いよく立ち上がった。
「まだまだいっくよー!」
「あっ、ちょっと!」
制止する間もなく、再びフローレンスへ向かって駆け出してしまう。
「もう!」
アイリスは慌てて魔法陣を展開するが――。
「(ダメだ、撃てない……!)」
狙いを定めても、その射線へミネットが入る。右へ回れば、ミネットも右へ。左から狙おうとしても、フローレンスを追う彼女が邪魔になる。
「(これだと狙いが定まらない……!)」
アイリスの表情が険しくなった。
一方、ミネットは多少の息を切らせながらも、なお拳を振るい続けていた。
「ずいぶん力任せですね」
「ウチ、体力には自信あるからね!」
「なるほど」
フローレンスは平然とかわしながら、小さく頷く。
「旋風」
再び風が炸裂した。
ミネットの身体が先ほどとほぼ同じ軌道を描き、アイリスの近くまで吹き飛ばされる。結界が反応し、淡い光が身体を包み込んだ。
「いったぁ……」
アイリスがミネットに顔を向けるなり、フローレンスが話し出す。
「もう忘れたのですか? 相手によっては消耗戦になると、言いましたよね。例え、どれほど体力に自信があっても、相手がそれ以上なら意味がありません。戦闘において、自分の得意分野だけで押し切れると思うことは、いけません」
その言葉を聞き、アイリスは小さく息を吐いた。
「――ミネット」
「ご、ごめん! 次こそ絶対――」
「そうじゃなくて!」
立ち上がろうとするミネットへ、アイリスが声を荒らげる。
「一人で突っ込んでどうするのよ! あんたが先生に張り付いてたら、あたしが魔法を撃てないじゃない!」
「……」
「いい? あたしたちは魔術師よ」
アイリスがフローレンスへ向き直る。
「だったら――魔法を使わないと」
再び右手を掲げる。今度は迷わない。淡い緑色の魔法陣が展開された。
「旋風!」
突風が一直線にフローレンスへ襲いかかる。
「……っ!」
案の定、フローレンスは僅かに身体を傾けただけで、その軌道から外れた。風が背後を駆け抜け、芝生を大きく揺らす。
「簡単には当たらないわよね……!」
アイリスが歯噛みする。
「ミネット! あなたも雷魔法を使いなさい! 一緒に攻撃して二人で――」
「できないよっ!」
「……え?」
この時、ミネットは初めて取り乱した。
「ウチ……魔法の……構成なんて、できないよ」
ミネットは俯いたまま、躊躇うように答えた。
「今、なんて言ったの?」
「……ウチ、学園に来たの……今日が初めてなんだ。だから魔法のことなんて、分からないし、使うことできないよ……」
「……そんな」
魔法の構成そのものを知らない。だったら、この訓練形式では――。
「先生!」
アイリスはフローレンスへ向き直った。
「ミネットは、魔法そのものを習ったことがありません! このままでは訓練になりません。だから一度形式を――」
――ヒュン。
「っ!?」
何かが、アイリスの頬すれすれを高速で通過した。風圧で髪が大きく揺れる。ほんの一瞬遅れて、トッ――。
背後から鈍い音が聞こえた。
恐る恐る振り返る。地面には一本の矢が突き刺さっていた。しかしそれは、木製でも、金属製でもない。淡い光によって形作られた――魔力の矢だ。
やがてそれは、輪郭を崩し、光の粒となって消えていった。
アイリスの頬を冷たい汗が伝う。
「変更はしません」
穏やかな声。
「最初に言いましたよね。僕に一度でも攻撃を当てるまで、この形式で訓練をすると」
この時、アイリスは初めてフローレンスの表情に、恐怖を感じた。
「ですが!」
「では聞きます」
フローレンスの声が、僅かに低くなる。
「戦場において『魔法を使えないから戦い方を変えてほしい』と頼むつもりですか?」
「それは……」
「そんな理屈は通りません。もう一度言います――これは実戦形式です」
アイリスは言葉を失った。
「――死ぬ気で考えなさい」
言葉と同時に、フローレンスの周囲へ、新たな魔法陣が浮かび上がる。
空気が張り詰める。アイリスは思わず息を呑んだ。
今、目の前に立っている男から感じる圧迫感は、あの時――魔獣を前にした時のものよりも、遥かに巨大だと実感した。
「(こんなの……無茶苦茶よ……!)」
それでも、フローレンスに訓練を止める気がないことだけは、痛いほど伝わってきた。
アイリスは奥歯を噛み締め、隣にいるミネットへ視線を向ける。
魔法を知らないミネット。魔法でしか戦えない自分。そして攻撃をことごとく見切るフローレンス先生。今ある手札だけで、あの教師へ一撃を届かせなければならない。
「(何としてでも、この状況を切り抜ける方法を考えないと……!)」




