Episode22 学びの訓練
学園襲撃事件から、数日が経った。
破損していた窓や設備の修復も少しずつ進み、カトレア魔法学園には以前の日常が戻りつつあった。
だが、あの日の出来事が完全に過去になったわけではない。
その日の放課後。
学園本棟の会議室では、教員たちによる緊急会議が開かれていた。長机を囲む教師たちの前には、襲撃事件に関する資料が何枚も広げられている。
「先日の魔獣騒動について、防衛省から調査結果が届いた」
教頭が一冊の報告書を持ち上げる。
室内のざわめきが静まり、教師たちの視線が集まった。
「現場を詳しく調査した結果、魔獣の出所については依然として不明。ただし、学園を覆っていた防御結界の一部に不備が確認されたそうだ」
「不備と言われましてもな……」
年配の教師が難しい顔で腕を組む。
「あれは我々の手に負える代物ではないでしょう」
「しかし、同じことが二度起きてはなりません!」
別の教師が資料をめくりながら口を挟む。
「……やはり、今年度の実技訓練を前倒しするべきでは?」
その提案に、数人の教師が小さく頷いた。
「二年生以上であれば、進級の際に、最低限の自己防衛はすでに身につけています」
「問題は一年生ですね」
「ああ。入学して間もない生徒の中には、魔力操作さえ安定していない者もいる」
短い沈黙が落ちる。
窓の外では、修復作業をする職員たちの声が遠く聞こえていた。
「ならば決まりだ」
教頭は報告書を閉じる。
「全学年の実技訓練を前倒しする。目的は技術の向上ではない。あくまで、緊急時に自分の身を守るための基礎を身につけさせることだ」
◇ ◇ ◇
そして、三日後。
学園の広大な訓練場には、複数のクラスから集められた二年生たちが整列していた。
普段よりも多くの教員が周囲に配置され、訓練場の外周には安全用の結界が幾重にも展開されている。
生徒たちの間では、
「魔獣騒動のせいで、実技訓練が前倒しになったらしいぜ」
「実戦形式もやるのかな」
などと、小声で噂が飛び交っていた。
壇上に立った教師が声を張る。
「本日より、全クラス合同による実技訓練を開始する。日程は学年ごとの交代制で――」
「先生!」
一人の生徒がすぐに手を挙げた。
「何かね、リオールくん」
「あの……カルミアさんが、まだ来ていません」
その名前を聞き、近くにいたセシルも僅かに視線を動かした。
教師は手元の名簿を確認する。
「ジーニアスくん……ああ、彼女なら体調不良のため、しばらく長期療養することになっているね」
「長期療養……」
アイリスの表情に、僅かな不安が浮かぶ。
「容体については学園側で把握しておる。君たちが心配する必要はない」
「……そうですか」
アイリスはそれ以上聞かず、静かに手を下ろした。
「(あの騒動のあとから、一度も会えてない……)」
胸の奥に小さな引っかかりが残る。だが、教師はすぐに説明を続けた。
「まず各自、魔力量の測定を行う。その結果をもとに三つのグループへ分け、各グループごとに訓練内容を変えるので、指示に従うように」
◇ ◇ ◇
測定が終わり、生徒たちはそれぞれ指定された場所へ移動した。
「げっ……」
指定された場所へ向かうと、セシルが露骨に嫌そうな顔をする。
「同じグループかよ」
「なによ、その反応は?」
先にその場で待機していたアイリスが眉を吊り上げる。
「あーあ、俺は静かに訓練したかったのに、こんな騒がしい奴と一緒かよ」
「だったら耳を塞いで訓練すれば?」
いつもの調子で言い合いながら、二人は少し離れた位置に移動した。しばらくすると、何人かの生徒が集まって来た。
だが、アイリスは周囲を見回し、人数を数える。
「……あたしたちを入れても七人しかいないのね」
「ええ、そうよ」
アイリスの後ろから一人の若い女教師が声をかける。
「あなたたちは、今回の測定で平均値を大きく上回る魔力量を記録した生徒たちなの」
「自分の魔力量なんて、今まで気にした事なかったわ」
「でも、過信してはダメよ? 魔力量が多くても、それを上手く扱えてこその魔術師なの」
「……」
アイリスは、自分の掌をまじまじと見つめていた。
ふと、誰かに見られているような気配を感じる。反射的に視線を向けると、少し離れた場所に、フードを目深に被った生徒が立っていた。顔はほとんど隠れているものの、確かにこちらを見ている。
アイリスが訝しげに眉を寄せ、視線を外そうとした――その瞬間。
突風が訓練場を吹き抜けた。
「わっ……!」
風に煽られ、生徒のフードが大きくめくれ上がる。隠されていた顔が露わになり、アイリスと真正面から目が合った。
「――っ!」
少女は驚いたように目を見開く、次の瞬間――。
「えっ?」
何を思ったのか、こちらへ向かって凄まじい勢いで駆け出してきた。
「ちょ、ちょっと!? なに!?」
あまりの勢いに、アイリスは思わず一歩後ずさった。
「ねえ、あんた。今、ウチと目が合ったよね! ねっ!」
「え、ええ……たぶん」
すると相手の表情が一気に明るくなる。
「わあっはー! 学園に来てから初めて人と目が合っちゃった! ウチ、今日めっちゃついてるー!」
両手を上げて、その場で小さく跳ねた。
「……そこまで喜ぶことなの?」
アイリスは若干引きながらも、跳ねた拍子に見えたフードの中へ視線を向いた。
頭の上には、人間には存在しない三角形の耳。全体をよく見れば、背面の腰辺りが妙に膨らみを帯びていた。
「あなた……もしかして獣人?」
「うん! そうだよっ!」
少女は自慢げに胸を張った。
「獣人って言っても、猫族だけどねー。ウチ、ミネット・フェレス! よろしくね!」
「あたしはアイリス・リオールよ。よろしく」
二人が握手を交わす。
「へぇ~、アイリスっていうんだ! いい名前だね!」
「ありがとう。あなたの名前も可愛いじゃない」
「ホント!? ねえねえ、人間ってみんなそんなに褒めてくれるの?」
「いや、それは人によると思うけど……」
ミネットの服から、もはや隠す気のない尻尾が嬉しそうに左右へ揺れていた。
その一方で。少し離れた場所から、その様子を眺めていたセシルは腕を組んでいた。
「女はすぐに群れるからな……」
視線を逸らしながら、小さく鼻を鳴らす。
「まあ、全然羨ましくないけど」
「――ねえ君、セシルくんだね?」
「……あ?」
突然横から声をかけられ、振り向く。そこには、一人の男子生徒が立っていた。
整えられた髪。妙に姿勢が良く、制服も寸分の乱れなく着こなしている。
何より、本人が自分の容姿に絶対的な自信を持っていることが、一目で分かるほど堂々としていた。
「君の噂は聞いているよ」
少年は爽やかな笑みを浮かべる。
「ただの古本屋の店主に決闘を挑み、見事に返り討ちに遭った哀れな少年だと」
「あ? 誰が哀れな少年だ! 喧嘩売ってんのか、テメェ!」
セシルの額に青筋が浮かぶ。
「やれやれ……気性が荒くて困るよ、ベイビー」
少年は大げさに肩をすくめた。
「……は?」
「ベイビー」
「いや、聞こえてるわ!」
セシルは一歩後ずさる。
「なんで俺がお前のベイビーなんだよ!」
「僕にとって、この世界に生きる者は皆、愛すべきベイビーなのさ」
「気持ち悪っ!」
「失礼だな」
少年は自分の髪を優雅にかき上げる。
「君も僕のように、可憐で美しい振る舞いを身につけたらどうかな?」
「あ、そう……」
セシルの怒気が、困惑へと変わっていく。
「(……なんだコイツ。今まで会った奴の中でもかなり変だぞ)」
「おっと」
少年は突然、何かを思い出したように指を鳴らした。
「自己紹介がまだだったね」
そして少年は、どこから取り出したのか、一輪の赤い薔薇を手にしていた。
「僕の名は――ルシアン・ヴァレンティア」
薔薇を口元へ添え、腰に手を当てて完璧な角度でポーズを決める。
「この名を、君の心に刻んでおくといいさ。ベイビー」
「……やっぱ変な奴だな」
「褒め言葉として受け取っておこう」
「褒めてねえよ」
各々が待機時間を過ごす最中、訓練場全体へ拡声魔法による教師の声が響いた。
『全員、静粛に!』
生徒たちの話し声が徐々に止まっていく。
『これより実技訓練を開始する。各グループは担当教師の指示に従い、安全を最優先として魔法を扱うこと。決して独断での高位魔法を使用しないように――以上。各自、訓練開始じゃ!』
こうして、カトレア魔法学園にて実技訓練が開始された。




