Episode13 悪夢の襲来
カルミアとロベリアの前に現れた魔獣は、耳を裂くような咆哮を上げると、獲物を定めた獣の眼でカルミアを捉え、そのまま地を蹴った。
「っ!? ――魔力弾!」
反射的に放った魔法は、青白い光の弾となって魔獣の胴体に命中した。
だが――。
魔獣は一瞬だけ動きを止めたものの、すぐに低く唸り声を上げる。分厚い皮膚に弾かれたかのように、致命的な傷にはなっていない。
現実を目の当たりにしたカルミア。胸の奥が、きゅっと縮む。
「(私じゃ、足止めしかできない……魔獣を相手にするには、力が足りない……)」
魔獣は苛立ったように地面を削り、再びカルミアへと突進してきた。距離が、一気に詰まる。
――その瞬間。
「火球」
短く、冷えた声。
ロベリアの放った炎は、魔獣を呑み込んだ。次の瞬間、そこにあったはずの魔獣は、黒い灰となって床に崩れ落ちていた。
「す、すみません……私――」
謝罪の言葉が、途中で遮られる。
「カルミア。良く聞いてください」
「……は、はい?」
「魔力探知の範囲を、魔獣に絞ってください。学園の外部からの侵入は不可。恐らく、召喚された魔物でしょう」
ロベリアは視線を巡らせ、続ける。
「召喚された場所には、魔獣が魔力が濃く集中しています……そこが発生源です」
「ロベリア、さん……?」
「私はここで雑魚を引き受けます。あなたは、その地点へ向かいなさい」
「で、でも……そんな、私には……」
言い切る前に、ロベリアの視線がカルミアを射抜いた。
「……出来ない理由を探す時間はありません。自分が出来る役目を、それを真っ当に果たしなさい」
胸に、重く、しかし確かな言葉が落ちる。
「……分かりました」
カルミアは短く頷いた。
すぐに意識を切り替え、魔力探知の対象を魔獣のみに限定する。雑音が消え、感覚が研ぎ澄まされていく。数は多い……けど、確かな手掛かりは感じる。
「……こっちだ」
魔力反応が、異様なほど濃く集まっている方向があった。
カルミアは角を曲がり、行く道を進んだ。魔獣の場所が把握できる今、魔獣との正面衝突を避け、影から影へと身を滑らせる。足音を殺し、息を抑え、存在を消すように移動する。
「……!」
思わず、足が止まった。その先からは、異常なまでの濃い魔力を感じる。
この先は……中庭に繋がっている通路。もしかして、発生源は中庭から出ている?
嫌な予感が、背筋をなぞった。
――別の場所では、静かに歯車が噛み合い始めていた。場面はロベリアへと戻る。
灰となって崩れた魔獣から視線を外し、ロベリアは静かに踵を返した。
周囲の生徒と講師が避難した事を確認すると、ロベリアはゆっくりと歩き始めた。急ぐ様子はない。まるで最初から、この先に何が待っているかを知っているかのようだった。
「さて、と……」
少し開けた所へ移動したロベリアは、淡々とした独り言が誰もいない廊下に落ちる。
空気は確実に変質していた。魔獣特有の濁った魔力とは異なる、違和感。しかしそれは、魔力ではなく――もっと言えば、憎悪そのものだった。
ロベリアは振り返らずに言った。
「……いつまで隠れているつもりですか?」
静かな声が、廊下に染み込む。
「姿を表しなさい。あなたの相手は――私がします」
一瞬の沈黙。次の瞬間、柱の影から、気配が剥がれ落ちるように現れたのは、一人の女だった。足音はなく、呼吸の乱れもない。そこに立っているのに、存在感だけが希薄だった。
「……気づいていたのですね」
女は、薄く笑う。
「魔力を消していたのですが……あなた、化け物ですか? おっと、これは失礼。初対面の人に化け物などと、本音を言ってしまいました。私は昔から嘘を隠すのが下手でして――」
「御託は後にしてください」
ロベリアは振り向き、淡々と視線を向ける。
「あなたの目的は、何ですか?」
「それは、お答えできません」
即答だった。
「見たところ、雇われの殺し屋……あるいは――」
ロベリアの声が、僅かに低くなる。
「愚かエルフ、といったところでしょうか?」
「……おや?」
エルフ女の表情が、一瞬だけ歪んだ。次の瞬間、エルフ女の声が鋭さを帯びる。
「聞こえませんでしたか? お答えできないと、言いましたよね? どうやら猿とは対話は不可能な様なので……殺処分させて頂きます」
言葉と同時に、エルフ女の身体が弾けるように前へ出た。
床を蹴る音はない。それでも距離は、一瞬で詰まる。
刃が閃き、空気が裂ける――その瞬間、ロベリアは目に映る光景を疑った。
「まさか……そんな――」
遠くで、何かが割れるような――衝突音が微かに響いた。
◇ ◇ ◇
「――ロベリアさん……?」
視点は、カルミアへ。
後方から大きな音が耳に入った。不安が込み上げる。しかし、嫌な予感を振り切るように、カルミアは再び走り出した。
魔力探知に映る反応は、はっきりしていた。
「(……急がないと)」
焦る気持ちが、後を引き擦った。
中庭が視界に入ると、そこには今朝あるはずのなかった物が置かれていた。石造りの台座の中央には、脈打つように淡く発光する魔石が据えられていた。
台座も普通の物とは異なり、無数の溝と術式が刻まれ、共鳴していた。これは紛れもない魔道具。
――もしかして、あれが魔獣を召喚しているの?
淡い輝きは規則正しく強弱を繰り返し、周囲の空気を歪ませている。魔力が溢れている。
あれを壊せば、少なくとも魔獣の召喚は止まるはず。
そう判断した、刹那。
「――そ、そそそこに隠れているのは、誰ですか!」
「っ……!?」
近くから、怯えるような甲高い男の声が響いた。
「ま、魔力探知で……場所は、分かっています……! 教員の連中、ですか?い、いや……教員のほとんどは、睡眠薬で眠っているはず……」
やってしまった……魔獣に探知対象を限定したせいで、他の魔術師の存在を、完全に見落としていた……。魔術師見習いでも、しないミスなのに……。
「も、もももしかして……新手の、敵ですか!?」
返答はしない。むしろ出来ない。
あーもう、どうしようっ! このままだと絶対に捕まっちゃうし……でもでも、戦える力なんて私には無いし……。
「……出てこないなら……ボ、ボボボクの方から、行きますよっ!」
そんなっ! ど、どどどうしよう! なにか、なにか行動した方が良いのかなっ!
カルミアは動揺し、焦りまくっていた。
足音は徐々に近づいてくる。絶体絶命のピンチ。
◇ ◇ ◇
――同時刻、屋上にて。
「はっはっは……ついに動き出したかっ!」
学園を見下ろす高所で、愉快そうな声が弾んだ。混乱と悲鳴が渦巻く中庭を、まるで芝居の舞台でも眺めるように。
その人物を、フローレンスは物陰から静かに観察していた。
「(――情報にない人物。騒動を引き起こした者たちの仲間か、それとも別の第三者か)」
注意深く、そして相手に悟られないように、息を殺す。
「(どっちにしろ……厄介だ)」
「余興が乗ってきたな……だが、さっきからコソコソと見られていると、どうにも気が散る」
「――っ!?」
背筋が、凍りつく。
「(気づかれている!? あり得ない。相手は魔力を持たない一般人だ。そんな相手が、こちらを察知するなど……。ここは、偶然を装うしかない)」
これ以上の潜伏は危険だと判断したフローレンスは、自ら姿を現す事に変更した。
「いやいや、すみません。学園内に突然魔獣が現れて……逃げてきたんですが……。屋上には先客がいらしたので、驚いて、つい反射的に……あはは」
軽く、笑ってみせる。
「口が達者なようだな。まあいい、貴様も観戦するか?」
この男は、状況を愉しんでいる。危険な人物に変わりはない……先手必勝。
フローレンスは、呼吸を整えながら距離を詰める。
「いえ、僕はもっと安全な場所へ避難しますよ――」
――射程に入った。
「虚弓」
発言と同時に、魔力が凝縮される。手の中に現れた弓と矢。引き絞る動作を見せる事なく、恐ろしく早い所作で、矢は放たれた。
至近距離。ほぼ、必中――だが、
「危ないではないか」
「……っ!?」
男は、その場から動いていない。ただ振り向いただけだった。にもかかわらず、矢は空を切った。僅かな動作で、軌道を変えたのか?
だが、それで終わりではない。虚弓の矢は、標的を逃さない。追尾中は認識を断ち、存在を消し、背後から胸を貫く。相手は気づかないうちに、射貫かれている状態となる。
「……鬱陶しい羽虫だ」
男が腕を振り下ろす。次の瞬間。
――空間が、砕けた。見えないはずの矢が可視化され、圧し潰されるように破壊される。
「ばかなっ! いったい、どうやって――」
「はぁ……愚者の力が、これっぽっちとは」
その言葉に息が詰まった。
「少々、期待外れだな」
「……僕の正体を、なぜ知っている」
「さあな。なぜだろうな」
男は肩の力を抜いたまま、両腕を軽く持ち上げる。肘は少し外に張り、手のひらは上へ向けて開かれていた。如何にも、わざとらしいとぼけ方だった。
そのとき――袖がずれ、腕に刻まれた紋様が覗いた。
「その紋様。まさか……黄昏か……!」
黄昏は、大きな犯罪組織、密輸団の名前。そのメンバーで、幹部以上が証としてもつ、黄昏の模様。この男は、黄昏の幹部以上の実力者だった。
「儂は貴様と戦う気はない。今日は、観戦に来ただけだ」
「……」
「だから――手出しはするなよ?」
圧が、空気を押し潰す。
危険過ぎる。この脅威は、最悪の事態を招く存在……カルミアくん、ヒバナ……。
胸が、締め付けられる。
ごめんね……僕は、ここで死ぬかもしれない。相手は格上。それでも――今、退けば二人を守れない。
フローレンスが、再び魔力を練り上げた、その瞬間。
――ゴゴゴゴゴゴッ!!
大地が、唸った。
「……っ!?」
床を伝う震動。
「じ、地震……!?」
「……まがい物か。せっかくの観戦が台無しではないか」
男が、低く呟く。
異変は、その場にいた全員が同時に感じ取った。空気が揺れ、呼吸がわずかに乱れる。
フローレンスと謎の男の視線は、中庭の二人へと向けられた。
◇ ◇ ◇
「な、なななんですかっ!? じ、地震!? それとも……新手の敵ですかっ!?」
怯える男の切迫した声が裏返る。
「(この振動……さっきいた場所からだ。ロベリアさんの方から、一直線に――)」
揺れは次第に強まり、やがて声が振動と一緒に聞こえて来た。
それはまるで――地を裂くような、獣の咆哮。
「うおおおおおおおっ!!」
「……まさか、あれって――」
カルミアは向かってくる影のシルエットで、相手を察した。
「て、てて敵ですね!? よ、よし……いいでしょう! ボクの魔法で――」
詠唱に入る、その刹那。視界が、切り替わった。
男の目前に、突然現れた存在。フリルを揺らすメイド服。だが、その動きは装いと正反対だった。
瞬きと同時の衝撃。
鈍い音が鳴るより早く、メイドの蹴りが男の顔面を正確に捉えていた。
「あふんっ――」
怯える男の身体が浮き、後方へ吹き飛ぶ。
「ご主人様っ! 助けに来ましたーっ!!」
澄んだ力強い声が響く。
カルミアの視界に飛び込んできたのは、あり得ないはずの存在だった。本来なら、家で留守番をしているはずの存在。それが今、戦場の中心に立っている。
その背中は、迷いも、躊躇もなく、ただ主を守るためだけに在った。
彼女は、カルミアの使い魔――トレニア。




