Episode11 講義の時間
その日の朝、カルミアは学園内の様子に、かすかな違和感を覚えていた。
中庭を抜ける途中、見慣れない顔の人々が何人も行き交っている。普段よりも多い人の流れが、学園全体を落ち着かなくさせていた。
「おはようございます……なんだか、今日は朝から落ち着かないです」
教室へ入ると、カルミアは隣の席のアイリスに挨拶を交わした。
「どうしたの? 具合でも悪いの?」
「いえ……教室へ来る途中で、見慣れない方に三年生の教室を聞かれたので。胸のざわめきが、まだ治まっていなくて……」
「あなた、前よりも人見知りが悪化してるんじゃないの?」
「あの時は、全てが新鮮で……アドレナリンが溢れていて……ハイになってました」
「ハイでも、あまりいつもと変わらないようにも思えるけど……」
カルミアの言葉に苦笑いする。
「そんなに緊張しなくても大丈夫よ。講師は学園側が責任をもって、厳選した人にだけ招待状を送ってるの。危ない人物なんて、入ってこないわ」
「……講師って、なんのことですか?」
アイリスは一瞬きょとんとした顔をしてから、ああ、と納得したように頷いた。
「今日は特別講義の日よ。知らなかったの?」
「……とくべつ、こうぎ?」
「ええ。外部から有名な魔術師や研究者が招かれる日。だから、学園の外から人がたくさん来てるの」
なるほど、と頭では理解するものの、胸の奥がざわつく感覚は消えなかった。
特別講義――それは、学園でも指折りの重要な授業だ。実力者が壇上に立ち、普段は触れられない領域の話がなされる。自然と、生徒たちの期待も緊張も高まる日。
「掲示板にも出てるけど……もしかして、見てないの?」
「……見てませんでした」
カルミアは小さく肩をすくめた。
調査や人目を避ける行動に気を取られて、そうした情報から、いつの間にか距離を置いていたのだと気づく。
教室は、いつもよりも活気に溢れている。
――その時だった。ざわつく教室の中で「ガラリ」と扉を開く音が全体に響いた。
「休符」
誰かが放ったその一言で、ざわついていた教室の空気が一瞬にして静まり返った。私語は途中で途切れ、笑い声は飲み込まれる。まるで、世界から「音」という概念だけが切り取られたようだった。
「……」
あれ、声が出ない。
でも正確には違う。喉が震えている感覚だけが虚しく残りる。
「全く、騒がしい所ですね。少しは静かに出来ないのですか?」
教室に入って来た講師の姿を見たカルミアは無音の中で絶句した。
服装は違うけど、声も見た目も、どこからどうみても、ロベリアさんだ……っ!!
「今、この教室には私の音しか出ていません。これは音魔法と言って、周囲の音に干渉する事が出来る魔法ですよ」
「……! ……!」
「そこの男子生徒、何か言いたいようですね……ですが、今は私の時間です。そのまま聞いていなさい」
「!?」
でも、どうして講師なんて……もしかして、私があまりにも無能だから、その代わりに来たとか……。
「このクラスは優秀な生徒が揃っていると聞いています。そこの前髪パッツンの眼鏡男子生徒、私の質問に答えなさい。あなたは何故、ここで魔法を学ぶのですか?」
「……」
「答えられないのですか?」
「……」
「おっと、魔法を消すのを忘れていました」
ロベリアが指先で「パチンッ」と音を鳴らすと、魔法が解除された。音が出ないだけでも、息が詰まるような苦しさを感じていた生徒たちは、一斉に空気を吸い込む。
「では改めて……私の質問に答えなさい」
「ちょっと待ってください。いきなり質問をされても困ります。それに……まずは自己紹介をするのが、礼儀と言うのもではないでしょうか」
やや硬いが、筋の通った意見だった。何人かの生徒が小さく頷く。
「……私の情報が必要ですか」
ロベリアは一拍、視線を巡らせる。
「まあ、いいでしょう」
その声音に、教室の空気がわずかに締まった。
名乗る前から、妙な圧がある。
「私は街で古本屋を営んでいる、ロベリアと申します。これで――」
「ふっ……あーっはっはっは!」
乾いた笑い声が、静まり返った教室に不釣り合いに響いた。笑ったのは、後列に座る一人の男子生徒、セシル・ヴァンディールだった。
彼はクラスの中でも優秀ではあるが、自信過剰な性格から大きな態度が目立つ生徒でもある。
「どんな名誉ある講師が来るのかと思えば、偉そーな口を叩く、ただの古本屋の店主かよっ!」
肩を揺らし、嘲るように続ける。
「こりゃあ笑いが止まらねぇ。学園も人材不足ってわけだ」
「セシル……言い過ぎよ。何がそんなに可笑しいの?」
即座に、アイリスが声を挟んだ。
「優等生気取りは黙ってろよ」
セシルは一瞥すらくれない。
「俺は一般人から学ぶ事は何もないぜ? ここは魔法学園だ。弱い奴が来る所じゃねー」
「あなた……自分が何を言ってるか、分かってるの!?」
感情を抑えられなくなったアイリスは、勢いよく席を立つ。
教室の空気が、ひりつく。対立する二人の間に割って入ったのは、ロベリアだった。
「セシル、と言いましたか。その言い方だと――私が、あなたより実力で劣ると。そう聞こえますが?」
「事実だろ?」
セシルは不敵に笑う。
「では、それを証明するために。私と賭けをしましょう」
「いいぜ、乗ってやるよ。勝敗の決め方は、何でも構わない」
「とても良い自信ですね。ところで――防御魔法は使えますかな?」
「基本的な魔法は使える。俺は幼い頃から、魔法の訓練をさせられた。どんなルールでも、一般人が勝てるとは思えないけどな」
「なるほど……」
ロベリアは静かに頷いた。
「ルールは簡単です。私はあなたに初級魔法を放ちます。それを防御魔法で防げれば、あなたの勝ちです」
ロベリアが提示したルールに生徒がざわめく。
セシルは立ち上がり、前に出た。
「ところで、何を賭けるんだ? 俺は自分の身分だって賭けられる」
「そうですね……なら、私も持てる権利を全て賭けましょう」
その言葉の意味を知るカルミアだけは、他の生徒よりも怯えていた。ロベリアが負けるとは、微塵も思ってはいないが、その傲慢さに圧倒された。
セシルとロベリアは互いが承諾をすると、教室の端と端に移動し距離を開けた。それなりに広い教室ではあるが、魔法の速度を考えると、かなりの至近距離となる。
「教室には防護結界が張ってある。全力で来ても、壊れやしない」
「いいえ」
ロベリアは、淡々と首を振る。
「私は宣言したルールに従います。使用するのは初級魔法のみ。それを防げたら……あなたの言う実力差を、私が認め権限を譲りましょう」
その言葉に、セシルの口角が上がった。
「(こんな一般人に……負けるわけねぇだろ)」
「それでは、アイリスさん。開始の合図を」
「は、はい……!」
静寂が、教室を満たす。
アイリスの合図と同時に――ロベリアが右手を正面に翳した。それを見た瞬間、セシルは反射的に詠唱を始める。
「我が身に仇なす力よ――」
「火球」
それは一瞬の出来事だった。詠唱が完成する前にロベリアの魔法が発動した。放たれた火球は、セシルのすぐ真横を掠めて通過し、轟音と熱風を感じた。
「……え?」
一拍遅れて、セシルの喉から声が漏れる。
「これでも、まだ自分の方が上だと言いますか?」
「(な、何が起きた……?俺の方が、先に詠唱を始めたはずなのに――)」
自分の身に起きた現実を、理解するのまで時間を要した。
セシルはスピード勝負には自信があった。彼は省略詠唱を会得しており、素早い詠唱で魔法を発動できる。そのため、初めから勝てると確信した上で、賭けを受けた。
しかし、実力は明確だった。
「たかが防御魔法に、詠唱ですか」
ロベリアは、冷ややかに言い放つ。
「期待外れですね」
「(こいつ……初級魔法を、無詠唱で!?)」
教室は、完全に沈黙した。
「丁度いい機会です。詠唱について、詳しく教えておきましょう」
ロベリアは教壇に立ち、淡々と説明を始めた。
「詠唱とは、魔法を発動するために必要な儀式のようなものです。詠唱を行うことで、魔法は術式として構築され、固有名詞に対応した魔法が発動可能となります」
黒板に描かれる簡単な術式図。
「ですが――この方法は、効率が悪い。近年の魔法学では、効率を重視した省略詠唱が主流です。これは、詠唱文を半分以下に短縮し、魔法を成立させる技術。一般的な魔術師であれば、この省略詠唱を扱えれば十分でしょう。実用性も高く、安全性も確保されていますからね」
数人の生徒が、知っているとばかりに頷く。
ロベリアは「だが」と一拍置き、話を続けた。
「――戦場では、そうはいきません。魔法を放つまでの僅かな時間が、生死を分ける。詠唱している余裕など、存在しない場面も多いのです」
そこでロベリアは、生徒たちを見渡した。
「無詠唱とは、言葉による詠唱を一切行わず、魔法を直接、術式として展開・発動させる……当然、これは非常に高度な技術で、魔法理論への深い理解、理式の把握、術式構造の解析――扱えるのは、貴方がよく知る七賢人くらいでしょうか」
「……つまり、僕たちがどれだけ勉強をしても、その境地には、たどり着けないと言う事でしょうか」
一人の生徒が申し訳なさそうに質問をした。
「不可能、という訳ではありません。初級魔法は別名、簡易魔法とも呼ばれます。威力は自身の魔力の三分の一程度しか引き出せませんが、その分、術式構造が非常に単純です。構造を正確に理解できれば――無詠唱が可能です」
ロベリアは視線をセシルに向ける。
「もちろん、防御魔法も同様です。理論さえ理解していれば、無詠唱で展開できますよ」
その一言一言が、生徒たちの常識を切り裂いていく。
説明が終わる頃には、誰もが“古本屋の店主”という肩書きを、もはや信じていなかった。
「(……何者なんだ、この人)」
セシルは、拳を強く握り締める。
「……俺は、強い魔術師にならなきゃいけない。だから、この学園で魔法を学んでいます」
「僕は将来、魔法学者になるのが夢です。そのために、ここにいます」
セシルに続いて、前髪パッツンの眼鏡男子生徒も、真っ直ぐに答える。
「そこのあなたは?」
ロベリアの視線が、教室の隅に向けられた。
「ひっ……!」
小さく息を呑む少女。
「わ、私は……守りたい、大切な相手がいるから……です」
「えっ、ロアって彼氏いるのー!? マジやばたんじゃん!」
女子生徒たちが、ひそひそと騒ぎ出す。
「アイリスさん。あなたは?」
「あたしは……お姉ちゃんの傍に、ふさわしい魔女になりたいからです」
アイリスは視線を合わせる事なく、動揺を隠しきれなかった。
その言葉には、どこか迷いを感じるものがあった。
「そうですか」
ロベリアは、僅かに目を細める。
「……聞いていた通りですね」
ロベリアの言葉は、時計台の鐘の音にかき消されてしまった。鐘は一度、二度、そして、間を置かずに重なるように、連続して鳴らされた。
教室の空気が凍りつく。これは、授業の終わりを告げる合図ではない。学園全体に危険を知らせる、非常鐘だった。
最初に感づいたのは、セシルだった。歯噛みするように舌打ちし、即座に周囲を見渡す。アイリスも事態を把握し、ロベリアに声をかけた。
「ロベリアさん、これは危険を知らせる鐘です。ここから避難します」
生徒たちも次々と、ざわめき始める。不安と恐怖が、さざ波のように教室を走った。
――ズズッ。
遠くから、重い何かが近づいてくるような、重圧な音を生徒全員が感じた、次の瞬間。
バキンッ!!
教室の後ろの扉を突き破り、黒い影が飛び出した。粘液に濡れた皮膚。歪に発達した前脚。その異形は正しく――魔獣だった。
「きゃあああっ!!」
「魔獣だ!」
悲鳴が上がる。生徒たちが後ずさり、椅子が倒れる音が重なる。魔獣は低く唸り、赤く濁った眼で教室を見渡した。
「……騒がしいですね」
不協和音が飛び交う中、ロベリアの声だけが、妙に澄んでいた。彼は一歩前に出る。そしてまた一歩と、その歩みは、まるで散歩の延長のように落ち着いている。
「全く……害虫駆除は計画外ですよ」
ロベリアは、右手を正面に翳した。
「火球」
放たれた火球は、弾丸のような速度で魔獣の眉間を貫いた。爆ぜる炎。断末魔すら上げられぬまま、魔獣は炭化し、床に崩れ落ちる。
その光景に、教室は静寂に包まれた。
「カルミア、アイリスさん、セシルは私の方に来なさい」
「は、はい……!」
「俺は呼び捨てかよ」
ロベリアは三人を集合させ、それぞれに指示を下した。
「アイリスさんとセシルは、他の生徒の安全を確保しながら、避難場所へ移動をしてください」
「はい!」
「……ったく、わかりましたよ」
「素直に言いなさいよ」
「お前は俺に指図するなっ!」
いがみ合う二人、それでも指示された通りに動き始めた。
「カルミア、私と一緒に来なさい。話がある」
「わかりました」
ロベリアとカルミアも、生徒に続いて廊下へ出た、その瞬間。
「……っ!」
息を呑む光景が、目の前に広がっていた。学園内には魔獣が至る所に出現。壁を食い破るもの。悲鳴、叫び、魔獣に対抗する生徒と数人の教員たち、学園は完全に混乱状態に陥っていた。
「この異常な数は……誰かが召喚を行っているな」
ロベリアが、静かに呟く。
その視線の先で、さらに一体の魔獣が、廊下の曲がり角から姿を現した。
――逃げ場はない。
「カルミア……目を逸らさないでください。ここからが、本番です」
再び、魔獣の咆哮が学園に響き渡った。




