Episode10 噂の種
学園に来てから一週間が経過した。
生徒や教員の関係性や、学園内を可能な限り調べてはみたが、未だ異変や事件は発生していない。使徒へ繋がる情報も無く、日々は驚くほど平穏だった。
カルミアは報告書を書き終えると、窓を少しだけ開け、夜気を吸い込む。
一呼吸間を開けてから、指先で「パチンッ」と音を鳴らした。すると、闇の奥から一羽の夜光鳥がすっと現れ、静かにカルミアの肩へ降りた。
カルミアは報告書を脚へ括り付け、短く囁いた。
「……お願いね」
夜光鳥は小さく鳴き、闇へ溶けるように飛び去った。
――場面は変わり、とある古本屋。そこへ一羽の鳥が「コツコツ」と控えめに窓を突く。音は数回に分けて部屋に響く。
ロベリアが窓を開けると、夜光鳥は脚に括り付けられた紙を差し出した。
「……ご苦労」
低く呟くと、鳥は短く鳴き、再び闇へと消えた。
ロベリアは報告書に目を走らせる。
そこには一週間の調査で得た情報が丁寧に記述されていた。観察も的確だった。しかし、目的に繋がる情報は記述されていなかった。
「使徒に関する手掛かりは無し、か」
椅子の背に身を預け、紙の縁を指先で弾く。
ダリアの予知が外れる事は無い。いずれ厄災が学園に降りかかる事は間違いない。
「第二の矢は不発……」
第一の矢からは、未だ報告無し。ここまで長引くと、第三の矢も考えなければならない。
「……沈黙が続くほど、厄介だ」
――コン、コン。
扉からノックをする音がした。
「入れ」
扉の隙間から、使い魔が音もなく姿を現した。
「ロベリア様、失礼します。ロベリア様宛に、お手紙が届いておりました」
低く頭を下げ、使い魔はロベリアに一通の手紙を差し出す。
それは朱印が押された招待状だった。ロベリアは開ける前に肩で息を吐いた。
「この時期が、今年もやって来たか」
「毎年、同じ日に届いております」
使い魔がふと、机の上の報告書に目を向けた。
「進捗はいかがでしょうか?」
「停滞状態と言ったところだ。仮に動きがあるとすれば……この招待状が鍵になるだろうな」
「今年はカルミア様も、学園に在籍されております。心配は不要かと」
「……魔法には相性がある。仮に、お前の相手が自分にとって不利な場合、どう対処する?」
「そうですね……手こずる相手程、ウキウキします」
使い魔は無表情と落ち着いた口調で言葉を返す。
「聞いた私が間違いだった。全く、お前は感情が読めん」
「わたくしはいつでも、感情豊であります」
真面目に答えているのか、冗談なのか、表情からは全く分からない。
「……はぁ。どうして私の周りには、変わり者ばかりなのか」
ロベリアは窓から夜空を見上げ、淡々と告げた。
◇ ◇ ◇
翌日、放課後。
授業を終えた生徒たちが行き交っていた廊下は、昼間の喧騒が嘘のように落ち着きを取り戻していた。
窓から差し込む夕陽が、磨かれた床に長い影を落とし、空気そのものを橙色に染めている。
カルミアはアイリスと肩を並べて歩きながら、ふと首を傾げた。
「……学園のおばけ、ですか?」
「三日くらい前から噂になってるのよ。もう、生徒たちの間じゃ持ち切り。聞いたこと、なかった?」
「休み時間は……人気のない所で過ごしているので……」
「あなた、なかなかの人見知りね……」
それもあるけど、本当は学園内を調査して歩いていた、なんて言えない。
それより――学園のおばけ。もし、使徒に繋がる何かがあるなら……。
「あの、その噂のおばけって……どんな見た目なんですか?」
カルミアの問いに、アイリスは歩調を緩め、声をひそめた。
周囲に人がいないことを確かめるように、ちらりと視線を巡らせてから、少し芝居がかった口調で続ける。
「夜遅くなるとね、誰もいないはずの廊下とか、旧校舎の近くに……白い影が現れるんですって」
その言葉に、カルミアは思わず息をのんだ。
「見回りの教師が、その白い影を見つけて後を追ったらしいの。でも、突き当りまで行っても誰もいなくて……影は、すっと消えたんですって」
アイリスは、そこで一拍置き、声をさらに低くする。
「不気味に思った教師が立ち去ろうと、後ろを振り返った――その瞬間っ!」
話の勢いに呑まれ、カルミアは思わず大きく身を引いた。
「ひゃっ――!」
――どんっ。
鈍い衝撃と同時に、視界が揺れた。
次の瞬間、ばさばさばさっ、と乾いた音を立てて、大量の紙が宙を舞い、一斉に落下し、床一面に散乱した。
「す、すみませんっ!」
相手を確認する間もなく、カルミアは反射的に頭を下げていた。
「もう……何やってるのよ。すみません、大丈夫ですか?」
アイリスが駆け寄り、声をかける。
そこには、尻もちをついたまま目を瞬かせているフローレンスの姿があった。
「ぼ、僕は問題ありませんが……その、資料が……」
足元には、びっしりと文字が書き込まれた紙束や、植物の図解が描かれた資料が散らばっている。
「あ、あわわ……ひ、拾いますっ!」
カルミアは慌ててしゃがみ込み、床に散った紙を両手でかき集めた。
無言のまま、アイリスも隣に膝をつき、手伝いに加わる。
「ごめんなさい。あたしが……驚かすような話をしたせいで……」
「ち、違います! 私が前を見ていなかったのが悪くて」
「でしたら、僕にも責任があります。荷物にばかり気を取られていましたから」
フローレンスはそう言って、穏やかに微笑みながら、散らばった資料を丁寧に揃えていく。
すべて拾い終えた頃には、カルミアの頬はほんのり赤くなっていた。改めて腕に抱えた資料を見ると、その厚みに思わず息を呑む。
「あの……私のせいで落としてしまったので……その、運ぶのを、お手伝いします」
「あたしも!」
二人の言葉に、フローレンスは一瞬きょとんとした表情を見せ、それから小さく笑った。
「では……甘えさせていただきます」
資料は三等分され、それぞれの腕に分けて抱えられる。
歩き出した廊下には、先ほどまでのざわめきが嘘のように、静かな時間が流れていた。
「それにしても……すごい量ですね」
「アイリスくん、気になりますか?」
「……拾っている時に、少しだけ目に入って。植物の資料ばかりだったので」
「見られてしまったなら仕方ありませんね。実は……園芸部門の顧問でありながら、僕は植物の知識に疎くて……」
フローレンスは少し照れたように肩をすくめる。
「空いた時間に、こうして勉強しているんです」
「てっきり……顧問の先生って、みんな専門家だと思ってました」
「あはは。まあ僕は、穴埋めみたいな存在ですからね」
しばらく歩いたところで、カルミアの腕が小さく震え始めた。
「カルミアくん……少し辛そうですね」
「だ、大丈夫……です……」
そう答えたものの、明らかに無理をしているのは一目で分かった。
「無理はしないでください」
フローレンスはそう言って立ち止まり、カルミアの腕から資料の半分ほどをそっと引き取った。
「あ……すみません……」
「謝る必要はありません。手伝っていただいているだけで、十分ありがたいですから」
再び歩き出すと、突き当りの所に、小さなプレートが見えてきた。
――園芸部門。
「着きましたよ」
扉の前で立ち止まり、フローレンスは微笑む。
カルミアは、胸の奥に残る緊張と、ほんの少しの安堵を感じながら、その文字を見上げていた。
「さあ、入ってください。少し……散らかっていますが」
フローレンスが肩で資料を支えながら、辛うじて扉を押し開ける。
軋む音とともに開いたその先には、部屋いっぱいに積み上げられた書類の山と、無造作に並べられた鉢植えの植物たちが広がっていた。
壁際には棚という棚に紙束が詰め込まれ、床にも整理されていない箱が点在している。
窓は小さく、外光もわずかしか入らないため、部屋全体が薄暗い。日当たりの悪さのせいか、空気はひんやりとしていて、どこか地下室のような静けさがあった。
「園芸部門は、基本的に外で活動するからね。道具も外の倉庫に置いてあるし……生徒が部室に来ることは、ほとんどないんだ」
「で、でも……流石に整理した方が良い気も……」
アイリスが思わず本音をこぼす。
「ここ……すごく、落ち着きます」
「なんでよ!?」
即座に突っ込むアイリスに、カルミアは少しだけ肩をすくめた。
雑然としているはずなのに、不思議と胸がざわつかない。むしろ、森の奥にある我が家に似た、静かで閉じた空気が心地よかった。
「資料は……そこの机の上に置いておいてくれるかい?」
フローレンスが部屋の奥を指示する。
そこには、辛うじて空きスペースを確保した古い木机があった。
「分かりました」
カルミアとアイリスは指示通り、机の上に資料を重ねていく。紙が触れ合う、さらりとした音だけが、静かな部屋に響いた。
――その時。
「……?」
カルミアは、ふと手を止めた。すぐ背後で何かが擦れるような音が聞こえた気がした。
「……今、何か音がしませんでしたか?」
小声で尋ねると、アイリスは首を傾げる。
「さあ……気のせいじゃない?」
「……そう、かな……」
気のせい。そう思おうとした、次の瞬間だった。
――ガタッ。
「っ!」
部屋の隅に積まれていた木箱が、わずかに揺れた。二人の視線が、同時にそちらへ向く。
――ガタンッ! ガタガタガタッ!!
「きゃっ!?」
今度は明らかだった。箱が内側から激しく揺れ、蓋が跳ね上がりそうになる。
「ちょ、ちょっと!? なによ、これ!?」
「お、おばけ……!?」
噂話が一気に脳裏をよぎる。白い影、夜の学園、消える存在。身構えた二人の前で。
――バンッ!!
箱の蓋が勢いよく跳ね上がった。
「わぁぁぁぁっ!!」
中から飛び出してきたのは、白い影でも、霧でもなかった。
――小柄な少女だった。
「あっははははっ! ねぇ、びっくりした!? びっくりしたよね!?」
弾むような笑い声が、薄暗い部室に反響した。
床に転がっていた木箱の中から、勢いよく飛び出して来た少女は、白く、さらさらした埃を被ったまま満面の笑みを浮かべている。
「……え?」
言葉を失ったまま立ち尽くすカルミアと、目を丸くしたアイリス。
少女はそんな二人の反応を見て満足そうに胸を張った。
「ドッキリ大成功! いや~、今日の反応は上出来だね! 君たち、リアクションの才能あるよ~?」
白い影でも、幻でもない。そこにいたのは、間違いなく“生身”の少女だった。
その背後で、フローレンスが深いため息をひとつ落とす。
「あぁ……またですか……」
改めてよく見ると、少女は学園の制服を着ていた。胸元には二年生を示すバッジと、園芸部門の部門バッジ。無邪気な笑顔とは裏腹に、その佇まいにはどこか場慣れした雰囲気がある。
「ヒバナくん。部室に生徒が来るたびに驚かすのは止めなさいと、何度も言っていますよね?」
「え~? これくらい普通でしょ~? ていうか、そんなことで注意するなんて、心が狭くなったんじゃないの~?」
「……全く」
呆れたように言いながらも、フローレンスは二人の方へ向き直る。
「驚かせてしまって申し訳ない。どこか、ぶつけたりはしていないかい?」
「あ、あたしたちは大丈夫です……」
アイリスが苦笑しつつ答えると、フローレンスは軽く頷いた。
「紹介が遅れましたね。この子はヒバナ・リコリス。君たちと同じ二年生で、園芸部門の部長です」
「気軽にヒバナって呼んでね~。ヒバナも、ヒバナのことはヒバナって呼んでるから」
「ええ……分かったわ。あたしはアイリス。よろしくね、ヒバナ」
「えっと……カルミア、です。よ、よろしくお願いしますっ!」
軽い自己紹介が終わり、張り詰めていた空気がようやく和らぐ。そのタイミングで、アイリスがふと思い出したように口を開いた。
「でも……おばけじゃなくて、よかったわね」
「は、はい……本当に……心臓が止まるかと思いました……」
胸を撫で下ろすカルミアに、フローレンスが首を傾げる。
「そういえば、ここに来る前もそんな話をしていましたね。おばけとは、なんの話でしょうか?」
「先生、知らないんですか? 最近、夜な夜な学園に現れるって噂の白い影ですよ」
「白い影……」
フローレンスは少し考えるように視線を落とし、静かに答えた。
「きっと、その人は何かと見間違えただけじゃないかな。噂というものは、尾ひれが付いて大きくなるものだからね」
「……やっぱり、先生もそう思いますよね」
アイリスは肩をすくめ、少し残念そうに息を吐いた。
「実はあたしも、誰かの悪戯じゃないかって思ってたんです」
「……少し、残念ですね」
「だよね~? ヒバナも、そう思うよ~。せっかくなら本物のおばけの方が面白かったのに」
ヒバナは軽く笑ったが、その言葉にフローレンスは眉をひそめた。
「面白がるものではありませんよ」
それ以上深掘りされることもなく、話題はそこで終わった。やがて日も落ち始め、二人は部室を後にする。
「それじゃ、あたしたちも戻りましょ」
「はい……」
廊下に出ると、昼間よりも一段と静まり返っていた。
窓の外はすっかり茜色に染まり、学園全体が夜の気配に包まれていく。
◇ ◇ ◇
――その夜。
人影の消えた学園の廊下を、静寂が支配していた。
街灯代わりの魔導灯が、一定の間隔で淡く揺れ、石床に長い影を落としている。
「……おばけの噂、か」
夜間の見回りは、教員が交代制で行っている。今夜の担当は、アザミ・フローレンスだった。
教室の扉、窓の施錠。寮への通路、非常扉。夜更けに抜け出す生徒がいないか、外部からの侵入はないか。淡々と、しかし一切の妥協なく確認を続ける。
――そして。
誰もいないはずの角を曲がった、その先。壁際に、白く、細長い影が、すっと伸びた。
「……」
一瞬、足が止まる。
だがフローレンスは動じなかった。
「こんな時間に外出とは、規則違反ですよ」
静かな声でそう告げる。
「え~? これくらい普通でしょ~?」
軽い調子の返答と共に、影がほどける。
現れたのは、赤い髪を長いツインテールに結った少女。宝石のような瞳が、月明かりを受けてきらりと輝いた。
「もう少し目立たないように行動してください。余計な噂で依頼に支障が出ますよ?」
「あー、あの子たちが言ってた、おばけでしょ~?」
ヒバナは、くるりとその場で一回転してみせる。
「こんな美少女が、おばけ扱いなんて失礼だよねぇ?」
「噂が落ち着くまでは、調査は一時中断しましょう。それと……これからは夜間の調査の際は、使い魔を使わず灯りを所持してください」
「え~こんなに可愛くて、便利な魔法なのに~」
彼女の使い魔、ユリシスは鮮やかな青色が特徴的な蝶。また蝶が羽ばたく際に、舞う鱗粉は白い粉の様な見た目で、自ら光を放つ性質がある。
ヒバナはこれを灯り代わりに使用していた。
「ユリシスは希少な生物。あまり変な事には使わないでください。それと――」
フローレンスは歩み寄り、低く言った。
「必要な情報は、すでにそれなりに集まっています。僕たちも準備が必要です」
「……あのさ。なんでこんな依頼、引き受けたの? これ、ヒバナたちの仕事じゃないでしょ~?」
一瞬だけ、フローレンスの視線が遠くなる。
「古い友人からの頼みだからね……断れなかった。それだけですよ。もっとも、大きな貸しは出来たけどね」
「ふーん……」
ヒバナは興味なさそうに鼻を鳴らし、それ以上追及しなかった。
この学園には――内部の人間ですら知らない情報が、静かに眠っている。
それはやがて、災いの根となり、芽吹き、花開き、世界を蝕む。その兆しは、すでにここにある。
だからこそ。何があっても、この学園の生徒たちと、この国は守らねばならない。彼が望んだ楽園は、誰にも壊させはしない。
――愚者の名に誓って。




