7話 お願いしますのケーキ
目を覚ましたベックは、ぼんやりとワカバを見つめた後、ガバリと体を起こした。
「え、何で膝枕⁉ ごめん、本当ごめん。足痺れてない? え、何で。床で寝たよね⁉」
あたふたと慌てるベックに笑ってから、ワカバは顔を顰めた。
「ちょっと痺れたかも……。あ、でも気にしないで。ソファに運ぼうとして失敗しちゃったの。私の方こそごめん」
ワカバとソファを交互に見やってから、ベックは小さく何度も頷いた。
「あ、そうだったの。いや、なんていうか膝枕は気持ちよ──」
言い掛けたベックは口を噤み、視線を彷徨わせてから何事もなかったかのように背を向け、紙袋を覗いた。
「腹減ったなぁ。なんか買ってくるね」
「あ、じゃあ私も──」
ついて行こうとするワカバを、ベックは押しとどめた。
「だーめ。昨日の今日じゃアイツらがまだいるかもしれないでしょ。勿論、此処に閉じ込めるつもりはないけど、此処にいるつもりならもう少し慎重になって。とりあえず今は俺が行ってくる方が早いから。ね? それに、昨日も思ったけど、ワカバ薄着過ぎ。今日は特に寒そうだよ」
窓の外に目をやったベックは、コートを着込み、手を振って部屋を出て行った。
ワカバは自身の服を見下ろした。
クライドの祖母が着ていた服は置いて来ていた。遠い未来で貰うものだとしても、この時代で勝手に貰ってしまう訳にはいかなかった。外套はシェルターで譲ってもらうつもりで出て来たから、今外に出ろと言われても、無理な話だった。
閉じ込められている訳ではないが、閉じこもらざるを得ない。
ソファに腰を下ろしたワカバは、ベックを待つ間に、今の自分に出来ることを考えた。
この時代から〝現在〟へと呼び掛けられるような何かが必要だ。時空逆行装置に何が起きたのかは判らない。それでも、クライドの手掛かりとなるような何かを。
そして、いつでも〝現在〟へと帰ることが出来るように、心構えをしておかなければならない。
出来合いのものを買ってくるのかと思っていたが、ベックは意外にも食材を買って戻って来た。
待ってて、と言いながら、小さなキッチンで器用に料理をしていく。
「あ、そこの紙袋の中身確認しておいてくれる?」
言われるままにソファの上の紙袋を持ち上げると、甘い香りがふわりと舞った。
「これって……」
「チェリィに着ない服あったら頂戴って言ったら色々くれたの。もうそういう服は着ないからって」
確かに、取り出した服はチェリィの印象からはかけ離れた質素なものばかりだった。ある程度は困らない分だけの服が入っていた。チェリィの心遣いに感謝しながら、底に入っていた小さな塊を持ち上げかけたワカバは、手を止めた。
『新品』
という手書きのメモが張られたそれは、随分とチェリィらしい下着だった。
僅かに顔が熱くなるのを感じたワカバは、そっとそれを底に戻した。
「どう、使えそう? 流石にずっと同じ服でいる訳にもいかないでしょ。ご飯出来るまでに汗流して来たら? シャワールームはそっちの奥」
ベックはスパイスを振りかけたりしながら、何かを作り上げている。
「じゃあ……汗流してくるね」
正直、シャワーを浴びて体を温めたいと思っていたワカバは、いそいそと紙袋を持ってシャワールームへと向かった。
すっきりして部屋に戻ると、ベックがパッと笑顔を向けた。
「あ、丁度ご飯出来た所だよ。──おお、いいね。ちょっと質素すぎるかもしれないけど……どう?」
ワカバはチェリィ風の下着に落ち着かない気持ちになりながら、ゆったりとしたワンピースに目を落とした。
「うん、着心地が良いし、こういうデザインも好きだよ。チェリィさんにお礼を言いに行かなきゃ」
「それはまた今後でいいよ。さ、食べよう。お腹空いちゃった」
ベックが卓の上に出したのは、何という名前の料理か判らなかった。何か、肉と野菜とスパイスを炒めたもの。それに、何かを煮たようなスープが添えてある。
「あぁ、料理名はなし。気分で煮たり焼いたりするの。でも、きっと美味しいよ」
そう言って口に運んだベックは、満足そうに頷き、手を振って食べるように促した。
ふわりと香る甘じょっぱいような香りに、ワカバはごくりと喉を鳴らすと口に運んだ。途端、まるで口の中が弾けたように様々な旨味が広がった。
「美味しい……!」
「やった」
嬉しそうに笑うベックに、何度も頷きながらワカバは瞬く間に料理を平らげていた。ふと目を上げると、ベックの楽しそうな視線とぶつかった。
「あ……がっついちゃってた」
「ううん。良い食べっぷりっていうんだよ。嬉しいな」
恥かしさに逸らした視線は、ふと窓の外の夕日を捉えた。思わず息が漏れる。
「なんだか、時間がゆっくり過ぎるような、でもあっという間のような……不思議な感じ。さっき朝日が照らす所を見ていたのに、今は沈んでいく」
そう言ってぼんやりと窓の外を眺めるワカバの横顔を、ベックは窺うようにした。
「ねぇ、答えたくないことは答えなくていいんだけど、幾つか質問してもいい?」
ベックの声に、ワカバはゆっくりと振り返った。
少しだけ考えてから、頷く。
ベックは探るような瞳でワカバを見てから、訊いた。
「ワカバは家出をしている……訳ではないよね。シェルターに向かっていたのなら、家族や恋人に暴力を振るわれていた?」
ワカバは首を横に振った。
「でも、戻る場所がない。見た所、生活に困っている風でもないのに、財布も何も持ってない。着の身着のまま出てきた感じだ。こんな寒いのに上着すら羽織ってなかったんだから。──犯罪に巻き込まれている?」
ワカバは再び首を横に振った。
うーん、と首を捻ったベックは、暫く考えてから言った。
「こういう場合、然るべき場所に身を寄せるのが良いと思うんだけど……あぁ、勿論、此処に居るのが邪魔だって訳じゃないからね。困っていることがあるなら、絵描きじゃなくて頼るべき場所があるって意味。そのつもりはある?」
ワカバは黙り込んだ。
本来なら、一刻も早くそうするべきだろう。見知らぬ相手の世話になる訳にはいかない。ただ、今のワカバには身分を証明することも何も出来ない。そして、極力そういうことは避けねばならない。
ワカバは顔を上げた。
「戻る場所はないの。ううん、きっと迎えに来てくれる筈だけど、それがいつになるか判らない。待つしかない状況なの。待つ間、私は極力人との接触を避けなければいけない。本来なら、こうして貴方と話しているのもいけないこと。でも、それでも……私は生きていかなくてはならなくて……」
ワカバは立ち上がり、ベックに歩み寄ると、深々と頭を下げた。
「昨日会ったばかりの貴方にこんなことをお願いするのはおかしいと思います。でも、少しの間だけ、力を貸して下さい。お礼は必ずします。……時間が掛かっても」
必死だった。この他にやりようはあったのだろう。だが、今は何も思いつかなかった。これ以上他人との関わりを増やす訳にはいかないし、かと言って頼れるものもなければ、一人でどうにか生きる術もない。
「真面目だねぇ」
必死の訴えをよそに、ベックから返された言葉は随分と気の抜けたものだった。
顔を上げたワカバにひらひらと手を振り、ベックは座るようにと促す。
「そんなに必死に頼まなくたって、俺は最初からそのつもりだよ。だから服だって貰って来たんだし。ただ、危険はないのかとか、気を付けなくちゃいけないことは何なのかっていうのを知りたかっただけ。此処らは物騒だからね。疑ってる訳じゃないけど、まぁ一応……アトリエとはいえ、家でもあるからね」
そう言ったベックは、立ち上がると湯を沸かし始めた。
「ちょっと足を伸ばしてケーキも買って来たんだ。これからよろしくお願いしますのケーキ。今回は半分こじゃなくて、一人ひとつずつ。どう?」
小箱からケーキを取り出したベックは、皿に乗せると上機嫌でワカバの前に差し出した。ケーキに視線を落としたワカバは、胸に湧き起こった罪悪感に顔を歪めた。
クライドが買ってきたものと同じケーキだった。
「あれ、もしかして苦手だった? というか、俺って食べられない物があるかも聞かずに買い物に出ちゃうし阿呆だよね。ごめんね」
片付けようとするベックの手を掴み、ワカバは首を振った。
「ううん。これ、思い出のケーキ……というか、その……そういう訳でもないんだけど……」
持ち上げた皿を戻したベックは、少し考え込んでから、改めて笑顔を浮かべた。
「じゃあ、これは俺とワカバのお願いしますのケーキということで上書き。いい?」
「うん」
ワカバが笑うと、ケトルがしゅーっと音を立てた。




