5話 ベック
階段を駆け上がり、扉を開けたクライドが、窓辺に佇むワカバに気が付き足を止めた。
「……ルー?」
ハッとして顔を上げたワカバは、取り繕うように笑顔を浮かべた。
「お友達? 可愛い子だね」
クライドは探るような目をした後、包みを卓の上に置いた。
「うん。友達というか、幼馴染かな。マリアっていうんだけど、近所に住んでるんだ。マリアのお母さんはお菓子作りが得意でね。今日もクッキーを届けてくれた。食べる?」
ふるふると頭を振るワカバに、クライドは静かに歩み寄った。ワカバと同じように窓辺に寄り掛かり、足元に視線を落とす。
「マリアは俺の真似をして、小石を投げるんだ。本当は窓に当てたいんだろうけど、力がないから届かない。だから、壁に当たるんだけど、それが丁度いい具合にコンコン鳴って気が付けるんだ」
そう、とワカバが答えると、部屋に沈黙が落ちた。
あのさ、とクライドが躊躇いがちに口を開いた。そうしてから、暫く悩むように窓の外に目を向けると、上目遣いにワカバを見た。
「俺は、ルーが人間になって帰って来たのかと思ってたんだけど、きっと違うんだよね」
「……え?」
思わぬ言葉に、ワカバは目を瞬いた。クライドの真剣な表情に、目線で話を促して、待つ。
クライドは、小さく笑ってから話を続けた。
「猫が人間になって帰って来るって、そんな訳ないよね。ルーは……お姉さんは人間だもの。似てても、ルーじゃない。それなら、お姉さんは何処から来て、何に悩んでるんだろう。俺には話せない? それは、子供だから?」
不安そうに揺れる瞳に、ワカバは薄く笑った。
──何をしているんだ、本当に。
「私は、ルーだよ。だから、話せることはないの」
クライドは目を伏せ、眉を寄せた。それでも、それ以上訊くことはしなかった。
「この家に、一人で居るのは辛いんだ。おばあちゃんも、ルーもいつも一緒に居たのに居なくなっちゃった」
クライドの絞り出すような声に、ワカバの胸は苦しくなった。
明かされることはなかった想い。きっと〝現在〟のクライドの中でも解消出来ていない想い。
「ごめんね」
つい口を出た言葉に、クライドが不思議そうにする。
「何で、お姉さんが謝るの」
「……ルーだからだよ」
「ルー」
クライドは、そっと呟くと、可笑しそうに笑った。
その夜、クライドが寝入ったのを確認したワカバは、音を立てぬように家を出た。
寂しそうなクライドを置いていくことはしたくなかったが、それでもこれ以上関わり、心の支えになる訳にはいかなかった。
ひとまず、シェルターに頼ることとする。
いつ帰ることが叶うのか判らないが、既に一週間。装置が壊されていたとして、それでも一月程で直すことは可能だろう。全ての仕組みや理論はそれぞれの頭の中に入っている。クライドを信じて、ワカバはこの時代で生きるしかなかった。
記憶を頼りにシェルターへと向かう。
町並みは見覚えがあるようでいて、古いのに新しかった。
路地を進む内、この辺りはここ数年で開発が進んだのだと思い知る。大通りからひとつ外れれば、ゴミが散乱したり、酔いつぶれて倒れている者が居る。
曲がり角でそれに遭遇したワカバは、小さな悲鳴を上げた。
ワカバの生まれはこの町から遠く、周りには山と畑しかないような土地だった。大学に通う為に一度都会に出て、その後研究所を開くにあたり、クライドの故郷へと移った。
行きつけのレストランや雑貨店は、古くからある店なら見掛けることもあったが、殆どの店は開発に前後して建てられたようだった。
途端に、見ず知らずの地に放り出された気分になって、身がすくみそうになる。
それでも、此処で生きていくには、考えなければならない。
「ねぇ、こんな所で何してるの。おねぇさん」
ふと、ワカバの行く先に男が現れた。一見すると親切そうに笑顔を浮かべているが、その瞳が鋭さを持っているのに、ワカバは気が付いた。
愛想笑いをして通り過ぎようとすると、男はその前に立ち塞がる。
「質問してるのに、答えてくれないの? 酷いなぁ」
男が伸ばす腕を後退って躱し、道を戻ろうとしたワカバの前にもう一人の男が立ち塞がる。男はニヤニヤと笑い、ワカバとの距離を詰めた。
「あの……急ぐので」
「急ぐ? こんな時間に? 何処に行くつもり、おねぇさん。教えてよ」
男がワカバの肩を強く引いた。
「そんなことよりさ、オレ達もっと楽しいこと知ってるんだけど」
「やめ──」
掴まれた肩を強く引こうとしたワカバの前で、男の顔が淀んだ色に染まった。頭上から流れた色水に、男の動きが止まる。
事態を飲み込めないでいるワカバの腕が、ぐいと強く引かれた。
「こっち! 走って!」
訳も判らず、ワカバは腕を引かれるままに走り出した。
白い簡素な服に身を包んだ、細身の背中が前を行く。
男達が遅れて怒声を上げると、ワカバ達を追って走り出す。
いくつかの角を曲がり、それでも走り続けると、ふいに足を止めた白い服の男が、路地に積まれた資材を退けた。その先に現れた穴にワカバを押し込むと、自身もその細い体を滑り込ませる。
すぐに外から男たちの怒声と荒々しい足音が聞こえてきた。
それが遠くに去って行くのを確認してから、男が長い息を吐いて屈みこむ。
「あー、水捨ててなくてよかった」
白い服の男が汗を拭いながらワカバを見やった。
「お姉さん、こんな所で何やってたの。危ないでしょうよ。彼氏とか家族は? 一人でこの辺り歩くなんて正気じゃないって」
「あの──」
「なんだ、また何かやらかしたのか、お前?」
背後から聞こえた声に、ワカバは振り返り、ハッと息を飲んだ。
部屋を覆い尽くすように巨大な体をした男が、呆れたように白い服の男を見下ろしていた。
「またってやだなぁ。俺がやったのは、このいつまでも塞がれない穴だけだって」
そう言って、入って来た穴を指す。
「今すぐ塞いでやってもいいんだぞ」
「それは勘弁。今回も助かりました」
そう言って手を合わせた白い服の男を見やった巨大な男は、鼻を鳴らすと、裏の扉から外に出て行った。
戻って来た足音と怒声に「うるせぇぞ!」と怒鳴りつける。
肩を震わせたワカバに、白い服の男が安心させるように笑みを浮かべた。
「大丈夫。ザリーは、見た目は怖いけど、ここらじゃ有名なただのパン屋だから。此処はただの資材置き場」
部屋に戻ってきたザリーが不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「もう食わせてやらないぞ」
「それも勘弁」
「で、その子はなんだ」
ザリーがギロリとワカバを見やった。
「さぁ。柄の悪いのに絡まれてたから助けたんだけど、知らないお姉さん。なんていう名前?」
「ワ、カバ……です」
名乗ってからハッとしたワカバに、白い服の男は探るような目をしたが、笑顔を浮かべてワカバを覗き込むようにする。
「ワカバ、ね。俺はベック。よろしく」
差し出された手を握ろうとしないワカバの手を、ベックは勝手に取ると、ブンブンと振った。
「それで、何してたのあんな所で」
「シェルターに……」
「シェルター?」
ベックはザリーと目を見合わせる。
「シェルターってぇと、一時的に保護を受けるあのシェルターかい?」
ザリーが煙草をふかしながら言う。
「は、はい。此処から少し行った先にありますよね、シェルター」
「ないわよ」
ふいに答えた艶やかな声に、ワカバは振り返り、目を見開いた。
そこには、まるで大輪の花のような女性が立っていた。艶やかな顔つきと、しなやかな曲線を描く体を、ただの飾りのように服と呼んでいいのか判らないものに包んでいる。まるで、私自身が宝飾品だ。とでも言いたげだった。しかし、そのような風貌でも、まるで嫌な所がない女性だった。
思わず見惚れていたワカバの顎を、その細やかな指で掴むと、じぃっとワカバの顔を見回した。ふわりと甘い香りが漂う。
「何処かの店から逃げてきた訳じゃなさそうね。此処らの子って感じしないもの。あぁ、シェルターなんてないわよ。そんなものがあるなら、此処らから人間は誰も居なくなるわ」
ドギマギとするワカバの顔を、横合いからベックが覗き込む。
「怖がらなくても平気だよ。この人は、チェリィ。ここの女王様」
チェリィは真っ赤な口紅を塗った唇で、ワカバの頬に口づけた。見ることは叶わないが、きっと頬には真っ赤な跡が付いているだろう。
「それで、ザリーのパートナー」
チェリィはザリーの太い腕に絡みつくようにすると、人目があるというのに堂々とうっとりとした瞳でキスをした。不機嫌そうなザリーの頬がほわりと色づく。
「で、シェルターに向かっていたワカバちゃんは何処から来たの」
チェリィは愛おしそうにザリーの頬を突きながら訊いた。
「そ、それは……」
言い淀むワカバに、部屋に沈黙が落ちる。手を止めたチェリィは、ふぅんと唸ってからワカバを見下ろした。
「まぁ、言いたくないことって誰にでもあるわよねぇ。あぁ、でも、今アタシからはあるわ。もうすぐ開店の時間だから出てって頂戴」
「え、もう?」
ベックの声に、チェリィは紙袋を手渡すと、裏の扉を開けた。
「ごめんなさいね、ワカバちゃん。もう開店で手が回らなくなるし、今日は此処に搬入がある日なの。そこのヒョロ長だけならまだしも、女の子を置いておくことは出来ないわ。うちの人はこんなに幸せなサイズだから、余計にね」
そう言ってチェリィはザリーへと色っぽい視線を投げかけ、ザリーは口元を緩ませると店へと続く扉の向こうに姿を消した。
「こんな時間からお店を開けるんですか」
思わず聞いたワカバに、にんまりとチェリィは微笑む。
「こんな時間に生活してる奴等ってのも居るのよ。それじゃあね」
素っ気なく、それでいて甘い香りを残して扉は閉められた。
「さて、じゃあアイツ等に見つからないように行きますか」
「え、何処に?」
「俺の家──何もしないよって言っても信用出来ないよね。じゃあどうしようか。でもなぁ、アイツらがまだこの辺りうろついてるかもしれないし……家っていうか、アトリエだし、一室の天井無いから家じゃないってことに出来ない?」
眉を寄せるベックに、ワカバは首を傾げた。
「天井が……ない?」
「そう。結構昔に屋上で馬鹿やった奴が居たらしくて、そいつは追い出されたんだけど、天井はそのまま。その代わり家賃はないようなもん。そこをアトリエとして使ってるんだ。床で寝てるし、そんな家具はなくて……あぁ、でもソファはあるからワカバが座るのには困らないよ」
ベックはワカバの答えを待たずに、建物の角から路地を覗き、歩き始めた。
「こっちだよ」
と手招きされるままにワカバはベックの後を追った。
あの、と声を掛けると、何処か上機嫌のベックが「なぁに?」と首を傾げる。
「アトリエって……何をしてるんですか?」
ベックは鞄から一本の筆を取り出すと、ニコッと笑みを浮かべた。
「絵描き。まぁ、そこそこ名前は知られてる……と思いたい」




