4話 無自覚の悪意
クライドの話によると、両親は仕事に出たばかりで一月程は戻らないという。
結婚するにあたり当然両親との顔合わせも済んでいたワカバは、内心で僅かな罪悪感を覚えながらもクライドの両親に感謝をした。そして、一刻も早く戻れるように祈りながら日々を過ごした。
ワカバは祖母の部屋で寝泊まりし、着替えも祖母の残したものを借りた。
不思議な感覚だった。
クライドの祖母の服は、未来でいくつか貰い受けている。見覚えのある物が多くあるが、この時代ではワカバの所有物ではない。
着慣れているが、自身の物ではない。
少しの違和感を抱きながら、ワカバはクライドの祖母にも、心の中で感謝の気持ちを送った。
「それじゃあ、次はこれ」
クライドは頬を上気させて、卓の上にケーブルで繋がれた二つの小箱を取り出した。
「こっちの箱に入れたものが、こっちの箱に移動する」
その装置を見たワカバは、息を飲んだ。
──クライドは、こんな時からもう既に時空逆行の構想を練っていたんだ。
つい鋭い視線になったワカバの様子を見て取ったクライドは、薄く笑って、小さな駒を箱に入れた。
「これを入れて……扉を閉じる。そして作動させると──」
ブゥン、と微かな音を立てて小箱が振動する。
もう片方の小箱を開けると、中には小さな駒が入っていた。小箱の中を移動したのだ。
十分な発明と呼べるものだった。しかし、クライドは納得いっていない風に顔を顰める。
「こういうのは作れるんだ。多分、資材と電力さえ整えばもっと大きな物も移動出来るだろうね。でも、俺がやりたいのはこれじゃなくて……。ねぇ、ルー。この装置についてどう思う?」
クライドの話に耳を傾けながら、自然とあれこれと考え始めていたワカバは、「うん、これは──」と答えかけて、視線を逸らした。
「これは……凄い装置だね。私には思いつかない」
ワカバの答えに、クライドは不服そうに目を細めた。
自然な風を装いながら、小箱を片付け始める。
「このくらいだったら、俺みたいな趣味の奴なら簡単に思いつくし、作れると思う。ただ、違うんだ。何かが、足りない」
その何かとは、ワカバが証明した〝魂の重さ〟だろう。
魂の存在は、古くから多くの研究者や宗教者、様々な人々の間で議論され、定義されてきた。それを、ワカバは物質として証明してみせたのだ。
きっかけはふとしたことだった。
別件で転移装置を構想していたワカバは、毎回数値に少しのずれが発生することを発見した。それを証明出来ねば、装置は実用化とはならない。
思考と試行、そして検証の末、それが魂と呼べるものであったこと。魂も物質として扱うことが出来ることを証明するに至った。
勿論、定説となった訳ではない。ワカバの説に反論するものもいる。それでも、魂に関して今最も有力な説は、ワカバのものだった。
魂とは。想いとは。
これからも多く議論されていくことだろう。それでも、その糸口をワカバは見つけ出すことに成功した。
大学の研究室でクライドと出会い、互いの足りない部分を補う形で時空逆行装置は完成した。
──その装置で、今こうして大変な想いをしているのだけど。
はぁ、と息を吐いたワカバに、クライドが首を傾げ、手にしていた筒状の装置を卓に置いた。少しだけ悲しそうに瞳を揺らし、薄く笑む。
「ごめんね。退屈だったでしょ。お茶にしようか」
部屋を出て行こうとするクライドの腕を、ワカバは慌てて取った。
「ち、違うの。凄く楽しいよ。ただ、あまりに凄くて頭を働かせ過ぎちゃったみたい」
自身の研究に興味がないと突きつけられること。それは酷く傷つく行為だ。クライドの研究への熱意と、好奇心を曇らせる訳にはいかない。
クライドは目を瞬いてから嬉しそうに笑うと、ワカバの手をそっと離した。
「そう。なら良かった。でも、ひと休みしよう。ルーもお茶飲みたいでしょ。昨日買ってきたケーキも食べよう」
「……うん」
クライドは一度だけ買い物に出掛け、酷く焦った様子で帰ってきた。外に出ることを渋るワカバを置いて出ていたせいで、知らぬ間に居なくなっているのじゃないかと気が気でなかったらしい。それでも、平静を装って買ってきたケーキをワカバに見せ、「明日のお楽しみ」と格好つけてみせる。
その姿に、ワカバはこそばゆい想いがしていた。
クライドはいつだってそうだった。ワカバに悲しいことがあった時、何か悩み事がある時に、お菓子やケーキを買ってきては「明日のお楽しみ」と格好つけてみせる。そうすると、少しだけ気が楽になり、明日が楽しみになる。
ワカバはひと通り笑ってから、ふいに我に返って自己嫌悪に陥った。
──この時代のクライドは、子供なんだから……。
この家に来てから三日が経っていた。
未だクライドの迎えはなかった。
心細さに、立てた足を抱くようにして俯く。
もしクライドが原因究明を成せなかったら。
この時代に居るワカバは、元の時代に向かって一秒一秒をこの時代で生きていくこととなる。
その可能性が、必死に振り払おうとしても頭をもたげてくる。
「ルー」
その声に、ワカバはハッと顔を上げた。
部屋を出て行った筈のクライドが、扉の陰から顔を覗かせていた。気遣うような顔をしながら、歩いてくる。
「ごめん、手伝うね」
そう言って立ち上がろうとするワカバの頭を、クライドが優しい手つきで撫でた。
「寂しいの?」
その問いに、ワカバは緩く首を振る。
「ううん、大丈夫。少し考え事してただけだから。お茶にしよう。下にあるんだよね?」
笑顔を浮かべて部屋を出て行くワカバを、クライドが寂しげな瞳で追った。
コツコツという小さな音に、クライドが顔を上げた。
本格的にこの時代での生活を考えるべきかもしれない、とワカバが考え始めた頃のことだった。
一週間程生活を供にすれば、だんだんと互いのペースや感覚も掴めてくる。好きに過ごす時間が増えていたが、それでもクライドはワカバと同じ部屋に居たがった。
彼の家庭環境を考えれば当然のことかもしれないが。
読んでいた本を置き、窓辺に歩み寄ったクライドが、小さく笑った。
「ちょっと出てくるね」
ワカバを振り返り、何処か不安そうに、それでいてそれを隠そうとしているクライドの様子に、ワカバは安心させるように笑みを返した。
薄く笑ったクライドが、パッと部屋を出て行った。階段を降り、庭へと続く扉を開ける音がする。
ワカバは、ちょっとした好奇心で窓から庭を見下ろした。
クライドが同い年くらいの少女と何やら話し合っているのが見えた。
可愛らしい装飾のマントに身を包んだ少女が、愛らしい顔でクライドを見上げている。マントの裾から覗くスカートは、埋もれる程にフリルが縫い付けられていた。
少女が何かを言い、クライドが笑う。クライドが話すのを聞き、少女が頬を染める。
その様子を見守る内、ワカバはあることに気が付いた。
──マリアだ。
そうだ。二人は幼馴染だったのだ。出会ったばかりの頃に、そうなのだと聞いたことがある。ワカバとクライドが交際を始めた辺りで、マリアは気を遣ったのかそういった素振りを見せなくなったが、確かに二人は幼馴染なのだとクライドからも聞いていた。
そのことを思い出した途端、ワカバの中で何かが繋ぎ合わさっていく感覚があった。同時に、胸の中にひやりと冷たいものが流れていく。
マリアには、時空逆行装置に使う薬剤の管理を任せている。
自身の中に浮かんだ疑念を、ワカバは振り払おうとした。
──まさか、そんな。
マリアは同じ研究室で共に研究を続けてきた。時空逆行装置は、ワカバの理論とクライドの技術によって完成した。しかし、それを安定へと導いたのはマリアの薬剤に関する知識だった。だからこそ、時空逆行装置は三人での保守、維持、管理を続けている。
時空逆行装置は、故障や誤作動をした訳ではなく、正常にワカバを過去へと送ったのだとしたら?
それが、マリアの手で行われたのだとしたら?
振り払おうとしても、次々に疑念が確信へと変わっていく。
ワカバは必死にそれを否定した。
──そんな筈はない。無理に自分の望むよう疑念を解釈して、繋ぎ合わせているだけ。
しかし、確かに装置は欠かさず手を入れ管理してきていたし、今までにこのような事故は起きていない。クライドが一向にワカバを〝現在〟へと戻せないのも妙だった。
マリアによって、濃度を上げた薬剤を使いワカバは体ごと過去へと飛ばされた。装置は既に壊されているか、使えない状況にあるせいでワカバを引き戻せない。
ちら、と窓の外に目をやったワカバは、不安が押し寄せてくる感覚を覚えた。
仲睦まじそうに話し合う二人。
マリアは明らかに恋心を抱いている。
クライドは……。
そこまで考えて、ワカバはその考えを押しやった。
過去に何があったにしろ、クライドはワカバを選んだ。婚約した。
──それを、マリアは内心で良く思ってなかった。
マリアとも、良い関係を築けているとワカバは思っていた。二人で出掛けることだってあったし、ワカバにとって信頼のおける相手だった……筈だ。
でも、とワカバは思い返した。
マリアの瞳は、本当にクライドへの気持ちを宿していなかったか。以前は、三人で出掛けることもあったのに、婚約したことを伝えてから、それはなくなった。それなのに、クライドと二人で話す姿を見掛けることがあった。
気にしていなかった。小さな違和感は、マリアの気遣いによるものだと思い込んでいた。
もし、マリアがずっと密かな恋心を抱いたままだったのだとしたら。
それに気付かず、突然現れたワカバがクライドの横に当然のように収まったのだとしたら。
──マリアはどう思った。どう、感じていた?
ワカバは自身の手が小さく震えているのに気が付いた。
悪意はなかった。奪ってやろうだなんて思っていない。気が付いてすらいなかった。
無自覚の、悪意。
飲み込まれそうになる思考に、ワカバはふるふると頭を振った。
でも。でも。と繰り返す。
──クライドが選んだのは、私だ。それは、事実だ。
その事実を無視して自分を責めるのは、卑怯なことだ。
全て、仕方のないことなのだ。
なにより、ワカバはクライドを諦めるだなんてこと、出来る筈もなかった。
「……どうしよう」
これ以上、クライドと共に居ることは出来ない。
干渉を続ければ、きっと未来は変わってしまう。
嫌だった。クライドと結ばれる未来がなくなってしまうことが。怖かった。




