専属騎士の回想1
アルによるレインベルト家の回想。説明回。
俺の名はアルベルト・ヴァグナーだ。
へゼルバード王国にあるレインベルト侯爵の領地に勤務する騎士団の団長だ。
団長だが、一応26歳。副団長よりも若い。
これには理由がある。俺が、レインベルト侯爵令嬢エリシュナの専属護衛だからだ。
俺とエレナの出会いは、俺がおおよそ10歳の頃だ。俺の生家、ヴァグナー子爵家は酷く貧乏だった。理由は明確。子爵なのに社交界で見栄を張りすぎた。そのために貯蓄がカツカツで1度の飢饉で貯蓄が底をついた。設備も老朽化し、生産性もあがらぬ領地経営では、次男の誕生は喜ばれなかったのだ。石潰しだと罵られ、兄もまだ幼かったからか、親を真似て俺を虐めた。教育のための金は全て兄に投資され、領地で一人ぼっち、領民よりも学がなく、読み書きも怪しかった。
そんな俺を哀れに思ったのが、当時1人だけ勤めていた老執事だ。俺に文字を教え、少ない食事の割りに体格の良い俺には騎士が向いていると進言してくれた。こっそり我が家の馬に俺を同乗させ、隣のレインベルト領まで送ってくれた。そして「レインベルト侯爵様は騎士団をお持ちです。 そこでなら若君の才を評価し剣を授けてくれる師がいるやもしれません」と教えてくれた。
そこで運命に出会う。俺の境遇を一笑し、気に入ったと肩を叩いて歓迎してくれた指導役の騎士(今も監督官役で後進指導をしているクソ元気なジジイだ)が荘園屋敷に居た侯爵夫人に俺を紹介してくれたのだ。そして、引き合わされたのが、エリシュナ。まだトテトテ歩き、覚束無い言葉を話す、ふわふわした女の子だった。騎士が俺にこう言った。「奥方がお前を、お嬢様の未来の護衛として屋敷に引き取ってくださるそうだ。良かったな。明日からバリバリしごいてやるからな」そうして頭を掻き撫でられた。それ以来親父のように慕っている。
そこから俺は、実家よりもピカピカな騎士寮に入った。新品の制服に新品の文房具。俺専用のものがたくさんできた喜びは今でも覚えている。これだけ言うと貴族らしからぬが事実だ。そして、兄貴分の先輩がたくさんできて人とまともに関わるようになり、街に買い物にいったり人並みの生活の仕方を教わった。
正規の入団年齢までは、主に荘園屋敷で勉強することとエレナと遊ぶことが仕事だった。当時領地と王都を行き来していた侯爵は、1年の半分は領地を留守にしていた。この頃はまだ夫人の体調も良く、社交の季節真っ只中の時だけ王都で夫人も過ごしていた。
夫人の計らいで、俺はその王都にも同行していた。騎士団の中では子爵でも身分が高くなる。だから俺に平民とは違った貴族の振る舞いを身につけさせようとしていたようだ。
こうして、俺には素のざっくばらんな性格と、対貴族用の澄ました騎士然とした性格の2面を持つようになったのだ。そして、俺の影響かエレナの性格も表裏ができるようになってしまった。
このころ王都で家族と再会する。両親は俺の方が良い生活をしていると妬んだが、兄はものの分別が分かる年齢になったようで、俺と兄弟として関わりたいと言ってきた。多少侯爵家との繋がりが欲しいという思惑も見えたが、兄は俺に対して誠実であろうとしてくれたので、現在兄弟仲は良好だ。
この辺で人生の転機が来た。アルフレッドを生んだ後体調を崩しがちになった夫人が、領地で本格的に療養することとなったのだ。家人は繊細なフレッドの世話と領地経営の補佐で忙しくなった。つまりエレナの相手をする人間が少なくなったのだ。
その頃の俺は、本格的に騎士団に見習いとして入団し、日中は訓練に明け暮れていた。これまでつきっきりで遊んでいた相手がいなくなると同時に、使用人は忙しくて相手をしてくれなくなる。そのような状態に陥ったエレナは、寂しさの余り俺を頼って騎士団に見学に来たのだ。まだひよっこでボコボコにされているのが恥ずかしいと思っていた俺は怒り狂ったが、エレナが半泣きで地に伏せている俺に抱きついて来た時には生まれて初めて庇護欲なるものを覚えたのだ。
俺の人生の転機、それは護衛対象を女として認識してしまったことだ。
当時ガキだった俺は動揺した。少なくともあってはならぬ事だと理解はしていたが、では具体的にどう振る舞うべきか全く分からなかったのだ。そして出した結論は、同じ年頃の団員仲間と同じように扱うことだった。ここから俺とエレナの悪友人生が始まったのだ。朝練習場で会ったならば屋敷に帰さず、昼ご飯を街に共に食いに行き、終われば屋敷に送ることもあれば一緒に屋台通りを闊歩したこともあった。
寂しかったエレナは、俺との遊びを覚えてしまった。侍女頭にも怒られたが、相手できない負い目もあったのだろう。夕食は俺も屋敷で食べることとなり、エレナと夫人と俺と、時折フレッドも共に晩餐をすることとなった。晩餐用のドレスを着るエレナを見るハメとなり、またも俺は惚れ直してしまったのである。
繰り返すが、俺はガキだった。故に周りに俺の気持ちなどバレバレだった。騎士団員のみならず、侍女も執事もあまつさえ夫人すら知っていたように思う。少なくとも行きつけの食堂の女将にはバレていた。
その頃、騎士団員の同期達は先輩に連れられて「夜遊び」を覚えだした。そろそろ見習いを脱出し国境の小競り合いに初陣を飾り出していた。所謂血の昂ぶりを発散する術を教わるのだ。俺もエレナが気になるお年頃だったが、認めたくない気持ちもあり、大人になれば気分も変わるだろうと思っていた。
しかし、である。騎士団の年配の親父共はエレナを溺愛していた。俺達の訓練の合間に馬に乗せたりなんだりと世話も焼いていた指導役の親父共の命令で、俺の女遊び禁止令が出たのである。
お れ だ け !!
エレナが後々、俺の女遊びを知って自棄になったり傷ついたりしないようにだ。いくらなんでも酷かったアレは。今現在の俺が童貞か否かは割愛させていただくとして、俺は当時団員の中で1番自慰が上手かったと自負している。酒の味もあの頃覚えた。流石にエレナが飲もうとした時は止めたが。
この頃までは、エレナも普通の令嬢だったように思う。確かに、裁縫やマナー講義やダンスなんかよりも乗馬が好きで、読書も恋愛ものより戦記物が好きだったが、出会った頃のふわふわ可愛い雰囲気はそのままに成長したように思った。
そして俺が19歳エレナが15歳の時、侯爵が王太子の即位と共に宰相に任命された。これと同時期に夫人の病状も思わしくなくなる。寝台から離れることができなくなったのだ。
当時まだ8歳になるかならないかだったフレッドは、病床の母親の変化についていけず泣いていることが多くなった。自ずとご機嫌を取る人員がさかれ、同じように心を痛めていたエレナに寄り添う人間がいなくなった。
エレナは荒れた。
そろそろ貴族令嬢としてお淑やかに、言葉を悪く言えば動かず仮面のようにニコニコする練習をしなければならない時分に、彼女は街を出歩き、1人で遠乗りし、酒場に入り浸り、苦学生とポーカーやチェスに夜な夜な明け暮れた。
半分は俺の仕業だ。1人でフラフラとするくらいなら、俺と同じ悪い遊びをし、俺と一緒に夜の闇に堕ちれば良いと思ったからだ。少なくとも、1人の時と違って俺がエレナを守ってやれるし、側にいてやれる。
半ば黙認という形で俺は騎士団の任務をサボり、エレナと一緒に領地を巡ったり、他領の観光地に立ち寄ったりした。護衛騎士の役目も身の回りの世話も俺がやった。
俺は大分大人になり、エレナに対して愛だの恋だの押し付けようとする気持ちはなくなった。俺の恋心がなくなった訳ではないが、もっと大きな愛に目覚めた。俺が両親に見放され辛かった時に無邪気に遊んでくれたエレナを、次は俺が支える番だ。お互いに必要である存在だと、自惚れでなく俺もエレナも気付いたのだ。エレナはそれを悪友と表現し、俺もまた悪友という言葉に大きな慈しみを込めている。
夫人の余命が宣告されたころ、エレナは精神的に立ち直った。率先して母親の介護をし、弟を慰めた。俺も日中は騎士団の稽古をし、夕方はかつての習慣と同じようにエレナと夕食を取った。母親の食事介助に手間取り、フレッドと食事することも多かった。その頃の俺はフレッドに対して、神経の細いか弱い坊ちゃんというイメージを持っていた。話をしていくうちに、彼にはエレナにとっての俺のような存在がおらず、不安定なだけなんだと知った。
少し相手をしてやっただけで、フレッドは俺に懐いた。本当の兄のように慕い、今まで出来なかった我侭やイタズラといったヤンチャもするようになり、安定した。
3人の貴人の生活が板に付いてきた、エレナが17歳になったばかりの頃、夫人は息を引き取った。
侯爵家では粛々とエレナと筆頭執事のトーマスの手によって葬儀の準備が進んだ。騎士団も喪章を付け、剣を捧げた貴婦人の死に哀悼の意を表した。
精神的に成長し、落ち着いていたと思っていたフレッドが、父親の不在でまた崩れた。
夫人の葬儀は領地で行われ、王都で再びお祈りを捧げる事になっている。その領地の本葬に当主が不参加だったのだ。エレナも好奇の目に晒されて可哀想だった。専属護衛の職権を濫用し、俺はずっと背後に佇んでいた。歩くとなればエスコートをし、彼女が言わずとも、先んじて全ての世話や準備をした。
この時ほど、夫人が俺に貴族としての振る舞いを叩き込んでくれたことを感謝したことはなかった。
この後、エレナは多少塞いだもののトーマスと一緒に執務の勉強を始めた。フレッドが閉じ篭り、跡取りがエレナになるやもしれぬといった雰囲気が使用人に広がった。
俺は、フレッドに寄り添い話を聞いてやった。夫人が王都と領地を行き来していた頃、まだほんの赤ん坊だったフレッドにとって、父親は常に居ないものとなっていたようだ。
自分は跡取りだから姉に甘えてはならないと分かっていても、迷惑をかけてしまうと泣いていた。でも、父親の跡を継ぐことがどういうことか分からないのだと、訴えた。
エレナと相談して、トーマスをフレッド専属の教育係にした。フレッドには信頼できる大人が必要だ。
そして、エレナは家人の負担を減らすため領地視察へ出ることにした。別荘には別荘の管理人がいるので荘園屋敷の使用人の負担にはならない。
俺だけを連れて旅に出ることになったので、俺は休職願を出した。そうすると、親父代わりの教育係が俺を呼び出した。
「何か御用でしょうか」
「お前、お嬢ちゃんについていくために辞めるのか」
「俺はエレナ様の専属護衛ですから、そちらを優先します」
「ところでな、そろそろ団長が引退したいと言ってきてな」
「……はぁ」
「俺はお前を推挙したいと思っている」
「はぁ!?」
「俺達、レインベルト騎士団にとって侯爵家の人間は最も優先すべき事項だ。だから団長になれ。お前の職務はお嬢ちゃんの護衛、それが最優先だ。これなら辞めずにフラフラできるだろ?」
親父さんの仕事は、いつも心臓に悪い。
すったもんだした挙句、副団長に頭脳明晰な商家出身の先輩を据えて収まった。
侯爵家のゴタゴタと、夫人の病で延び延びになっていた儀式を、団長就任と同時にすることとなった。侯爵家の女主人に騎士として忠誠を誓うものだ。エレナの初仕事には俺が指名された。
剣を捧げ、エレナのスカートの裾に口付けた時、永遠の絆と鈍い痛みを感じた。
次話もアル回想。時間軸は現在に戻ります。