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第14話 最後の三日

黒い球体が四つの空欄を開いた。

市内図では、八つの赤い点が脈打つたびに広がっていた。

残り十一時間八分。


《旧管理鍵》


《同期率:100%》


《未登録外部観測》


《適合者による自由意思承認》


現在そろっているのは、遥の外部観測だけだった。


「三つの観測点を十七ヘルツで同時に開きます」


ORACLEが星見駅、図書館地下、一九七四年の第一観測室を線で結んだ。


球体から、接続先そのものが短く放たれる。星見駅の地上救護所と地下入口。図書館地下の発振器。一九七四年の第一観測室。各映像の下には、この三日間に同じ場所で積み重ねた観測記録が層になっている。


どれか一つを消すと、三拠点を結ぶ線も切れた。観測記録そのものが、未来を固定する前の状態へ根を下ろしている。


蓮は自分の記憶だけで補わず、澪の測定記録と遥の証言を別々の入力として残した。三人が同じ物語を作るのではない。違う経路から同じ時刻へ到達させる。


澪は図書館に残り、誠一から旧管理鍵を受け取る。遥は星見駅の地上で、観測機構の記録外に人間が存在し続ける証拠を残す。蓮は原初迷宮の中枢で根幹報告を承認する。


「一人でも通信が切れたら中止する」


蓮が言うと、澪は首を横へ振った。


「通信は参考にしかならない。同じ答えを相談して作れば、独立観測にならない。確認するのは時刻と物理状態だけ。判断は別々にする」


遥が自分の録音機を掲げた。


「誰かが勝手に正解を決めない。そういう作戦でしょ」


三人は違う出口から白い廊下を離れた。



澪は図書館地下の発振器を十七ヘルツへ合わせた。


ブラウン管に、観測番号一の補正室が映る。誠一は中心観測錨の椅子に座り、黒い鏡の白衣に囲まれていた。


「十一時間も保ちません」


「こちらでは三分あれば足りる」


誠一の背後で、時計の秒針は止まったままだ。澪の腕時計だけが進んでいる。


彼女はORACLEの継承領域を開き、最終報告の実行条件を書き換えた。


《実行回数:一回》


《報告完了後、観測接続を失効》


《中央管理権限を削除》


《再起動不可》


一行ごとに警告が増えた。再実行できなければ、失敗を訂正できない。中央管理を消せば、ORACLEが維持していた迷宮閉鎖も使えなくなる。


澪は削らなかった。


「私が未来で作ったものを、都合よく善良な助言者として残さない」


誠一が画面の向こうで金属板へ手を置く。


「それでいい。鍵は道具に渡すものではない。使ったあと手放せる人間に渡せ」


鏡の白衣が誠一の肩を掴んだ。画面の半分から、彼の輪郭が消える。


澪は祖父の名を呼ばなかった。代わりに、別々の紙へ書いておいた物理事実を読む。


「白衣、男性。細い眼鏡。右袖に焼け焦げ。椅子の左に旧管理鍵」


図書館職員二人の記録と一致した部分だけを送る。誠一の右腕が画面へ戻った。


「準備はできています。終了を選ぶのは、あなたです」


「分かっている」



星見駅の地上では、遥が避難者へ白いカードを配った。


相談せず、現在見えるものを一人ずつ書いてもらう。駅舎の亀裂。消防車の数。隣にいる人の氏名。腕時計の時刻。


証言が一致しない箇所も捨てない。赤い光を見た者は三人。黒い階段を見た者は一人。何も見なかった者は十一人。


全員の脈はある。


全員が、別の誰かに名前を呼ばれている。


カードを書いていた老人が胸を押さえ、椅子から崩れた。遥は録音を止めず、床へ膝をつく。呼びかけに反応あり。呼吸あり。脈は速い。消防隊員へ時刻と症状を伝え、上着を緩める。


老人は自分の名を答えた。隣の女性も同じ名を呼んだ。遥は二人の声と、手首に触れた脈を別々に記録する。


遥は録音テープへ時刻を告げた。電子記録から消えても残るよう、救護所の柱へ紙を貼っていく。


閉鎖された地下入口に、黒い鏡が浮かんだ。


鏡の中で、遥は倒れていた。救命講習の教材を抱え、崩れた階段の下で目を開けない。八年前に死んだはずの自分だった。


《退避してください》


《神代遥生存率:100%》


その下の《観測番号》は空欄だった。鏡は遥へ情報を見せても、十三の内側へは入れていない。地下へ踏み込まない限り、彼女は外部観測者のままだった。


地上へ逃げれば、外部観測は切れる。数字はその条件を表示しない。


遥は退路を確認した。二十メートル先の救護所。腰へ結んだ安全索。消防隊員二人。自分で準備した条件は残っている。


「生きるために残る。死ぬためじゃない」


鏡へ背を向け、カードを一枚拾った。


駅舎の亀裂。消防車三台。神代遥、現在生存。


書いたのは、遥自身ではない。避難者の一人が独立して確かめた記録だった。


鏡の中の死体が、初めて目を開けた。



蓮は原初迷宮の中枢へ降りた。


未来では存在しなかった白い階段が、黒い球体まで続いている。左右の壁には、三十二歳の蓮が選んだ経路が映っていた。


九条を切り捨てる蓮。遥を駅から遠ざける蓮。ORACLEを壊して、市内全域を迷宮へ変える蓮。


どの未来にも高い生存率が付いている。


蓮は黒い手帳を開いた。最後のページへ、空欄が一つある。


《最終承認》


まだ書かない。


十七ヘルツの振動が足裏を打つ。図書館から澪の観測記録。星見駅から遥と避難者の記録。内容は統一されていない。重なったのは時刻と、人が存在しているという物理事実だけだった。


《同期率:七十八%》


白衣の監査体が階段を降りてくる。顔の鏡には、未来の蓮しか映っていない。


蓮は戦わず、壁の映像を一枚ずつ声に出した。


「九条を切れば九十二%。条件は中央管理」


一枚が割れる。


「遥を退避させれば百%。条件は外部観測の喪失」


もう一枚が割れた。


数字を否定しているのではない。隠された条件を戻し、唯一の答えではなくす。


監査体の歩みが遅くなる。


《同期率:九十九%》



誠一は中心観測錨の前で、自分の終了欄を開いた。


《観測番号一を終了しますか》


澪の画面には、承認ボタンがない。


「外では、私は祖父になれたのか」


「写真が残っています。娘を抱いて、笑っている写真です」


誠一は一度だけ目を閉じた。


「なら、私が覚えていない時間も、なかったことにはならない」


彼が自分で終了を押す。


止まっていた時計が動いた。白衣の身体が崩れ、鏡だけが床へ落ちる。誠一の髪が白くなり、頬へ五十年分の皺が走った。


金属板の空欄に、十三の数字が刻まれる。


「英雄にはするな」


それが最後だった。


画面が消え、板の溝を認識した状態だけが十七ヘルツの信号へ乗った。


澪の視界が一度だけ滲んだ。袖で拭い、鍵をORACLEの一回限りの報告欄へ接続する。手を止めれば、誠一が残した終了を無駄にする。



原初迷宮の中枢で、最後の空欄が点灯した。


ORACLEは蓮と澪へ、互いの回答を隠したまま同じ質問を送る。


《方針照合:生存率が低下しても、人類を中央管理から外しますか》


澪の答えは蓮には見えない。


蓮は未来を根拠にしなかった。正しいと保証する数字もない。遥が外で生き、澪が別の場所で検証し、それぞれが自分の判断を持つ。その状態を残すために選ぶ。


黒い手帳へ《方針同意》と書いた。


文字が消える。


《同期率:100%》


監査体の鏡に、現在の蓮が映った。


ORACLEが根幹報告を開く。


『最終報告を開始します』


声は、初めて一拍だけ遅れた。


『私は、これから嘘をつきます』


最後までお読みいただき、ありがとうございます。


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