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藍を染める火花④ 〜夏を仕立てる〜

昭和48年


 呉服店は、夏になると戦場だった。


「お父さん、昼ご飯!」

「あとでいい!」

「だめ!」


 若いフミコが、店の奥から声を張る。


「食べないと倒れるよ!」

「倒れてる暇がない!」

「じゃあ私が食べさせようか?」

「子供じゃない!」

「じゃあ食べて!おにぎり作ったから!」

「分かった!」


 そんなやり取りが、毎年の夏の風物詩だった。


 太郎はお客さんの普段着を見れば、その人がどんな浴衣を好むのか分かる。


 寸法を測れば、その人が普段どんな姿勢で歩いているのかまで分かる。


「この人は少し肩が前に出てる」

「分かるの?」

「ああ」

「すごいね」

「布は嘘をつかない」


 太郎はそう言って笑った。


 だから、夏の花火大会には一度も行けなかった。


 花火大会の日こそ、浴衣を買いに来る客が多いからだ。


「今年も花火、見られないね」

 フミコが言う。


「店から見える」

「毎年それ」

「綺麗だぞ」

「近くで見たい」

「友達と行ってくればいいだろ。」

「お父さんと行きたいんだよ。」


 太郎は目線を目の前の浴衣にずらして、答えなかった。




 フミコが高校を卒業してから、店を手伝いだして3年ほど経った頃。


 少しずつ、太郎の身体が思うように動かなくなった。


 最初は、針を落とした。


 次は、箸を持つ手に力が入らなくなった。


 階段を上るのが遅くなった。


「お父さん」

「ん?」

「最近、疲れやすくない?」

「歳だろ」

「病院行こう」

「大げさだ」


 けれど、ある日。


 太郎は立ち上がれなくなった。


 それから少しずつ。


 歩けなくなった。


 手も。


 足も。


 身体の自由が、少しずつ失われていった。


 やがて、太郎は車椅子に座るようになった。


 それでも、店主として毎日のようにフミコや従業員に指示を出していた。




「……花火、見に行くか」


 ある夏の日。


 太郎が言った。


 フミコは驚いた。


「花火?」

「ああ」

「でも店……」

「今日は閉めよう」

「え?」

「一日くらい、いいだろ」


 フミコはしばらく黙っていた。


 それから笑った。

「うん」




 花火大会の夜。


 フミコは太郎の車椅子を押して、川沿いへ向かった。


「重い?」

「ちょっと」

「帰るか?」

「帰らない」

「そうか」

「今日は絶対帰らない」


 二人は人混みの中を進んだ。


 浴衣姿の人。


 団扇を持った子供。


 屋台から漂う焼きそばの匂い。


 綿あめ。


 りんご飴。


 川面には、町の灯りが揺れていた。


「お父さん」

「ああ」

「こんなに人いたんだね」

「毎年いるんだろうな」

「店にいると分からないね」

「ああ」


 太郎は空を見上げた。


「始まるぞ」


 最初の一発。


 ――ドォン!


 空気が震えた。


 山に音がぶつかり、戻ってくる。


 ――ドォォォン……。


「うわ……」


 フミコが息を呑んだ。


 夜空に、巨大な花が咲いた。


 

 金一色の火花が四方に散っていく。大輪の花が開き、消えたと思った瞬間、次の花が咲く。

 


 夜空に咲いたのは、金だけだった。


 赤もない。

 青もない。

 緑もない。


 ただ、金色。


 だが、一色なのに、少しも寂しくなかった。




 また、金色の狼煙が空高く昇っていく。


 頂点で、ぱっと開いた。


 そこから無数の火花がこぼれる。


 線香花火のような細かな光が、夜空いっぱいに散っていく。


 ――パラパラパラ……。


 太郎は黙って見ていた。


「お父さん」

「ああ」

「綺麗?」

「綺麗だ」

「来てよかった?」

「ああ」


 太郎の声は小さかった。


「初めてだ」

「何が?」

「こんなに近くで、花火を見たのは」


フミコは返事ができなかった。


父はずっと働いていた。

夏はいつも店にいた。

花火の夜も、店の明かりの下にいた。


だから、今日が初めてだった。



「……うん」


 また花火が上がる。


 ――ドォォォン!


 山々が震える。


 川面まで震える。


 太郎の顔に、金色の光が映った。


「来年も来ようね」


 フミコが言った。


 太郎は少し間を置いてから、


「ああ」


 と答えた。


 その返事が、フミコにはいつまでも忘れられなかった。


 フミコは笑った。


 その瞬間だった。


 彼女の中に、小さな決意が生まれた。




 今まで父は、家族と花火を見ることはできなかった。


 それでも、誰かのために浴衣を仕立て続けた。


 今日、初めて分かった気がした。


 父が作っていたのは、服だけじゃなかった。


 誰かが夏を楽しむための時間を、作っていたのだ。



 ――私も、この店を継ごう。


 父が作ったものを、私も誰かに渡していこう。


 浴衣を。


 夏を。


 思い出を。


 そして、いつか誰かが私が作った服を着て、花火を見るのだ。

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