【第二章】①独白~起承転結の「承」
5月の終わり、気象庁は関東地方の例年よりも早い梅雨入りを発表した。しかしその発表後にほとんど雨は降らなかった。メディアが空梅雨を報道し始めた矢先の6月12日に雨が降った。その日は水曜日で、午後にニノくんが3度目のカウンセリングにやってきた。
この日、ニノくんはノンブランドと思しきチャコールのサマーニットにアーバンリサーチのタックワイドデニムを合わせて着ていた。華奢なニノくんには良く似合っていた。
偶然だろうがニノくんがカウンセリングを受けに来た日は雨が多かった。5月も小雨模様の中現れたし、初めての日は大雨に濡れて入ってきた。だからと言って、ニノくんがいわゆる『雨男』だというつもりは全くない。よくいう『雨男』『雨女』というものに科学的根拠があるわけではなく、ひとつの人間関係を維持する話題のひとつでしかないと僕は考えている。だからニノくんのカウンセリングの日は雨の日が多かったというのは、単なる偶然でしかないと僕は確信している。
先月と比べて、ニノくんは元気がないように見えた。表情がどこか暗い。何か彼女のことであったであろうことは容易に想像できた。和美さんがいれてくれた麦茶に視線を送っているように見えたけれど、お茶には一切手をつけてはいなかった。
いつものノートを手にカウンセリングルームに入り。いつも通りの挨拶を交わしてからカウンセリングに入ろうと思ったが、今回は少し手法を変えてみることにした。
「もしよければ、君と彼女の関係の履歴というのかな、子供のころから現在まで、どんな関係だったのかを詳しく教えてくれないかな?」とまず僕から話しかけてみた。すると彼は、
「詳しくですか? どういったことをですか?」と少し不安そうな表情を浮かべて聞き返してきた。
「うん、これまで2回のカウンセリグではつかめないことがまあまああるんです。特に時系列を追ったことを話してくれればありがたいです。でも話したくことを無理強いするつもりはありません。君が話しても大丈夫と思うことを聞かせてくれませんか」
「分かりました」と答えると、ニノくんはひとつひとつ区切りながら、彼女との関係を話し始めた。
「小学校まではあまり異性を意識していなかったので、特に進展はないです。同じマンションに住んでいたので、登校も下校も一緒でした。中学校に入るとみな異性を意識するようになりますよね」
「うん、それは自然なことだと思いますよ」
「僕らはいつも一緒だった。ただ小中高と同じクラスになったことは一度も無かったのです。それなのにいつも一緒にいるんで、中学校ぐらいから周りみんなは僕らが付き合っているんだと受け止めていたと思います」
ここで初めて彼は麦茶に口をつけた。
「高校受験のとき、彼女の成績は常に学年でトップクラスだったので県でも最難関の高校に行けるだろうと周りは言っていました。生徒より先生の方がそんな見方をしているのが、他のクラスにいた僕にも分かるほどでした」ニノくんはここでようやく僕の方に視線を向けてきた。
「一方で僕はそれほど成績が良くなかったんです。良くて中の上くらいの成績ばかりでした。だから県の最難関の高校なんかとても無理で、彼女とは高校で離ればなれになるんだから、僕は家から自転車で通える高校に行ければいいなと考えていました」
「それでも家から近い高校は、模擬試験でもC判定しかでたことがなくて、ちょっと厳しいかなという感じだったんです」二口目のお茶を含んで彼は続けた。
「秋の進路懇談の時、彼女は僕が行きたいなと思っていた高校を第一志望として提出したんです」再び視線を僕に向けると、
「彼女の両親は本人が行きたいなら、別にそこでもというスタンスだったんですが、担任の先生、学年主任の先生、進路指導の先生とありとあらゆる先生が、志望校を変えるように彼女を説得するようになりました」
「いろんな先生から何回も放課後に残されて、志望校を変えるように言われたことで彼女も切れ気味でした。でも彼女は頑なに断って、僕が行きたい高校に一緒に行くと言って結局志望校を変えませんでした」
「実際、僕はその高校でも学力的にちょっと厳しくて、塾の先生にも志望校を変更するように言われていたんですが、彼女が自分のことをそっちのけで、僕の勉強をみてくれて何とか同じ高校に進むことができたんです」そう言ったときのニノくんの表情は少しだけ誇らしげであった。
「彼女はそこまでしてでも、君と同じ高校に行きたかったんですね」
「まあ彼女の学力では余裕だったんでしょうけど、僕の勉強をみることで自分の復習になるからと言っていました」
「そして無事に合格できたという訳ですね」
「塾の先生からは『彼女はトップで合格して、お前はギリギリで合格したよね』なんて笑い話のように言われました。高校に入ると自転車で通学できるので、いつも一緒に自転車で通っていました。そうするうちに周りも僕ら二人が付き合っていると思うようになって、別に僕は否定するつもりもないし、彼女も親が将来は結婚させるって言っているんだから当然でしょという感じでした」
「そしてふたりとも陸上部に入ったんですね」
「彼女は球技が余り得意じゃなく、ダンスなんかも好きではない。かと言って、文化部は性に合わないらしく、自然と陸上部に入部しました。もともと中学校でも高跳びをしていたので。僕も彼女が入るならという感じで入部したのですが、特に陸上が好きではなかったんです。特に足が速いわけでもないし、長距離はしんどいから、中距離を消去法で選びました。」
「高校に入ると、周りにカップルまあまあ誕生してきますよね。そうすると仲間内で、あいつとあいつはもうやっちゃってるよなとか、俺は誰誰とやったぜ、みたいな噂話を耳にするようになっていました」
「まあ、思春期あるあるだね。それで実際、君たちはどうだったの」僕は思い切ってそう尋ねてみた。
「実は僕らは、高校に入ってからも、手さえ握ったこともなかったんです。あ、実際には手を貸すとか、後ろから背中を押すとか、ふざけて相手の肩を叩くとかは頻繁にあったんですけど、いわゆる愛情表現っていうんですか、そういったことは高校に入っても一切になかったんです」
「それはどうして、君にも女性に対しての性的興味はあるんでしょう」僕は更に踏み込んだ。
「なんていえばいいんですかね。彼女のことはとても好きだったし、将来は結婚するんだと思っていたからか、お互い『そういうのはまだいいよね』という空気感がふたりの間にあったんです」
「ところが彼女が根本的に変わってしまった瞬間があるんです。僕はそれをはっきりと覚えています」僕は『来た』と思った。いよいよ核心に迫る内容が語られるという期待感がこみ上げてきた。
「それはいつのこと」と即座に僕は尋ねた。
「高校3年の1学期の期末テストの前日に、彼女が体調を崩して早退したことがあったんです。クラスが違うので、僕は放課後に彼女と同じクラスのやつに彼女が昼前に早退したことと、一時間目の体育の授業時に熱中症みたいな症状が出て、保健室に行ったんだけれど結局早退したんだと聞きました」
「家に帰ると両方の母親だけでなく、珍しく彼女の父親も一緒にいて、てっきり彼女の具合が相当悪くて、仕事を切り上げて帰ってきたんだと思いました。『香澄、相当悪いの?』って聞いたら、『大丈夫、今は自分の部屋で寝ているよ』と言われました」
「じゃあ、おじさんはなんでこんな昼間に家にいるのって聞いたら、『たまたま仕事が空いたので休みをとった』とか言っていました。それで僕が彼女の様子を見に行こうとすると3人とも焦ったように『いやそっとしてあげて』っていうんです。結局その日は彼女に会えずじまいだったんです」ニノくんは麦茶のグラスを両手で包み込むようにして目を伏せた。
「それ以降、彼女が変わったという訳ですか」
「翌日からは期末テストだったんですが、結局彼女は体調不良で休んだんです。だから帰宅後すぐに彼女の部屋に様子を見に行きました。彼女は追試を受けることになるので、何かの参考にと思ってテスト問題を持っていったんです」
「彼女は思ったより元気そうだったんですが、部屋に入るなりいきなり僕にキスをしてきました」ニノくんは少し恥ずかしそうな表情を浮かべて話を続けた。
「お前なにやってるのって言ったら、『好きな者同士なら普通にすることでしょう』って平然と答えたんです」
「いきなりキスをしてきたの? それまで君たちはキスをしたことはあった?」
「いや全然、これがいわゆるファーストキスというやつでした」
「彼女はそういったことをこれまで君に求めたことはあった?」
「いえ、『そういうのはまだいいよね』という風に思っていたので、いきなりでびっくりしました」
「彼女はそれまで、誰かとキスをしたりしたという経験があったのかな?」
「いえ、僕も聞いたんです。『お前、誰かとキスしたりしたことあるのか』って。でも彼女は平然と『ううん、今のが初めてのキスだよ』って言うんです」
「ムードもなにもないキスの後、彼女は突然僕の股間に手を伸ばしてきました」
「なにしているんだよって言ったら、彼女は『私たちはもう大人だよね。大人なら普通にすることだよね』と真顔を言うんです。僕は体調を崩したせいで彼女がこうなっていると思って、彼女を突き放して、その時はそこで終わりました」
彼女の急変は一体何だったのか、僕は僕なりの推測をしようとしたが、ニノ君が話を続けたので、その疑問点だけをノートに手早く書き取った。
「部活を辞めたことで、放課後に時間ができるようになったことで僕と彼女は二人きりになる時間が増えていました。それ以降、二人きりになると必ず彼女の方からボディタッチをしてくるようになったんです」
「当然のように彼女は僕にキスをしてきて、最初は僕のズボンの上から股間に手を伸ばしたりすることから始まりました。次第にエスカレートしていって、パンツの中に手を入れてきたり、パンツを下ろして僕のおちんちんを眺めたりするようになりました」
「また僕のTシャツを捲し上げて、乳首にキスをしたり吸ったりするようになり、次第には僕のおちんちんを口に咥えたりするようになりました」
「そういったことを続けられると僕も興奮してくるので、自然と彼女に挿れたくなりますよね」
「そうして君と彼女は結ばれたという訳ですか」
「いや実はそうじゃないんです」




