09:再起の誓いと、玄関前の修羅場
「おーい どったの?」
目の前で手をひらひらとされて彩人は我に返った。覗き込んでくる彼女の瞳にまた吸い込まれそうになって顔を逸らす。逸らした先に無限の青。その向こうに黒が広がっているなんて嘘のようだと思ってしまうほどの、青。白雲の巨人はいない。
「ねぇねぇ、本当にどうしたの?」
話しかけられ、彩人は彼女に改めて顔を向けた。
「いや、何でもない。それで俺が勇者としてまた戦うという件だけど、それはつまりまた魔物が出現するということなのか?」
エマは「うーん」と目を泳がせる。すると今度は彼女が窓の向こう、澄み渡っている青空を見つめた。
「絶対とは言えないけれど、また出現する可能性はあるよ。普通の人なら『うっそだぁ』って思うかもしれないけど、君は違うでしょ? だってアヤトは経験しているもんね」
彼女は青空を見つめ続けている。
「まぁな」
「それでどうする?」
「そうだな……うーん」
「迷うよね。分かる。私もパパに『お前はいつか魔物が復活した日に備えて勉学に励め』って言われた時は迷ったし。んで? アヤトは何が不満なの? 言ってみ?」
「……正直、戦うことに関して絶対嫌だというわけじゃないんだ。でもいろんなことを考えるとな……」
「例えば?」
「戦ったときめっちゃ痛かったし苦しかった」
「まぁ、そうだよね……。でも安心して。めっちゃ怪我してもまた私が治すから!」
「それはありがたいんだけど……」
「ちなみに魔物と戦うことにはメリットがあるよ」
「例えば?」
「力のコントロールを学べる。アヤトは今日の朝、男の子の手首を折ったでしょ? 戦いの中で加減を学んでいけばあんな事故は起きなくなるよ」
「あれはそういうつもりじゃなくて……って、待て。折った? 俺はアイツの手首を折っていたのか?」
彼女が頷くと彩人は文字通り頭を抱えた。
「そんなつもりじゃなかったんだ」
「分かってる。それに安心して。彼、治療を受けて今はもう元気だから。完治まで数週間かかるけど」
それを聞いた彩人は頭を抱えることをやめて背もたれに体を預ける。そして天井を見上げながら深く息を一つ吐いた。
「それにさっきのサッカー。蹴ったボールが誰にも当たらなくてよかったけれど、もし当たっていたらゴールしていたのはボールじゃなくて……」
エマは眉間に皺を寄せて肩をすくめた。
「それでアヤト。どうする? って戦うことに関しては嫌というわけじゃなかったね、確か」
「まぁな」
彼はゆっくりと自分の右手を見つめた。掌を握り込み、開く。走れなくなってから彼の目に映る世界は、彩度を失ったモノクロの映像のようだった。期待も、挫折も、希望も、すべてが灰色に塗りつぶされていた。
だが、あの博物館で魔物と戦っているとき――その時だけは、世界に鮮烈な色がついていた。内側から溢れ出す、焼けるような「熱」だけが、自分が生きていることを証明してくれたのだ。
「……分かった、戦う。戦うよ」
「そうこなくちゃ!」
エマは口角を上げ、右手を差し出した。
彼はその手を握り返した。
「それで? 魔物は次いつ出現するんだ?」
「うーん。それは分からないなぁ。数時間後かもしれないし、一か月後かもしれない」
「そんな感じなのか!?」
「そんな感じなの。とにかくそういうことだからこれを返すね」
そう言って彼女はテーブルの上にあるバットケースを一瞥した。
彩人はそこから剣を抜いて高々と掲げる。
「……十億か」
「やめてね? 財団に渡すのは」
「なぁ、返さないと泥棒に……」
「これから魔物が出るかもしれないから仕方のないことなの。ほら、あれと同じ。災害時にコンビニで飲み物を回収するみたいな」
「微妙に違う気がするけど、分かった。とにかく剣は俺が持っておく」
彼の言葉にエマは頷いた。
「さて、一番伝えたいことは伝えたし、ある程度の質問には答えたと思うけどまだ聞きたいことはある?」
「そうだな……今は日本に住んでいるのか? それとも一時的にいるだけか?」
「……何? その質問」
「いや、今まで魔物関連の固い会話しかしていなかったから、まったく関係のない話をしようと思って」
「そういうことか。いいね、やろうやろう。私は最近イギリスから日本に来たばかりなの。空気中の魔力がそろそろ一定基準まで増えそうだなーって時に日本で勇者展が開催されたから来たの」
「へぇ、勇者とか魔物とか海外のイメージがあるからずっとそっちで活動するのかと思っていた」
「勇者がイギリス生まれという説があるからそういうイメージがあるのかもしれないね。そうそう、勇者が魔王を倒した正確な場所は今でも不明なんだ。一説によると日本ということもある」
「ああ、確か勇者展でそういう説明があったような気がするな」
「ちなみに、勇者パーティーの一人である弓使いは日本人らしいよ――って、また魔物関連の話になってる。別の話をしよ。そうだね……恋バナしよう、恋バナ」
「じゃあまずお前からな」
「私かー。今まで好きになった人とか気になっている人はいないんだよね。ずっと魔術とかの勉強してたから」
「つまらないな」
「そういうアヤトはどうなの?」
「俺も今までに好きになった人はいないな」
「うっそだぁ」
「何を根拠に」
「ほら、あの子。小さな女の子の――えっと……」
「雛芽小毬か?」
「そうそう、コマリちゃん。あの子のこと好きじゃないの?」
「好きじゃねーよ。それこそ何を根拠にしているんだ」
「だってコマリちゃんを助けたいと思ったから魔物と戦ったんでしょう? それって……そういうことでしょ!?」
エマは身を乗り出してグイと彼に顔を近づけた。
「ち、違う」
彩人は頬杖をつきながらそっぽを向いた。そして身を乗り出したが故に少しだけ露わになったエマの胸元を横目で一瞥した。
「じゃあ、あの子とはどういう関係なの?」
「俺のことを調べたなら知ってるだろ? 先輩と後輩の関係だ」
「そういう書類上や第三者から見て分かることじゃなくて、アヤトの視点からあの子との関係を知りたいの」
「ただの……先輩、後輩だ。本当に。ちょっと――というかかなりお節介な後輩だ。そうそう、アイツは意外に根性があるんだ。俺がまだ陸上をやっていた頃、俺のメニューにくらいついていたくらいだからな。……アイツまで壊れなくてよかったよ」
彩人は無意識に右膝をさすった。
「ふーん。アヤトのコマリちゃんに対する評価はそういう感じなんだ」
「絶対言うなよ。雛芽のやつ、絶対調子に乗るから」
「分かった。絶対、絶対絶対言わないから」
「言いそうだな……」
彩人が睨んだときだった。
聞き慣れたインターフォンが鳴った。
「誰か来たよ?」
「居留守だ、居留守」
彩人が玄関に向かってシッシッと猫を追い払うように手を振れば、もう一度インターフォンが鳴り響いた。
彼はため息をついて重い腰を上げた。そして玄関のモニターを覗き込んだ。
「えっ」
彩人は目を丸くした。
なぜならそこに映っていたのは彩人たちが話題にしていた雛芽小毬だったからだ。
学校の制服姿で小さな紙袋を大切そうに抱え、不安げに扉を見つめている。
エマはモニター前で固まっている彼の肩越しにモニターを見て「おおっ」と彼と同じように目を丸くした。
「ねぇ、無視するの? かわいそうに……こんなに暑い中、来てくれたというのに」
彩人はモニターの中の小毬と背後のエマを交互に見た。
選択を迫られた勇者は一筋の冷や汗を流し、頭を抱えてしゃがみ込むのであった。




