08:君には勇者として、魔物と戦って欲しい
四限目の授業を抜け出し、彩人は自宅マンションを目指して走り続けた。そしていつもなら三十分以上かかる距離を十分で辿り着く。自宅がある五階に上がるため、マンションの正面玄関に歩みを進めるが、一度足を止めてしまう。右肩に三本入りのバットケースをかけた金髪の女性がマンションを見上げていたからだ。
彼は気にすることなく、その女性の横を通り過ぎ、正面玄関に足を踏み入れたときだった。
「どう? 体の調子は」
自分に尋ねたのかと思い、彩人は振り返る。
彼女はまだマンションを見上げていた。先ほどはよく見ていなかったため、分からなかったが金髪の中に水色とピンクのインナーカラーが施されていた。
「俺、か?」
彩人も尋ねると彼女はやっと見上げることをやめて彼と目を合わせた。
「……」
彼女は外国人だった。
透き通るほどに白い肌は、陶器のような滑らかさを感じさせる。彫刻のように整った鼻、そして薄い唇。何より彩人の目を釘付けにしたのは、深い緑の瞳だった。年齢は彩人と同じくらいだろうか。
「どしたの? 彩人」
「いや、なんでもない――って、どうして俺の名前を?」
彼が疑問符を浮かべれば女はニヤニヤと笑う。
「君のことはいろいろ知っているよ。フルネームはウツギ・アヤト。十七歳。鹿京高校に通う二年生だよね? 中学生の頃はめっちゃ足が速くて、高校に推薦で入学――するはずだった。でも入学前の春休み。練習しすぎて右膝がドカーン。推薦は取り消され、でもお情けで一般枠で入学。だから学費は全額免除から全額支払いに――」
「おい、人の過去をベラベラしゃべるな」
「あはは、ごめんごめん。ちょっとテンション上がっちゃって」
女はペコリと頭を下げた。
頭を下げている外国人と制服姿の高校生。
はたから見れば何か異様なもので、二人の老婆が彩人たちを見ながらひそひそと話している。
「お、おい。頭を上げろよ。その、どうして俺のことを知っているのか教えてくれたらそれでいいから」
「調べたの。アヤトの学校に忍び込んで」
女は忍者のように手で印を結ぶ。
「調べた? 俺を? なぜだ」
女は結んでいた印を解くと右手で銃の形を作り、先端を彩人に向けた。
「だってアヤトが剣を抜いて魔物と戦ったから」
「なっ――」
目を丸くする彩人。
そんな彼の眉間に女は照準を合わせると「バン」と言って笑みを浮かべた。
「……お前、今時間あるか? あの日のことをいろいろ聞きたいんだ」
「いいよ。その話をするために来たんだから」
× × ×
彩人は彼女と共に空木家の玄関をくぐった。そしてリビングに案内するとキッチンへ向かう。二つのグラスにそれぞれ麦茶を注ぎ、彼女の元へ。
一方、女はというとリビングの真ん中に突っ立っていた。
「悪い、先に座るよう言っておけばよかったな」
「ううん、気にしないで~」
彼は女にテーブルの席に着くよう促し、自分はテーブルを挟んで正面に腰掛けた。そして麦茶を差し出せば女はごくごくと一気に飲み干すのであった。
「ふぅ~、暑い日に冷たいものは最高ね。さて、何から話そうか」
「まずはお前の名前を教えてくれ」
「ああ、まだ名乗っていなかったね。私はエマ・シラハセ。イギリス人と日本人のハーフだよ。歳は十七歳。アヤトと同い年。仲良くしてね。そ、れ、と」
エマはニヤリと笑った。
「私は千年前に勇者と一緒に戦った聖職者の家系なんだよ」
そう言って彼女は立ち上がって腰に手を当て、「ふんす」と鼻息を漏らしてから胸を張った。発育の良い胸がさらに強調される。
彩人はそれを一瞥してから自分の分の麦茶を一口飲んだ。
「お前が聖職者ねぇ」
「おんやぁ? その顔は信じていないって顔だね? まぁ、仕方ないよね。分かる。こんな髪色だし、出るとこしっかり出てるし」
そう言ってエマは胸を両腕で寄せた。
ちょうど再び麦茶に口をつけていた彩人は吹き出しそうになった。
「ちょ、大丈夫!?」
「な、なんでもない。ええと、それでお前が聖職者の家系なら何か証拠を見せてくれ」
「証拠かー。分かりづらいと思うけどアヤトの体に傷がないというのが証拠かな。君が逆根腕猿を倒した後、気を失ったから治療したんだ。どう? 体はなんともない?」
「そうなのか? 確かにあれだけ戦ったのに傷がないから不思議に思っていたけれど、エマが治してくれたのか。ありがとな」
「いえいえ~、気にしないで~」
彩人がもう一杯麦茶を勧めれば彼女は頷き、彼はキッチンから麦茶のペットボトルを持ってきて注いであげた。
「それじゃあそろそろあの日のことを聞いてもいいか?」
エマは麦茶を一口飲んでから頷いた。
「あの地震と霧の柱、黒い水、そして魔物が現れたことは関係しているって認識でいいか?」
「そだよー。魔物はこっちの世界とは別の世界で生まれて、こっちの世界に侵入してるんだけど、そのときに門としての役割を持つのがあの黒い水なんだ。その前兆として地震が起きたというわけ」
「霧の柱はなんだ?」
「空気中の魔力濃度が上昇した際に現れる現象の一つだね。魔物というのは空気中の魔力を取り込んで生きているの。人と酸素の関係みたいに。ち、な、み、に。千年前、勇者様は世界中の空気中の魔力を使って魔王を倒したから魔物は生きていけなくなったし、魔術も使えなくなったの」
「ということは魔術を使うためにも空気中の魔力が必要なのか」
「そのとおり。あっ、もう一杯ちょうだい」
エマにグラスを差し出され、彼は麦茶を注いだ。
「黒い水はこっちの世界とあっちの世界を繋ぐ門、霧の柱は空気中の魔力濃度が上昇したら起きる現象か……。じゃあ今になってどうして上昇したんだ? 千年前に勇者が使い切ったんだろう?」
「空気中の魔力はね、長い時間をかけて戻りつつあるんだ。しかも数年前から少しずつね。そしてこの前、博物館周辺の濃度が一定に達したからああいうことが起きたんだ。一定に達した理由は分かるよね?」
「……勇者の剣!」
「そのとおり」
そう言ってエマは三本入りバットケースをテーブルの上に置いて上部のファスナーを開けた。そして中から勇者の剣を取り出した。
「なっ――お前、こんなのに入れて持ち歩いているのかよ!」
「仕方ないでしょ。鞘は見つからなかったし、抜き身で刃物を持ち歩いていたら職質待ったなしだし。それにこれはただの刃物じゃないからカモフラが必要だったの」
「そう言われると一理あるな」
彩人は刀身に触れる。
冷たい。
けれど体はあの時の熱さを思い出した。
「……俺はどうしてこれを抜くことができたんだ? 勇者でもないのに」
「別にこれを抜く条件に勇者の家系というものはないよ。一説によると勇者の剣は最初は普通の剣だったらしいし。勇者がこれで大義を成したから勇者の剣として有名になっただけなの。だからもしも勇者が弓矢で魔王を倒したら『勇者の弓矢』になっていたかもしれないね」
エマは麦茶を飲んだ。
「ちょっと話がそれたね。アヤトが剣を抜くことができた理由だけど、絶体絶命のとき誰かを護りたいと強く願ったからじゃない?」
「誰かを護りたい……」
彼の脳裏に小毬の姿が浮かぶ。
そんな彩人の顔をエマはニヤニヤとしながら覗き込んだ。
「ねぇねぇ、あの小さな女の子とはどういう関係なの? 守りたいと思うほどの相手なんて……気になるぅ」
「別にお前が期待しているような関係じゃねーよ。ただの腐れ縁だ」
「ふーん、へー、ほー……。まぁいいや。そういうことにしておくね。……それでここからが本題なんだけど」
エマは咳ばらいをして彩人と目を合わせた。
互いの瞳に互いが映る。
時が止まったような気がした。
「ウツギ・アヤト。君には勇者としてこれからも魔物と戦って欲しい」
エマは今度はニヤリと笑わなかった。
その深い緑の瞳に彼は吸い込まれてゆく。




