05:集団パニックと噂される日常、そして小毬に忍び寄る影
『続いてのニュースです!』
月曜日の朝。
空木家のリビング。
テレビの中、スタジオに立つ女性アナウンサーの言葉と同時に画面が切り替わる。メジャーで活躍する日本人選手がホームランを打った。1カメ2カメ3カメと様々な角度でそれは繰り返された。ベンチでは彼をチームメイトが両手を挙げて迎える。
「……」
ソファーに座りながら観ている彩人はその光景に自分を重ねた。
表彰台の一番高い所から降りる自分と、迎えてくれる部員たち。部員たちは笑みを浮かべて彩人に我先にと握手やハイタッチを求めてくる。
だがその人たちはもういない。
走れなくなった彩人に価値はないのだ。
彼はチャンネルを変えた。
すると映し出されたのはあの霧の柱。画面の左上には「LIVE」の四文字。
「まだ残っているのか……」
彩人は視線をテレビから自分の右手に移す。戦っている時は傷だらけだったその手は何事もなかったかのように綺麗だ。
魔物が出現した土曜日、彩人と小毬は警察官と救急隊員に保護されて病院に運ばれた。そこで精密検査を受けたが異常はなく、念のためにと一晩入院させられた。
そして日曜日。目が覚め、改めて検査をしたが異常なし。体のどこにも傷はなく、それは小毬も同じだった。そして健康体であることが証明され、二人はその日のうちに退院することになったのだ。
テレビの映像がヘリからの空撮による霧の柱から、眼鏡をかけた髭面の男に切り替わった。画面下部には『リモート出演:鹿京大学准教授 山下直人』とテロップが出ている。背後には天井高くまで届く本棚が映り込み、画質はどこか白飛びして荒い。
「――では、山下准教授。今回の事案、現場では『巨大な魔物を見た』という証言が相次いでいますが、これについてはどのようにお考えでしょうか」
スタジオのアナウンサーが神妙な面持ちで問いかける。
「ええ、まず大前提として……」
山下が話し始めた。リモート特有のわずかなタイムラグが二人の会話に一瞬の空白を作る。
「霧の柱の発生原因については私の専門外、気象学の領分ですので明言は避けます。ですが、目撃証言に関しては心理学的な側面から十分に説明が可能です」
「説明、といいますと?」
「一種の『集団パニック』のようなものでしょう。未曽有の地震と不可解な霧。その極限状態の中で、直前に見ていた博物館の展示物……つまり魔物の模型の記憶が強烈なフラッシュバックとして現れ、あたかも実在するように認識してしまった。人間の脳というものは案外脆いですからね」
「なるほど、記憶が混乱していたということですね」
アナウンサーが納得したように頷き、手元の資料をめくる。
「しかし山下准教授。現場には巨大な手形のような跡や建物が物理的に破壊された痕跡も残されています。これらについてはどのようにお考えでしょうか」
「それについても地震に伴う液状化やガス爆発による局所的な陥没、あるいは崩落した瓦礫が偶然そのように見えた……と考えるのが、現時点では最も科学的で妥当な解釈でしょう」
彩人は鼻で笑い、リモコンを操作してテレビを消した。
「ちょっと、見ていたのに」
ソファーに座ったまま振り返ってキッチンを見る。
母の優里が泡だらけの両手を腰に当てて口を尖らせていた。だが目が合うと口を緩め、目を伏せた。
「ごめんね、私が小毬ちゃんにアンタを外に連れ出すよう言ったばかりに……」
「またそれ? いいって、こうやって無事だったんだし」
彩人は肩をすくめた。
彼と小毬の母親は学生の頃からの友人で、今も仲が良く、頻繁に互いの家に遊びに行っている。その際に自分の子を連れて行くことが慣例になっているのだが、彩人はここ数年雛芽家に行っていない。逆に小毬は空木家に来ているが、その際に彩人は自室に引きこもっている。
「それじゃあ、そろそろ行くわ」
「何かあったら連絡しなさいよ? 仕事抜け出して迎えに行くから」
「はいはい、行ってきます」
「いってらっしゃい、小毬ちゃんによろしくねー」
玄関の扉をしめて回れ右をする。
彼の家はマンションの五階。さらにマンションは高台にあるため、住宅街を一望することができる。
「……」
彼はこの光景が好きだ。
どこまでも広がっていしょうな町と空がはるか向こうで触れあっているこの光景が。
そういえば、と彼は思い出す。
走ることが好きになったきっかけは純粋な思い込みだった。
この町をずっとまっすぐ行けば空と大地が触れ合う場所に辿り着ける。そう信じていた。
日が暮れるまでその場所に行き、折り返して帰って来る。ただそれだけのために走り続けていたのだ。
それから走ることそのものの楽しさと己の才能に気づき、将来を期待される選手へと駆け上がっていったのだ。それなのに――。
「チッ」
舌打ちをして額を拳で叩く。そしていつものように「終わったことだ」と自分に言い聞かせて歩き出した。
緑の植木。
赤いポスト。
毎日すれ違う他校の女子生徒。
いつもの光景だ。
一昨日の博物館での出来事がまるで嘘のようだ。
――一種の『集団パニック』のようなものでしょう。
朝のニュースが思い出される。それから自分の右手を見る。やはり傷一つない綺麗な手だ。
「マジで夢なのか?」
自分自身に問いかける。
それに対して彼自身は言う。あのときの「熱」を疑うのか? と。
彩人は小さく笑った。
それからスマートフォンを取り出してSNSアプリを起動する。表示されたトレンドワード一覧には「霧の柱」「集団パニック」「魔物」といったあの件に関する単語がずらりと並んでいる。それらの中で彩人の目を引いたのは「勇者の剣」という単語だった。
迷わずそれをタップすれば関連記事が表示される。
× × ×
【博物館の目玉展示「勇者の剣」が行方不明。崩落現場から発見できず】
先日の大規模な「霧の柱」事案が発生した鹿京市立博物館において、企画展の目玉であった「勇者の剣」が紛失していることが判明した。
博物館側の発表によると、事案発生直後、現場となった特設ステージ周辺の瓦礫を撤去し捜索を行ったが、剣本体の破片などは一切発見されなかったという。
現場は地震による局所的な構造破壊が激しく、当局は「崩落に巻き込まれ、土砂の下深くに入り込んだ可能性が高い」としている。しかし、他の展示品は損傷しながらも回収されていることから、一部では管理体制を疑問視する声も上がっている。
× × ×
「昨日から進展なし、か」
彩人はスマートフォンをポケットに戻した。
土曜日の夜、病院で目覚めた彼は警察官からの事情聴取の際にそれとなく剣について尋ねた。そのとき警察官は見つかっていないと答え、昨日今日と読んだ記事でも見つかっていないと報道されている。
「誰かが持ち去った?」
今からでも自分が抜いて魔物と戦ったと言うべきか。だが信じてもらえるか定かではない。仮に信じてもらったとして、次は剣の行方について聞かれるだろう。「分からない」と答えても事情聴取はしばらく続くかもしれない。
「それはそれで面倒だな……」
そうこう考えているうちに小毬との待ち合わせ場所である小明公園についた。この公園は植木に囲まれているが、出入口だけは煉瓦道になっている。その出入口に彼女の姿はない。いつもなら車止めポールに腰掛け、彩人に気づくと駆け寄ってくるというのに。
「遅刻か?」
珍しいな、と思いつつ今日は彼が車止めポールに腰を下ろす。そして「つい」まだ走れていた頃のことを思い出してしまう。この公園をスタートにして小毬と走っていた。いや、正確に言うならばここを通る際に小毬が合流して勝手について来た、だ。
それが今では一緒に学校へ行くための待ち合わせ場所になっている。
「ちっちゃいくせに頑張ってたなー……」
つい呟いてしまう。
そんな彼は気づいていなかった。
小毬が公園の隅で他校の男子生徒たちに囲まれていることに。




