11:苦しすぎる即興劇と、公開告白
廊下に絶望的な静寂が広がる。
トイレから優雅に現れた金髪の美女、エマ。
幽霊でも見たかのように固まる小毬。
そしてその二人をリビングの入口――絶望の淵から見つめる彩人。
時が止まったかのような長い長い数秒間だった。
そんな中、先に沈黙を破ったのは小毬だった。
「……あ、あの先輩」
小毬の口から漏れる声は震えていた。そして彼女は彩人を振り返った。
「この方はどなたですか? 先輩の、お母さんではないですよね……」
その瞳は純粋な疑問とそれ以上の深い動揺に揺れている。無理もない。腹を壊してトイレにこもっているはずの母親の代わりに、モデル顔負けの絶世の美女、しかも外国人が出て来たのだから。
「あ、ああ、そうだな……」
彩人の脳はオーバーヒート寸前だった。嘘に嘘を重ね、もはや出口の見えない迷路に迷い込んでいる。だがここで立ち止まれば完全に「詰み」だ。
「……近所に引っ越してきた人だ」
「えっ」
「あー、母さんは確かにトイレにいたんだが入れ違いで外に出て、この、エマは……その、引っ越してきたばかりで、だから、道に迷って、そこに俺が出くわして案内したら、今日挨拶にわざわざ来てくれたんだ。丁寧にな、わざわざ、うちまで……」
彩人は自分でも何を言っているのか分からなくなりながら、エマを鋭い眼光で睨みつけた。
(頼むから話を合わせろ。本当に追い出すぞ)
その無言の圧力をエマは楽しそうに受け止めた。彼女は人懐っこい笑みを浮かべ、小毬に向かってしなやかに手を振る。
「そうそう! 私、最近この近くに引っ越してきたエマ・シラハセっていうの。道に迷っていたところを案内してもらったお礼に来たの」
「そ、そういうことなんだ。せっかく来てくれたから茶の一杯でもと思って……」
エマは自然な笑みを浮かべるが、彩人の笑みはどこか――いや、完全にぎこちないものだった。
対して小毬はというと目を細めて彩人を見つめている。
(頼む、信じてくれ……!)
彩人は心の中で手を合わせる。
そのとき不意に小毬は見つめることをやめてため息をついた。
「……分かりました。先輩がそう言うなら信じます。先輩は困っている人を見かけたら放っておけない性格ですしね」
彼女の言葉に彩人は心の底から安堵した。
一方エマはというと小毬に一歩二歩と近づいた。
今度は何をしでかすのかとハラハラする彩人のことなど気にせず、エマは小毬の手を取った。
「私はエマ。エマ・シラハセ。よろしくねコマリちゃん」
「は、はい。雛芽小毬です。あの、どうして私の名前を?」
「アヤトから聞いていたの。とっても可愛くて、大事な後輩がいるって」
「えっ!?」
小毬が顔を真っ赤にして彩人を見る。
彼は死んだ魚のような目で窓の外を見ていた。そんなことは一言も言っていない。
リビングに移動した三人は、妙な距離感を保って席に着いた。
彩人はソファーに深く腰掛け、腕を組んで目を閉じる。嵐が過ぎ去るのを待つ石像のように沈黙を守っているが、その実、心臓の鼓動はエマがいつ爆弾を放り込むかという恐怖で激しく打ち鳴らされていた。
「ねぇねぇ、コマリちゃん。アヤトって学校ではどんな感じ?」
エマが身を乗り出して楽しそうに尋ねる。
「えっ、先輩ですか? えっと……基本静かな人ですけど、とてもやさしくて頼りになる先輩です」
「ふーん。やっぱりそうなんだ。……困ったな、私、そういう影のある? ヒーローみたいな人に弱いんだよね」
エマがニヤニヤしながら彩人の顔を覗き込んだ。
「アヤトってば、私が困っていたら助けてくれたし、正直気になっているかも。ライバルになっちゃうかな? 私たち」
それはエマなりの悪ノリだった。彩人の慌てる姿を見て楽しむための、出会ったばかりとは思えないほどの遠慮のないからかい。
だが小毬にとっては看過できない宣戦布告に等しかった。
「ラ、ライバルだなんてそんな!」
小毬の顔が瞬時に沸騰したかのように赤くなる。だが彼女は引き下がらなかった。
「空木先輩のいいところは優しさとか見た目の雰囲気だけではありません!」
「へぇ、例えば?」
「先輩は……先輩は、中学で同じ陸上部だった時から誰より努力家なんです! 私が練習でタイムが伸びなくて落ち込んでいた時、先輩は自分の練習が終わったあとも、暗くなるまでずっと付き合ってくれました。不器用だから『ついでだ』なんて言ってましたけど、本当は誰よりも後輩思いで、温かくて……」
「ほう……」
「それに雨の日に自分の傘をお年寄りに貸して、自分はずぶ濡れになったり……ぶっきらぼうに見えますけど、本当は誰よりも誠実で、強くて……世界で一番かっこいい人なんです!」
立て続けに放たれた小毬の熱烈なプレゼンテーション。
彩人は腕を組んだまま地蔵のように動かなかった。泰然自若とした態度を装ってはいるが、隠しきれない動揺は体温に現れている。顔を背けても丸見えの耳たぶがリンゴのように真っ赤に染まっていた。
「ふーん、世界で一番、ねぇ」
エマは目の前で全力の告白じみたことをしてしまった少女を慈しむような、そして獲物を追い詰めた猫のようなニヤニヤ顔で見つめていた。
「コマリちゃん、今のを自分で聞いててどうだった?」
その言葉に小毬はハッと我に返った。
自分が何を口走ったか。彩人の目の前でどれほど恥ずかしい愛の告白に等しい賞賛を並べ立てたか。
頭が真っ白になった彼女は隣に座っている彩人を盗み見た。
彼はまだ目を閉じているが、耳から首筋までが赤熱し、今にも湯気が立ち上りそうなほどに赤くなっているのが見て取れた。
「……っ! ……あっ、わ、私……っ!」
小毬の喉から空気の抜けるような声が漏れる。
恥ずかしさが限界を突破し、彼女の思考回路は完全にショートした。
「す、すみません! 私、急用を思い出したので帰ります!」
ガタッ、と激しい音を立てて小毬は立ち上がった。
「おい! 雛芽!?」
彩人がようやく目を開けたが遅かった。
「失礼します! プリン食べてくださいね! さようなら!」
小毬は脱兎のごとき勢いでリビングを飛び出し、玄関へと駆け抜けていった。
家全体が揺れるような音を立てて玄関の扉が閉まる。
リビングに残されたのは静まり返った空気とソファーで凍りついた彩人、そしておなかを抱えて笑っているエマだけだった。
「あはは、あの子可愛いね! 世界で一番かっこいいだって。よかったね! 勇者様!」
「はったおすぞ……」
彩人は真っ赤な顔のまま、片手で顔を覆って深く、深くため息をつくしかなかった。




