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七、信頼

 ――再び事件が起きたのは、慶長十年、秀頼が十二になった年。征夷大将軍となり江戸幕府を開いた家康が、嫡子秀忠殿に将軍職を譲ったのだ。これにより家康は大御所(おおごしょ)となり、将軍職の徳川世襲制が明瞭になった。千姫を嫁がせ誠意を見せてきたかと思えば、たったの二年でこれだ。あの男は、一体何がしたいのか。


 更に家康は京に高台寺を築いた高台院を通じ、秀頼に対して秀忠殿と対面し挨拶するように求めてきた。これは、豊臣を徳川の家臣扱いしているのと同じだ。

 豊臣家の家臣の身で好き勝手に。恨めしや、大御所めが。わたくしは氷のように冷えて震える手を畳に叩きつけ、家臣らの前で言い放ってやった。

「大御所は我らを見下しておる!到底許された行いではないわ、上洛は臣下の礼をとることと同じじゃ!大御所が強要してくるならば、わたくしは上様を刺し殺します!その上でわたくしも腹を切って死ぬわ!」


 このわたくしが秀頼を刺せるはずがない。この世で一番大切な、わたくしの宝なのだから。しかし、家康への怒りを胸に抱いていると、なんでも口に出せるしなんでも行動に移せるような気がしていた。

 秀頼はわたくしの様子が尋常でないと思ったようで、今にも泣き出しそうな目をしてわたくしの打掛の裾を握ってきた。十二といえど、この子はまだまだ子供なのだ。可愛い可愛いわたくしの秀頼、いつまでもわたくしの傍にいておくれや・・・


 ――結局、家康からは使者が遣わされ、上洛の件は不成立となった。これでいい、これが豊臣と徳川のあるべき姿だ――しかし、その後も諸大名は家康の目を憚り、豊臣家と関わるのを避けるようになっていた。


 大坂城で次に起きた大きな事件といえば、慶長十三年の世継ぎ誕生の吉事だ。

この年、秀頼は十六になっていた。普通の男子であれば子を成してもおかしくはない年だ。だが秀頼の父君の秀吉殿は、子どもを作れない、あるいは作りづらい体だったと思う。それが秀頼に遺伝していた場合、豊臣家は徳川がどうこうという以前に血脈を絶やして滅亡する羽目になってしまう。


 さて、秀頼の相手だが、正室の千姫はまだ十二で、流石に子はできない。ということで、伊茶(いちゃ)という名の侍女が選ばれた。すると驚いたことに、すぐに身籠ったのだった。豊臣の血を継ぐ子が産まれるのだ。


 産まれた子は男子だった。これは秀頼も伊茶も大手柄だ。これで豊臣が愚かな理由で滅ぶことはなくなった。気が沈んでいた城内も、この出来事の前後は天光が降り注いだかのように浮き立っていた。


 子は国松(くにまつ)と名付けられ、すぐに初のいる京極家へ預けられた。正室の千姫と、不本意だが徳川家を気にしてのことだ。秀頼に似て愛らしく、美しい赤子だった。わたくしにとって初めての孫・・・そこでわたくしは初めて、両親に孫を抱かせてやれなかったことを惜しく思った。


 ――慶長十六年、後陽成(ごようぜい)天皇が後水尾(ごみずのお)天皇に譲位したことを契機に、家康が京に上洛してきた。


 それだけならいい。大御所としてお上に御挨拶申し上げるのは至極当然のことだ。だが家康は自身だけでなく、秀頼にも上洛することを求めてきたのだ。これは、家康とも会見することを意味する。

 秀頼は大坂城を出たことが滅多にない。まして、政敵も同然の家康と対面すれば、どんな危険な目に遭うことか。母として決して許容できることではない。


「徳川に臣従などせぬ!豊臣が上で徳川が下じゃ!決まり切っておろう!」

 わたくしが言うと、大蔵卿や治長は「もっともなことにございます」と頷いてくれた。しかし、一部の者が反対してきた。


「大御所の権威はもはや明らか。上洛を拒否すれば、豊臣は敵と見なされ攻め込まれるやもしれませぬ。諸大名はあちらにつきましょう。そうなれば、こちらに勝ち目はございませぬ!」

 そう説いてきたのは、秀吉殿の子飼いの大名である加藤清正(かとうきよまさ)浅野幸長(あさのゆきなが)らだった。これらの者は高台院と繋がりが深く、わたくしはあまり側に置かないようにしていた。


 いくら調子に乗っていても、徳川は豊臣の家臣ではないか。まさか戦などにはなるまいと思っていたが、清正らはしつこく催促してくる。とうとう高台院までもが、「わたくしも共に参りますゆえ」と上洛を求めてきた。

 挙句、秀頼自身も、「母上の御心配には及びませぬ。私も子供ではありませんし、行って参ろうと思います」と言い出したのだ。確かに、秀頼は十九歳で、もう名実ともに大人であると言えよう。


 わたくしは悩み抜いた末、秀頼を行かせることにした。公式な場であるため、無位の女であるわたくしは行けない。代わりに、清正と高台院が付き添うと言ってくれた。信用できぬ二人だが、秀頼の代わりに死ぬ覚悟であるとまで言われて、嫌とは言えない。


 ――三月二十八日、秀頼は大勢の家臣を連れて大坂城を発った。会見の間、何となく不安で落ち着かなかったわたくしは、京にいる完子の元を訪ねた。少しでも、秀頼の傍に行きたかったのだ。


 完子は嫁いでから既に七年、時々大坂へ里帰りに来ることはあったが、こうしてわたくしが京に出向くのは初めてだった。

 私的な訪問であるため、治長とその家臣ら少数のみを連れて屋敷に入った。廊下を進むわたくしに平伏する公家の家の者は、下人や端女でも武家の者よりかは品を持ち合わせているような気がした。

 ――完子は、わたくしの姿を見た瞬間、深々と頭を下げた。例の、公家の品とやらが、完子にも備わりつつあるように思えた。


「母上様、どうぞこちらに」

「何を言いますか。関白殿下の御前ですのに」

 わたくしが笑うと、完子の傍らの男が肩をすくめる。そう、この生真面目な顔をしている男が、完子の殿様。そして、三年前に関白に就任された御方だ。かつての秀吉殿と同じ御身分である。


「――せっかく義母上がいらしたのだ。積もる話もありましょう」

 関白殿下は気を遣ってくださって、挨拶を済ませるとすぐに出ていかれた。途端に、場の空気が弛緩する。

 完子は目を輝かせ、楽しそうに笑いながら、わたくしに色々な話をしてくれた。公家の暮らし、他の女君との交流、政所として敬われることの違和感・・・


「皆様、私に優しくしてくださいます。されど私は、公家の血筋ではないのだからと、後ろに下がってしまうことが多くて」

 そう言って目を伏せる完子。いつも天真爛漫なこの子が、弱音紛いなことを言うのは初めてだった。ああ、やはり若き日の江を思い出す。


「武家の血筋であるからこそ、できることもあろう。今もこうして、豊臣秀頼君の母と打ち解けて話しておるではないか。武家と公家を繋ぐのが其方の役目ぞ。完子なら、きっとやり遂げられましょう」

 わたくしが笑いかけると、完子はぽかんとしていた顔を綻ばせた。そこにはもう悩みの色はなかった。

 ――最後に完子はわたくしを喜ばせてくれた。齢五つの長男松鶴君(まつづるぎみ)、四つの長女序君(じょぎみ)の兄妹。完子の実子と会わせてくれたのである。


 二人ともまだ幼く、わたくしが傍に寄るとそっぽを向いてしまうのも、却って愛くるしい。完子が呼ぶと、子らは喜んで飛びつき、甘えているのだった。江の二人の孫君。そして、わたくしの孫たちでもあった・・・


 ――わたくしが大坂に戻ってから数刻、秀頼も家臣らと共に城に帰ってきた。会見は何事もなく済んだのだ。聞いた話によると、家康は終始にこやかで、危害を加えることはなかったという。秀頼も立派な振舞いだったとか。


 話を聞く限り、家康は存外豊臣を尊重しているのではないか、とも思えてきた。でなければ秀頼に対し一片の敵意も見せないなどありえないだろう。すべてはわたくしの思い過ごしなのかもしれない。

 戦は嫌だ。自身がその当事者になるなど御免だ。だからわたくしは、家康を敵だなんて思いたくなかったし、誰のことも拒絶したくなかった。

 だが、それが許されない立場にわたくしは立っている。わたくしは秀頼を守らなければならないから。家康への警戒を、緩めてはいけない。


 ・・・また、この会見以降、清正ら豊臣恩顧の大名の死が相次いだ。偶然だろうが、何か不吉なものを感じる。時勢の変化を危ぶんだのであろう治長ら家臣は、この頃から軍備を始めていた。


「修理、戦の支度か。また余計なことを」

「しかし大方様。もしもに備えねば、上様やこの城が取り返しのつかぬことになるやもしれませぬ」

「しかし、戦は」

「私には、数年後、何の支度もしていないこの治長を大方様がお叱りになる未来が見えまする。私とて、お■■様に怒られとうはないゆえ」


 治長は、たまに見せる馴れ馴れしい口調で、いたずらっぽく笑っている。普段ならなんの遠慮もせず命令したり叱ったりできるのに、こういう時ばかりはわたくしも強く出ることができない。だからわたくしもやり返すように笑みを湛えて、「その名を呼ぶでない」とだけ告げた。

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