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六、天下を手にする者

 ――天下の平穏が崩れる。情勢は悪化していく。

 慶長五年、家康殿は会津で不審な動きありとして、上杉氏の征伐に向かった。その隙に三成が挙兵し、西軍と称して軍事行動を取り始めたのだ。後に伝わる関ヶ原の戦いの序章である。


 三成はわたくしと秀頼に挨拶をしに来た。曰く、此度自身が挙兵したのは、すべて豊臣と秀頼様の御ためであると。三成は家康を謀反人と見ているらしい。そして、少しでも西軍の士気を上げるためにと、秀頼の出陣を求めてきた。


 わたくしは当然拒否した。ただ拒否するのではない、三成に扇子を投げつけて怒鳴った。

「其方なんと恐ろしいことを!秀頼様の御姿が見えぬか、まだ幼子ぞ!不測のことが起きれば如何するつもりじゃ!」

 忌々しい治部(じぶ)め。家臣の風上にも置けない男だ。この豊臣家では秀頼が何よりも大切な存在だというのに。

 三成は焦ったように平伏し、すぐに出て行った。ああ、出て行ったのにまだ手の震えが止まらない・・・止まらない。冷たい、苦しい、頭が痛い――


 本当は三成を信じたい。家康殿なんかじゃなくて。けれど三成が来る少し前、家康殿からも書状が来ていた。治部少輔(じぶしょうゆう)が反乱を起こしたためすぐに成敗するとの内容だった。

 どちらにつけばいいのかわからなかった。何を信じればいいのかも。どうすれば秀頼を守ることができるのか、近頃のわたくしはいつもこのことばかり考えていて、辛くて苦しくて涙が出そうだった。一人で秀頼を守ることが、こんなに心細いことだとは思わなかった。


 ――ある日、私が南蛮菓子の金平糖を食んでいると、背後から誰かが私を呼ぶ声がした。振り向くと、なんと秀吉殿がいるではないか。

 死んだはずの豊臣秀吉。ならばこれは、亡霊か幻か。ああ、生前は言うまでもあらず、死してなおこうして化けて出るとは、おぞましい男だこと。

「■■、其方にすべて任せてしまって、すまんのぅ。ようやってくれておるのぅ、流石はお市様の子じゃ」

 秀吉殿が、わたくしの耳元で囁く。はっと息を呑んだ次の瞬間、秀吉殿はわたくしの目の前にいた。金平糖を数粒口に入れると、満足げににやにやと笑い、背中を向けて歩き出す。わたくしは咄嗟に手を伸ばした――そこで、目が覚めた。


 深夜、暗闇に包まれた城の奥。わたくしの手の先には、可愛らしく寝息を立てる秀頼の姿があった。額にかいた冷や汗が、涙のように頬を伝う。わたくしは初めて太閤を偲んだ。


 ――結局、関ヶ原の戦いにおいては、豊臣家は静観の姿勢をとった。秀頼の護衛には、五大老の一人の毛利輝元殿がついた。

 開戦の報せを受けてからずっと、わたくしは秀頼の手を握りながら祈り続けていた。どちらが勝ったとしても、どうか秀頼や豊臣家にとって悪いようにはなりませんように。そして、できることなら、三成が勝ちますように。正直、家康を心から信じることはできなかったのだ。


 ――決着の知らせはその日のうちに、開戦からたった数時間ほどで届いた。東軍の勝利だった。北政所の甥、小早川秀秋殿が西軍を裏切ったことが決め手になったという。家康が、勝ったのだ。

 敗北した西軍の三成は徳川方に捕らえられ、六条河原にて処刑された。わたくしは開戦前、三成と交わしたあのやりとりが最後であったことを惜しんだ。同じ近江出身で、生真面目な顔に時折笑みを浮かべた三成――


 西軍方の武将らは、ことごとくが領地を没収され、牢人となった。家康殿の仕置きは厳しかった。しかし豊臣家だけは、戦との関わりはなしとして咎められなかった。まあ当然のことだ。家康殿にとっては豊臣が主家なのだから。


 ――だがここで一つ、問題が浮上した。没収された西軍の領地は、東軍武将に分配されていた。それだけならば良いのだが、なんと家康は恩賞と称し、各地にあった豊臣家の直轄領までも勝手に諸大名に分け与えたのだという。結果、元々は二百万石ほどあった豊臣の領地は、わずか六十五万石へと減少してしまった。とても天下人とはいえない、一大名と大差ない石高に転落してしまったのだ。


 わたくしは傍らの治長を責め立てた。よくわからない政治や戦のことは、ほとんど治長を始めとした家臣に任せていたから。  

 治長は強く歯を噛みしめ、戦に勝ち勢いを増している今の家康にはもはや誰も逆らえませぬ、とだけ述べ悔し涙を流した。わたくしは、天下人の家に仕える者どもがなんと情けないことかと呆れた。家康とて治長らとて、豊臣の家臣であることに変わりはなかろうに。


 そうだ、あれはあくまで家臣らの戦だったのだ。家臣の領地はいわば豊臣のもの。諸大名は豊臣を信奉しているのだから。天下はまだ、豊臣にある。そうですよね、殿下――


 ――しかし、関ヶ原の戦いから三年後、なんと家康は征夷大将軍とやらに任官したのだ。征夷大将軍というのは、古来幕府を開こうとする者が朝廷より賜る官位だという。それを豊臣家の家臣である家康がなんの許可もなく!許せない、許せない許せない、許してはいけない・・・!


「っ、母上、大丈夫ですか!」

 体格がいいわりに声の小さな秀頼が、珍しく大声で呼びかけてくる。はっとして起き上がると、秀頼は心配そうにわたくしを見つめていた。これは・・・倒れていた?

 怖い。わたくしがこんなに弱くなってしまって、このままでは秀頼を守れないかもしれない。秀頼を喪いたくないの、もう天下なんてどうでもいい、いらないから。家康殿、今からでも豊臣を思い出して、秀頼をどうか――


 ――それはともかく、秀頼の天下を守らなければならない。家康は征夷大将軍の騒動の後、ある婚姻の話を持ち掛けてきた。それは、家康の嫡男秀忠殿の娘、千姫を秀頼に嫁がせようというものだった。

 これは、生前の秀吉殿もおっしゃっていた案だ。確かに、婚約という形で豊臣と徳川が繋がりを深めれば、天下の太平は守られよう。家康も、存外豊臣を忘れてはいないようだ。


 婚儀は七月に執り行われた。江戸にいた千姫は、江と共に何日もかけて大坂に輿を進めてきた。千姫は江の娘なのである。もちろん、数多の徳川家臣や女中もおまけでついてきた。

 本来、婚儀には様々なしきたりや流れというものがある。しかし、秀頼は十一、千姫に至ってはわずか七つの子供だ。そのため、字面だけの儀式になった。


 江と会うのは八年ぶりだった。また、関ヶ原の戦いで三度目の落城を経験した初も、大坂を訪れてくれた。三姉妹が揃うのも、また八年ぶりのことになる。江は十二歳になった完子を見てそっと涙を流していた。完子には、実母の記憶はない。

 妹たちと会っているこの時間が、前後数年の間で一番心安らいだ瞬間かもしれない。本当に信じられるのは、同じ血の流れる家族しかいないのだ。


 また、婚儀には北政所も同席した。夫の悲願であった婚約が成立したことで安堵したらしく、後日出家し、高台院(こうだいいん)と名乗り始めた。


 千姫は素直で愛らしく、賢い姫だった。わたくしが、「千や。お千や」と呼びかけると、「千にございます」とちょこんとすましている様子など、昔の江によく似てなんと可愛らしいことか。完子、秀頼、千姫。皆本当の兄弟姉妹のようだった。


 ・・・しかし、秀頼と千姫は、わたくしの見ていないところでは会わせなかった。千はともかく、千についている侍女たちは、徳川の間者である可能性が高いから。


 婚姻の翌年六月、十三の完子を公卿の家に嫁がせた。わたくしが万事取り計らうと、江はひどく喜んでくれた。秀頼と千姫も笑って見送り、完子も幸せそうに城を出て行った。何も不都合はなく、幸せそのものといえる日々。こんな日が、ずっとずっと続けばいいのに・・・

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