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四、屍の上の天下

 関白殿下の生来の御身内としては、御母君と姉君、駿府の徳川家康殿に嫁いだ今は亡き妹君、そして弟君の豊臣秀長(ひでなが)殿などが挙げられる。殿下は特に秀長殿を信頼なさり、末永く政権を支える力となってほしいと望まれていた。

 ところが秀長殿は、鶴松が亡くなる数月前に亡くなってしまい、豊臣家には有力な跡継ぎがいなくなってしまったのである。


 お二人の死でひどく気落ちなさった関白殿下は、姉君と三好吉房(みよしよしふさ)殿の間の嫡男、秀次殿を自らの養子となさり、そのまま関白の地位をお譲りになってしまわれた。関白でなくなった秀吉殿は、この時から『太閤殿下』と呼ばれるようになる。


 あまり殿下が弱気なので、わたくしは殿下が鶴松らの死で自身の御命まで縮めてしまうのではないかと案じていた。

――しかし、そうではなかった。殿下はまだまだご健勝で、恐ろしいほどの野望を抱いておられた。

 それは、朝鮮への出兵。殿下は秀次殿を日本の頂点に置き、自身は朝鮮、ひいては明国(みんこく)の長となってそこを統治することをお考えになられていたのだ。

 大名に与える領地の拡大のためか、あるいは欲をお見せになられたか。この頃の殿下のお考えはとてもわたくしには計り知れなかった。当然、関白の地位を譲ったとて、日本での実権は秀次殿を上回っていた。


 ともかく、殿下は早速出兵の準備をお始めになり、翌年には朝鮮に大軍を送られた。此度の戦でもわたくしをお召しになるとの殿下の仰せで、わたくしは肥前へ向かった。この時ばかりは、朝鮮などに渡る羽目にならなくて本当に安心した。戦で混沌と化した異国の地など、想像するだけで頭痛がする。


 だが、可哀そうなのがお江だった。二十歳にして、既に二人目の夫に嫁いでいる末の妹。あの子の殿様である殿下のご養子の秀勝殿も、大将として朝鮮に渡っていた。

 江は秀勝殿を心細く思いながら待っていた。ただ寂しいだけではない、あの子と秀勝殿の間には娘がいた。わたくしの元に送られてくる文も、この子が一つ年を重ねる前に帰ってきてくださるかしらと、辛さ悲しさが手に取るようにわかるものだった。


 それなのに、これから家族として繋がりを深めようという大切な時期に、秀勝殿は病死してしまった。四月に別れてから結局江とは会えず仕舞いで、朝鮮などという恐ろしい異国の地で生涯を閉じたのだ。

 わたくしは江が気の毒でならなかった。殿下の命で無理やりに初めの殿様と離縁させられ、ようやく掴み取った幸せだったのに。わたくしはすぐにでも京へ戻って江を抱きしめてやりたかった・・・


 しかし、悪いことばかりではない。九月にこの悲劇が起きてから二月後、わたくしが子を身籠っていることがわかった。鶴松が亡くなってから一年と少しが経っていた。もしこの子がまた男児であれば。わたくしは再び豊臣の嫡男の母となり、浅井の血を残すことができる。


 翌年、文禄二年を迎えて、わたくしは大坂城二の丸へ移った。本丸には未だ北政所が居座っているためだ。鶴松と過ごした淀城は、縁起が悪いとして使われなかった。


 そして迎えた八月。わたくしはついに二人目の子を産んだ。元気な男児だった。

 肥前にいらっしゃる殿下も狂喜し、下旬には大坂へお戻りになられた。産まれた子は『(ひろい)』と名付けられた。棄と名付けた鶴松が早世したためだと殿下はおっしゃる。今度も、名前通り一度捨てて拾いに行かせていた。


 わたくしは鶴松の時と同じように、拾が可愛くて仕方がなかった。それと同時に、拾を喪うことが恐ろしかった。誰も信用することはできない。鶴松と違って北政所には預けなかったし、乳母もつけず自分の乳で育てることにした。

 殿下は昨年母君を失くされた悲しみも忘れて、拾を溺愛なさった。翌年には、わたくしと拾は築かれたばかりの伏見城へと移され、殿下も共に城で暮らすこととなった。


 だが、問題もあった。それは昨年関白になられた秀次殿のこと。この方がいては、拾が権力を握れないかもしれない。それでは、我が子が天下人になれない。

 この事態を危ぶんだのは殿下も同じようで、秀次殿に対し、日本を五つに切り分けて秀次と拾に四対一で相続させようとおっしゃられたそうだ。


 だが、秀次殿の胸中は穏やかではなかったようで、心の乱れゆえか体調を崩されているとも聞いた。

 このままでは、殿下の亡き後の秀次殿が何をするかわからない。拾を蔑ろにするか、もっと悪ければ政敵として殺してしまうかもしれない。そんなの駄目だ、これ以上家族を喪うなんて。

 どうすればわたくしは拾を守れるのだろうか。豊臣の後継者として安泰な立場を築くために、わたくしにできることはないだろうか――これが、あるのだ。

 これは女子にしかできないこと。可愛らしく寝息を立てる拾、この子の頬に愛おし気に触れている殿下の傍に寄り、そっと囁いてやればいい。


「殿下・・・わたくしは、拾が天下を取るのを見とうございます・・・拾を関白にしたいのです・・・」

「なにを言うておる。秀次の次には、必ず拾の番がくる。案ずる必要はないわ」

「秀次殿は拾に立場を追われることを案じ、拾を煙たがっていると。このままではいつか、拾の身が危のうなります。わたくしは怖い・・・拾を鶴松のような目に遭わせとうはないのです。殿下、拾をお助け下さいませ・・・淀の唯一の願いにございます・・・」


 甘ったるい猫なで声で、殿下の絢爛な金の羽織に頬をすり寄せ、溶けてしまいそうなほどの熱を訴えて差し上げる。それだけで、殿下の心は動く。


 ――翌年、文禄四年。秀次殿に謀反の疑いがかけられた。弁明する秀次殿に、殿下は出頭することを命じられた。

 しかし、これは殿下の罠だった。伏見城へ来た秀次殿に、殿下は登城すらお許しにならず、程なくして高野山へ登ることを命じられた。これは出家を命じたのと同じことで、秀次殿は隠棲の身となられたのだった。

 わたくしは伏見城の奥で拾を抱きながら、度々この件についての報告を聞いていた。秀次殿、御前様(おまえさま)にはなんの恨みもございませんの。すべてはこの子のため。拾の天下の安寧のため、死んでくだされ・・・


 ――家臣や妻子ら少人数で登られた秀次殿は、間もなく監禁状態とされた。そして、殿下の命が秀次殿に下った。死刑であった。

 秀次殿は腹を切った。妻子らは皆殺しにされ、多くの者が後を追って殉死した。まだ幼い男児、姫君、妻、侍女、乳母、皆が秀次殿の疑いのために殺されたのだ。


 拾がわたくしの頬に触れて無邪気に笑う。すぐに訪れるこの子の天下は、多くの者の血で濡れた土台に立っている。秀次殿、柴田の父上、信長伯父上、浅井の父上、母上――拾はこの小さな背中に、乱世を生きた人々の歴史を背負っている。

 これに気づいた時、拾はきっと潰れてしまう。人の思いに負けてしまう。だから、わたくしが支えてやらないと。わたくしは、拾の母なのだから・・・何だか、頭が痛い。


 ――秀次殿の事件からおよそ一月。再び江が嫁ぐことになった。相手は徳川秀忠(ひでただ)殿。家康殿の御子息だ。

 すでに二十三の江は、三度目の結婚になる上に、未婚であれば行き遅れと囁かれてもおかしくはないような年頃だ。対して、秀忠殿は初婚の上に十七歳。この婚約は、徳川との繋がりを強めたい殿下の策略であった。


 婚儀は伏見で執り行われた。もちろんわたくしは江と会ったし、近江で暮らす初とも再会した。二人ともまあ、すっかり大人になったこと。久しぶりに穏やかな気持ちになれた。

 江がまた身を預けられる夫を得たのは良いことだ。しかし、この子はわたくしと初の前で密かに泣いた。また夫を喪ってしまったらもう耐えられない。わたしが不幸を呼ぶ女ゆえ、秀勝殿は亡くなり、一成殿も殿下の疑いを賜ったのだ、と。

「父上や母上を亡くしたのも、みなわたしが・・・わたしがいたから・・・!」

 お江が自分をこのように責める姿は初めて見た。可哀そうに、こんな辛い思い違いをして・・・!


「お江、わたくしは其方が好きじゃ。お初のことも好きじゃ。そしてお初も、其方を大事に思うておる。我ら姉妹ほど仲の良い姉妹は他にないわ!皆が其方を見捨てたとて、■■と初は其方の味方じゃ。これをよう覚えておきなされ」

 わたくしはようやく江を抱きしめることができた。江は昔に戻ったように泣きじゃくり、隣の初ももらい泣きしつつ、わたくしと江にそっと寄り添ってくれた。


 また、この婚礼にあたり、江はもう一つ酷な思いをすることになっていた。それは、亡き夫秀勝殿との子と離れること。名は完子(さだこ)といい、四つになる可愛らしい娘だ。

 家康殿にとっては、嫡男の正室が年かさの寡婦であるだけでも十分屈辱的だろう。それに加えて前夫との子供までついてくるとなると、豊臣への印象は悪くなる一方だ。殿下とて家康殿を敵に回してはただでは済まない。


 完子はわたくしの猶子となり、わたくしや拾と共に過ごすことになった。拾にとっては姉ができたようなもので、二人はすぐに打ち解け、お手玉などしてじゃれ合っていた。

 江はわたくしに、どうか完子をよしなにと、そればかりをしつこいくらいに言い立てて、秀忠殿の元へ嫁いだ。今度こそ、江が真の幸せを掴めますように・・・


 ――一方、この年秀次殿を処された殿下は、少しずつ御体が弱くなられているらしかった。度々拾に会いにいらしては、拾の天下は見れぬやもしれぬの、と寂し気につぶやかれる。


 別に、もう拾がいるわけだし、わたくしとしては殿下などさっさとくたばってくれて構わない。構わないが、拾の将来の不安はわたくしも抱いていた。豊臣は百姓上がりの殿下が一代で築かれた家だ。そのため信頼できる家臣は少ないし、家督相続の試しもない。殿下には少しでも長生きして頂かねばならないのだ。


 殿下は気も弱ってしまわれたようで、慶長二年、唐突に拾を元服させるとおっしゃられた。元服をするということは、既に大人であり家督も継げるということを意味する。しかし、この時の拾はわずか五歳の幼子だった。

 元服を機に、拾は秀頼(ひでより)と名を改めた。この子はこんなに幼いけれど、もう大人なのだ。


わたくしが大人にふさわしい立派な子に育てなければ。前関白(さきのかんぱく)の子らしく教養に富み、風流で雅やかな秀頼。外には出さなくていい。武芸はいらないから、とにかく天下人として恥じない子に育てよう。こうやってこの子の先を考えていると、胸がそわそわとして自然と笑みがこぼれ、同時に視界がくらくらと揺れて気分が悪くなるのだった。

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