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二、恋の形見に

 その後、私たち三姉妹は安土城に入り、信長伯父上の親族の庇護を受けた。私たちは不自由なく生活することができた。


 けれど、一つだけ私を悩ませることがあった。それは、猿・・・筑前守様のこと。京にいらっしゃる筑前様は、度々私たちに文を寄こしてきた。辛いことはないか、欲しいものはないかと、まるで実の父のような心配っぷり。

 北ノ庄を落としておいてどの口がと、思わず返事を出しそうになってしまったが、そうはいかない。筑前様はかつての織田家をも凌ぐような権力の保持者。感情に任せて逆らっても碌なことはない。


 毎度送られてくる手紙には、大抵私が返事を書いた。まだ十四と十一の妹たちにはこんなこと任せられない。すると困ったことに、いつしか筑前様は私だけに文を送ってくるようになった。

 私が返事を出しているし、なんらおかしなことはないと思いたかった。だが、そうできない事情がもう一つあった。筑前様は、本当に時々だけれど、私たちや伯父上の親族のご機嫌伺いに安土までいらっしゃることがあったのだ。


 私はいつも初と江と共に、上座で背筋を正している筑前様に挨拶を申し上げていた。筑前様も私たちを哀れむような様子で、戦の話や奥方様の寧々様の話などを、私たちを元気づけようとするかのように軽快な調子で語り聞かせてくださった。いつの間にやら、初と江はすっかり筑前様を気に入ってしまった。


 だが、筑前様はそんな温かな雰囲気を自らお壊しになられた。妙な言い訳を立てて妹たちを下がらせ、私と二人きりになったとき。筑前様はいつもと同じような話をなさったけれど、明らかにこれまでとは『目』が違っていた。


『まあ、猿が御方様をあんな目で。汚らわしい』


 私は絶句した。私より三十二個も上の筑前様が、私に、母上に向けるのと同じ目を、気持ち悪い目をして私を捉えて――

 ■■様、■■様。・・・■■。

 ・・・はぁ、いつからだっただろうか、筑前様が私に敬称をつけなくなったのは。


 そこまで筑前様が私をお求めになるならと、私は一つ条件を出した。それは、妹たちの婚姻の面倒を見ていただくこと。今の私にとって、気がかりは初と江のことだけ。二人が幸せになれるのなら、私はそれで良かった。


 程なくして、江の嫁ぎ先が決まった。信長伯父上の子、信雄(のぶかつ)様の家臣であり、私たちのいとこにあたる佐治一成(さじかずなり)殿。ほんの十二の江が、私より初より早く行ってしまうなんて、少し前なら考えられないことだった。

 江は身の丈より大きな白い打掛を羽織り、寂しそうに私たちを見つめていた。肉親の元を離れるのだから、きっと不安で仕方が無かっただろう。私と初は江の手を握り、結婚は幸せなことなのだからと、笑って愛おしい妹を送り出した。


 ――しかし、一成殿は戦にて、筑前様のお怒りを買ってしまった。江は婚姻から一年もしないうちに、あえなく離縁させられてしまったのだった。あの頃の江の悲痛な様子は、思い出すだけで胸が痛む。

それから二年後、江は筑前様の甥の豊臣秀勝様に再嫁した。秀勝様がお優しい方だというのを聞いて、江を案じていた私と初も少し安心できた。


 江の再嫁の翌年、十八になった初は京極高次(きょうごくたかつぐ)殿の元へ嫁いだ。京極家は浅井家の主家に当たり、私たち姉妹は皆高次殿と面識がある。


色々あったけれど、これで二人はそれぞれの旦那様に面倒を見ていただけることになって、私もほっとしていた。

 母上亡き後、私が母代わりとして接してきた二人の妹。離れ離れになるのは寂しかったが、文のやり取りもできたし、絆が消えることはなかった。


 彼女たちの幸せと引き換えに、私に訪れるのは未知の暮らし。二人は何度も、筑前様は何故姉上よりも先に私たちの嫁ぎ先を探しておられるのかと不思議がっていた。しかし、私は決してその理由を言わなかった。気の早い妹たちは、きっと怒ってせっかくの縁談も断ってしまっただろうから。


 天正十五年、初が安土を去るのを見送ってすぐに、私は数年前に築かれたばかりの大坂城へ移った。私は十九、筑前様――関白になられた秀吉殿下は五十一。父と子のような年の差のある私たちは、こうして夫婦になったのだった。


 妻と言っても、私はあくまでも側室。殿下の正室は、既に何十年も連れ添っている御方様。今や関白の妻として、北政所(きたのまんどころ)様と敬われている寧々様だ。

 殿下は好色で、これまでに何人もの側室を迎えているという。その中には高貴な御方も多くいらっしゃって、下級武士の娘である北政所様よりも貴いご身分の御方も大勢いらっしゃったはずだ。それでも、北政所様の正室のご身分は揺るがなかった。それだけ殿下の寵愛が深かったのだ。


 しかし、寵愛でいえば私も負けるはずがない。殿下が長年慕っていた、お市御料人(ごりょうにん)の娘である私。殿下にとって私は、まだ私が幼い頃岐阜で顔を合わせたときから、思慕するお市様の美しい娘で・・・その頃から、私の存在は、殿下の目に・・・


 ――だから、私は負けない。これまで抱いてきた嫌な気持ちは全て捨てて、本当の心に嘘をついて愛を求めて、殿下を私の虜にする。殿下を愛して、愛されて、いつかその証を日の本の頂点に立たせて・・・私の望みを、叶えてみせるんだ。


 ――北政所様は、内心何を考えていらっしゃるのかは知れないが、まだ大坂に慣れていない私を気遣ってくださった。まるで真の母上のように、優しく、愛情を持って接してくださったように思う。

 関白殿下にはまだ実の御子がいらっしゃらなかった。だから、殿下の御子として育てられたのは皆養子だ。しかし、北政所様は血の繋がっていない子らを、本当の子のように慈しんで育てられたのだという。北政所様にとっては、私もそれと同じなのだ。私は純粋に嬉しかった。母上を失ってからずっと、私は愛情に飢えていたのかもしれない。


 だが、北政所様の想いに素直に応えてはいけない。こんな対応をされるということは、北政所様にとって私はまだ子供ということだ。殿下に寵愛されていようと、結局は子を産むことのできないただの愛玩物。

 私は北政所様の好敵手にならなければいけないのだ。この女を殿下の側に置かせたくない。そう思わせるくらいの女にならなければ天下は取れない。


 ――その後、一年も経たないうちに、私は大阪城を発って殿下の邸宅である聚楽第(じゅらくてい)に移ることになった。殿下が北政所様の目を気にせずに、寵愛する私の元に通うためだ・・・


 送別の日、北政所様は私の元を訪れて、秋草模様の団扇(うちわ)をくださった。私はいつものように素っ気ない態度で、北政所様と目を合わせることもしない。それでも、この方には私が哀れな姫に見えたらしい。好色な年寄りに寵愛される、可哀そうな少女に。


 輿に乗り、聚楽第へ向かう。誰にも見られない密室。私は団扇を手に取って見る。

 久しぶりに胸が詰まって苦しくなった。聚楽第に行って、一体誰が私に優しくしてくださるというのか。目の前が真っ暗で怖い。殿下に触れられたくない。ただ家族と穏やかに暮らしたかっただけなのに・・・!


 気持ちを鎮めようと、ゆっくりと息を吸って呼吸を整える。強い女子は苦しんだりしない。私は強く生きる。そして、殿下の御子を産んで殿下の一の人になるのだ。

 殿下が子を成せぬお体だったとしても・・・いくらでもやりようはある。お咎めを受けて殺されるならそれでいい。それで、父と母に会えるなら・・・

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