十、儚い希望
目が覚めた頃には、状況はやや好転していた。あの後徳川からの使者が城に入り、和議のため使いを寄こされよと申してきたという。使者はこうも言ったらしい。
「大坂方の代表としては、お家が徳川方に属す常高院様が適任であろう。こちらからも女人をお立てするつもりである」
話を聞き、初は戸惑った様子だった。初はわたくしの妹であるというだけで、平時から大坂で暮らしている訳ではない。だが、姉は豊臣、子は徳川という曖昧な立場が都合が良いと判断されたのだ。
交渉は初の養子、忠高殿の陣中で行われたという。徳川の代表として初の相手をしたのは、家康の側室である阿茶局であった。
この交渉の結果、豊臣に課された条件は二つ。大坂城の外堀を埋め立て三の丸と二の丸を破却すること、治長ら家臣から人質を出すことであった。その代わり、大坂城を含めた豊臣の領地や、わたくしと秀頼の地位は保証し、牢人らの処罰も行わないと告げられたのだった。開戦前に家康に突き付けられた大坂から立ち退く件は不問になり、豊臣家にとって悪くない結果でこの戦は終わったのだった。
ようやく、平穏な日常が帰ってきた。夜も鉄砲の音が響くことはなく、血に塗れた足軽が城内に運ばれることもなく、秀頼はいつも通り健やかで居る、幸せな毎日。
合戦が終わったことで何人かの牢人や武将が出て行った。恐らく皆、冬の陣で援軍を得られなかったことで豊臣に愛想を尽かしてしまったのだろう。しかし、もう領地も禄もない貧しい者どもは、しつこく大坂城に居残っていた。
この間、徳川と豊臣は共同で堀の埋め立てを進めていた。共同といっても担当は分かれていて、徳川は三の丸と外堀、豊臣は二の丸と決められていた。大がかりな工事のため、城内の誰もが数月やそこらでは終わらないだろうと考えていた。
――しかし、一月の初め頃から、異変に気が付いた。徳川が恐ろしいほどの速度で工事を進めており、いつの間にやら外堀がすっかり埋まっていたのだ。
訝しんだ時点で、もう遅かった。徳川勢は事前に決めていた領分を完了させるやいなや、内堀まで埋め立てにかかったのだ。三の丸や二の丸はとっくに破壊しつくされ、門や屋敷の残骸が雪に埋まっていた。
お初に聞き直しても、確かに壊すのは二の丸までと仰せられたと必死に声を上げている。これではまるで約束が違っていた。
だが、徳川へ向けて使者を送っても、何ら間違いはないと返され誤魔化されてしまうのだった。これでは、天下一の要塞と言われた大坂城も丸裸ではないか。
再び城内を不穏な空気が覆った。これでは和議などしない方がましであった、もう豊臣と徳川の共存の道はない、戦わねばこのまま潰されるのみ。牢人を中心にこのような噂話が囁かれ、熱気が満ちていくのを感じた。
戦中の苦しさ、辛さ、恐怖などは、皆ほとんど忘れてしまっているらしかった。実際、わたくしもまるで夢であったかのようにぼんやりとしか覚えていないのだった。人は、あまり恐れが過ぎるとそれをすっかり忘れてしまうのかもしれない。
慶長二十年三月、もう城内の士気の高まりは止めようがなかった。豊臣が勝った場合に与えられる金銀財宝を期待する者、もう行く場所もなく死に場所を探す戦国武者。それぞれ事情はあれど、城を出る気はないらしい。
わたくし自身さえも、戦をするしかないだろうと思っていた。不服だが、家臣であったはずの家康が逆らい襲い掛かってくる以上、秀頼に天下を与えるためには家康から奪い取るしかない。わたくしの望みのため、そして秀頼の身の安全のためだ。
――以前より、薄々感じていた。豊臣家は潰れる運命にあるのではないかと。徳川は耳障りの良い和議やら交渉やらを持ち掛けてくるが、そんなものはすべて罠に過ぎず、実際はどこまでも豊臣家を潰さねばならぬと動いているのだ。豊臣家が潰れる、つまり秀頼が死ぬ。そんなこと受け入れられない。運命を回避するには戦うしかないのだ。
家康は、最後通告と言わんばかりに通達してきた。一刻も早く牢人を解雇し、国替えなされ。さもなくばただでは済まされぬ。当然、即刻拒否の意を示した。国替えすれば移った先の国で秀頼が殺されるだけだ。
遂に豊臣家の方針は決まった。既に合戦の支度は始まっていて、埋められた堀も掘り返されているところだ。徳川家からの返事はない。だが言葉通り、豊臣を尋常でなくどうにかしてしまうために出陣するのだろう。全国の諸大名と共に。
城内でも軍議が開かれた。なかなかうまくまとまらなかったが、最終的には野戦しかないとの結論に至った。このような無残な有様になった大坂城では、籠城での勝利は見込めない。兵が自ら突撃し、蹴散らされ退却してきた時が、豊臣の敗北の時だ。
この間に豊臣家を見捨てた牢人も多く、兵の数はぐっと減った。わたくしは常に不安で、何度も治長らに「この戦、勝てるのか」と聞いたが、そのたび皆弱々しく笑い、「そう信じておりまする」と答えるのだった。願望などでなく、事実を聞いているというのに。
家康は、息子の婚儀のため上洛するだなんだと言い訳をつけ、ごっそりと大量の兵を連れてきた。その数は圧倒的で、兵の数のみで勝敗が決するならば豊臣の大敗が明らかであった。
また、戦が始まるか否かという時期に、一通の文が届いた。高台院からのものだった。
『ここまで来てしまいましたが、まだ間に合います。すぐにでも大御所様にお詫び申し上げ、進軍をやめていただくのです。さもなくば、豊臣も秀頼君も滅びます。あなたは偽りとお思いになるやもしれませぬが、わたくしは秀吉殿の御子である秀頼君がとても可愛いのです。そしてあなたのことも。老婆のお節介ですが、どうかお聞き届けくださいませ』
この方は何もわかっていないのだ。どうせ大御所は、自分に良くしてくれる高台院の前ではいい顔をしているのだろう。だけど・・・高台院様は、もう自分の手を離れた豊臣家を、未だ気にかけてくださっている。本当に、どこまでお人好しなのか。
わたくしは文の隅に文字を書きつけ、そのまま京へ送り返した。今もあの方は、京都の高台寺で暮らしていらっしゃる。あの日、あの方が下さった団扇は、今この瞬間も侍女の手を借り風を送り続けている。
――多くの兵が出兵の準備を進める最中、秀頼がわたくしにわがままを言った。この子は甲冑姿だが、出陣はしない。
「母上、私はお千に会いとうございます」
「何度も申した通り、それはなりませぬ。千は徳川の間者です」
わたくしがはっきり否定しても、秀頼は引き下がらなかった。大きな体で立ち上がり、座り込むわたくしを堂々と見下ろす。
「このままでは、私はただの愚か者です!母親の言うことに逆らえない、そんな大将は他におりませぬ!前の戦の時に学びました。城内が私をどう思っているか、父の故太閤がどのような御方だったか。このままでは豊臣家がどうなるかということも!」
「しかし、母は其方を想うて言うておるのです!」
「わかっております!母上は、誰よりも私を愛してくださっている。されど、それが私には苦しく感じることがあるのです。そのことをわかっていただきたいのです!」
秀頼のすっかり大人びた物言いに、わたくしは圧倒されてしまう。秀頼をこんな子にしたのはわたくしではない。もしわたくしがこのように育てていたら・・・そんな考えがよぎった。
「私は母上を想うのと同じくらい、お千を大事に想っています。豊臣家が滅ぶか否かという瀬戸際です。千に二度と会えぬなど、耐えられませぬ。どうか母上、お願い致します・・・!」
「――市正も、他の城を出た者共も、皆徳川に通じておったのでしょう。千が間者であろうがなかろうが、もう天下には関係のないこと・・・千姫を呼んで参れ」
わたくしが侍女に言いつけると、秀頼は大輪の花のような笑顔になった。こういうところは、やはりまだ子供っぽいのだった。
久しぶりに会ったお千は十九歳になる。以前にも増して美しくなったようだ。秀頼を見ると頬を赤く染め、まるで嫁いだばかりの姫君のように照れているのだった。
――牢人達は秀頼に、右大臣様が御自ら出陣してくだされば、皆の士気も上がりましょう、と提案した。だが、流石にそんなことは看過できない。秀頼が運悪く流れ矢にでも当たれば、豊臣家は終わるのだ。そんな危険は冒せない。
わたくしの意思に反し、秀頼は乗り気のようだった。わたくしはもちろん反対だが、母上には従わないときっぱり言われてしまったこともあり、どうにも言い出しづらい。
ここで、お千がいいことを言ってくれた。秀頼の袖をきゅっと愛らしく掴み、「せっかく久しぶりにお会いできましたのに・・・千は秀頼様と、もっと一緒にいたい」と懇願して見せたのだった。この子も馬鹿ではない、馬に乗って城外に出ることに、どんな危険が伴うかわかるのだろう。
わたくしも千に追随して、何とか秀頼を説得した。秀頼は最後まで渋っている様子だったが、やはり夫婦の情というものがあるようで、また大人しく座って千と笑い合っているのだった。戦の最中というのに奇妙な光景だと、わたくしでさえ思った。
――開戦の時が迫っていた。秀頼とは大した会話をすることはなく、治長らも皆忙しなくしていたため、わたくしの会話相手はもっぱら大蔵卿であった。これも、冬の陣で戦には懲りたように見えたが、今はもうけろりとしていて元気そうだ。
「大方様、案じることはございませぬ。治長は存外やる男ですので、きっと大御所なぞすぐに追い払ってしまいましょう。その暁には、大方様と治長と婆とで、近江に里帰りでもいたしましょう」
心底そう信じているという様子で、大蔵卿は楽しそうに笑う。母上とほとんど年の変わらぬこの婆は、もう六十を超えている。できることなら、少しでも長く、健やかでいてほしいものだ。
――四月の末、徳川軍の拠点である堺の焼き討ちから、ついに戦が始まる。冬の陣の和議からわずか数月、豊臣家の絶対的不利な条件下で始まった戦だ。それでもわたくしは、まだ勝利を信じていた。信じなければ、秀頼の死を受け入れることになるから・・・




