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無情の正論

 白い石畳の上を、雨水が静かに流れていた。

 門の内側に広がる街並みは、鉱山側とはまるで違っていた。


 雨に濡れた赤土も、泥に沈む道も、煤けた小屋もない。代わりに整えられた道が奥まで続き、両脇には石造りの屋敷が並んでいる。軒先からは香木の匂いが漂い、窓の奥からは笑い声と食器の触れ合う音が漏れていた。




 カラカとルーシアは、警備にあたっていた衛兵にアサグの屋敷の場所を尋ねていた。

 案内された先にあったのは、街の最奥に位置する巨大な白亜の屋敷だった。


 高い塀に囲まれ、重厚な鉄門が行く手を塞いでいる。


 門の両側に立つ衛兵は、ルーシアを見た瞬間に即座に姿勢を正し敬礼した。


「姫様、お待ちしておりました」


 ルーシアの目がわずかに細くなる。


「……私が来るのが分かっていたみたいね」


「はい。応接室へご案内いたします」


 衛兵が手を上げると、重い門がゆっくりと開かれた。


 


 軋む音が、雨の中に低く響く。

 門の先には、広い庭園が広がっていた。


 鉱山の麓とは思えないほど丁寧に管理された芝生。白い石で縁取られた道。

 その中央には池があり、何匹もの魚が腹を上に向けたまま水面に浮かんでいる。


 

 カラカは眉をひそめた。

 そして屋敷へ足を踏み入れた瞬間だった。


 カラカの胸の奥で、ざわめきが一気に強くなった。



 ルーシアを一人にするべきではないことは分かっている。それでも、胸の奥から響く何かに抗えなかった。


「ルーシア……悪い……」


 ルーシアが振り返る。


「どうしたの?」


「ちょっと確かめたいことができた。1人でも大丈夫か?」


 ルーシアは少し目を伏せた。

 ほんの一瞬、不安がその横顔に滲む。


 しかし、すぐに顔を上げカラカを見つめた。


「わかったわ……」


「いいのか?」


「何かを感じたんでしょう? あなたの中の何かを信じるわ」


 その声は落ち着いていた。


 だが、カラカは見逃さなかった。

 ルーシアの手が、小さく震えていることを。


 カラカは唇を噛み、すぐに笑った。


「悪いな! すぐに戻る!」


 カラカがその場を離れようとした瞬間、案内していた衛兵が慌てて声を上げた。


「屋敷での勝手は困ります!」


 ルーシアが静かに衛兵へ視線を向ける。


「私が許可します。行きなさい」


「ルーシア様……」


 ルーシアは一歩も退かずに言う。


「何か文句でも?」


「い、いえ……」


「あなたは早くアサグのところへ案内しなさい」


「かしこまりました……」


 衛兵は渋々頭を下げた。


 カラカは一度だけルーシアを見た。

 ルーシアも、わずかに頷き返す。


 それを確認してから、カラカは胸のざわめきに従い、屋敷の奥へ歩き出した。




 応接室は、屋敷の二階にあった。


 厚い絨毯が敷かれ、壁には金色の額縁に収められた絵画が並んでいる。大きな窓の向こうには雨に濡れる庭園が見えた。


 部屋の中央には白い卓が置かれ、その奥に痩せ細った長身の男が立っていた。


 顔には乾いた陶器のような罅割れが走っている。


 男はルーシアを見て、薄く笑った。


「お久しぶりです、姫様。すぐに紅茶をお入れいたします」


 ルーシアは椅子にも座らず、まっすぐ男を見た。


「アサグ……お茶も挨拶も結構よ」


「それは残念です。姫様が城を飛び出してからのお話をぜひお聞きしたかったのですが」


「別に興味もないでしょう。本題に入るわよ」


 アサグは小さく肩をすくめた。


「その前に……2人を紹介しておきます」


 部屋の端に控えていた二人の男が前に出た。


 一人は背の低い、丸顔の男だった。上等な服を着ているが、指先は妙に神経質に動いている。


 もう一人は背が高く、鋭い目つきをしていた。軍人のように姿勢がよく、無駄な動きがない。


 二人はルーシアの前で敬礼した。


 ルーシアは静かに二人を見る。


「あなたたちが……」


 アサグが細い指を広げる。


「私に代わり、このアパルトヘイムを運営してもらっています。ダニエル・マーランとヘンドリック・フェールトです」


 丸顔の男が恭しく頭を下げる。


「以後、お見知り置きを」


「ええ。挨拶はお互い十分ね」


 ルーシアはすぐにアサグへ視線を戻した。


「アサグ、あの鉱山の有様は何かしら。説明してもらうわよ」


 アサグは瞬きを一つしただけだった。


「何かおかしな点でも? 獣たちを労働者として雇用しているだけですが」


「労働者? 奴隷の間違いじゃないかしら」


「奴隷だなんて……必要な管理をしているに過ぎません」


「私はそうは思わないわね。あれは明らかにやり過ぎよ」


 アサグはわずかに首を傾げた。


「姫様は獣人たちを解放しろとおっしゃりたいのですか?」


「その通りよ」


 ルーシアの発言にマーランとフェールトがわずかに顔を動かした。だが、アサグだけは笑みを崩さなかった。


「では、聞きますが……獣人たちを解放したら、誰が鉱石を掘るのですか?」


 アサグは卓の上に置かれた資料へ指を置いた。


「ここで掘れた鉱石はベルナーレという都市へ送られています。そこで加工された鉱石は武具や魔導具、王国軍の装備となり、王国全土へ流通しています」


 彼の声は、まるで帳簿の数字を読み上げるように淡々としていた。


「王国の財政や国民の生活。そして、魔王軍に対する防衛を支えています。全てはこの鉱山あってこそ。姫様は、それを止めろと?」


 ルーシアは拳を握った。


「それでも、獣人たちの犠牲を許容する理由にはならないわ」


「先ほども言った通り、犠牲にしているつもりはありません。我々は獣どもに仕事を与えただけ。このご時世、亜人には生きにくいですからな」


「そんな時代にしたのも私たち王国側の罪よ」


 アサグは細い目をさらに細める。


「それはなんとも言えませんねぇ」


 柔らかな口調たが、その声に温度はなかった。


「ですが、我々は最大限歩み寄る努力はしているつもりです。住処を与え、食事を与え、働き口を与える。対価として、少々働いてもらっているだけ。持ちつ持たれつの関係ですよ」


 ルーシアの声が低くなる。


「恩着せがましいにも程があるわね。どれだけ言い繕っても、やってることは一方的な搾取でしょう」


「姫様にはそう映りますか」


「それ以外に映らないわね。私はそんな屁理屈を聞きにきたんじゃないの。今すぐに獣人族を解放しなさい」


 ルーシアは一歩前へ出た。


「これは王女としての命令よ」


 部屋の空気が張り詰める。

 マーランは目を伏せ、フェールトは無言でルーシアを見ていた。


 アサグは、ゆっくりと頭を下げた。


「申し訳ありませんが、その命令は承諾しかねます」


 ルーシアの目が見開かれる。


「どういうことよ」


 アサグは顔を上げた。


「このアパルトヘイムでの政策は、ケネディ・フィッツジェラルド陛下直々に言い渡されておりますので」


 ルーシアの表情が固まった。


「お父様の?」


「はい。いくら姫様といえど、国王陛下の勅命を覆す権限はお持ちではありません」


「そんな……」


 声が小さく落ちた。

 アサグは静かに両手を重ねる。


「姫様……政は感情だけで行えるほど簡単ではありません。どうかご理解を……」


 アサグの言葉は丁寧で、全てが正論に聞こえた。ルーシアは何も言えずに拳を握った。




 その頃。

 カラカの足は自然と屋敷の裏手へと向かっていた。


「ここだ」


 そこにあったのは、人気の少ない古びた石造りの倉庫だった。


 白亜の屋敷とは違い、その建物だけは妙に古びている。石壁には黒ずんだ染みが広がり、扉に錠はかかっていない。


 雨の匂いに紛れて、かすかな腐臭が漂っていた。


 胸の奥がざわめく。

 呼ばれている感覚があった。


 カラカは扉にゆっくりと手をかける。

 重い音を立てて、石造りの倉庫の扉が開く。


 次の瞬間、カラカは息を止めた。


「……なんだよ、これ」




 倉庫の中の光景を見た時、カラカの体の奥で何かが弾けた。

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