表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/9

白虎の獣人

 雨の降る鉱山には、様々な音が鳴り響いていた。


 岩を砕く音。

 鉱石を積む音。

 鎖が擦れる音。


 そして、鞭の音。


 暗い坑道の中で、獣人たちが首輪をつけられ、黙々と鉱石を掘り続けている。空気は薄く、汗と泥と血の匂いが充満している。


 少しでも手が止まれば、監督役の人間が鞭を振るった。倒れた者にも、膝をついた者にも容赦はない。


「おら! 手ぇ止めんな!」


 乾いた音と悲鳴が坑道に響く。




 そんな中、ゾウの獣人がふらついた。

 両腕に抱えていた鉱石が足元にこぼれ落ちる。


 次の瞬間、その巨体が膝から崩れた。


 監督役の人間が舌打ちし、鞭を握り直す。


「おら! 誰が休んでいいって言った! でかい図体してるくせに情けねえ!」


 鞭が振り上げられ、ゾウの獣人の背に叩きつけられる寸前──


 白い影が間に入った。


 乾いた音が響く。

 鞭を受けたのは、白虎の獣人だった。


 白虎は微動だにしなかった。

 ただ、ゆっくりと監督役の人間へ視線を向ける。鋭い目には怒りを押し殺したような、冷たい光があった。


 人間の男が一歩だけ後ずさる。


「な、なんだよ……逆らう気か?」


 白虎の獣人は低く答えた。


「いや、逆らう気はない。ただ、こいつは限界だ。少し休憩をくれないか?」


「そんなの許されるわけがないだろ。昨日無能が何匹か死んで今日の工程が遅れてるんだ」


 白虎の眉間に深い皺が刻まれた。

 強く握り締めた拳からは血が滲んでいる。


「なら、こいつの分も俺が働く。今日のノルマは必ず終わらせる。それでもダメか?」


 監督役の人間は不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「ふん。勝手にしろ」


 白虎の獣人は、ようやくゾウの獣人のそばに膝をついた。


 ゾウの獣人は息を荒げながら、申し訳なさそうに顔を歪める。


「ネルド……すまん……」


 ネルドは首を横に振った。


「気にするな、エレファ。

 お前は先に帰って休んでろ。俺もすぐに帰るから」


「すまない……」


「変な気だけは起こすなよ」


 エレファは重い頭をゆっくりと頷かせた。


「わかってる」


 その日、ネルドは二人分の鉱石を運んだ。


 何度も鞭が背中を掠めた。

 何度も膝が折れかけた。

 それでも、最後まで手を止めなかった。




 生活区域に戻るころ、雨はまだ降っていた。


 鉱山の麓にはトタン屋根の小屋が並んでいる。屋根のあちこちから雨漏りが落ち、壁の隙間からは冷たい風が吹き込んでいた。


 街の喧騒は、ここまでは届かない。

 ここにあるのは、湿った土の匂いと、疲れ切った獣人たちの息遣いだけだった。


 支給された食事は、薄い汁物のみ。

 器の底が見えるほど澄んだ汁に、野菜くずが少し浮いている。肉も、穀物も、ほとんど入っていない。


 獣人の一人が器を見下ろし、低く吐き捨てた。


「毎日こんな飯で、まともに働けるわけねぇだろ!」


 別の獣人も、奥歯を噛み締める。


「くそっ! どこまでもコケにしやがって……」


 ネルドは器を手にしたまま、静かに言った。


「それでも耐えるんだ」


 その言葉に、周囲の獣人たちは黙り込んだ。


 やがて、ネルドを中心に何人かの獣人が集まった。


 ゾウの獣人。

 バッファローの獣人。

 ヒョウの獣人。


 疲労で顔色は悪く、毛並みも泥と雨で乱れている。


 ゾウの獣人、エレファが、弱々しく口を開いた。


「ネルド……今日はすまなかった」


 そう言って、自分の器をネルドの方へ差し出した。

 ネルドはすぐに首を横に振る。


「いや、気持ちだけでいい」


「だが……」


「しっかり休んで、明日に備えよう」


 エレファは悔しそうに目を伏せた。


「あぁ……」


 ヒョウの獣人、レオパルドが周囲を一度見回し、小さな声で報告する。


「今月だけでも、もう七人だぜ」


 誰も驚かなかった。

 バッファローの獣人、バッファが低く唸った。


「昨日はサイたちが死んだ。鉱山の奥が崩れて、巻き込まれたらしい」


 エレファが目を閉じる。


「そうか……」


 レオパルドは続けた。


「その代わり、新しい奴らが──」


 その瞬間、少し離れた場所で器が地面に叩きつけられた。


 薄い汁が汚れた床に広がる。


 立ち上がったのは、ライオンの獣人だった。身体は大きく、目には怒りが燃えている。


「ふざけるなっ! なんで俺たちがこんなところで働かねぇといけねぇんだ! あいつら全員殺してでも俺は出るぞ!」


 周囲の空気が凍った。

 何人かが慌てて小屋の周りに人間がいないか確認に走った。

 

 ネルドは静かに立ち上がり、小屋の出口を塞ぐように立った。


「勝手は困るな、新入り」


 ライオンの獣人が牙を剥く。


「どけよ。俺は嫁と子供とこの街を出る」


 ネルドの表情がわずかに曇った。


「そうか、お前も家族を……」


「ああ。いい働き口があると聞いて来たが……嫁と子供を人質にとりやがって。わかったらさっさとどけよ」


 ネルドは動かなかった。


「それはできないな。家族を守りたいなら今は耐えるしかない」


「どかねぇなら、力づくでどいてもらう!」


 ライオンの獣人が踏み込んだ。

 ネルドは避けなかった。


 拳が顔面を捉え、鈍い音が響く。ネルドの顔がわずかに横を向き、口の端から血が流れた。


 だが、足は一歩も動いていなかった。


 ライオンの獣人の目が揺れる。

 ネルドは血を拭いもせず、静かに言った。


「俺を殴って済むなら好きなだけ殴ればいい。だが、人間を怒らせるようなことはするな」


 ライオンの獣人は拳を握ったまま、息を荒げている。


「お前……なんで手を出さねぇ」


「意味がないからだよ。


 お前、名前は?」


「……ビコ・レオンだ」


 ネルドは小さく頷く。


「そうか。レオン」


 ネルドの声は低く、重かった。


「慌てるな、今は耐え忍ぶんだ。いつか必ず陽は上がる」


 ライオンの獣人は顔を歪めた。


「くそっ!」


 それ以上何も言わなかった。

 ただ、拳を震わせたまま、その場に崩れるように座り込んだ。




 深夜。

 小屋の外れで、ネルドは一人、雨の降る空を見上げていた。


 雲の向こうに陽はない。

 月も見えない。

 ただ、雨だけが降り続いている。


 小屋の中では、獣人たちが疲れ果てて眠っていた。


 ネルドは胸元に手を伸ばした。


 そこには古いネックレスがあった。

 角と金槌が交差し、その中心には炎を模った小さな装飾がある。何度も握られたのか、表面は少し擦り減っていた。


 ネルドはそれを強く握りしめる。


「……フラン」


 雨音が、返事の代わりに降り注ぐ。


「俺はまだ信じてる。いつか必ず──」


 言葉はそこで途切れた。

 それでも、ネルドは空を見上げ続けていた。


 降り続く雨の音だけは、いつものように夜を満たしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ