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鎮めの街

 赤土の上に広がる草原に、雨が降り続いていた。


 その草原は見渡す限り続き、所々に木が立っている以外に遮るものは何もなかった。


 カラカは濡れた髪をかき上げながら、前を歩くルーシアへ声を投げた。


「この先に本当に街なんかあるのか?」


 ルーシアは雨に濡れたフードを片手で押さえながら答える。


「えぇ、アパルトヘイム。知らないかしら? 鉱山で栄えた街よ」


「いや、初めて聞いた。そこにお前の会いたい人間がいるんだよな?」


「人間じゃなくて獣人だけどね」


 その言葉に、カラカの歩幅がほんの少しだけ緩んだ。


「獣人か……お前の言ってる、革命に必要なのか?」


「どうかしら。協力してくれるといいんだけど」


「まぁ、会ってみないとわからねぇよな」


 そこでカラカは顔をしかめ、空を見上げた。


「なぁ、そんなことより。この雨はなんとかならねぇのか?」


「いつからか降り出して、やまないらしいの」


「……へぇ」


 カラカは目を細めた。


 降り続く雨に弱まる気配はない。

 この土地では、それが当たり前であるかのようだった。




 しばらく歩き、二人はゆるやかな丘を越えた。その先で、カラカは思わず足を止める。


 雨の降る草原の先には巨大な鉱山が広がっていた。山肌は何段にも削られ、無数の坑道が口を開けている。


 鉱山の麓には街が広がっていた。

 雨に濡れた屋根の向こうでは煙突から黒い煙が立ち上り、荷馬車が絶えず行き交っている。


 工房や倉庫らしき建物も多く、人々の姿も見える。その活気は遠目にも伝わってきた。


 そして街の西側。

 鉱山から最も離れた一角。

 そこだけが別世界だった。


 高い塀の内側に、白い屋根の豪勢な屋敷が並んでいる。

 整えられた庭園。雨を弾く石畳。鉱山の煤も泥も届かないかのような美しい街並み。




 カラカは鉱山を見上げた。


「……でけぇ山だな。あれが鉱山なのか?」


「えぇ。王国の最大の資金源の一つなの」


「鉱山の街って聞いてたからどんなもんかと思ったら……意外と街も栄えてそうだな」


 ルーシアは街を見下ろしたまま、少しだけ目を細める。


「ここで採れた鉱石が世界に流通してるもの。商人も、職人も、冒険者も、一攫千金を求めてここに集まってくる。王国の中心地より、よほど景気がいいかもしれないわね」


「へぇ。美味い物も多そうだ」


 カラカの声には、少しだけ明るさが戻っていた。

 ルーシアはカラカを横目で見てから、濡れたマントを軽く摘まんだ。


「とにかく、行きましょう。誰かさんの視線が気になるから、着替えが欲しいわ」


 雨で濡れたマントが、ルーシアの肌にまとわりついていた。

 薄い布は体の線に張り付き、歩くたびに水滴が落ちる。


 カラカは慌てて顔を逸らした。


「なっ! それはその……不可抗力というか……」


 ルーシアは聞く耳を持たずに歩き出した。


「お、おい! 待てよ!」




 二人は丘を下り、街の入口へと向かった。


 カラカはルーシアの背中を追いながら、まだ言い訳を続けていた。


「なぁ、話しをきけよ。別に俺は胸を見てたわけじゃなくて……おい! ルーシ」


「うるさい」


 ルーシアが振り返り、片手でカラカの口を塞いだ。カラカが目を瞬かせる。


 街の入口には、王国軍の衛兵が二人立っていた。軍服を羽織り、槍を手にしている。その胸元には、エルピディア王国の紋章が光っていた。


 それを見た瞬間、ルーシアはフードを深く被る。

 カラカは小声で尋ねた。


「どうしたんだ?」


 ルーシアは前を向いたまま答える。


「街の中ではあまり私の名前を呼ばないで」


 カラカは王国の軍服を着た衛兵を見て、何かを察したように鼻を鳴らした。


「お偉いさんは大変だな」


 街に入ろうとすると、衛兵たちは二人を一瞥しただけだった。


 カラカの腰のナイフにも、ルーシアの深いフードにも、大した興味を示さない。雨の中で立ち続けることにうんざりしているのか、ただ退屈そうに門の脇へ視線を戻した。


「やけに簡単に入れたな」


 ルーシアはフードを脱ぎながら答えた。


「まぁ、地方の衛兵はあんなものでしょう」




 門を抜けると、街は雨の中でも賑わっていた。


 大通りに露店が並び、商人たちの客を呼ぶ声が飛び交っている。どこからともなく太鼓の音が鳴り響き、雨音と混ざって奇妙な熱気を作っていた。


 武具屋の前では冒険者が値切り、酒場からは昼間だというのに笑い声が漏れる。幌の下では職人が赤く熱した金属を打ち、火花が雨に散って消えていく。


「へぇ、賑わってんなぁ!」


 カラカの声が弾む。


 ルーシアは人混みを見渡しながら、少し遅れて頷いた。


「そうね……ここまでとは思わなかったけど……」


 彼女の視線は、商人たちでも冒険者たちでもなく、人混みの隙間を探るように動いていた。


 カラカはそれに気づかず、通りの先を指差した。


「見てみろよあれ! 美味そうだぞ!」


 視線の先では、干し肉が山のように積まれていた。横の串焼き台からは煙が上がり、強い香辛料の匂いが雨に混じって漂ってくる。


 他にも金細工や宝石の店が並んでいた。色とりどりの石が雨除けの布の下で光を反射し、象牙や角、骨で作られた装飾品が所狭しと積まれている。


 さらに隣では、色鮮やかな毛皮が天幕の下で揺れていた。


 雨に濡れないよう丁寧に吊るされたそれらは、妙に美しく、妙に生々しかった。


「あっちは宝石か? 金はまだあるし、どの店から行くか悩むな!」


 カラカが露店の方へ走ろうとした時、ルーシアがその手を引いた。


「ちょっと待って!」


 振り返ったカラカは、そこで初めてルーシアの顔色に気づいた。


「どうした? 顔色悪いぞ?」


 ルーシアは一瞬だけ言葉に詰まり、それから小さく息を吐いた。


「えぇ。少し疲れたわ。まずは宿を取らない? 体も冷えてるし、少し休んでから散策しましょう」


「あ、あぁ……」




 二人は雑踏の中を歩き、通り沿いの店で着替えを買ってから宿を取った。


 宿の部屋は質素だったが、雨風をしのぐには十分だった。木の床は少し軋み、窓の外では雨が絶えず屋根を叩いている。


 カラカは濡れた髪と身体を布で拭き、ルーシアは奥の浴室へ入った。雨に冷えた体が、少しずつ温もりを取り戻していく。


 しばらくして、ルーシアが浴室から出てきた。


 白い亜麻のブラウスに、地味な茶のスカート。飾り気のないシンプルな服装だった。


 濡れていた白い髪は布で軽くまとめられ、頬には湯上がりの赤みがわずかに残っている。


 カラカはその姿を見て、少しだけ首を傾げた。


「……そんな服でよかったのか? もっと毛皮とか、洒落たやつあったぞ?」


 ルーシアは髪を拭きながら、窓の外へ視線を向けた。


「……いいのよ、これで」


 カラカは少しだけ眉を寄せたが、すぐに腹の音が鳴った。


「そうか……とにかく、何か食いに行かないか?」


 ルーシアは布を畳み、静かに頷いた。


「ええ……」




 二人は宿を出て、雨の中を歩いた。


 通りは相変わらず賑やかだった。水たまりを避けながら人々が行き交い、屋台の火は雨にも負けずに赤々と燃えている。


 近くの飯屋に入ると、湿った空気の中に肉を焼く匂いと香辛料の匂いが濃く漂っていた。


「らっしゃい!」


 店主の太い声が飛ぶ。


 カラカが壁に掛けられたメニューを眺めていると、店主が気前よく声をかけてきた。


「にーちゃん! 今日は角付きのいい肉が入ってるぞ!」


 カラカの目が輝く。


「へぇ。どんなんだ?」


 店主は誇らしげに親指を立てた。


「鼻の上の立派な角付き肉だ。少し硬いが、食べ応えは十分よ!」


「じゃあ、それをもらうよ」


 ルーシアは隣で、静かにメニューを見ていた。そして、野菜のサラダだけを注文した。


 しばらくして、カラカの前に大きな皿が置かれた。骨付きの肉が豪快に盛られ、焦げ目のついた表面から濃い香りが立ち上っている。


 カラカは骨を掴み、迷いなく肉にかぶりついた。


「この肉うめぇな」


 その瞬間、ルーシアの手が一瞬だけ止まった。


 何かを確かめるように見つめ、それから何事もなかったかのように視線を落とす。


「どうした?」


「……いえ、何でもないわ」


 ルーシアはまた野菜を口に運んだ。


 カラカは骨付き肉を頬張りながら、その様子を見ていた。

 ルーシアが顔を上げる。


「どうしたの?」


 カラカは肉を飲み込み、まっすぐに言った。


「お前、なんか変だぞ? この街に入ってから」


「そんなことないわよ?」


「隠すなよ」


 ルーシアは少しだけ黙った。


 外では雨が降り続いている。店内の喧騒は明るく、客たちは笑い、酒を飲み、肉を食べている。


 しかし、ルーシアはその場から少し離れたところを見ていた。

 やがて、小さく口を開く。


「ねぇ、この街……変だと思わない?」


「変?」


「えぇ、獣人族……亜人が1人もいないの」


 カラカは店内を見回した。


 商人。冒険者。職人。店員。旅人。


 誰もが人間だった。


「確かに……」


 ルーシアは低く続ける。


「獣人族がたくさん住んでるって聞いてたけど……どこにいるのかしら」


「そういや、全然見ねぇな」


 その時、横の席にいた男が二人の会話へ顔を向けた。


 酒の入った木杯を片手に、気さくな笑みを浮かべている。雨に濡れた外套を椅子の背に掛け、旅慣れた様子だった。


「お二人さん、旅人か?」


 カラカが答える。


「あぁ」


 男は顎で東の方を示した。


「獣たちは鉱山側にいるぜ」


「鉱山側?」


「そう。検問の向こうだ。お前さんら正面の門から街に入ったんだろう?」


 ルーシアが頷く。


「えぇ」


 男は木杯を揺らしながら説明を続けた。


「正面の門から東側に鉱山、西側に富裕層のエリアがあるんだ。その東の鉱山の麓に獣たちはいる。まぁ、正面と違って検問が厳しいけどな」


「そうなのか」


 カラカは短く返した。


 男は少しだけ声を落とす。


「でもまぁ、近づかねぇ方がいいな」


「なんでだ?」


「臭ぇし、治安も悪ぃ」


 ルーシアの指が、膝の上で握られた。

 しかし、顔には出さず静かに言葉を返す。


「そうですか……」


 男はそこで、ふとルーシアの顔を覗き込むように見た。


「ところで嬢ちゃん……どこかで見覚えが」


 言い終わるより早く、ルーシアは金をテーブルの上に置いて立ち上がった。


「教えてくれてありがとうございます。カラカ、行くわよ」


「お、おい! 待てよ!」


 カラカも慌てて立ち上がる。

 出入り口へ向かいながら、振り返って男に手を上げた。


「おっちゃん! 教えてくれてありがとな!」




 店を出ると、まだ雨は降り続いていた。


 雑踏。露店。商人の声。


 さっきまで賑わって見えた街が、今は別の顔を見せていた。


 干し肉の山。

 骨の装飾品。

 色鮮やかな毛皮。

 雨に濡れた赤茶色の道。

 笑い声と香辛料の匂い。


 そのすべてが、少しずつ違う意味を持ち始めていた。


 ルーシアは何も言わずに歩いた。

 カラカも黙って付いていく。


 やがてルーシアが立ち止まり、東の空を見上げた。


 その先には、黒い煙を吐き続ける鉱山。赤茶色の大地の奥で、雨に霞みながらも、巨大な影のように街を見下ろしている。


 ルーシアは雨に濡れたまま、静かに呟いた。


「……行きましょう」


「あぁ」

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