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偽りの庇護

 数百年前。

 世は人類と魔族による終わりなき争いの時代。その戦乱は多種族をも巻き込み、大陸全土を疲弊させていた。


 人類は勇者を召喚し、長きに渡る戦乱に終止符を打った。


 やがて、数多の犠牲の上に大陸を支配するエルピディア王国が建国される。

 初代国王の座についたオリヴァン・フィッツジェラルドは世界に向けて『人類統一宣言』を発令した。


「我らに従うものは亜人種として扱い、王国の庇護下に置いてやる。従わないものたちは魔族とみなし……殲滅する」


 ──それから数百年。

 宣言は形を変えず、今でも世界を支配している。




 表通りのざわめきは、路地に入るにつれて薄れていく。奥へ進むほど人目はなくなり、代わりに、鈍い音と笑い声が響いてくる。


 路地裏の突き当たりで、獣人の男が三人の人間に囲まれていた。男は両手を地面について身体を丸めている。


「亜人のくせに、なに人間様を差し置いて水なんか飲んでんだよ」


 男の一人が吐き捨てるように言い、獣人の脇腹を蹴りつけた。

 獣人は地面に額を擦りつけながら、震える声で謝る。


「す、すいません……ただ、子供が何日も飲まず食わずで……」


「亜人のガキなんかどうなっても知らねーよ」


 別の男が鼻で笑い、汚れた服の襟を掴んで獣人の顔を無理やり上げた。


「お前らは死ぬまで人間様のために働いてればいいんだよ」




「おい……」


 低い声が背後から響いた。


「あ?」


 蹴りを入れていた男たちが、動きを止めて振り返る。

 そこには、カラカとルーシアが立っていた。


「なんだ、落ちこぼれかよ」

「何の用だよ」


カラカは何も言わず地面に倒れた獣人を見る。

それから、ゆっくりと視線を戻した。


「お前ら、何してんだ?」


 男の一人が肩をすくめた。


「見りゃわかんだろ」

「こいつが水場で人間様に混ざって水飲もうとしたんだよ。教育だよ、教育」


 カラカの眉間に皺が寄る。


「たかが水飲んだだけだろうが」


「それが問題なんだよ」


 前に出た男が、汚れた靴先で獣人の腕を踏みつけた。


「亜人ごときが人間様と同じ水を飲んでいいわけねぇだろ」


 ルーシアが一歩前に出る。


「その人も生きてるじゃない! 水を飲む権利ぐらいはあるはずよ!」


 男たちの視線が、そこで初めてルーシアに向いた。


「はぁ? 誰だよお前は」


 細身の男が、ルーシアを見て鼻で笑った。


「人間と同じ水を飲むことが問題なんだ。亜人は亜人らしく泥水でも啜ってろ」


 カラカの声が、さらに低くなる。


「我慢できねーな。泥水の味も知らねえくせに」


 その手には、黒いナイフが抜かれていた。

 カラカが前に出ようとした時、ルーシアが咄嗟に声をかける。


「カラカ! ここで力は……」


 カラカは視線だけを男たちに向けたまま、短く答えた。


「使わねーよ。こんなやつら、ナイフ一本で十分だ」


 その言葉に男たちの表情が変わった。


「さっきから調子に乗るなよ、落ちこぼれが」

「大蛇を倒したらしいが……本当にお前なんかに倒せたのか?」


 カラカの目が細くなる。


「どういうことだ?」


「どうせ勝手に死んでたか、誰かが倒した死体を漁っただけだろ」

「そらそうだ。こいつは魔法が使えねーんだ。そんなやつが倒せるわけがねぇ」


 三人の笑い声が、狭い路地に響いた。

 カラカは呆れたように息を吐く。


「はぁ……浅い奴らだな。今から教えてやるよ」


「やってみやがれ!」


 


 男たちのうち二人が剣を抜き、前に出た。

 カラカもナイフを構え、地面を蹴る。


 男たちは左右に散り、挟み込むように仕掛けた。


 カラカは上から振り下ろされた剣を屈んで躱し、同時に横から迫る剣をナイフで受け止めた。


 そのまま剣を振り下ろした男の鳩尾へ肘を突き刺す。さらに体を反転させ、もう一人の側頭部へ蹴りを叩き込んだ。


 二人の身体がほぼ同時に後ろへ吹き飛び、石畳の上を転がる。


「意外とやるじゃねえか!」


 男は口元の血を拭いながら立ち上がった。

 もう一人も膝をつきながら身体を起こす。


「でも、魔法は流石に避けれないだろ」


 二人が魔力を練り上げる。

 路地の空気が揺れた。片方の掌に風が巻き、もう片方の掌には水が集まり圧縮されていく。


「風魔法・ヴァンラーム!」

「水魔法・オーフュジル!」


 風の刃と水の弾丸が同時に放たれる。




 だが、その魔法は届かなかった。


 カラカの前には結界が張られていた。 

 それに触れた風の刃は弾け、水の弾丸は形を崩して飛散した。

 細かな水滴が路地に散り、壁の向こうでカラカの髪がわずかに揺れる。


「なに!?」


 男たちは驚きの声を上げる。

 カラカは口元を歪め振り返らずに声をかけた。


「ナイス!」


 ルーシアは表情を緩めず、視線だけを男たちへ向けている。


「結界使いか……珍しいな」


 それまで後ろに控えていた眼鏡の男が、ゆっくりと前に出て両手を広げた。


「だが、これは結界魔法じゃ防げないだろ」


 男の指先から、黒ずんだ魔力が広がっていく。


「闇魔法・ブリュームヴォワル!」


 次の瞬間、濃い霧が一気に路地裏を埋め尽くした。

 数歩先も見えないほど、視界が黒く潰れた。


「なんだ、何も見えねぇ」


 カラカの声が霧の中に沈む。

 直後、横から風の刃がカラカを襲う。


 皮膚が裂け、血が飛んだ。

 続けて水の弾丸が胸元に撃ち込まれ、カラカの身体が後ろへ弾かれる。


「ぐっ……!」


 体勢を立て直す間もなく、次の魔法がカラカを襲う。


「カラカ!」


 ルーシアは自分の周囲に結界を張り、霧の中で動けずにいた。


「こんぐらい……大丈夫だ!」


 男たちの笑い声が、霧の中で反響する。


「痩せ我慢もほどほどにしとけ!」


 カラカは血を吐き捨て息を整えた。


「やべえな……」


 そして、静かに目を閉じる。

 霧の中で、また風と水の圧縮される音がした。


 足の裏に伝わる地面の震え、魔力が練られる瞬間のわずかな圧、声の位置、呼吸の乱れ。目を閉じたまま、カラカはそれらを拾った。


 カラカはゆっくりと目を開いた。

 そして、地面を蹴り暗闇の中をまっすぐに駆けた。


 風の刃が腕を裂き、水の弾丸が肩に当たる。それでも速度を落とさず、霧の奥にいた眼鏡の男の胸倉を掴んだ。


 男の顔から笑みが消えた。


「な、何でわかった!」


「勘!」


 カラカの拳が振り抜かれた。

 鈍い音とともに眼鏡の男の身体が崩れ落ちる。


 霧がほどけ、路地裏の輪郭が戻っていく。


「なんてやつだ!」

「めちゃくちゃだな!」


 残った二人が慌てて詠唱を始める。


 だが、遅かった。


 カラカは霧が晴れ切る前に距離を詰め、二人の喉元へナイフを突きつけていた。刃先がわずかに皮膚に触れる。


 男たちの詠唱が止まった。


「まだやるか?」


 二人の喉が鳴る。


「く、くそっ!」


 


 その時だった。

 路地裏のさらに奥から、低い声が落ちてきた。


「その辺にしとけ」


 夕闇の中から、斧を肩に担いだ大男が歩いてきた。


 長く伸びた髪を無造作に流し、無精髭の生えた顔には獰猛な笑みが浮かんでいる。

 鍛え上げた腕は丸太のように太く、歩くだけで石畳に重い音が鳴る。


 カラカの視線がそちらへ移る。


 その隙に、二人の男は気絶した仲間を引きずり、大男の後ろへ下がった。


 カラカは気にせず、口の端を歪めた。


「よお、ダントン」


 大男は担いでいた斧を少し持ち上げ、カラカを見下ろした。


「落ちこぼれの分際で派手に暴れてるじゃねえか。人の子分をやってくれやがって」


「そいつらが調子に乗ってるのが悪い」


「お前こそ大蛇を倒したぐらいで調子に乗るなよ……あの時、俺も探してたんだぜ? お前がたまたま先に見つけただけだ」


 ルーシアがカラカの横に並び、小声で尋ねた。


「あの男は?」


「あぁ、あいつはどぶのダントン。この街唯一のBランクの冒険者だ」


「Bランク!? こんな辺境の街にそんな強者が?」


「あぁ、実際この街では頭ひとつ抜けてるかもな。


 でも……俺の方が強い」


 ダントンの口元が歪む。


「言うじゃねえか。最低ランクのEランクが」


 斧が肩から下ろされる。

 カラカもナイフを構え直した。


「格の違いを教えてやるよ」


「自分より下のやつに何を教わるんだ?」


 ダントンの目が細くなる。


「その減らず口がいつまで叩けるか楽しみだ!」




 二人は同時に踏み込んだ。


 ダントンの斧が上から振り下ろされる。カラカはそれをナイフで受け止めた。

 刃と刃が噛み合った瞬間、衝撃が路地裏に広がり、離れて立つルーシアの髪が揺れる。


 カラカの腕が軋む。

 足裏が石畳を削り、膝が沈む。


 ダントンは斧を押し込むように体重を乗せ、正面から圧をかける。

 カラカは歯を食いしばり、刃の角度をずらして力を流した。


 次の瞬間、ダントンが斧を振り抜き、カラカの身体を後ろへ弾いた。


 距離が空いた直後、ダントンはすでに踏み込んでいた。斧の連撃が、左右から襲う。


 カラカは身を捻り、刃を滑らせ、紙一重で攻撃を外していく。


 だが完全には避け切れない。斧の刃が腕を掠め、肩口を裂き、頬に浅い傷を刻む。

 血が流れるたび、ダントンの笑みが深くなった。


「どうした! 逃げてるだけじゃ勝てねえぞ!」


「言ってろ!」


 カラカが地面を蹴った。

 斧の振り終わりに合わせて、懐へ潜り込みナイフを短く走らせる。


 刃がダントンの脇腹を浅く裂く。

 続けて太腿。ダントンが足を引くより早く、刃先が皮膚を切った。


 さらに踏み込もうとしたところで、斧の柄が横から突き出される。カラカは肩で受け、身体を流しながら距離を取り直した。


 ダントンは傷口を軽く見て、愉快そうに笑った。


「Eランクにしちゃなかなかやるじゃねえか!」


 カラカはナイフを構えたまま、呼吸を整える。


「こっちは魔法に頼らねえ分、身体を磨いてきたんだ!」


「そうか……だが、生身じゃ限界があるだろ」


 ダントンは一度距離を取った。

 膝をつき、片手を地面につける。


「泥魔法・ブーコントラント!」


 詠唱と同時に、石畳の隙間から黒ずんだ泥が滲み出した。


 泥は瞬く間にカラカの足首を呑み込み、ふくらはぎまで這い上がる。重く、粘り、足元にまとわりつく。


「何だこれ……動けねぇ!」


 カラカが足を引こうとするが、泥は食い込むように締まる。踏ん張れば踏ん張るほど沈み、深く絡みついた。


 ダントンは立ち上がり、斧を肩に担ぎ直した。


「それが現実だ。魔法も使えねぇEランクが、俺に勝てる道理はねぇ」


 そして、路地の隅でうずくまる獣人へ視線を移した。


「さて……」


 ダントンはゆっくり歩いた。泥に足を取られたカラカの横を、わざと見せつけるように通り過ぎる。


「お前はこいつへの制裁を黙って見てろ」


「やめろ! そいつは何も悪いことしてねぇだろ!」


 ダントンは立ち止まり、獣人を見下ろした。


「したじゃねえか。人間様を差し置いて水を飲もうとした。重罪だ」


「こいつらも飯食って寝て泣いて笑うじゃねえか! 俺ら人間と何が違うんだ!」


 ルーシアも声を上げる。


「そうよ。この人たちにも守るべき家族がいるの!」


 ダントンは二人の言葉を聞いて、呆れたように息を吐いた。


「勘違いするな。ここはかつて勇者様が、魔王と呼ばれながらも守って下さった世界だ」


 その言葉に、ルーシアの表情がわずかに曇った。


「こいつは、魔族から守って下さった人間様への感謝を忘れた……万死に値する」


 ダントンは斧を頭上に掲げた。

 獣人は逃げることも、叫ぶこともできず、ただ地面に伏したまま震えていた。


 カラカは泥の中で足を動かそうとする。

 だが、泥はさらに重く締まり、膝まで沈み込ませていた。


 ダントンの腕に力が入る。

 斧が振り下ろされる寸前。


 カラカの体の奥で、何かが弾けた。


「やめろって言ってんだろうがあ!」





「カラカ! だめっ!」


 次の瞬間、カラカの体から、青白い炎が激しく噴き上がった。


 蒼炎が足元の泥に触れた瞬間、音もなく黒い炭に変わり、ひび割れて崩れる。

 膝まで絡みついていた泥は、すべて砕け落ちていた。


 カラカはそのまま、一歩前に出た。

 ダントンの斧は寸前で止まっている。


「俺の泥魔法を一瞬で……? お前、魔法を使えたのか……?」


 蒼炎はカラカの体から溢れ、路地裏の空気を青白く染めている。その一部が不規則に流れ、路地に面した一棟の建物へ伸びた。


 ダントンはその光景を見て笑い声を上げた。


「はっはっは! なんだ、制御できねぇのか! つくづく落ちこぼれだなぁ!」


 だが、次の瞬間、笑いが止まった。


 壁に触れた青白い炎が、一気に広がる。建物は焼け落ちるより早く、黒く染まり、そのまま崩れた。柱も、梁も、扉も、形を保てず砕け落ちていく。


 数秒もかからなかった。

 さっきまで建っていた建物は、ただの黒い炭の山に変わっていた。


「……は……?」


 ダントンの口から、間の抜けた声が漏れる。

 後ろにいた子分たちの顔から血の気が引いた。


「っ、なんだこの魔法!」

「ダントンさん、まずいです!」


 蒼炎を纏ったカラカが、ダントンへ一歩近づく。


「お前も灰になるか?」


 ダントンは顔が引きつらせながら後ずさり、足がもつれて尻餅をつく。斧が手から離れ、石畳の上に重く落ちた。


「ま、待て! 待ってくれ!」


 カラカの目は冷えていた。


「命を軽んじるお前に……明日はいらねぇだろ」


 蒼炎を纏った手が、ダントンへ伸びる。




 その直前、光の結界が間に割り込んだ。


 青白い炎が透明な壁に広がる。蒼炎は結界の表面を暴れながらも、内側へは進めなかった。


「カラカ! 抑えて!」


 ルーシアの声が、震えながらも強く響いた。

 カラカが振り返る。


「ルーシア! 何で止める! 俺らがやろうとしてるのは、こういう奴らを──」


「殺したいわけじゃない!」


 ルーシアが遮った。


「言ったわよね。血を流さない革命をするの」


 彼女はそのまま結界を広げ、カラカの周囲を包んだ。


「それ以上やったら、あなたの力も王国と同じになる! 希望じゃなくなる!

 

 だから……抑えて」


 カラカは結界の中で、荒い息を吐いた。

 ルーシアはそれを確認すると、ゆっくりダントンへ向き直った。


「収まるまで大人しくしてて」


 ダントンは尻餅をついたまま震えていた。


 ルーシアは地面に落ちていた斧を両手で掴み、顔をしかめながらどうにか持ち上げた。


 ダントンが、見上げる。


「な、何を……」


 ルーシアは無言で斧を振り上げた。

 身体をめいっぱい捻り、刃のない面をダントンの顔面に振り下ろした。


 鈍い音とともに鼻が潰れ、血が飛び散る。

 ダントンの巨体が、石畳の上へ倒れ込んだ。


 ルーシアは荒く息をしながら、ダントンを見下ろした。


「これは、あなたが踏みにじってきた者たちの分」


 結界の中で、カラカは目を見開いていた。

 そして、口の端が吊り上がる。


「ははっ、最高だな!」


 その言葉と同時に、カラカの蒼炎が少しずつ弱まっていった。


 ルーシアは斧を地面に落とし、子分たちへ視線を向ける。男たちは肩を跳ねさせた。


「ひっ!」

「お、覚えてろよ!」


 彼らは倒れたダントンと気絶した仲間を必死に引きずり、路地裏の奥へ逃げていった。


 路地裏には、カラカとルーシア、そして傷だらけの獣人だけが残された。




 ルーシアはすぐに獣人のもとへ駆け寄った。

 獣人は怯え、反射的に身体を縮めた。


 ルーシアは膝をつき、できるだけ静かに手を伸ばした。


「大丈夫よ、安心して」


 そして、差し出された手に淡い光が宿る。光は傷口に触れ、裂けた皮膚を少しずつ塞いでいった。

 いつのまにか結界から出ていたカラカが、ルーシアの後ろから声をかける。


「お前、治癒魔法まで使えたのか」


 ルーシアは手元から目を離さずに答えた。


「えぇ、簡単な傷を治すぐらいだけど」


 光が収まり、彼女は獣人から手を離した。


「これで大丈夫ね」


 獣人は自分の腕を見た。


 痛みが引いたことを確かめるように、何度も指を動かす。それから目を見開き、次の瞬間、地面へ額を擦りつけた。


「助けていただいただけでなく、手当てまで……本当にありがとうございます!」


 ルーシアは慌てて手を振った。


「だ、大丈夫よ! 当然のことをしたまでよ」


 カラカも困ったように眉を寄せる。


「あぁ。頭上げろよ」


 だが、獣人は頭を上げなかった。

 むしろ、さらに深く地面へ伏せる。


「お、おい……頭上げろって」


 ルーシアが不安そうに身を乗り出す。


「もしかして、まだどこか痛む?」


 獣人の肩が震えた。

 額を地面につけたまま、ゆっくりと口を開く。


「お願いです……どうか……これ以上、私に関わらないでください」


 カラカの表情が固まる。


「は?」


 ルーシアの目も揺れた。


「どうして……?」


 獣人は顔を上げずに続ける。


「ご恩は一生忘れません……ですが、ダントンさんに逆らったお二人と関わっていることが知られたら……私だけじゃなく、子供も……家族も……この街では生きていけません」


 二人は言葉が出なかった。

 カラカは奥歯を噛み、舌打ちした。


 獣人は地面に頭を擦りつけたまま、震える声で続ける。


「申し訳ありません……本当に、申し訳ありません……」


 ルーシアは膝をつき、獣人の肩に手を置いた。


「謝らないで……あなたが悪いんじゃない」


 獣人は何度も頭を下げながら立ち上がり、ふらつく足で路地裏の奥へ歩いていった。途中で何度も振り返り、そのたびに深く頭を下げる。やがて、その姿は建物の影の向こうへ消えた。




 獣人が消えた路地裏に、二人だけが残された。


 カラカは、蒼炎で消えた建物の跡を見つめていた。何もない地面。煙すら上がっていない。


「変えねぇとな」


「えぇ、必ず」




 夕闇が深まり、街の灯が点り始めていた。

 二人は路地裏に背を向け、歩きだした。


 その時だった。


「誰だぁ! 俺の家を潰したのは!」


 表通りの方から、男の怒鳴り声が響いてきた。カラカの肩が跳ねた。


「やばっ!」


 ルーシアが両手で口を押さえる。


「ど、どうしよう。弁償しないと……」


「ばか! いくらかかるんだよ!」


「じゃ、じゃあどうするのよ!」


「逃げるんだよ! 行くぞ!」


 カラカはルーシアの手を取った。

 ルーシアは一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに足を動かす。


 夕闇の中、二人はもつれるように路地を駆け抜けた。


 


 二人はまだ知らなかった。

 希望を求めたはずの旅が、絶望へ続いていることを。







「理想は剣ではない。

 だが、剣がなければ理想も護れぬ。


 この世界は勇者が救った。その偽りの上に、世界は立っている。

 我は所詮、虚飾の王座に座ったのみ。


 我が罪は、信じることを恐れたこと。

 もし誰かが、信じることの痛みを超えられるなら。


 その者こそ、真の王である」


──オリヴァン・フィッツジェラルド

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