終わりの雷
ネルドが高台から広場を見下ろすと、首輪が外れた獣人たちが、人間の包囲を押し返していた。
巨大化したバッファの拳が兵を薙ぎ払い、レオパルドが風を纏い広場を駆け回る。二人とも傷だらけの身体で笑いながら、次々と敵を吹き飛ばしていた。
「あいつら、楽しんでないか? そろそろ加勢にいくか」
「そうね……」
その時、エレファが耳を動かした。
「待て」
雨の向こうから、足音が近づいてくる。
振り返ると、カラカとレオンが走ってきていた。肩には縄で縛ったマーランを担いでいる。後ろから数人の獣人が続いていた。
「ルーシア!」
「カラカ!」
カラカは高台へ上りきると、肩のマーランを乱暴に転がした。
「そっちもやったんだな!」
「ええ、ネルドがやってくれたわ」
カラカはネルドへ視線を向け、拳を突き出した。
「流石だな」
「お前こそ」
二人は拳を軽く合わせた。
その後、カラカはすぐに周囲を見渡した。倒れたフェールト、縛ったマーラン、動けずにいる衛兵。だが、探していた男だけがいない。
「マーランはやったけど……アサグの野郎の姿がどこにも……」
「それだけじゃねぇ」
レオンが俯いたまま口を開いた。
「屋敷には、囚われてる獣人も一人もいなかった……俺の嫁も、子供も……」
「レオン……」
ネルドはそれ以上何も言えず、その肩を強く掴んだ。
ルーシアの表情が曇った。
「思慮深い男だから……こうなることを見越してもう街を離れてるかも……」
「くそ! 遅かったか」
その時、地面に倒れていたマーランが、腫れた顔をわずかに上げた。
「アサグ殿を……甘く見るな……」
「どういうことだよ」
「あの方は先の先が見えている……ここで貴様らが勝利しても……何も変わらん。この世界は変えられん」
言葉の終わりに血を吐き、マーランは嘲るように笑った。
ネルドは静かにマーランを見下ろした。
「だとしても……抗わない理由にはならない。俺たちの未来はお前らには左右されない」
ネルドは自分の胸元のネックレスを握った。
「……言うじゃねえか」
「お前のおかげだよ」
「そうか……」
カラカはルーシアへ視線を戻した。
「とりあえず、この戦いは俺たちの勝ちだよな?」
「ええ」
エレファがルーシアに手を差し出した。
「姫、そろそろ終わらせよう」
「そうね」
ルーシアがエレファの手を借りて、縁まで歩いた。そして、喉の痛みを無視し、深く息を吸った。
「聞きなさい!!」
掠れながらも、力強い声が、雨の広場に響き渡った。
戦っていた獣人たちが武器を止め、人間たちも剣を構えたまま顔を上げる。
「マーラン及びフェールトの身柄はすでに拘束済みです! これより、アパルトヘイムは解放されました!」
その言葉に、広場へざわめきが広がった。
「これ以上の戦闘は無意味! エルピディア王国が第一王女。ルーシア・フィッツジェラルドの名の下に命じます! 直ちに武器を捨て、全ての戦闘をやめなさい!」
その言葉に、広場は沈黙していた。
雨音だけがあたりを満たしていく。
「もう誰も、奴隷ではない! 誰も奪われない! 誰も鎖に繋がれない! この戦いは……獣人たちの勝利よ!」
一人の衛兵が、震える手から剣を落とした。金属音が響くと、衛兵たちは顔を見合わせた。そして、武器を捨てる音は広場全体へ連なっていく。
「憎しみは、すぐには消えないでしょう。奪われた時間も、失った命も戻らない」
獣人たちは静かに耳を傾けていた。さっきまで怒号に満ちていた広場が、今は彼女の声だけを聞いている。
「それでも。ここから先は、誰かを搾取する国ではなく。共に生きる未来を作るための場所にしなければならない」
ルーシアは拳を握った。
「この勝利は復讐の始まりじゃない! 未来を変えるための最初の一歩よ!」
バッファが空へ拳を突き上げた。
「……うぉぉぉぉおおおおおおおお!!!」
レオパルドも、血だらけの顔で両腕を上げた。
「終わったぞぉぉぉ!!!」
泣き崩れた者を隣の者が抱き起こし、砕けた首輪を空へ掲げる者もいた。三年間、耐え続けた獣人たちの咆哮が、アパルトヘイムを揺らしていた。
高台の上で、カラカはその光景を見下ろしていた。
「なんか……あっけなかったな」
ネルドも、仲間たちが互いを抱き締める姿を見つめる。
「案外こういうものなのかもな……」
獣人たちの咆哮が、夜空へ響いていた。
次の瞬間。
轟音とともに稲妻が天から落ちた。
「っ!?」
エレファは反射的にルーシアの前へ出る。落雷の衝撃で石畳が砕け、破片が雨とともに頬を打つ。
光に灼かれた視界が戻った時、一本の黒い槍が高台へ突き刺さっていた。その穂先は、倒れていたフェールトの胸を貫いている。
「が……ぁ……」
黒槍には、紅黒い雷が走り、雨の中で肉を焼く音が鳴る。
カラカの口から声が漏れた。
「なっ……」
雨の中、黒い翼を大きく広げながら、一人の男が高台へ降り立った。男の纏う雷で周囲の石畳が焦げていく。
全身を覆う黒い鎧。湾曲した角兜の隙間から、黒に近い焦茶色の髪が覗いている。長大な槍を握るその手には、紅黒い雷が荒れ狂うように纏わりついていた。
整った顔立ちをしているが、その表情から感じ取れるのは、凄まじい憤怒だけだった。
男がフェールトの胸から黒槍を引き抜くと、縛られたまま倒れていたマーランが、震える声を漏らした。
「フェール──」
その瞬間、マーランの首が血飛沫とともに宙を舞った。言い終わる前に黒槍が横へ振り抜かれていた。
誰も、何が起きたのか理解できなかった。
「……な?」
ネルドは爪を構えることさえ忘れていた。
「ま、魔族……?」
ルーシアが呟いた時、カラカの身体から蒼炎が爆ぜるように噴き上がった。炎は右腕の傷を焼きながら立ち上がる。
カラカは、黒い槍を持つ男を睨みつけた。
「おまえ……! ジョン!!」
紅黒い雷が、応えるように夜空を裂く。
ジョンと呼ばれた男の赤い瞳が、ゆっくりとカラカへ向けられた。
「久しぶりだなぁ……カラカ」




