支配の崩壊
黒い灰の山が三つ残っていた。
降り続く雨がその形を崩し、少しずつ石畳へ流していく。
カラカは血のついた口元を袖で拭った。右腕を覆う蒼炎は弱まったものの、焼けた皮膚からはまだ細い煙が上がっている。レオンがカラカの横へ並んだ。
マーランの顔からは余裕が消えていた。二人が少しずつ近づくと、マーランは杖を胸の前へ抱えて後ずさった。
「ま、待て! 話そう! 話せばわかる」
カラカは横目でレオンを見た。
「だってよ」
「今さらだろ」
レオンが拳を鳴らす。
「どこまでやっていい?」
「死ぬ寸前」
「りょーかい!」
「ま! 待て!」
マーランの制止を聞かず、レオンは拳を振り下ろした。
マーランの叫びは、雨音に呑まれた。
マーランは虫の息で地面に倒れ、動かなくなった。顔は腫れ上がり、原形を留めていない。
カラカはしゃがみ込み顔を覗き込んだ。
「お前……これ死んでないか?」
「いや、たぶん……大丈夫……」
「ぐふ」
やがて、マーランの喉の奥から細い息が漏れた。レオンは詰めていた息をゆっくりと吐いた。
「あ、生きてた」
「よし! セーフだな」
カラカが立ち上がった時、レオンの首元で金属の軋む音がした。
鉄の首輪に一本の亀裂が走る。刻印の光が消え、次の瞬間には割れて地面へ落ちた。
「首輪が外れた!?」
カラカは高台の方角へ顔を向けた。
「あいつらもやったんだな!」
時を同じくして、高台下の大通り。
そこでは、レオパルドが振り下ろされた剣を鉄棒で受け止めていた。
「ぐっ……!」
濡れた毛並みは泥にまみれ、肩に刺さっていた矢を抜いた痕から赤い筋が流れている。
すぐ横ではバッファが、片膝を庇いながら盾兵二人を相手にしている。
「くそ! 持ち堪えろ!」
声を張っても、獣人たちは限界に近かった。約三倍の敵に囲まれ、狭められた包囲の中で背中を預け合っている。
その時、獣人たちの首輪が、一斉に砕け散った。レオパルドが手を自分の首にやる。
「……あ?」
首を締めつけていた重みが消えた途端、身体の奥へ押し込められていた魔力が一気に溢れ出した。レオパルドの足元から風が巻き上がり、雨粒を吹き飛ばす。
「外れた……」
剣を構えていた衛兵が、目の前の変化に足を止めた。
「なっ……!?」
バッファの身体が、魔力を帯びて膨れ上がっていた。肩と腕の筋肉が大きく隆起し、片膝を庇っていた姿が、瞬く間に見上げるほどの巨体へと変わった。
「ははっ……!!」
他の獣人たちも、取り戻した魔力を確かめるように武器を握り直した。
「魔法が……使える!!」
レオパルドは鉄棒を捨て、地面を蹴った。風が足元から全身へ巻きつき、傷だらけの身体が一気に加速する。
バッファへ剣と矢が殺到した。だが、そのどちらも硬くなった皮膚に弾かれる。バッファは巨大な拳を振り抜き、人間たちをまとめて吹き飛ばした。
「押し返せぇぇ!!」
「反撃だぁぁぁ!!!」
バッファとレオパルドの咆哮に応え、他の獣人たちも魔力を身体へ纏って前へ出る。戦況が、一気にひっくり返ろうとしていた。
高台では、フェールトが仰向けに倒れたまま雨に打たれていた。周囲の衛兵たちは、呆気に取られて動けずにいた。
ネルドは膝へ手をつき、荒い呼吸を繰り返していた。
「はぁ……はぁ……」
エレファが、傷だらけの身体を引きずりながら駆け寄った。
「やったな……」
「ああ、あとはあいつらだけだな……大丈夫か?」
ルーシアも二人の横へ歩いて来た。喉には締められた赤い痕が残り、足取りも覚束ない。
「きっと大丈夫よ。自称最強らしいから」
「あながち否定はできないけどな。あの炎はそれだけ強力だ」
「まだ制御できないみたいだけどね」
「あいつならすぐにできるさ」
ネルドは傷口を押さえたまま、ルーシアを見た。
「姫もそう思ってるだろ?」
「まぁ、変な期待感があるのは事実ね」
「ふ、素直じゃないな」
「うるさい……そんなことより」
ルーシアは、高台から広場を見下ろした。
そこでは、魔法を取り戻した獣人たちが包囲を押し返している。
「まだ終わってないわよ。最後までやり遂げましょう」
屋敷前では、カラカが縄で縛ったマーランを片手で引きずっていた。
マーランの服は泥と血にまみれ、掠れた呻きが漏れる。
「や、やめろ……」
屋敷を取り囲み、他の獣人たちと争っていた衛兵たちは、その姿を見て動きを止めた。
「マーラン様……!?」
カラカはマーランの襟を掴んで身体を起こし、その首筋へ黒いナイフを当てた。
「もう終わりだ」
レオンも一歩前へ出て、残った衛兵へ牙を見せた。
「どうする? まだやるか?」
一人の衛兵が剣を落とし、金属音が響いた。その音をきっかけに、次々と武器が石畳へ落ちていく。
やがて、屋敷を囲んでいた全員が、両手を見える位置まで上げていた。
カラカはマーランの首筋からナイフを離し、近くにいた獣人たちへ引き渡した。
「こいつと、武器を捨てた連中を見張っててくれ」
「わかった」
獣人たちはマーランと衛兵を囲み、落とされた武器を遠ざけていく。
カラカとレオンは、暗い屋敷へ目を向けた。
「あとはあいつだけだな」
「俺もいくぞ。嫁と子供、それにまだ囚われてる仲間がいるかもしれねぇ」
二人は並んで屋敷の扉へ向かった。その時、カラカは無意識に腰のナイフへ触れた。
ナイフは震えなかった。
その瞬間。
近くで、雷鳴が響いた。
空気が震え、雨雲が内側から紅く脈打っていた。黒く厚い雲の奥で、何かがゆっくりと目を開くように。




