蒼炎の代償
雨は勢いを増し、富裕層の白い石畳を血と泥で濁らせていた。
カラカとレオンは十数人の獣人を連れ、衛兵と冒険者たちの包囲を押し破ろうとしていた。
次々と迫る剣。
飛び交う魔法。
怒号が雨音に混ざり、街を揺らしている。
カラカは振り下ろされた冒険者の剣を、ナイフ一本で弾き飛ばした。
そのまま鳩尾へ肘を叩き込み、回転しながら別の男の膝を蹴り込む。
倒れかけた男の肩を掴んで背後から来た兵へぶつける。
右手では、レオンが盾兵の列へ真正面から突っ込んだ。
腰を落として受け止めようとした衛兵の盾へ拳を叩き込んだ。吹き飛んだ兵が後続を巻き込み、何人かまとめて地面を転がる。
「うおおおおおおおっ!!」
レオンの咆哮に、後ろの獣人たちが続く。
ピッケルが盾を弾き、鉄棒が槍をへし折り、鉱山で使っていた鎚が冒険者の胴を打ち抜く。
一列を崩しても、その奥から次が現れる。
カラカは刃についた血を振り払い、屋敷までの距離を見るが、ほとんど縮まっていない。
「全然進めねぇな」
その時。
衛兵たちの後方で複数の詠唱が重なり、巨大な魔法陣が展開された。
「おい! デカいの来るぞ! 散れ!」
レオンの声に、獣人たちが左右の軒下へ走ろうとする。だが、敵と入り乱れた通りでは思ったように動けない。
炎、雷、風、水。
いくつもの属性魔法が絡み合い、逃げる間もなく、一斉に頭上から降り注いだ。
「面倒だな……離れてろ!」
カラカは仲間を背へ回し、右腕を横に振った。
全身から蒼炎が噴き上がり、その周囲の景色が陽炎のように歪んだ。
放たれた魔法群は、カラカたちへ届く寸前で蒼炎に飲み込まれた。
雨の中、灰だけが静かに舞っている。
「なっ……」
「本当になんなんだあの魔法は……」
冒険者や衛兵たちの声に、恐怖が混ざる。
「やっぱすげぇな」
レオンの声を聞きながら、カラカは右腕を見下ろしていた。
蒼炎が皮膚を舐めるたび、濡れた肉の焼ける音がする。手首から肘にかけて赤黒く変色し、指を握ろうとしても感覚が遠い。
「お、おい……その腕……」
「……チッ」
カラカは一度だけ手を握り、何事もなかったように前へ歩き出した。
「完全に制御できるわけじゃねえ……死にたくないやつは近づくなよ!」
身体を沈め、敵陣へ飛び込んだ。
蒼炎は敵の魔法を次々と喰らい、カラカは怯んだ敵陣へ切り込んでいった。
だが、魔法を呑み込んだ炎は勢いを増し、そのまま術者の身体へ食らいつこうとする。そのたびにカラカは焼けた右腕を引き戻し、人へ届く寸前で押さえ込んだ。
炎を止めるたび、赤黒い火傷が肘から肩へ広がっていく。
「道が開いたぞ!! 突っ切れぇぇぇぇ!!」
レオンがカラカの横へ追いつき、迫る槍を拳で折った。獣人たちが咆哮を上げ、白壁の街の奥へ雪崩れ込んでいった。
同じ頃。
ネルドも十数人の獣人たちと、高台へ続く石段の手前まで来ていた。
立ちはだかるのは、王国の一般兵たち。
兵たちは両手の間に鎖状の魔法陣を展開し、十数人で横一列に並んでいる。
光の鎖が雨に濡れた地面を這い、ネルドたちの足を狙う。
「チッ!」
ネルドは地面を蹴り、鎖が足首へ絡む寸前に高く跳び上がった。左右から伸びた鎖はその下を通り、誰もいない石畳の上で絡み合う。
着地したネルドの横を抜け、エレファが正面から兵の列へ突進した。拳が振るわれるたび、兵士たちの身体がまとめて吹き飛ぶ。
「止まるな!! 突破するぞ!!」
エレファの肩には、ルーシアがしがみついている。顔色は悪いが、彼女の目は石段の最上部に立つフェールトを見据えていた。
兵たちは倒れた仲間を越え、すぐに穴を埋める。刃を使わず、鎖をネルドとエレファの四肢へ集中させている。
高台から戦況を見下ろしていたフェールトが、眼鏡についた雨を指で払う。
「一般兵では捕えるのは難しいか」
前列がまたネルドに弾き飛ばされる。フェールトは苛立ちも見せず、独り言のように続けた。
「殺すだけなら簡単なものを。アサグ殿は何をお考えなのか」
しばらく獣人たちの動きを観察した後、静かに手を上げた。
「もういい。通してやれ」
兵士たちが攻撃を止め、一斉に左右へ退いた。
目の前に、雨水の流れる長い石段が現れる。遮る者はもういない。その最上段で、フェールトが三人を見下ろしていた。
ネルドは爪を下ろさずに目を細めた。
「……なんだ?」
「罠か……」
「でも、行くしかないわ」
ネルドは頷き、石段へ足をかける。
不気味な静寂の中、ルーシアたちは雨に濡れた階段を駆け上がっていった。
富裕層の最奥にある屋敷では、マーランが灯りを落とした一室に座っていた。
机の前で静かに頭を下げている。
その視線の先には、宙に浮かぶ水鏡。
揺らめく光の向こうに、誰かの影が映っていた。
「……はい。言われた通りにことは進んでおります」
鏡の中の影が、何かを告げる。
「……ええ。全て、貴方のお考えの通りに」
もう一度、短い指示が届いた。マーランは杖を握る手へ力を込め、さらに深く頭を下げる。
「……かしこまりました」
水鏡が閉じ、部屋から青白い光が消えた。
暗闇へ戻った室内で、机の上の魔石だけが脈打つように輝いている。
赤、青、紫。
それぞれ大きさの異なる石が、生き物の心臓のように明滅していた。
マーランは杖で床を軽く叩いた。
「さて……お客様を、お迎えしましょうか」
屋敷の外では、空を覆う雷雲が、さらに濃くなっていた。
遠くで、雷鳴が低く唸る。
まるで、何かがこの街へ近づいてくる足音のようだった。




