不殺の戦場
崩れた白壁を越えた瞬間、カラカたちは足を止めた。
雨に煙る大通りを、盾と槍が埋め尽くしている。さらにその前に、剣や杖を手にした冒険者たち。
その数は、合わせて三百を下らない。
対する獣人は百人ほど。
「完全に待ち構えられてたな」
ネルドが一歩前へ出て、低く身構える。
「ギルドの冒険者たちも雇われているようだ」
エレファの肩から戦場を見渡し、ルーシアは屋敷の窓がすべて閉ざされていることに気づいた。通りに一般の住民は残っていない。
「でも、一般人の避難は済んでるみたいね」
その時、冒険者たちが一斉に杖を構えた。
魔力が練られ、雨の中に光がいくつも灯る。
炎、雷、風、水。異なる詠唱が重なり合い、大気が肌を刺すほど張り詰めていく。
「なら……」
カラカが獣人たちの前へ出た。
杖が一斉に振り下ろされる。幾筋もの魔法が大通りを覆い、雨を巻き込みながら迫ってきた。
だが、そのすべてはカラカの前で灰になった。
蒼い炎が、音もなく空を走る。
炎を喰い、雷をほどき、風を散らし、水を白い蒸気に変えた。
カラカはナイフを抜き、口の端を吊り上げる。
「存分に暴れられるってことだろ!」
冒険者たちに動揺が走った。
「なんだあの魔法……」
「魔法を灰に?」
ルーシアは、まだ揺れている蒼炎からカラカの横顔へ視線を移した。
「あなた、力の制御ができるようになったの?」
カラカは掌へまとわりつく炎を見下ろした。指を曲げても、蒼炎はその動きに従わず、別の意志を持つように揺れている。
「いや、こいつが勝手に動いてるだけだ。制御できてるわけじゃない」
「そう……」
「でも、今回は協力してくれるみたいだ」
冒険者たちは動揺しながらも、すでに次の詠唱へ入っていた。後方の盾兵が間隔を詰め、魔術師たちの前を固めようとしている。
エレファが腹の底から声を張った。
「皆、聞け! 魔法の詠唱には時間がかかる! 距離を詰めて、接近戦に持ち込むぞ!」
「よし! 俺が先陣を切る! 続いてくれ!」
「俺もいく!」
カラカとネルドが同時に地面を蹴った。
カラカが中央を低く駆け、ネルドは左手の建物沿いを獣の脚力で加速する。
ネルドが低い姿勢で踏み込む。爪で剣を根元から弾き上げ、空いた鎧の肩口へ反対の爪を叩き込む。
兵が地面へ崩れるより先に身を翻し、後ろから伸びた槍の柄を切り落とした。
カラカは盾の隙間へ滑り込み、ナイフを短く走らせる。喉ではなく腕を、胸ではなく太腿を裂く。
背後から迫る剣を屈んで躱し、振り向きざまに柄頭を顎へ叩き込む。
倒れた男を踏み越えた時には、ネルドも数人を押し退けて中央へ合流していた。
「やるな! ネルド!」
「お前もな。炎は使わないのか?」
「こんな奴らナイフ一本で十分だ!」
「俺らもいくぞ!!!」
バッファの咆哮を合図に、獣人たちが二人の開けた穴へ雪崩れ込んだ。
「久しぶりに暴れるぞ!」
レオパルドが倒れた盾を踏み台にして跳び、衛兵の側面へ回る。
「しゃあ!!」
レオンは真正面から盾へ拳を叩き込んだ。金属がへこみ、支えていた兵ごと後ろへ吹き飛ぶ。生まれた空間へ、ピッケルや鎚を手にした仲間たちが続いた。
白い大通りは瞬く間に乱戦となった。
だが、数が違った。
獣人が百に対し、衛兵と冒険者は三百。前列が崩れるたび後列が穴を埋め、少しずつ左右から包囲を狭めてくる。
高台の上で、フェールトが冷静に戦況を見下ろしていた。
「近接戦に持ち込まれるのは想定内。だが、数が違う。冒険者たちを犠牲に囲めば終わりだ」
フェールトが片手を上げた。
「姫には当てるなよ。それ以外は構わん。放て!」
号令が下った瞬間、後方に控えていた衛兵たちが一斉に弓を構えた。
そして、雨とともに、黒い線が空を埋めた。
矢はエレファの肩にいるルーシアだけを避け、獣人と冒険者の区別なく降り注いだ。
カラカはナイフで矢を捌き、ネルドは爪で弾く。だが、すべては防ぎきれない。
獣人たちの肩や腕、脚へ矢が突き刺さる。
「くそ! 俺らもいるってのに!」
「捨て石にしやがったな!」
敵味方を区別しない矢に、冒険者たちの足が鈍る。フェールトは高台から損害を見渡し、表情一つ変えなかった。
「思ったより削れなかったか。だが、時間の問題だ」
次の矢が番えられる。
「また来たぞ!」
だが、二度目の矢の雨は届かなかった。
空を蒼炎が走る。
放たれた矢は、獣人たちの頭上へ落ちる前にすべて灰へ変わった。
雨の中、黒い灰だけが静かに舞い落ちる。
動きを止めた冒険者たちの間から、掠れた声が漏れる。
「すごいが……なんだあの魔法は」
「本当に魔法なのか? 詠唱もなしにあの規模を?」
エレファの肩で、ルーシアは無意識に両手を握っていた。
「私も魔力が残ってたら……」
「姫、無理はしなくていい。俺たちも魔法さえ使えたら……」
エレファの言葉に、ルーシアは彼の首を締める鉄輪へ視線を落とす。
「その首輪の鍵は?」
「この首輪に鍵穴はない。フェールトの魔法により生成された物だ」
「なら、フェールトを狙いましょう! ちょうどわかりやすい場所にいるわ」
ネルドも高台を見上げた。石段の最上部に立つフェールトは、書類を片手にこちらを見下ろしている。
「あいつか……」
「だが、あそこまでどうやって行くか」
高台へ続く右手の道は、拘束用の装備を持つ兵に固められていた。
ネルドが爪を構え直す。
「俺が行く! どっちにしろこのままじゃ押し負けるだけだ」
ルーシアが頷く。
「ええ! 行きましょう! カラカ!」
ルーシアの声に、カラカは目の前の冒険者を蹴り倒しながら振り向いた。
「そっちは任せた! アサグとマーランはまかせろ!」
レオンが拳を握りながらカラカの隣へ並ぶ。
「俺はあんたといく!」
「あぁ! いくぞ!」
「よし! 三手に分かれるぞ! 何人かずつネルドとレオンについていけ!」
バッファの指示に、レオパルドが敵の剣を鉄棒で押し返しながら叫ぶ。
「いけ! ここは俺らが受け持つ!」
ネルドが短く頷いた。
「頼んだぞ!」
中央の乱戦から、三つの流れが生まれた。
ネルドとエレファ、そしてルーシアは右手の高台へ向かう。
カラカとレオンは数人を連れ、敵陣を縦に裂いて最奥の屋敷を目指す。
バッファとレオパルドは残った仲間と中央へ踏みとどまり、双方を追おうとする兵を食い止めた。
高台のフェールトは、ルーシアたちが自分の方角へ進み始めたのを見て、眼鏡の奥の目を細める。
「姫とネルドがこちらに……好都合」
背後の弓兵へ片手を向けた。
「打ち方止め!」
弓を構えていた衛兵たちが、一斉に手を止める。
前線の冒険者たちが、怒りを露わに振り返った。
「弓矢が止まった!?」
「クソが! あいつら……!!」
何人かが衛兵へ詰め寄ろうとしたところへ、高台から冷たい声が落ちる。
「鎮まれ! 貴様らは金でその命を買われたのだ! 生き残ったものには多額の恩賞を約束しよう。獣どもの鎮圧に尽力しろ!」
「勝手なこと言いやがって!」
冒険者の一人が吐き捨てる。
「……だけどよ」
「あぁ。金になる仕事ならやるしかねぇな!」
不満を残したまま、冒険者たちは武器を獣人へ向け直した。矢を受けて倒れた仲間を避け、再び乱戦へ踏み込んでいく。
「それでいい」
フェールトは満足げに頷いた。
「安心しろ、今から弓矢は使わん。存分にやれ!」
その視線は冒険者ではなく、高台へ迫る王女と白虎だけを追っていた。




