表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
20/31

最後の選択

 小屋の中には、沈黙と雨音だけが残っていた。


 エレファは、すべてを語り終えてからも、しばらく顔を上げなかった。

 ルーシアも、カラカも、ただ黙って聞いていた。


 この街にも、かつては笑いがあったこと。

 ネルドとフランが、未来を約束していたこと。


 そして、そのすべてが壊されたこと。


 エレファは、ゆっくりと息を吐いた。


「俺たちはなんとか生き延びた。いや、生かされた」


 太い指が、自分の首輪に触れる。


「衛兵たちに鎮圧されてからすぐに、魔力が練れないようにこの首輪を付けられた」


 鉄の輪は、雨と汗と血で何度も錆びつきながら、それでも獣人たちの首を縛り続けている。


「ホノリウスが街を去ってからすぐにアサグが来た。それからは検問も厳しくなり、次第に飯も酷くなっていってな」


 エレファは、外へと視線を向けた。

 小屋の隙間から見えるのは、降り続く雨と、遠くに霞む鉱山だけだった。


「それから三年間、ネルドは仕事終わりに外で空を見上げてる。フランを殺したからか、罪のない人間に手をかけてしまったからなのか……」


 ルーシアの唇が震えた。


「そんな……」


 カラカは俯いたまま、腕を組んでいた。


「力……暴走……」


「どうした?」


 カラカは隣にいるルーシアに顔を向けた。


「なぁ、ルーシア。ネルドの中にも……」


 ルーシアは小さく頷く。


「えぇ。おそらくね」


 それだけ聞くと、カラカは立ち上がった。


「どこへ行くんだ?」


 エレファが尋ねると、カラカは扉へ向かいながら答えた。


「ちょっと説教してくる」


 ルーシアは、その背中を見つめることしかできなかった。




 外では、ネルドが一人で空を見上げていた。


 雨に濡れた白い毛並み。

 胸元で握りしめられたネックレス。


 角と金槌と炎を模ったそれは、冷たい雨の中で小さく揺れている。


 カラカはその背後で足を止めた。


「まだ、陽が上がるのを待ってんのか?」


 ネルドは振り返らなかった。


「あぁ、耐えてたら必ず上がる。雨も止む。俺たちは……みんなで帰るんだ」


「みんなって誰のことだよ」


 そこで、ネルドがゆっくりと振り返った。


「は?」


「聞いたぜ、お前の過去も。フランって言うやつのことも」


 ネルドの表情が険しくなる。


「あいつら……」


 カラカは言いにくそうに一度だけ視線を落とした。


「言いにくいけどよ。みんなで帰るって夢……無理だぞ」


 ネルドの目が大きく開かれた。


「どういうことだ?」


 カラカは真っ直ぐに告げた。


「お前らの仲間。子供達。全員……殺されてたよ」


 ネルドの顔から血の気が引いた。


「なっ……ふざけるな! そんなわけがない!」


「本当だよ」


「嘘をつくな! 契約したんだ! 王国の情勢が落ち着くまで働けば──」


 その言葉を遮るように、カラカがネルドの胸ぐらを掴んだ。


「いつまでも現実から目を逸らしてるんじゃねぇよ!」


 ネルドの目が揺れる。

 カラカは、さらに強く掴み上げた。


「お前も……気づいてるんだろ? あいつらがそんな契約守るわけねぇってことぐらい」


「それでも……」


「でももへったくれもねぇよ」


 カラカの声が低くなる。


「お前が耐えることを選び続けた間に、助けられたかもしれない命まで消えたんだ!」


 次の瞬間、ネルドの手がカラカの胸ぐらを掴み返した。


「でたらめを言うな! お前に何がわかる!」


 ネルドの声が震えていた。


「恋人も、仲間も、同胞の子供たちも……何もかも失った俺の……」


 ネルドの牙が軋む。


「何がわかるっていうんだよ!!」


 カラカは静かに、短く答えた。


「わかるよ」


「だからなんで」


「俺は国を失った」


 その瞬間ネルドの手がわずかに緩んだ。


「民も友人も家族も。一人残らず。数万の命を一晩で失った」


 ネルドの瞳が揺れた。


「っな……!」


 二人は、ほとんど同時に手を離した。


 しばらく、雨音だけが響いた。


 ネルドが掠れた声で尋ねる。


「お前、名前はなんて言ったか」


「カラカ・ルミアラニ」


 ネルドは息を呑む。


「ルミアラニ……あの滅ぼされた夢の国の王族か」


「ああ」


 カラカは雨の向こうにある鉱山を見ながら答えた。黒い煙が、灰色の空へ滲んでいる。


 ネルドが低く呟いた。


「お前は、今何をしようとしてる」


 カラカは、少しだけ口の端を上げた。


「そんなの……言わなくてもわかるだろ?」


 その目には、迷いがなかった。


「陽を上げようとしてんだ」


 ネルドはネックレスを握りしめた。


「そうか……強いな、お前は」


「お前はどうすんだ?」


 ネルドは言葉を詰まらせた。


「俺は……」


 その瞬間。

 カラカの拳が、ネルドの頬を打った。


 鈍い音が雨の中に響き、ネルドの巨体が地面へ倒れ込んだ。


「おい! いつまでも待ってんじゃねえよ!」


 カラカは倒れたネルドの胸ぐらを掴み上げた。


「陽は自分たちであげるもんだ!」


 カラカは吠えるように続けた。


「掴みたい未来は自分で手に取りやがれ! 待ってても誰も助けちゃくれねぇぞ!」


 カラカは手を離した。

 ネルドの身体が泥の上に落ちる。


 カラカはそのまま、見下ろしながら言った。


「ネルド……お前は二度、選択を誤った」


 雨音が強くなる。


「これが三度目、おそらく最後だ」


 ネルドは地面に手をつき、ゆっくりと顔を上げると、カラカの声が低く落ちた。


「選べ」


 ネルドはネックレスを握ると、フランの声が蘇った。


『耐えてたら必ず陽は上がる。救いの炎が現れるの』


 ネルドはかすれた声で尋ねた。


「お前なら……お前ならどうする?」


 カラカは迷わず答えた。


「俺なら……全部取りに行く」


 ネルドの指に力が入り、ネックレスが掌の中で軋む。


 ネルドがゆっくりと立ち上がると、その瞳から、迷いは消えていた。


「もう耐える理由はないか……」


 ネルドは雨の空を見上げた。


「俺たちの陽は……俺たちで上げる」


 その声には、三年分の重みがあった。


「せめてあいつらも道連れにな」


 カラカは口の端を歪めた。


「あぁ、行こうぜ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ