咆哮の代償
獣人たちは雨の中、咆哮を上げて鉱山を駆け抜けた。
赤茶色の泥が跳ねる。
濡れた毛並みが雨を裂く。
怒りに満ちた足音が坑道の外へ雪崩れ出していく。
立ちはだかった衛兵が、慌てて剣を構えた。
だが、その刃が振り下ろされるより早く、獣人の拳が衛兵の顎を打ち砕いていた。
「がっ……!」
衛兵の身体が後ろへ吹き飛び、泥の上を転がる。
怒りはすでに恐怖を超えていた。
鞭を振るっていた者。
笑いながら見下ろしていた者。
命令を投げつけていた者。
その全てを、次々と薙ぎ払って進んでいく。
その先頭に、ネルドがいた。
ネルドは雨に濡れた拳を握りしめ、体内で魔力を練る。
足元に転がっていた鉱石が、小さく震えた。
灰色の鉄鉱が地面から浮き上がり、ネルドの爪に吸い寄せられるように集まっていく。鉱石は指先を覆い、鋭く伸び、白虎の爪をさらに巨大な刃へと変えた。
「鉱装魔法・裂爪!」
ネルドは衛兵の壁へ突っ込んだ。
鉱石の爪が、衛兵の鎧をいとも容易く切り裂く。
「ぐぁっ!?」
血と雨が混ざり、衛兵たちが次々と地面に転がっていく。ネルドの爪は止まらなかった。
「街から離れたいものはすぐに抜けろ!」
後ろからバッファが叫ぶ。
「お前はどうすんだよ!」
ネルドは振り返らずに答えた。
「決まってるだろ!」
レオパルドが牙を見せる。
「そうだよな!」
ネルドは雨の中で一瞬だけ振り返った。
「お前らは抜けなくていいのか? 殺されるかもしれないぞ?」
バッファは豪快に笑った。
「はっは! 舐めるなよ! フランのとこまで付き合うぜ!」
「悪いな!」
エレファが、後方の獣人たちを守るように前へ出る。
「油断するな! 今は王国軍も来てるんだぞ!」
「ああ!」
獣人たちは、雨を切り裂いて街の西へと走った。
富裕層の執務室では、マーランとフェールトは書類を整理していた。
窓の外では、雨が屋根を叩いている。白い石畳を濡らす雨音は、鉱山側の泥を叩く音とは違い、どこか上品で遠かった。
その静けさを破るように、扉が乱暴に開かれた。
「マーラン様! フェールト様!」
マーランは書類から顔を上げた。
「……何事だ」
衛兵は雨と泥にまみれたまま叫ぶ。
「獣人たちが、反乱を! すでに鉱山の警備兵が壊滅状態です! こちらに向かっています!」
マーランの手から杖が滑り落ちた。
「……なに!?」
フェールトが即座に立ち上がる。
「衛兵を集めろ! 検問を閉鎖しろ!」
「は、はい!」
衛兵が踵を返そうとする。
だが、マーランが声を荒げた。
「違う! 先にホノリウス将軍へ──」
その瞬間、轟音と共に、鉱石を纏った巨大な腕が壁を貫いた。
腕は近くにいた衛兵を鷲掴みにすると、そのまま壁際へ引き寄せる。
「なっ……!」
次の瞬間、衛兵の身体ごと壁が内側へ崩れ落ちた。
崩れた壁の先から、ネルドが姿を現した。
「……フランはどこだ」
崩れた壁の向こうに立つその姿は、泥と血と雨に濡れていた。鉱石の腕は鋭く光り、その背後には獣人たちが続いている。
バッファが、にやりと笑った。
「よう、クソジジイ」
レオパルドも低く唸る。
「大人しく案内しろよ」
マーランは顔を引きつらせながら尻餅をついた。
「……正気か、貴様ら」
ネルドはゆっくりと部屋へ踏み込んだ。
「正気じゃない。とっくに限界だ」
フェールトが剣を抜いた。
「獣風情が!」
「鉱装魔法・穿爪」
次の瞬間。
鉱石の爪が伸び、フェールトの肩を貫いた。
「がぁぁぁぁっ!?」
フェールトの身体が後ろへ弾かれ、そのまま壁へ縫い付けられる。剣が床に落ち、金属音が響いた。
ネルドはフェールトを見もせず、マーランへ視線を戻す。
「殺す気はない。フランを返せ」
マーランは床に落ちた杖へ震える手を伸ばしながら、声を絞る。
「ま、待て。落ち着け」
ネルドは黙って歩み寄る。
一歩。
また一歩。
雨が崩れた壁から吹き込み、執務室の絨毯を濡らしていく。
その時、背後から気怠げな声が落ちた。
「止まれ、めんどくせぇ」
振り返ると、エレファの巨体を、片肩に担いだホノリウスが立っていた。
その後ろには、血に濡れた獣人たちが倒れていた。呻き声はあるが、立ち上がる者はいない。
「お前っ!」
ネルドの目が血走る。
ホノリウスは肩に担いだエレファを、面倒臭そうに床へ下ろした。
「おい、待て待て。衛兵たちをやってくれたのはお前らも一緒。おあいこだろ」
ホノリウスはだるそうに首を傾けた。
「お前らの目的は?」
「フランの……俺たちの解放」
「フラン? あぁ、あいつか」
ホノリウスは少しだけ目を細める。
「それは無理だと言ったら?」
ネルドは低く唸った。
「力づくでやるだけだ」
「そうか。まぁ、それも無理だろうがな」
その言葉に、バッファが吠えた。
「調子に乗ってんじゃねぇ!」
バッファとレオパルドが同時に仕掛ける。
獣の脚力が床を砕き、二つの影がホノリウスへ迫った。
だが、次の瞬間。
二人は地面に伏していた。
いつ剣を抜いたのかも分からなかった。
バッファの身体が床に叩きつけられ、レオパルドは壁際まで滑っていく。
ネルドは言葉が出なかった。
ホノリウスは剣を片手に、気怠そうに言う。
「安心しろ。殺してはねぇ」
そして、剣に付いた血を軽く払った。
「……だから、もうやめとけ」
「無理だ……」
ホノリウスの眉が少しだけ動いた。
「は?」
「お前らが先に奪ったんだ……報いは受けてもらう」
ホノリウスは深くため息を吐き、気怠そうに剣を構え直した。
「……はぁ」
次の瞬間。
ネルドの姿が消えた。
「鉱装魔法・裂爪!!」
鉱石の爪が、雨混じりの空気を裂きながらホノリウスへ振り下ろされる。
だが。
ホノリウスは片手でそれを受け止めていた。
ネルドの鉱石の爪が、ホノリウスの掌の中で止まっている。
「なっ」
ホノリウスはつまらなそうに呟いた。
「遅ぇ」
直後、ネルドの身体が吹き飛んだ。
壁を突き破り、そのまま外へ叩き出される。
ネルドは泥の上を転がりながら、すぐに立ち上がる。口の中に血の味が広がっていた。
ホノリウスは崩れた壁の穴から、ゆっくりと歩いてくる。
「なるほどな。獣にしちゃ悪くねぇ」
「うるせぇ!!」
ネルドが再び飛び込む。
「裂爪!」
鉱石の爪が横薙ぎに走る。
「穿爪!」
突き出された爪が、雨粒を貫く。
だが、そのすべてをホノリウスは最小限の動きで捌いていく。
一歩下がる。
首を傾ける。
剣で逸らす。
肩をずらす。
速さも、技量も、まるで違った。
ネルドの怒りだけが前へ出る。
ホノリウスの剣は、ただ退屈そうにそれをいなし続けた。
そして、ほんの一瞬。
ネルドの体勢が崩れた。
その瞬間、ホノリウスの剣がネルドの脇腹へ叩き込まれる。
「がぁっ……!?」
骨が軋み、息が止まる。
そこへ、更に蹴りが入った。
ネルドの身体が泥の上を転がる。
ホノリウスは倒れたネルドを見下ろした。
「……だからやめとけって言ったんだ」
ネルドは震える腕で立ち上がろうとするが、身体が言うことを聞かない。
指先が泥を掴むだけだった。
ホノリウスはつまらなそうに剣を鞘へ戻した。
「処理しとけ」
背後の衛兵たちが前へ出て、その手に魔力が集まる。幾つもの魔法陣が、雨の中で展開された。
ネルドは動けず、視界が滲んだ。
雨音だけが、やけにはっきりと聞こえた。
その瞬間。
一つの影が、ネルドの前へ飛び込んだ。
ホノリウスの目が見開かれた。
「止まれ!!」
だが、遅かった。
放たれた魔法が、その小さな身体へ直撃した。
「ぁ……」
かすかな声とともに、フランの身体が、ネルドの上へ崩れ落ちた。
雨に濡れた茶色の毛並みの胸元でネックレスが揺れている。
ネルドの目が、大きく見開かれる。
「フ、フラン……?」
ホノリウスの顔からは気怠さが消えていた。
「お、おい! そいつは殺すなって言っただろうが!」
ホノリウスは衛兵たちを睨みつける。
「誰だぁ!! 解放した馬鹿野郎は!!」
だが、ネルドにはもう聞こえていなかった。
震える腕で、フランの身体を抱き寄せる。
「フラン!」
雨が二人を濡らしていく。
「おい! フラン!!」




