忍耐の果て
雨に濡れた赤茶色の道を踏む軍靴の音が、雨音の中にいくつも重なっていた。
富裕層のエリアへ向かう道を、衛兵たちが足早に駆け抜けていく。
鉱山へ向かっていたカラカとルーシアは、すれ違う衛兵たちを目で追っていた。
ルーシアはフードを深く被りながら眉をひそめる。
「衛兵たちが富裕層の方へ……何があったの?」
カラカは前を向いたまま答えた。
「わからねぇか?」
「どういうこと?」
「向こうもその気だってことだよ」
ルーシアの足が止まる。
「そんな……他に道があるはずよ」
カラカは何も答えなかった。
「カラカ……」
呼びかけるルーシアの声には、不安が滲んでいた。
カラカは短く息を吐き、背負った木箱の紐を握り直す。
「とにかく獣人たちのところに行こう。あいつらにも聞きたいことがあるしな」
ルーシアは何も言わず、小さく頷いた。
鉱山前の検問に着くころには、そこにいたはずの衛兵の姿は消えていた。
普段なら厳しい目が光っているはずの場所は、まるでもぬけの殻だった。
カラカはそれを見て、目を細めた。
「わかりやすいな」
二人は獣人たちの寝床へ向かった。
トタン屋根の小屋が並ぶ一画には、すでに獣人たちが集められていた。作業中のはずの時間にもかかわらず、誰も坑道にはいない。
小屋の中に入ると、ゾウの獣人、エレファが顔を上げた。
「おぉ! 二人とも。無事だったか」
ルーシアは顔を俯かせながら頷く。
「えぇ……」
エレファは彼女の顔色を見て、静かに目を細めた。
「浮かない顔をしているな……」
ルーシアは言葉を探すように唇を震わせる。
「その……何から言えばいいのか……」
エレファはすべてを察したように、ゆっくりと息を吐いた。
「ダメだったか……だが、大丈夫だ。我々は耐え忍ぶ戦いを選択したのだから」
カラカは小屋の中を見回しながら尋ねる。
「なぁ、まだ昼間なのに上がったのか?」
「あぁ。衛兵たちが作業停止を命じてきてな」
「ネルドは?」
エレファは外へ視線を向けた。
「また、空を見上げてる。仕事終わりのあいつの日課だ」
「そうか」
カラカはそれだけ言い、背負っていた木箱をそっと床に置いた。
エレファが不思議そうに眉を寄せた。
「それは?」
カラカはすぐには答えなかった。
少し息を吸い込み、静かに呟く。
「開けてみろ」
エレファの表情が強張る。
「あ、あぁ」
彼はゆっくりと木箱に手をかけた。
蓋を持ち上げた瞬間、その大きな手が震えた。
「これは……」
エレファの声が、かすれた。
箱の中には、白い骨が積まれていた。
小さな骨。
細い骨。
折れた骨。
誰のものかは分からない。
分からないはずなのに、理解してしまった。
周囲の獣人たちも、吸い寄せられるように集まってくる。
そして、小屋の空気が凍った。
カラカは木箱から目を逸らさずに言った。
「屋敷で見つけた……子供や女の……獣人たちの……」
エレファが首を振る。
「……嘘だ」
周囲の獣人たちも、次々と箱を覗き込んだ。
「待てよ……」
「違う……違うよな……?」
声も出ない者。
膝から崩れ落ちる者。
骨を抱きしめ、喉が裂けるほど泣き叫ぶ者もいた。
その悲鳴は、雨音すら押し潰すように小屋の中へ広がっていった。
ルーシアはその光景を見て、涙を流していた。
「こんな……こんなのって……」
カラカは静かに目を伏せた。
「ああ……とても人間のやることとは思えねぇ……」
その時だった。
ライオンの獣人、レオンが拳を震わせながら声を荒げた。その瞳には涙が浮かんでいる。
「もう流石に限界だろ! 俺の家族も殺されてるかもしれねぇんだ!」
レオンは周囲を睨むように見回した。
「俺は行くぞ! お前らはどうするんだ!!」
その声に、獣人たちの怒りが爆ぜた。
「あぁ! 俺も行く!」
「許せねぇ! 地獄に落としてやる!」
次々と声が上がる。
泣き声が怒号に変わり、絶望が憎悪へ形を変えていく。
ルーシアは震える声で叫んだ。
「待って……待ってよ……」
レオンが振り返る。
「あぁ!? 何を待つんだよ! ここまでされてまだ黙ってろってのか!」
「それは……」
言葉の詰まったルーシアに、レオンは牙を剥いた。
「お前は……お前ら王国の民は、結局俺らのことは道具としか見てないんだろうが!」
「違う……」
「俺もお前を道具として使ってやるよ。今、この時のために、お前を人質として使う」
レオンがルーシアへ手を伸ばした。
「待って……」
その手が届く直前。
カラカがその手首を掴んだ。
「それを俺が許すと思ってるのか?」
レオンの目がカラカへ向く。
「あぁ? なんだよお前。離しやがれ」
「それはお前次第だ」
「調子に乗るなよ。人間が俺ら獣人族の力に……」
レオンが腕を振りほどこうとする。
だが、カラカの腕は微動だにしなかった。
「あ? どうなってやがる! 離せ!」
レオンはさらに力を込めるが、それでも動かない。
離れるどころか、カラカの指が逆に手首へ食い込んでいく。
その時、レオンの骨が悲鳴を上げた。
「ぐぅあ!!」
レオンは膝をつき、苦悶の表情を浮かべる。
ようやく、カラカは腕を離した。
そして、静かに告げる。
「お前らが何をしようと勝手だが、次にルーシアに手を出そうとしたら……」
レオンは手首を支えながら舌打ちをする。
「っち! わかったよ! だが、他の人間どもは……」
「あぁ、許せねぇよな」
レオンは目を細めた。
「なんだ……お前、俺たち側に付く気か?」
「それもお前たち次第だ」
「どういうことだ?」
カラカはレオンではなく、エレファへ向き合った。
「昔、この街で反乱を起こしたのは本当か?」
エレファの表情が、深く沈む。
「……あぁ」
「女子供にも被害が?」
エレファは、静かに頷いた。
その目に涙が浮かぶ。
カラカは声を落とした。
「全部話してくれないか?」
エレファはしばらく目を閉じていた。
やがて、震える息を吐く。
「わかった……」
小屋の中が静まり返る。
泣いていた獣人たちも、怒鳴っていた者たちも、エレファへ視線を向けた。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「話は4年ほど前に遡る──」
その頃。
小屋の外では、ネルドが雨の中に立っていた。
冷たい雨が白い毛並みを濡らしている。
彼は胸元のネックレスを握りしめながら、いつものように空を見上げていた。
雲は厚く、陽は見えない。
それでもネルドは、ただ静かに呟いた。
「いつか必ず……」




