七十六話 風呂
アルバイトが始まってからさらに日が経過していた。
最初は不慣れだった子どもたちも、今ではそれぞれのシフトで十分すぎる動きを見せていた。
彼らがフロアや裏方を支えてくれているおかげで俺やアイリス、ルナは調理に集中できるようになり、店全体の回転率とクオリティは過去最高レベルにまで達していた。
子どもたちも真面目に働いた分だけしっかりとお金を稼いで、毎回「これでもか!」というほどの量の賄いをたらふく食べて大満足。さらに俺は定期的に「孤児院の小さい子たちにも食わせてやれ」と、揚げたての唐揚げやトンカツを山ほど持たせて帰らせていた。
すべてが順風満帆。店も完璧に回って俺の心と体もこの世界に来て以来、初めてと言ってもいいほどの「本格的なゆとり」が生まれていた。
そんなある日のことだった。
仕事を終え、汗をかいた身体を冷たい水で絞った布で拭きながら俺はふと、『ある欲求』を爆発させていた。
(……あああああ……!湯船に浸かりてぇぇぇぇ……!!!)
そう、この世界には「風呂(お湯を張った浴槽に浸かる文化)」が存在しないのだ。貴族であっても温かいお湯を布で身体を洗うか、魔法で温めた水で水浴びする程度。基本は濡れ布で全身を拭くのが日常だった。今までは生き延びるために必死なときもあったし、ないものはないと我慢もしてきた。しかし、生活が安定し日々の疲れを完璧にリセットしたいと思った時、この「お湯に肩まで浸かる」という日本人の魂の欲求が溢れ出してきたのだ。
「よし……決めた。我が家に『風呂』を作るぞ!」
俺はオリヴィアとともに暮らす家で早速「風呂設置計画」の構想を練り始めた。
第一の課題である『設置スペース』だが、これは全く問題なかった。なにせ王族の別邸として建てられた屋敷だ。裏手には使われていない物置用の広い一画があり給排水も勝手口や庭に近く、最高のロケーションだった。
問題はここからだ。現代日本の「ボタン一つで適温のお湯が自動で溜まるシステム」なんてものは当然ない。異世界の技術と魔法、そして俺の知識を融合させて一からシステムを構築する必要がある。
俺が紙とペンを取り出しカリカリと設計図を描いていると、オリヴィアが温かいハーブティーを運んでくれた。
「カケル様、どれだけ熱心に描いていらっしゃるのですか?」
「ん?ああ、オリヴィア。実はさ、温かいお湯をたっぷり入れて身を沈める『風呂場』をここに作ってみようと思ってな」
「お湯を……たっぷり入れるですか?タライではなく部屋の中に……ですか?」
オリヴィアが不思議そうに首をかしげる。この世界の人間に「浴槽」を理解させるのはなかなか難しい。俺は熱弁を振りながら乗り越えるべき『三つの課題』を整理した。
まずは浴槽。木製は風情があるが、湿気が多いと長期的な防水・耐カビ加工をするには難しい。加工しやすく保温性が高い丈夫な素材が必要だった。ガストン商会に特注し、保温性の高い特殊なシート加工の石材で大きな浴槽を作り、内側を磁器のようにツルツルにコーティングしてもらった。
次に水。浴槽を満たすほどの大量の水を井戸から手桶で運ぶのは愚の骨頂だ。ここで活躍したのが庭にある井戸から汲み上げる『魔導ポンプ』で自動的に水を溜める仕組みだ。そんなに大量に井戸の水を使って大丈夫なのか?と心配もしたが、なんと水を浄水するための循環魔導装置まで存在していた。一度水を溜めてしまえばしばらくは水の交換は必要ないとのことだった。
最後に加熱システム。これが一番の悩みどころだった。薪をくべて下から炊く「五右衛門風呂」方式は煙や火災のリスク、温度調節の難しさから却下。俺が考案したのは『循環式魔導加熱システム』だ。浄水する循環魔導装置で送られてくる水を『赤熱石(魔導具の一種で熱を発する鉱石)』を敷き詰め加熱させる。循環魔導装置には水を溜めるところがあるため、その場所で加熱を行いお湯として浴槽に排出するといった仕組みだ。
完成まで一週間。大金を惜しまず投入し、この世界の腕利き職人たちを総集中した突貫工事により、ついに我が家に異世界初(?)の『本格的大浴場』が完成した。
脱衣所は清潔な木目の板張りで大きな鏡と脱衣カゴを設置。
浴室は床と壁は緩やかな防水石材で設置され、中央には大人五人が足を伸ばしてゆったりと浸かれる緩やかな白い特製大浴槽。洗い場には木製の桶と椅子を置き、事前に作っておいた「ハーブの特製石鹸」も完備している。
「……できた。完璧だ……!!」
俺は熱々のお湯が浴槽を満たしているのを感無量の思いで見つめていた。
そして入る前にお湯を体にかけてから浴槽に入る。
――ザバァァァァァァッ……!
「~~~~~~~~~ッ!!!――効くぅぅぅぅぅぅぅぅっ……!!」
無意識に体の底から声が出た。温かいお湯が全身を包み込み、浮力によって重力から解放される感覚。 肩までじっくりと湯に浸かると日々の仕込みや調理での疲労、筋肉のコリがお湯の中に溶け出していくのがハッキリと分かった。
「ああ……これだ……。これぞ日本の心……生き返る……」
タップリと一時間ほどお風呂を堪能し、浴室から上がった。
身体を拭き、風通しの良い軽い室内着に着替える。全身の血行が劇的に良くなり肌はスベスベ、身体は羽のように軽い。
冷えた水をコップ一杯飲み干すと、身体の内側から爽快感が駆け抜けた。
オリヴィアにも風呂の入り方はレクチャーしたので入ってもらった。
今まで入ったことのない風呂に入ったらどうなるのか……
しばらくして出てきたオリヴィアは普段のきりっとした表情とは打って変わって、髪を少し濡らしたままぽうっと頬を赤く染めて艶やかな雰囲気を醸し出していた。
「カケル様……お風呂、本当に素晴らしかったです。身体がずっとポカポカしていて軽いです……」
「おう、大成功だ。これで明日からも頑張れるな」
風呂が完成したことで『定食屋 つむぎ』は明日からさらにパワフルに、美味しい飯を王都の人々へ届け続けることができるだろう。
心地よい湯冷めのポカポカ感に包まれながら、最高の眠りにつけそうだ。




