七十五話 子どもたちの奮闘
孤児院のシスターと約束を交わしてから数日が経過した。
『定食屋 つむぎ』では今日から正式に孤児院の働ける子どもたちをアルバイトとして受け入れることになった。
孤児院にいる子どもたちのうち、条件に当てはまる十五歳以上の働ける子供は全部で六人。
一度に全員を店に入れても厨房や客席が混乱してしまうし、子どもたちにも孤児院での手伝いや学業のようなものがある。そのため営業日ごとに二人ずつ、ローテーションを組んで交代で来てもらうという形式をとることにした。
そして迎えた、子供たちの勤務初日。
開店前の仕込みの段階で本日シフトに入っている二人十五歳の少年「レン」と少し控えめだが芯の強そうな十五歳の少女「ミナ」が、緊張でガチガチに体をこわばらせながら店の勝手口を叩いた。
「は、はい!カケルさん、シスターから言われて……今日からお世話になる、レンとミナです!よろしくお願いします!」
レンが少し擦り切れた服の裾をぎゅっと握りしめながら、張り裂けんばかりの大声で頭を下げた。横のミナも深々と頭を下げる。
「おう、よく来たな。そんな緊張しなくてもいいって。あっちにいるのが調理担当のアイリスとルナ、それと配膳担当のセリアだ。分からないことがあったら何でも聞いてくれ」
「初めまして、レン君、ミナちゃん。よろしくね!」
ルナが元気に手を振るとアイリスも「怪我のないよう、ゆっくり慣れていきましょうね」と優しく微笑んだ。セリアも静かに頷いて二人を歓迎する。
「よし、それじゃあ早速だが今日の仕事の説明だ」
俺は二人を厨房の奥の準備スペースへと案内した。
二人に任せる初日の主な仕事は、三つ。
一つ目は大量の野菜(タマネギやジャガイモ、人参など)の「皮むきと下ごしらえ」。
二つ目は営業中に次々と運ばれてくる空いた皿の「洗い物と拭き上げ」。
そして三つ目は「店内の掃除」だ。
「よし、まずはこのタマネギの皮むきからやってみようか。包丁の刃をこう当ててな……」
俺が手本としてスッスッと無駄のない動きでタマネギの皮をむいて見せると、レンとミナは「おお……っ」と目を丸くして感嘆の声を上げた。
だが、いざ自分たちで包丁を握らせてみるとやはり最初はかなり苦戦していた。
「うぐっ……目が、目が痛いです、カケルさん……!それに皮を厚く剥きすぎちゃって身が小さくなっちゃいます……」
レンが涙目になりながらいびつな形になったタマネギと格闘する。
ミナの方も慣れない包丁の手つきでおそるおそる刃を動かしており、かなり力が入っている様子だった。
「最初はみんなそんなもんだよ。焦らなくていい。手を切らないようにゆっくり身を残すコツを覚えていってくれ」
俺がそう声をかけアイリスも隣で「包丁の角度をもう少し寝かせると滑らかに剥けるよ」と丁寧に手ほどきをしてやると二人の手つきは少しずつ、しかし確実に様になっていった。
飲み込みは早い。元々孤児院で小さい子どもたちのために日常的に手伝いをしていただけあって、基礎的な手先の器用さや我慢強さは折り紙付きだったのだ。仕込みの後半には驚くほど手際よく綺麗な野菜の山を作り上げていた。
そして開店して怒涛の昼ピークが始まった。
「いらっしゃいませー!唐揚げ定食大盛りと、カツカレー!」
セリアの声が響き、厨房は一気に戦場と化す。
客席から次々と戻ってくるカレーのルーや唐揚げの油が残った大量の空き皿。
以前なら俺やアイリス、ルナが調理の合間を縫って大急ぎで洗っていた作業だが、今日はレンとミナの二人が洗い場にガッチリと張り付いてくれていた。
――ジャバジャバジャバ……!
「ミナ、こっちの皿洗剤流し終わったぞ!拭き上げ頼む!」
「うん!割らないように一枚ずつしっかり拭くね!」
二人の連携は見事だった。
最初こそ手荒く扱って皿を割ってしまうのではないかと少し心配していたが、それは完全に杞憂だった。彼らは「お店の道具」であることを深く理解しており、一枚一枚の皿をまるで宝物でも扱うかのように実に丁寧に、かつ清潔に洗い上げていく。
すすぎ残しがないか、脂っぽさが残っていないかを手で触って確かめ、布巾でピカピカに磨き上げて重ねていく。その丁寧な仕事ぶりには思わず俺も目を見張るほどだった。
「カケルさん、洗い場の回転が早くて予備の皿を出す手間が完全に省けています。調理に100%集中できるのはいいですね!」
アイリスが感心したように声を弾ませる。
「ああ、雇ったこちら側としても文句のつけようがない働きぶりだ。大助かりだな!」
営業が終わった後の店内の掃除も、二人は手を抜かなかった。
床の掃き掃除からテーブルの乾拭き、調味料のボトルの汚れ拭きまでまるで自分の家を磨き上げるかのように隅々までピカピカにしてくれたのだ。
仕事がすべて終わり、厨房のカウンターに二人を座らせる。
「二人とも、初日から本当にお疲れ様。……ほら、今日の『給料』と『賄い』だ」
俺は相場より高めに設定した給料袋と、出来立てほやほやの『特製唐揚げ&カツの合盛りカレーライス』を二人の前にドンッと置いた。
袋の中身を確認したレンとミナは、信じられないというように目を見開いた。
「えっ……!?カ、カケルさん、これ多すぎます!僕たち、ただ皮を剥いて皿を洗っただけなのに、こんなにもらえちゃっていいんですか!?」
「いいんだよ。お前らが丁寧に、完璧に仕事をしてくれたおかげで俺たちは料理に集中できた。その対価だ、胸を張って受け取りな。……で、その賄いも残さず食えよ!」
二人は顔を見合わせると同時に深々と頭を下げた。
「……ありがとうございます!!いただきます!!」
スプーンを取り、特製のカレーとカツを口に放り込んだ瞬間、二人の顔に溢れんばかりの幸せな笑顔が咲いた。
「んんっ……!!美味しい……!!揚げたてのカツがサクサクで、カレーがトロトロで……こんなに凄いご飯、生まれて初めて食べました……!」
ミナが涙をポロポロと零しながら夢中でスプーンを動かす。
レンも言葉にならない声を上げながら、ガツガツと豪快にご飯を胃袋へ流し込んでいた。
「たくさん給料をもらえて、孤児院の子どもたちに美味しいものを買って帰れるし……毎日こんなに美味しいご飯が食べられるなんて……僕たち、ここで働けて本当に幸せです!」
満腹になって満足そうにお腹をさする二人を見送りながら、俺は温かい気持ちで彼らの背中を見送った。
夜、静まり返った店内で俺は一人カウンターに腰掛け今日一日を振り返っていた。
(……ふぅ。初日は大成功、ってところだな)
実は最初に孤児院の貧しい現状を知った時、俺の頭の中にはいくつかの選択肢があった。
店の今の売上やレシピ・包丁の収入を考えると、孤児院に直接まとまった金を寄付したり、定期的に大量の食糧を「支援」としてタダで送り届けることだって十分に可能だった。
だが、俺はあえてその道を選ばなかった。
「無償で渡す」という支援のやり方は、一見すると親切で手っ取り早い慈悲に見える。
だが、それは時に受け取る側の人間から「自立する力」や「自分の力で稼ぐという誇り」を奪ってしまう危険性を孕んでいる。
どんな理由や事情があるにせよ、人間という生き物は「何もしなくても楽をして生きていける」という環境に一度慣れてしまうと、そこから抜け出すのが難しくなる。特にこれから長い人生を歩んでいく育ち盛りの子どもたちに対して、ただ無償で餌を与えるだけの存在になるのは俺の考えに反していたのだ。
身体が動き、働ける年齢なのであれば自分の手と足を使って正当な労働をし、その汗の対価として胸を張ってお金を稼ぐ。
そしてその稼いだお金で孤児院の家族を助け、自分自身のご飯を美味しく食べる。
その「当たり前の努力と達成感」を学ぶことこそが彼らが将来、自分の足でこの厳しい世界を生き抜いていくための本当の意味での「糧」になるのだと俺は判断した。
(まぁ……それに加えて、だな)
俺はふっと口元を緩め厨房に視線を向けた。
(できれば……子供たちの中から毎日俺たちの姿を見ているうちに、『料理って面白いな』『自分もこんな美味い飯を作って人を笑顔にしたいな』って、料理に興味を持ってくれる奴が出てきてくれたら、最高に嬉しいんだけどな)
もしこの店での経験がきっかけとなって、彼らの中から将来の「料理人」が生まれ、いつか自分の店を持ったり、あるいはこの店の暖簾を継いでくれるような弟子に育っていってくれたなら、それは一人の料理人としてこれ以上ない冥利に尽きるというものだ。
もちろん、それを無理強いするつもりはない。彼らが自分で見つけた夢に向かって進むための一時的な足がかりにしてくれるだけでも十分だ。
「……まぁ、焦る必要はないか。まずは明日来る二人にもしっかり仕事と賄いの美味さを叩き込んでやるとするか」
俺は満足げに立ち上がりコンロの火を確かめ、店の鍵をかけて帰宅した。




