六十八話 カレーの衝撃
新メニュー『カレーライス』の試作を終えた翌朝。
俺はいつも通りの開店準備を進めながら、厨房に置かれた鍋に火を入れていた。
中に入っているのは昨日じっくりと時間をかけて煮込み、一晩寝かせてさらにコクと深みを増したカレーだ。温まっていくにつれて昨日よりもどこか丸みを帯びた、しかし相変わらず暴力的に食欲をそそるスパイシーな香りが厨房いっぱいに広がり始める。
「カケルさん、おはようございます!……うわぁ、やっぱりこの匂い、朝からお腹が空いちゃいますね!」
ルナが元気よく厨房に入ってきて、真っ先にカレーの鍋を覗き込んだ。
「おはよう、ルナ。昨日より味が落ち着いてさらに美味くなってるぞ。アイリス、セリアもおはよう」
「おはようございます、カケルさん。昨夜はあの後、口の中のヒリヒリがしばらく消えませんでしたけれど、不思議と今朝になると『またあの味を確かめたい』と思ってしまうのですから、本当に不思議なお料理です」
アイリスが感心したように微笑む。
「よし、それじゃあ今日の作戦だ。注文してくれたお客さんにこの小さい小皿に少しだけご飯とカレーを盛って無料の試供品として提供する。その時に『新メニューの試作だから、ぜひ率直な感想を聞かせてほしい』と一言添えて配ってくれ」
「了解です!お任せください!」
ルナが力強く頷き、開店の時間になった。
店を開店すると今日もいつも通り、お馴染みの常連冒険者や下町の職人たちが次々と席を埋めていった。
定番の唐揚げ定食やトンカツ定食が次々と運ばれ客たちがガツガツと飯を食い進める中、ルナとセリア、そしてアイリスが例のミニカレー皿を手に客席へと回っていく。
「いつもありがとうございます!これ、今カケルさんが開発中の『カレーライス』っていう新しいお料理なんです。試作段階なので、よかったら感想を聞かせてくれませんか?」
「お、なんだこれ?茶色い泥みたいなのがかかってるな……。でもかなり食欲をそそる匂いだし、カケルの出すもんだ、不味いわけがねえ。どれ……」
強面のベテラン冒険者が怪訝そうな顔をしながらもスプーンでミニカレーを口に運んだ。
その瞬間、彼の動きがピタッと止まる。
「……ッ!?――な、なんだこれは……!!」
目を見開き、ガタッと椅子を鳴らして立ち上がりそうになった。
「口に入れた瞬間はタマネギの甘みや肉の旨味が広がるのに、後からくるこの体を突き抜けるような熱い刺激は!それに、この刺激のせいで白飯が、白飯がいくらでも進んじまう!」
彼の絶叫に近い絶賛を皮切りに、店内のあちこちでミニカレーを口にした客たちから驚きと感動の声が上がり始めた。
「美味い!美味すぎるぞカケル!汗が止まらねえが、手が勝手に次のスプーンを動かしやがる!」
「この香辛料の香り、一度食ったら忘れられねぇ味だ!」
味に関してはほぼ全員から「文句なしに美味い」「すぐにでもメニューに載せてくれ」という大絶賛をもらうことができた。
しかし、料理人として最も重要な『感想の収集』を進めていくうちに、定食屋として看過できないひとつの大きな問題が浮き彫りになってきた。
それはやはり「辛さの許容度」だった。
「カケル!味は最高なんだが、俺にしてみりゃあちょっと辛すぎるぜ!口の中がヒリヒリする。もう少し辛さを抑えてくれたら、毎日でも食いに来るんだがなぁ」
そう言って汗を拭いながら水をがぶ飲みするのは、近所の仕立て屋の親方だ。人によっては昨日の試作カレーをマイルドにしたとしても少々刺激が強すぎたらしい。
だがその一方で、最前線で戦う肉体派の冒険者たちは全く逆のことを言ってきた。
「いやいや、何を言ってるんだ親方!俺はこのガツンとくる刺激が堪らねえんだよ!むしろもっと涙が出るくらい辛くしてくれた方が戦いの疲れが吹き飛んで最高だぜ!」
「辛すぎるからもっとマイルドにしてほしい」という意見と「もっと刺激的な辛さが欲しい」という意見。
客層が幅広い定食屋において、この二つの相反する要望をどう処理するか。厨房の奥で俺は調理しながら考えていた。
(今のやり方だと一つの鍋で同じ辛さのカレーを煮込んでるから、全員の要望に応えるのは不可能だ。……だったらベースとなるカレーそのものは、限界まで辛さを抑えた『マイルドで甘口なカレー』として完成させておいて、辛さがほしいのであれば後からプラスすればいいんじゃないか?)
そう、前の世界のカレー専門店なんかでもよくあるシステムだ。
じっくり煮込んだタマネギや果物の甘み、そして肉のコクを最大限に活かした「ベースの甘口カレー」を大きな鍋で作っておく。そして辛いのが好きな客から注文が入った時には小鍋に取り分けるか、あるいは提供する直前にあの激辛唐辛子を精製した特製のチリペッパーやスパイスオイルを適量加えて一杯ずつ辛さを引き上げるような調理法にすればいい。
「これなら辛いのが苦手な子どもや街の人から刺激を求める命知らずの冒険者まで、全員を満足させられる。よし、メニュー化へ向けてこの辛さ調節システムを導入する方向で進めるか!」
方向性が決まり、俺の胸の中はスッキリと晴れ渡った。
新メニューの手応えにニヤリと笑ったのも束の間、ディナータイムの前には用意していた試作用のカレーは完全に鍋から消え去っていた。
だが、問題はここからだった。
『定食屋 つむぎが何やら怪しくて、とんでもなく美味くて、白いご飯が無限に消える秘密の新メニューを配っている』という噂が試食を終えて店を出た冒険者たちの口からまたたく間に色んな所に拡散されてしまっていたのだ。
「おい、カケル!!噂の『かれー』ってやつをくれ!食ったやつがギルドで自慢してやがったんだ!」
「こっちもだ!飯の上に茶色い美味いソースがかかってるやつだろ!?金ならいくらでも払う!」
まだピークになる時間帯じゃないのにどこからか噂を聞きつけた血気盛んな冒険者たちが血眼になって店へとなだれ込んできたのだ。
「あ、あの、皆さん落ち着いてください!本日のカレーはあくまで試作段階のサービスでして、もう全て終わってしまいました!」
アイリスが慌ててカウンター越しに説明するが、カレーの香りが微かに残る店内に充満する熱気は簡単には収まりそうにない。
「嘘だろ!?こんなに美味そうな匂いがしてるのに、食えねえなんて殺生だぜ!」
「頼むよカケル、一口だけでも、鍋の底を舐めるだけでもいいからさ!」
飢えた狼のようになっている大男たちを前に、ルナも「うぅ、本当に一滴も残ってないんですぅ……」と困り果てている。
これ以上アイリスたちを困らせるわけにはいかない。俺はフライパンを置き、厨房からカウンターの前へと一歩踏み出した。
「おい、お前ら!道具を大事にしない冒険者は大成しないってギルドで習わなかったか?鍋の底を舐めるな、きたねぇし傷つくだろ!」
俺がAランク冒険者としての威圧をほんの少しだけ混ぜて声をかけると、騒がしい冒険者たちがビクッとして静まり返った。
「言った通り、今日の分は本当に全部なくなっちまった。お前らに出す分はない。……だけどな」
俺はわざとらしく笑みを浮かべた。
「今日食ったみんなの意見を参考にして、近いうちに『カレーライス』を正式な新メニューとして出してやるよ。だから今日は大人しく他のもん食べて、最高のカレーが完成するのを期待しとけ!」
店主としての自信に満ち溢れた俺の宣言に冒険者達が一瞬あっけにとられた後、ニヤリと野性味溢れた笑みを浮かべた。
「……へっ、新メニューとしていつでも食べられるようになるってわけか。そこまで言うなら今日は大人しく諦めてやるよ」
「カケルの野郎、期待を裏切ったら承知しねぇからな!今日は代わりに唐揚げ定食、ご飯大盛りだ!」
「俺はトンカツ定食な!」
「はいよ、毎度あり!ルナ、注文通ったぞ、どんどん通せ!」
「はーいっ!唐揚げとトンカツ、お急ぎで入ります!」
ひとまず彼らをおとなしくさせると、店内の賑わいはいつもどおり大繁盛の風景となった。
夜の部の営業も無事に終わり、すべての片付けを終えた厨房。俺はカウンターに腰掛け、冷たい水を飲みながら今日一日のお客さんたちの顔を思い出していた。
辛さに悶えながらも笑顔だった仕立て屋の親方、もっと辛くしろと吼えていた冒険者たち、そして一口食べるごとに「美味い、美味い」と皿を空にしていた常連たち。
(やっぱり、カレーの持つ力はどの世界でも健在だな)
今の固定メニューであるサクサクの衣のトンカツ、ジューシーな唐揚げ。そこでこの「辛さを自由に変えられるカレー」が加わればさらに幅は広がる。
「よし、次の仕入れの日はベースの甘みをさらに引き出すための新しい野菜や果物を市場で見つけてくるか」
そう決めると俺は店内の明かりを落とした。家へと続く道を歩きながら俺は『カレーライス』の正式デビューに向けて熱い胸を高鳴らせていた。




