六十七話 新しいメニュー
あの「白竜肉の塩焼き定食」という限定イベントから早いものでしばらくの日が流れていた。
店は相変わらず大繁盛で、『定食屋 つむぎ』の名は今や王都の冒険者や住民だけでなくちょっとした噂を聞きつけた商人たちにまで知れ渡るようになっている。
俺は仕入れの狩りの日には毎回、さらなる新食材を求めて森の深いところへと熱心に足を伸ばしていた。
しかし、現実はそう甘くはない。深い森の奥で遭遇する魔物はどれも凶暴な割に肉質が硬すぎたり、獣臭さが強すぎたりとそのまま定食屋のメニューに組み込めるような「いい素材」にはそう簡単に出会えなかったのだ。
そもそも、あのクリスタル・バジリスク自体がこの辺りの森では滅多にお目にかかれない超希少種だったらしい。
後日、冒険者ギルドに「仕入れのついでに狩った」と素材の一部を見せながら報告した際、受付嬢や周りの冒険者たちが「はぁ!?あんな災害級の固有種を単騎で、しかも食材扱いで狩ってきたんですか!?」と、目玉が飛び出んばかりに驚愕していたのを思い出す。
あのバジリスクは、まさに奇跡的な幸運だったのだ。
「魔物肉の限定メニューは、また運良くいい素材が手に入った時のお楽しみとしておくか。……それよりも、今の固定メニューをさらに強化するための『新メニュー』を、そろそろ本格的に形にしたいな」
そう、定食屋を名乗るからには絶対に欠かせない、言わば「国民食」とも呼べる最強のメニューがまだこの店にはない。
――老若男女誰もが愛し、白いご飯を無限に消費させる、あの『カレーライス』だ。
この世界に来てからお馴染みのカレーに出会ったことは一度もない。
だが、これまでの生活や市場での買い出しの中で、俺はある確信を持っていた。
(既製品のカレールーなんてものは存在しないが、この世界の市場にある数々の『香辛料』を正しく組み合わせればカレーを作り出すことは十分に可能なはずだ)
今日はちょうど、仕入れではない「完全な休日」の日。
俺は新メニューの材料を買い揃えるため、活気溢れる王都の中央市場へと向かった。
午前中の中央市場は数々の露店と買い物客の熱気で満ちていた。
俺が目指したのは主に南方の交易都市から運ばれてくる珍しい調味料や香辛料、薬草などを扱う専門の香辛料屋だ。
「いらっしゃい、お兄さん。うちのスパイスは王宮の料理人も買いにくる極上品だ。何を探してるんだい?」
髭を蓄えた店主が怪しげな壺や袋が並ぶ店先で声をかけてくる。
俺は並べられたスパイスの匂いを一つずつ嗅ぎ、前の世界の記憶と照らし合わせながらカレーのベースとなる組み合わせを探していった。
まず、カレーにあの独特の黄色い色をつけ、温かみのある香りを生み出すベースとして黄色の粉末を大量に購入。
次に、カレーの「香り」の主役であり食欲をそそるあのスパイシーな風味を出すための小さな種子を選択。
さらに、爽やかさとほんのりとした甘みをプラスするための葉の種と、ガツンとした辛味の核となる真っ赤に乾燥した唐辛子(チリペッパーだと思うもの)を確保した。
これら基本の4大スパイスに加え、味に深みとコクを出すためのシナモンに似た樹皮や、クローブ、カルダモンに似たこの世界の芳香植物もまとめて買い揃えていく。
「よし、これだけあれば、俺の記憶にあるカレーの味へ近づけられるはずだ」
両手いっぱいにスパイスの袋を抱え、俺は店へと急いだ。
午後、静まり返った店の厨房で俺は一人、エプロンを締めて作業を開始した。
まずはベース作りだ。細かく刻んだ大量の玉ねぎを飴色を通り越して深みのある茶色になるまでじっくりと時間をかけて炒めていく。これによってカレーの土台となる強烈な「甘み」と「コク」が生まれる。
そこにすり下ろしたニンニクと生姜、そして完熟トマトを加え、水分を飛ばしてペースト状にする。
「ここからが本番だな……」
俺は先ほど市場で買ってきたスパイスたちをすり鉢で丁寧に挽いて粉末にし、独自の比率で配合していった。
まずはターメリック、クミン、コリアンダー、チリペッパーを混ぜ合わせ、炒めた玉ねぎのペーストへと投入する。
――フワァァァァァァッ!!!
その瞬間、厨房の中にこの世界の人々が一度も嗅いだことがないであろう強烈で、刺激的で、それでいてどうしようもなく食欲をそそる「あのカレーの香り」が爆発的に広がった。
「これだ……! この匂いだ……!」
テンションが上がった俺は、そこに出汁スープを注ぎじっくりと煮込んでいく。
まずは最初の一口をスプーンですくって、味見をしてみた。
「――ん?……うわ、にがっ!それにトゲトゲしてて全然まとまりがないな……」
香りは完璧なカレーなのだが、口に含むとスパイスの苦味と酸味が尖りすぎていてお世辞にも「美味いカレー」とは言えない出来だった。
ここからが料理人の腕の見せ所だ。スパイスの比率をミリ単位で微調整し、隠し味としてこの世界の果物から作ったジャム(リンゴとはちみつの代わりだ)を加えて甘みとコクを足し、ほんの少しの醤油で味を引き締めていく。
何度も何度も味見をし、首を傾げ、また煮込む。
気がつけば外の通りはすっかり暗くなり、夜の帳が下りていた。
そして夜の八時を回った頃。
鍋の中で静かにフツフツと音を立てる、深みのある焦げ茶色のルーを俺は再びスプーンですくって口に運んだ。
「……っ!――よし美味い!出来た!!」
玉ねぎの深い甘みの後に押し寄せるようなスパイスの芳醇な香りと、心地よいピリッとした辛味。まさに俺が求めていた「日本のカレー」がここに完成したのだ。
ちょうどその時、店の奥の勝手口から「カケルさん、こんばんはー!」と、ルナの元気な声が響いた。
今日はお休みだったので三人で出掛けていた。というのも俺が厨房を使うということで、邪魔にならないよう急遽出掛けてくれていたのだ。
「カケルさん、一体何を作ってたんですか?この鼻を突き抜けるような、嗅いだことのない不思議な香りは……」
アイリスがクンクンと鼻を鳴らしながら不思議そうな顔で厨房を覗き込む。
「ふふ、良いところに帰ってきたな。今、店の新しい看板メニューになるかもしれない料理の試作が終わったところなんだ。名前は『カレー』っていう。みんな、ちょうどお腹も空いてるだろ?今日の晩御飯として、ちょっと食べてみてくれよ」
「カレー、ですか?聞いたことないお料理ですね!ぜひいただきます!」
ルナがうれしそうにカウンターの席につく。
俺は大きなお皿に白いご飯を盛り付け、その上から出来立てのカレーを注ぎ入れた。目の前に出された茶色い謎の料理に、三人は興味津々な様子でスプーンを握り締めた。
「それでは、いただきます……」
三人が同時にカレーのかかったご飯を口へと移した。最初の数秒は味わっていたが、その未知の美味しさに全員が目を開いた。
「おいしい……!なんですかこれ、すごく濃厚でお肉の旨味と玉ねぎの甘みが伝わってて――」
ルナがそこまで言いかけた次の瞬間だった。時間差で襲来した「チリペッパーの洗礼」が彼女たちの口内を直撃した。
「――ッ!!~~~~~っ、から、辛いぃぃぃぃぃぃっ!!!?」
アイリスが突然、椅子の上で悶え始めた。色白の肌が一瞬にして真っ赤に染まり、目に涙をいっぱいに溜めている。ルナもハフハフと口を大きく開け、多少涙目になりながらもその刺激的な美味しさに抗えず、次の一匙を口まで運んでいる。
そんな二人の横でセリアだけは静かにスプーンを動かし、平然とした顔でカレーを食べていた。
「……ふむ。不思議な感覚ですね。口の中が熱くなるような衝撃がありますが……香辛料の香りや味に肉の旨味、とてもおいしいです。私はこの辛さ、全く平気ですね。ちなみに癖になりそうな味わいです」
セリアは涼しい顔で器を綺麗に空にしていた。
「カ、カケルさん!お水、お水をください……!」
アイリスが涙目でお願いしているので俺は慌てて冷たい水を差し出した。
「……びっくりしました。最初は甘くて美味しいのに、後からあんな衝撃がくるなんて。でもセリアの言う通り、確かにこの『辛さ』の奥にある美味しさは今までの王都の料理には絶対にない魅力ですね……」
「うん!辛いけど、この白いご飯との相性はトンカツ並みに最高だと思う!」
ルナも上を向いて気をつけながら完食していた。
三人のリアルな反応を見て、俺は大きな手応えを得ると同時に重要な課題も見えた。
「みんな、率直な感想をありがとう。……やっぱりこの世界の人たちにとってはこの辛さはちょっと刺激が強すぎたみたいだな。店で出すときは少しスパイスの比率を変えて辛さを抑えた『マイルド仕様』にした方が良さそうだな」
俺は鍋の中のカレーを見つめながら、明日の作戦を考えた。
「よし。作ったこのカレーはもう少し辛さを抑えて、明日来てくれるお客様にサービスか何かで『新メニューの試作品』って言って少しずつ小皿で出してみよう。みんなで実際に食べてもらって、感想を聞いてみよう」
「いいですね。みなさんがどんな反応をするか今から楽しみです」
アイリスがやっと赤みのひいた顔で優しく微笑む。
新メニュー『カレーライス』の土台は今日しっかりと完成できた。明日からの営業でお客様の声を反映させ、さらに磨き上げていけば間違いなく『定食屋 つむぎ』の新たなメニューになるはずだ。
「みんな、ありがとう。明日の営業も気合を入れていくぞ!」
「「「はいっ!!!」」」
俺は厨房の片付けを終えて店の扉を閉めた。夜風に吹かれながら家へ歩く俺の頭の中は、もう明日のカレーのことでいっぱいだった。
(明日は王都の連中に新しい『衝撃』を味わせてやるか)




